Index(X) / Menu(M) / /

エアポケット

◆IyF6/.3l6Y氏

25日0000時、宣戦布告、開戦。

帝国は欧州に侵攻を開始する。
強力な機動力を以って、高速で展開していく「電撃戦」は、瞬く間に欧州を席巻していた。

海軍 ハーゲン島基地
27日 1730時 [作戦開始 −5日]

エーリッヒ・マイヤー曹長は、ふと人の気配を感じて顔を上げた。
食堂のテーブルの向かい、身長185cmを越す長身が、無言でそこに立っている。
「・・・ここ、いいか」
壁がしゃべった。マイヤー曹長はそう感じる。
地の底から響くような低い声だった。
なんとなく居心地悪そうな顔で、マイヤー曹長を真っ直ぐ見ている。
言葉は交わしたことがないが、よく見知った顔だ。
「どうぞ」
あっけにとられたまま、マイヤー曹長は頷く。
トレーを持ったそれは、無言のまま腰を下ろした。
支給された白い海軍兵員のシャツは、肩幅に合わず窮屈そうだ。
マイヤー曹長は記憶を必死で辿った。一緒にこの作戦に派遣された人間の一人だということは分かる。
輸送機に同乗した人間はそう多くはないし、その中の尉官クラスではない人間は更に少ない。
ひどい揺れと騒音の中で、気を紛らわすために向かいの席の人間を眺めていたのだ。
ありきたりではあるが、妙に似合っている苗字だった。
そうだ、と、切れていた配線がつながった様に、マイヤー曹長は思い出す。
イェーガー上級曹長。
特殊作戦のためこの海軍基地に動員された、中央軍1次派遣隊のうちの一人。
目の前で、俯いて鶏肉の生姜風味ソテーを口に運んでいる様は、どことなく所在無さげだ。
強い特徴はないが、どことなく風合いの違う佇まい。
広い肩幅。動的な筋肉というより、静的な、持久筋の付いた体つきが目に留まる。
山犬を連想させるような、穏やかだが精悍な顔立ちが印象的だった。
押し黙ったような琥珀色の瞳の奥に、鋭さと意志の強固さを秘めている。
世間から離れ、己のルールに従って生きているような、そんな人間。
見るからに荒くれぞろいの、特殊作戦部には珍しいタイプだ。
マイヤー曹長たちが所属する情報部の中でも、直接的な武力行使を任務とする「特殊作戦部」。
海軍との共同作戦に、なぜ彼が派遣されたのかは知らない。
武力行使する相手などここにはいないのだ。この島自体が、一つの海軍基地なのだから。
詮索するのは禁止されていたし、またマイヤー曹長自身も任務について話すことは特に禁じられている。
陸・海・空の兵力の統合運用、共同作戦のため、三軍の指揮系統の頂点に設置された中央軍。
そのため、高次の任務を多く請け負い、表面に出ない作戦も数多い。
殊に、その中の情報部の人間は、存在自体が隠蔽されているといっても過言ではなかった。
黙々とマイヤー曹長は、炒めたサラダを口に運ぶ。
パプリカ、ベーコン、レタス、枝豆、舞茸、スライスした玉ねぎ、茄子を塩胡椒とオリーブ油で炒めたものだ。


簡素な味付けだが、意外にもさっぱりしすぎず美味い。
小さな基地の割に、食事は瀟洒で充実していた。
サラダの横には、鶏肉の生姜風味ソテーがよそってあり、スープは茶褐色にすんだコンソメスープだ。
それに、パンの付けあわせとして油漬けオリーブとモッツァレラチーズまで添えてある。
食堂自体は倉庫を改造したような、パイプ椅子と長テーブルの殺風景なものだが、料理人の腕に関する限りでは彩り豊かなものだった。
人も疎らな食堂はがらんとして、黄色い灯りの下を通り抜ける夜風が心地よい。
向かい合ったまま黙々と、ふたりは食事を続ける。
線の細い、いかにも美青年のマイヤー曹長と、大柄で塗り壁のようなイェーガー曹長の取り合わせは、いかにも凹凸コンビだ。
マイヤー曹長の、つるりとした白い細面、すっととおった鼻筋。柳のようにしなやかな肢体。
色をごく薄めた癖毛のプラチナ・ブロンドは若草のように柔らかい。
柳眉の下には切れ長の、メスの刃のような目。
するりと伸びた簾睫の下に、大理石色の瞳が見るものを吸い込むように鎮座している。
鈍色で縁取られたそれは、薄い緑を滲ませて、同時に深淵を湛えていた。
きゅっと締められた口元には、青年のひたむきさと憂い。
ただ座って黙っていれば、きれいに仕上げられた陶器人形という印象を与えるかもしれない。
瞳に宿る、炯々とした眼光だけはマイヤー曹長が、意志ある人間だということを突きつける。
時折投げかけられる、その視線に気付かぬふりをしながら、イェーガー曹長はコンソメスープを啜った。
悪い人間ではなさそうだ。
何の確証もない。だがしかし動物的な直感は、マイヤー曹長を少なくとも無害と踏んでいた。
分からない。しばらく観察してみなければ。
そう思いなおしながら、イェーガー曹長はパプリカを口に運ぶ。
オリーブのよい香りと、程よい胡椒が瑞々しい味わいを引き立てていた。
特殊作戦部の、噛み砕いて飲み込むような食事とは違うその味覚を、イェーガー曹長はゆっくりとかみ締める。
こんな時位しか、まともな食事をする機会がないのだ。
そして、向かいに座る人間がむさ苦しい男ではないということも、また異例であった。
傷も、隆起した筋肉も、真っ黒に日焼けした肌も、彼の世界を構成する物質である。
女のような、少年のような、しかし軍人のような。


こんな人間は、前線一筋のイェーガー曹長の知り合いにはいない。
反面、こういう人間が何を考えているのか、彼には予想も付かないが。
黄色い灯りの下、翳りながら二人は沈黙をも咀嚼した。
「しばらくあんたの監視に当たる」
皿の上を片付けた後、コーヒーを啜りながら突然イェーガー曹長が呟く。
俯き加減で、しかし真っ直ぐに視線をぶつける。その瞳の色合いは、見るものを吸い込む様だ。
おや、といった表情でマイヤー曹長が片眉を上げた。
「いいんですか、言って?」
目を細めた、探るような灰色の視線。
「知らずに妙な行動をしてもらっては困る」
ふん、と彼の上司がするように、マイヤー曹長は鼻を鳴らした。
知らず知らずのうちにその際の、唇の片端を吊り上げる笑いまでもが伝染している。
「貴方ほどの手練の前で?」
呼吸をするように、食事をするように、容赦なく敵を縊り殺す人間。
そこに気負いはない。感情の動きも、ない。
当たり前のように引き金を引き、刃先を翻す。
真の完成された兵士のみが持ちうる資質を、マイヤー曹長は既に嗅ぎ取っていた。
そして、それに比べれば、自分はあまりに無力だ。
「・・・取って食う訳じゃない」
そっぽを向いた、渋い表情のイェーガー曹長。
立ち上がり様、彼はマイヤー曹長の耳元にそっと吹き込む。
「あんたを監視してるのは、味方だけじゃない。気を付けるんだな」


海軍ハーゲン通信所 作戦会議室
29日 0820時 [作戦開始 −3日]

「気を付けェーッ!!」
よく通る張りのある声が、空気を突き抜けた。
拳に力をこめる。背筋に芯を通し、くっと顎を引いて、腕を体側に付ける。
広くはない会議室に、20余名の陸海空の兵士たちが出荷前のビール瓶のように、整然と並んでいた。
灰色のコンクリの壁に、横長の窓から溢れこむ光と影が映える。
その影までも整然と床に落ち、朝の空気は冷たく湿って張り詰めていた。
壁には大きな作戦地図が2枚張り出されている。
それには無数の船舶、無線機、航空機、潜水艦などを示すピンが刺されていた。
敵を攻撃する、そのための、作戦図。
整列した兵士たちはみな、この作戦のために招集された。
マイヤー曹長の前に立ったウェーバー軍曹の、休めの姿勢で後ろで組んだ手は、痛いほどに指に食い込んでいる。
マーシアス・田中・ウェーバー。
日本人クォーターである彼の顔立ちは丸く、幼さが抜け切らないが、その技量は卓抜している。
まだ甘ったれな性格、先輩からよく絡まれる弟のような彼の姿は今ここにはない。
開戦に備え練磨され、自ら困難に進んでいく一人前の通信士だ。
マイヤー曹長がそうであるように。ここにいる誰もがそうであるように。
誰もが、その技量を認められてここに来たのだろう。
整列している兵士らは白髪混じりの手練から、まだ若い少年のような兵士まで、老若様々だ。
彼らの顔は、誰もが解き放たれるのを待つ猟犬のように、静かに逸っていた。
訓練を積み、己の技量を磨き、軍隊生活に耐えてきたのも、ひとえに敵と相対するときのため。
迫りくる東西の列強の足音に、この欧州の軍事国家は軍備改変を進めてきた。
資源や物量の不足を、人ならぬ練成で補おうと猛訓練を積んできている。
列強の圧力を、彼らは身をもって感じていた。
日増しに増える、国内外の正体不明の電波。周辺国の軍事演習。
あるものは密かに傍受・解析し、あるものは暗闇の奥底で激烈な諜報戦に身を投じている。
それを知り、携わる彼らには職業軍人としての自負があった。
優秀であること以前に、孜々とした兵であることを自らに架して。


ドアが開いた。
指揮官たる海軍将校が、大股で兵たちの前に進み出る。
鋭い眼光を宿した二人の海軍将校が、向き直った。
「申告!」
兵たちの横に立つ海軍中佐が発令した。
まず、中央軍の最上級者が作戦司令に向き直り、敬礼した。
「中央軍司令部、ルドルフ・キーオウ大尉以下5名」
「空軍第1通信群、ハインツ・シュミット少佐以下6名」
「海軍司令通信部、ミハイル・シックグルーバー少佐以下7名」
「陸軍中央通信連隊、アレクシス・ルートヴィッヒ中尉以下3名」
黒い制服の中央軍、海軍、鮮やかなブルーの空軍、くすんだ緑の陸軍。
4軍の精鋭たちの目が、司令に集まる。
作戦司令は彼らを見据え、息を吸い込む。
金の刺繍の入った黒い制服、糊の効いた白いシャツ。一寸のずれもない黒いタイ。
白髪のクルーカットに、潮焼けした顔立ちは威厳に満ちている。
深い皺を携え、ぎょろっと剥いた目は、鋭い眼光を放っていた。
歴戦の猛将。その言葉が、しっくり来る。
猟犬のような、しかし氷のような冷静さを持った兵士達を一人一人見回すその顔。
この作戦のために選りすぐられた精鋭の目を、確かめるように、視線を受け止める。
「諸君、遠路はるばるよく来てくれた。私がこの作戦の司令、ゲオルグ・クレッチマン海軍大佐だ」
聞きほれるような、立派なバリトンが響く。
ゆっくりと、一つ一つの言葉を聞かせるように、クレッチマン大佐は兵たちに述べた。

―――諸君らは、全軍を代表してこの作戦に選ばれた。
武器なき闘い。前例のないこの作戦のために。

諸君らは新しい戦史を刻むのだ。
名誉や、栄光には浴せないかもしれない。
しかしながら、戦史に残る作戦となるであろうこの戦いは、戦争の転換期の先駆けなのだ。
前の世界大戦から発達してきた新しい闘いは、今急激に戦場に変化をもたらした。
砲弾。飛行機。艦船。魚雷。潜水艦。
どれもが日進月歩で進化している。そして諸子にはまた、軍事通信の進化も身近なはずだ。

我々は既成の兵器を用いない。
電波を武器とし、無線で戦う。我々は陸海空の兵士を、砲弾や空襲や、奇襲攻撃から守ることが出来る。
命を繋ぐことが出来るのは、名誉ある通信士である諸子だけなのだ。
もはや軍の神経は、諸子でしかありえない。
―――たとえ銃を取った先鋭ではなくとも、もはや諸子なしに戦争は成り立たない。
今回の作戦が陸海空統合なのは、戦争においては総てが連動し、また全軍に練度の高い通信はなくてはならないからである。

もはや局面に対応するのではない。局面を作り出す。
諸子にはその能力がある。
全軍を、ひいては祖国を守ることが出来るのだ。

一致団結し、諸子が黎明に相応しい戦いぶりを示すことを望む。以上。


朗々と、迷いないクレッチマン司令の言葉が響いた。
「敬礼ッ!!」
最上級である、シックグルーバー少佐が鋭く発令し、全員が鋭く挙手の礼をした。
クレッチマン司令も、一人ひとりを見据え、答礼する。
普段は冷静で、こんな情熱など忘れていたはずなのに、なぜか胸の奥にメラメラと闘志が湧き上がってくるのをマイヤー曹長は感じた。
ここにいる誰もがそうなのだ、と分かった。
飢えた猟犬のように、鬱屈した狼のように、本性から闘いを渇望している。
娼婦の子に生まれ、裏世界よりはましと飛び込んだ軍隊。
あまり良いことは無かったが、それでも精一杯任務をこなしてきた。
敵と向き合い、時には自ら引き金を引き、人を殺したこともある。
―――それでも、続けてきてよかった。
マイヤー曹長は、本当にそう思った。
秘匿されつくした、誰も知らない作戦であっても、作戦参加は誇りに違いない。
まして、他でもない通信士にしか出来ない仕事だ。
誇りを胸に秘め、マイヤー曹長は手を降ろした。
国の運命を背負い、ひそかなる兵たちはまだ見えざる敵を見据える。
正義のためとか、大義のためなどではない。
存在意義を問われ、それには戦果を以って応えるしかないのだ。
緊張ゆえか無意識に、口元の肉がぴくぴくと引き攣る。
マイヤー曹長は、それにも気付かぬまま前を見据えていた。

海軍ハーゲン通信所 通信室
29日 1000時 [作戦開始 −3日]

電探班、敵信傍受班、電波測定班、妨害班、航空管制班、陸上通信班それぞれが編成され、すぐに準備に取り掛かる。
班ごとに部屋と機材が割り振られ、電話線でクレッチマン大佐らの控える司令室に回線が引いてある。
また、作戦要員は全軍、白いシャツ、濃い灰の海軍要員作業服の着用となっている。
マイヤー曹長、ウェーバー軍曹は海軍の2名と敵信傍受班に配置された。
各班にはそれぞれ、本格的な大型の通信機材、レーダーのディスプレイ、ヘッドホンや暗号変換装置エニグマが所狭しと並べられている。
上から下までぎっしりと詰まれたそれらの機材の灰色で、まるで艦内にいるかのようだ。
作戦要員は、すぐに機材に取り付く。
班長のベルク海軍大尉に、一通り通信機材の特性をレクチャーされた中央軍の二人は、新しいおもちゃを与えられた子供のように生き生きとしていた。
特に壁までもある大型無線機を前にし、ウェーバー軍曹は興奮して紅潮している。
丸顔に填ったつぶらな瞳の奥が、猫のように爛々と輝いていた。
音量や雑音制御の調整つまみや、送信出力や周波数の目盛り、基本的には中央軍の無線機と変わらない。
しかしながら、このような海軍通信用の機材は性能が陸軍の近距離用のそれとは桁違いだ。
また、陸軍の用いるものよりも海軍の周波数は低い。
周波数が低くなるほど、明瞭ではなくなるが遠くまで届くのだ。
ここの無線機は、島の中央に聳え立つ3本のコンクリ製電波塔に接続されていた。
直径3メートル、高さ100m程度の円柱の電波塔の到達距離は欧州を遥かに超え、ロシアまで届く。
傍受に関しても、その性能は海軍有数だった。
この島の傍受施設は、このアンテナに届く世界中の電波を常時監視解析しているのだ。
「すごい。何が受信できるんだろう」
ウェーバー軍曹が、目を輝かせて無線機の前の椅子に座った。
「いじりすぎて壊すなよ」
マイヤー曹長が冗談交じりに静める。
中央軍通信学校同期でありながら、ウェーバー軍曹は弟分、というより子分であった。
ウェーバー軍曹を従えるマイヤーの姿は、まるで軍用犬を従える猫のように見える。
マイヤー曹長は、彼を弟のようにかわいがり、彼もマイヤー曹長をよく慕っていた。
通信技術についても、ウェーバー軍曹はマイヤー曹長直々の手ほどきを受けている。
単純に言えば、馬が合うのだ。冬になれば雪だまをぶつけ合ったし、暇になればよくトランプをやったりした。
年齢が近いこともあり、数少ないマイヤーの親友でもあった。


「いやだな、おれ、無線壊したことなんかないですよ」
ヘッドホンを掛け、ウェーバー軍曹は周波数つまみをいじり始める。
ここで傍受したモールス信号や音声は総て記録され、要すればこの島の暗号解析部に回されるのだ。
「ベルク大尉。周波数設定しました」
振り返り、マイヤー曹長はベルク大尉に報告する。
色黒、砂色の髪をクルーカットにしたベルク大尉は鷹揚に頷いた。
もう一人の海軍士官、ランケ少尉は、マイヤー曹長らの仮眠休憩時の交代に当たる。
やや肥満気味にも見える彼は、浅黒い肌と黒い艶やかな髪、エキゾチックな容貌が印象的だ。
「よろしい」
ベルク大尉は、マイヤー曹長らが難なく無線機に馴染むのを見て一応安心したようだ。
一瞥した横顔には、技術官らしさと軍人らしさの融合した海軍独特の雰囲気がある。
きれいに削られた砂色の髪の毛、糸のような鋭い吊り目は彼のその印象を強めていた。
早くも最初の敵信を傍受した、点と線の信号にかじりつくウェーバー軍曹。

−・−−・ ・−−・・ ・・−・− −・−−− ・・・

皮肉なことに、敵軍通信手が手練であればあるほど、モールス信号はウェーバー軍曹を裏切らない。
暗号解読の基礎である、正確な傍受による情報収集に彼は尽力していた。
既にモールスは彼にとって言葉であり、音楽である。
彼の万年筆はまるでよどむことを知らぬように、受信したモールスを書きとめ続けた。
「うんンーーー」
知らず知らずに唸り声を上げる。
海軍の通信手は、どこの国においても練度が高い。陸上と違い、無線以外の交信手段がないのだ。
海軍の暗号防護と、陸軍の暗号防護の程度の違いの差はその意識の差である。
どこの国においても、敵国の電波を傍受する機関は必ずあるのだ。
人が作ったものである以上、解けない暗号など、ない。
「イギリスには、特に優れた電子戦部隊があると聞く。エニグマに挑んでいる天才数学者がいるらしい」
以前、マイヤー曹長がぼそりとつぶやいた噂は、時折ウェーバー軍曹の胸に引っかかる。
「エニグマが絶対だと思うなよ。軍部の『絶対解読不可能』など、現時点での話でしかない」
特に、陸軍端末部隊や秘密警察の連中、いい加減な使い方してるからな。
そう、苦い顔で言った時のマイヤー曹長の表情は、明らかな危機感を抱いていた。
彼の白猫のような横顔を、ウェーバー軍曹はちらりと窺った。
つまらなさそうにしている。通信が疎らなのだろう。
指先でペンを回しながら、今か今かと通信が入るのを待ち受けているようだ。
浮かび上がる白い頬は、一点も汚れのない。
自分のニキビ跡とソバカスだらけの肌と比べると、まるでぼろ布と絹だ。
―――神は少なくとも公平じゃないな。
美青年であるというだけで妬みを買うのも、彼を前にすると何となく分かってしまう。
視線に気付いたマイヤー曹長が、(集中しろ)と手を振った。
現実に引き戻される。
余計な方向に思考が飛んでいたのに気付いて、ウェーバー軍曹は慌てて雑念を頭から振り払った。


第3観測所
29日 1600時 [作戦開始 −3日]

カップに注いだコンソメスープを飲みながら、イェーガー曹長はその千里眼をくまなく周囲に巡らせた。
目の前に広がる2階建て兵舎の棟には、人影一つない。
整然と並んだ6棟の外来用兵舎を見下ろすこの観測所は、そこからやや離れた小高い丘の上に立っている。
ちょうど3階ほどの高さから見下ろすコンクリ製の兵舎は、墓のように塀に囲まれ、横たわって沈黙していた。
塀の向こうはすぐ海に落ちており、塗りこめたような鉛色がうねっている。
いつか絵で見た美しい、青く透けるような海ではなかった。
むしろ彼の育った、北極海の表情に似ている。
厳しい表情をした、硬質の海。襲いかかるような波濤。
そこは氷に閉ざされた世界、日が落ちれば、どこにも光はない闇の奥だ。
琥珀色の瞳に、錆色に染まり始めた水平線を映しながらイェーガー曹長はため息をついた。
濃い灰色の、海軍兵用戦闘服は部屋の影に混じり、境目を失いそうだ。
4メートル四方の部屋に置かれたテーブル、椅子、ソファー。コンクリの殺風景な部屋にある家具類もまた、無表情な灰色だ。
テーブルの上におかれた、彼の愛用する狙撃銃もまた、この部屋の空気に馴染んでいた。
モーゼル社製のこの銃は、使い手にあわせて精緻なカスタマイズを施されている。
体の一部であり、彼以外には合わないといっても過言ではない。狙撃とはそういうものだ。
木製の部分にはよくアマニ油が塗られ、丁寧に磨かれていた。
銃身や銃内部など、金属部分にいたってはいわずもがなである。
「あんた、あいつがシロだと思うか?」
観測手―――狙撃手にとってなくてはならない相方、アッシュ・シュタイナー軍曹が腕を組み、隣で景色を見下ろしながら聞いた。
風速の測定や通信などを狙撃手に変わって行う観測手は、その不在が狙撃に大きく影響する。
長年苦楽をともにしてきた相棒の問いに、イェーガー曹長は肩をすくめた。
「分からんね。おれの踏んだところではシロだが・・・あんた、気になるのか」
緑色の瞳をイェーガー曹長に投げかけるシュタイナー軍曹の表情はいつになく厳しい。
「やつは何かを隠してる。それが何かは分からんが」
目尻に刻まれた深い皺、濃くはっきりした眉と、夕方には生えている無精髭。
身長は小さいが、いかにも兵士然とした風貌の佇まいは、無言のうちに歴戦の勇者振りを語っている。
「おれ達の機関に、キナ臭くない奴なんかいないだろう。特に情報部は」
「あいつは特別キナ臭いんだよ・・・、うまく言えないが、おれ達と根本的な何かが違う」
黄金色の目を細め、傾き始めた夕日が照らす波の稜線を見やる。
イェーガー曹長は、シュタイナー軍曹の言葉に黙って聞き入っていた。
「あんたがそういうなら・・・何かあるのかもしれない」
焼きついたような濃い影が、部屋に満ちていく夕暮れ時。
特に監視を要する、と分類された内の一人であるマイヤー曹長の面影を思い浮かべる。
彼の周囲を、気付かれぬよう、しかし確実に距離をつめながらうろつく影を既にイェーガー曹長ら監視チームは捉えていた。
牽制と、警告の意味をこめて、イェーガー曹長は彼に接触したのだ。
甘言を以って、マイヤー曹長を誘導しようとする何者かに決して流されぬように。


用心せねばならぬのは、その純粋さ、ひたすらな精神ゆえに、敵に騙されることである。
軍への忠誠が、敵への忠誠に変わってしまえば、それは恐ろしい意味を持つのだ。
一人前のつもりでも、軍に染まりきったつもりであっても、彼には寂しい、高潔な若者の純粋性が残っているのだ。
建前と現実の違い。
例えば戦場で死んでいく兵士達の死が、数字としてしか意味を持たないこと。
それを従容として受け入れている風なふりをしても、まだ心の奥底には、大義を信じ、生きること、死ぬこと、命を懸けることに意味を見出そうとしている。
イェーガー曹長は、マイヤー曹長にその若者の激しさと、高潔さとを見出していた。
「危険といえば危険だな。・・・まだ子供だ」
少年のようなやさしいなりと、炯々としていながらどこか寂しげなひとみが脳裏に纏わり付く。
いつも、子犬のように彼の傍にいるウェーバー軍曹の、愛国主義者の若者らしい佇まいとは色合いを異にしていた。
どんなに技量があっても、イェーガー曹長にとって彼らはまだ紅顔の少年兵に違いない。

曖昧な肯定を口にしたイェーガー曹長の目が、黒々とした海を映す。

海軍ハーゲン通信所 通信室
30日 0100時 [作戦開始 −2日]

枝豆とベーコンを炒め、カッテージチーズを添えて小さなフランスパンに挟んだサンドは、あるものを適宜挟んだだけにも関わらず中々の美味だ。
塩コショウの効き方がちょうどよく、パンの小麦の香りも芳しい。
温かな紅茶と、そのサンドの彩りは、無彩色の世界にあって目にも鮮やかだ。
ヘッドホンをかけたまま、ささやかな夜食を楽しむ。
クレッチマン大佐が気を使って、食堂にも行けない作戦要員のため食事を用意してくれた。
作戦室中央に置かれた大なべに料理が入っており、食欲をそそるいい香りが部屋中に充満している。
「おれ、お代わり行ってきます!!」
マイヤー曹長の2倍の速さでサンドを平らげたウェーバー軍曹は、早くも2個目に行く勢いだ。
席を立つ彼を、声が追いかける。
「ちゃんと飲み込んでから行けよ」
後姿を、苦笑しながらマイヤー曹長は見送った。
「貴様の弟分は随分と元気だな」
30代にさしかかり、ベテランの落ち着きをもって敵信傍受班を率いるベルク大尉。
既に10〜20代の素直さが抜け、冷徹さ、経験に裏打ちされた自信を備えている。
何ができるか、何が限界なのか、何をすべきなのかを彼はよく知っていた。
「申し訳ありません。少し元気すぎて、手に余ります」
2歳年上のはずのウェーバー軍曹の、兄のようなマイヤー曹長。
きれいなアーチの目を細め、微笑するその表情は闘いの中にあって鋭くも優しい。
父性といったものが、少しその表情には滲んでいる。
「中央軍にもああいうのがいるのか。うちの少年兵は、情熱過多なのが多くてな」
軍曹、という下士官なりに落ち着いてきてはいるが、二等兵時代の情熱の奔流を想像するに難しくないウェーバー軍曹。
先ほどよりさらに具を盛ったサンドを持って帰ってきたウェーバー軍曹に、ベルク大尉はニヤニヤとしている。
「あとで、貴様の分だけ中央軍に食費を請求しておこう。馬のように食うからな」
きょとんとした顔のウェーバー軍曹に、マイヤー曹長は思わず噴き出しそうになる。
「お前は農耕馬だな」
ベルク大尉に追従して、マイヤー曹長が冗談を口にする。
その太く逞しい四肢、恵まれた体格に我の強い顔は、確かにサラブレッドとは言えざる風貌だ。
サンドを詰め込み、紅茶を流し込んだ農耕馬は、満足そうに一息ついた。


「おいで、大分指が疲れただろう」
ウェーバー軍曹は、大人しく手を差し出す。
いつも、筆記に疲れたときにしてやっているように、マイヤー曹長は向き合ってウェーバーの手を取る。
白く細い、白魚のような指先が、厳つい指の根元を掴み、揉みしごく。
中央の、落ち窪んだ部分を押したり、指を反らして伸ばしてやったりして、凝りをほぐしていく。
心地の良い刺戟、そしてマイヤー曹長のひんやりした手に、傍受中にも関わらず思わず感じる、とろりとした眠気。
筋の一本一本を伸ばしていくような、マイヤー曹長得意のマッサージは、通信部でも密かな人気だ。
「あーーー・・・」
思わずうめき声がもれた。
冷たい指先が、丁寧に筋肉をほぐし、血流を整える。
疲れの抜けていくような、そしてどこかしら官能的な気分すら誘うような指先の動き。
心地よい圧力に、聞こえる空電すら忘れそうになる。水かきを挟む親指の感触が、どこか遠くに感じられた。
柔らかくて白い掌。一瞬、何もかもを忘れて恋人を思い出すようなそれ―――
三つ編みにした柔らかな金髪に、緑色の瞳、そばかすの散らばった紅顔。
彼女のむせ返る様な花の匂いは、故郷の匂いだった。
恥じらいを秘めた、香り立つバラの香り。
一瞬その幻が、鼻腔に蘇る。我に返ると、永久に失われてしまうその香り。
志願のしばらく後に失った、彼女の思い出が胸を掠める。
刹那、熱い血潮が身体に巡るのをウェーバー曹長は自覚した。
生々しい思い出は、その勢いを呼び覚ますに十分だ。
慌てて、ぱっと手を離す。
ぱちくりと、驚いた顔をしたマイヤー曹長にウェーバー軍曹は慌てて弁解する。
「気持ちよくて、寝ちまいそうです」
後ろめたさと、情けなさで冷や汗が出そうだ。
「そうか」
清らかな笑みを浮かべて、マイヤー曹長は呟いた。
「もうすぐ交代だから、頑張れ」
そのまま、深くは聞かず彼は仕事に戻る。
彼自身も、指はひどく疲れているはずなのだが、どういうわけか絶対にその手を触らせようとはしなかった。
肩を揉むといっても、手を揉むといっても、「僕はいい」の一点張りなのだ。
猫のように柔らかなその身体を、彼は誰にも触れさせなかった。


海軍ハーゲン通信所 通信室
30日 1700時 [作戦開始 −2日]


―――ひどく暑い。湿気た熱気は、時が止まったように動かない。


祖国とは違う暑さは、不快感を伴ってどうしようもなかった。

木の、長い廊下に規則的に落ちた、四角い窓の影。
さわさわ、と時折聞こえる緑の音だけが、唯一の涼しさだ。
マイヤー軍曹は、シャツの襟元を開け、吹き出る汗をハンカチで拭った。
「おおい、マイヤー」
聞きなれた、お調子者の声が彼を背後から呼び止める。
何故だかその声が妙に懐かしくて、マイヤー軍曹は振り返った。
「海江田!」
坊主頭、マイヤー曹長よりも10cmほど小さい身長の親友。
東洋人独特の童顔に立派な眉、一重の目は腫れぼったいが、その奥の瞳は明晰さを帯びている。
四角い顔を綻ばせ、立っている海江田のシャツはハレーションを起こしていた。
何故か、思わず走り寄ってしまう。―――随分久しぶりにその姿を見るような気がして。

奇妙にも、昼間だというのに、どこも授業をやっている気配がない。
海江田が、不意に白い何かを投げた。放物線を描いて飛んできたそれを、慌てて受け取る。
「キャッチボールしようぜ」



不意に光が溢れこむ。
顔を上げると、いつの間にか桟橋に立っていた。
手にはミットを持っており、向こう側に立った海江田がミットを嵌めた手を振っている。
突き抜けるような、ガラスの青の空。明るく透き通った海は、どこまでも石の底が見える。
川のような、しかし蒼さを持った広い海。
水平線の向こう、茫洋とした広がりに思いを馳せることもできる。
ちゃぷ、ちゃぷと音を立てる波に、心地よい南風。
入り江のここは、瀬のすぐに山が迫っており、薫風と潮風の臭いが入り混じっている。
「行くぞー」
マイヤー軍曹は、眩しそうに目を細めながら、白球を投げた。
いい肩だな、羨ましいと褒められた肩。
野球好きの海江田に教わった握り方でボールを握り、振りかぶった―――


ガツンと手首が背もたれに激突し、粘るような眠気から意識が醒める。
唸り声が挙がるのが聞こえる・・・それは、他人のもののようであって自分のものだ。
白い天井、間近に迫る壁に、一瞬マイヤー曹長は混乱した。
美しい景色も、遮るものが何もない海もそこにはない。
もちろん、海江田の姿も消えていた。
休憩で通信室のソファに座っているうちに、いつの間にか居眠りしていたのだ。
音に驚いて振り返ったウェーバー軍曹と目が合う。気まずくて目をそらし、前髪をかき上げた。
腕時計を見ると、休憩時間は既に残り少ない。
「・・・交代します」
頭がまだぼんやりしたまま、マイヤー曹長はランケ少尉に声を掛けた。
不規則な交代のため、次の仮眠時間がいつになるか分からない。
貴重な睡眠が終わってしまった、とマイヤー曹長は惜しみながら椅子に座る。
「大丈夫ですか、手」
傍受し終わった通信を清書しながら、ウェーバー軍曹は聞く。
口調とは裏腹に、ニヤニヤした表情を浮かべている。
「問題ない」
その横っ面に、マイヤー曹長は清書し終わった走り書きの紙を丸めて投げつけた。
剛速球は見事にウェーバー軍曹の横っ面にめり込む。
「イテェ」
意外な威力に、不貞腐れたウェーバー軍曹の声。
彼が投げ返すことをマイヤー曹長は予想し、そのとおりになる。
そこそこの速さで飛んできた紙くずボールを見事にキャッチして、マイヤー曹長は投げ返した。
座ったまま白球をやり取りしながら、彼はぼんやりと先ほどの夢を思い出す。
「マーシアスは、青い海を見たことがあるか」
ふと、親友を呼ぶときの名前でマイヤー曹長はウェーバー軍曹を呼ぶ。
茫洋としたマイヤー曹長の灰色の眼差しを見返して、彼は怪訝そうな表情をする。
「・・・何ですって?」
放物線を描きながら、緩やかに軽い白球がウェーバー軍曹の手に落ちた。
「どこまでも透けてる、混じり気のないコバルトブルーの海。北海みたいに、灰色の海じゃない」
少し考えてから、ウェーバー軍曹は返す。
「ギリシャやイタリアの海は、大層綺麗だと聞きますね」
ふぅん、とマイヤー曹長は相槌を打った。


ウェーバー軍曹の投げ返した球を不意に手に持ったまま、その目は遠くを見ている。
「おれも絵葉書でくらいしか見たことありませんよ」
「そうか」
しばらく考え込んでから、マイヤー曹長はぽつりと呟いた。
「マーシアスに見せてやりたいな・・・、本当の美しい海を」
初めて、マイヤー曹長がマーシアスを見る。その顔には、照明の陰りが顔に落ちていた。
「シチリアにでも、連れて行ってくれるんですか」
「東洋の海」
ガラスみたいに綺麗な海だった。
そう呟くマイヤー曹長。
彼が、一時期東洋の同盟国に技術交換学生として留学していたことをウェーバー軍曹は思い出した。

「海軍川棚学校」―――
当時マイヤー軍曹が留学したその機関は、同盟国の軍部中枢においても知る者は少ない。
大学を卒業したごく一部の、ある種の才能を持つ者だけがそこで教育を受け、優秀な情報員として巣立っていった。
国籍を秘匿するため、複数の国の部品を使って無線機を組み立てる方法。
身の周りの書籍―――たとえば、図鑑や総覧などから乱数を選び出し、暗号を作る方法。
小型無線機の構造や、暗号破りの方法、それに電波の特性。
敵の通信に割り込んで、敵の中枢を混乱させる方法。
無線機を分解して持ち歩くときに、怪しまれない方法。
ひどく湿気の多い、蒸し暑い夏は彼には応えたが、それでもその1年は彼にとって重要な年になった。
数は少ないが、海江田のように彼の外見に馴染んで話しかけてくれる学生もいた。
皆一様に、大変に語学が堪能で、みるまにマイヤー軍曹の言葉を理解した。
冗談まで言えるようになったその言語の上達ぶりには、マイヤー軍曹もひどく驚かされたものだ。
いい意味で軍人らしさのない、頭の柔軟な、そして誠実な人間がばかりだ。
別れ際には、「いつか会いに行くからなあ」と手を握って泣いたあの友人たちの顔を思い出す。
海江田、福島、浅井、峯島。
先見性と、発想力に富んだ、まさに至宝ともいえる人材だった。
一人ひとりの顔を思い出す。
あの小さな島国の海は、こんな遮る鉛色ではなかった。
マイヤー曹長は瞳を閉じる。
透明に近い、美しいガラスの波を瞼の裏に思い返しながら。

「沖合いまで見えるんだ、ずっと続く潮の底が。丸い石がどこまでも続いているんだ。
薄い透明な青から、沖合いは濃い青に移っていく。波間がガラス細工みたいに光る。
日の光が暖かくて、入り江から見ると本当にこの世じゃないみたいで」
いつか、見せてやりたい。マーシアスを連れて行ってやりたい。
マイヤー曹長はそう繰り返す。
柔らかい灰のような瞳が妙に物悲しい優しさを感じさせた。


「おれ、海ならいつかはマリアナに行ってみたいな、雑誌で見たんです」
「マリアナか。潜水艦隊に入れば、極東行きの海路で行けるかもしれない」
ウェーバー軍曹は肩をすくめた。
「兄が、潜水艦乗りですが、やめておけと」
つかの間、二人の通信士は叶う当てのない夢を話す。
「いつか戦争が終わったら・・・、飛行機で南洋に行きたいな」
「そうですね。おれ、ローマにも行きたい。コロッセウムを見たいんです」
不意に、マイヤー曹長の手から紙くずボールが飛んでくる。
「フランスの、ベルサイユ宮殿もさぞかし豪華絢爛なんだろう」
「本場のシャンパン飲んでみたいです。有名なクラブ・・・何でしたっけ?」
ふ、と笑いマイヤー曹長が答える。
「ムーラン・ルージュか」
「はい。一度、店を貸切にしてみたい」
実に男らしい願望をマイヤー曹長は笑った。
戦争が終わる日。
それは夢のまた夢のように曖昧で、不確実な未来だ。
それでも、この灰色の檻の中で過ごす時間に、それは希望を与えてくれる。


海軍ハーゲン通信所 司令室
30日 1430時 [作戦開始 −2日]

「ご苦労」
ゲオルグ・クレッチマン大佐は、報告を手渡した兵を、短く労った。
目尻に深く刻まれた皺、潮焼けした肌。ロマンスグレーのクルーカットは、威厳ある海軍大佐に相応しい。
恰幅もよく、外見から沈着な指揮官を体現していた。
書類の散らばった机に、カップに注がれた濃いコーヒー。
目の前に立つ若い曹長の後ろでは、せっせと数人の士官が作戦海図に何かを書き入れていた。
提出した書類に目を通す。
ぱらぱらと書類をめくると、数ページにわたり傍受した通信の内容が詳細に綴られていた。
神経質そうな筆記体は、大佐の優秀な部下であるベルク大尉の文字だ。
「マイヤー曹長と言ったかね?」
書類に目を落としたまま、目の前の曹長の名を呼ぶ。
休めの姿勢のまま、身じろぎもせず彼は「はい」と答えた。
北欧系の美青年と聞いていたが、評判どおりの容貌だ。
探るような視線で、マイヤー曹長を見上げる。彼の、そうそうたる経歴を思い出す。
陸軍通信学校、海軍通信学校。それに同盟国の情報員養成機関にも一時期留学。
よほど期待されているのだろう。単なる通信士では終わらないはずだ。
「通信士にとって、もっとも恐ろしいのは?」
不意にクレッチマン大佐が、問うた。鋭い視線が、マイヤー曹長の硬質な瞳に突き刺さる。
しばらく考えて、マイヤー曹長は、途切れ途切れに答える。
「・・・恐ろしいのは、傍受され、暗号を解析されても、気付きようがない事です」
眉間に皺を寄せながら、うまく言葉にしようと努力しているようだ。
「内容を改竄することも、通信を妨害することも、勿論恐るべき事態です。ですが、・・・それら攻撃的通信に比べ、傍受は防ぎようがない。
たとえエニグマであっても、通信量が多ければ、暗号を解析される可能性も高くなる。受信は、送信のようにそれをなすものを特定できません」
クレッチマン大佐は、黙ってその答えを聞いていた。参謀がコーヒーを彼のデスクに置く。
「結構。・・・行っていい」
マイヤー曹長を返すと、考え込んだままクレッチマン大佐はコーヒーを啜った。
眼鏡をかけた、穏和でいて神経質な参謀がポツリと呟く。
「・・・今のが、例のですか」
「ああ」
目を細めた参謀の表情は、何かを深く考え込んでいるように見える。
「確かに、よく似ていますね」
物思いにふけったまま、クレッチマン大佐は半ば独り言のように呟いた。
「そうだな。それに、あ奴はよく理解しているよ」


第3観測所
01日 0300時 [作戦開始 −1日]

帽子を目深に被った人影を、イェーガー曹長の視力は用意に区別する。
「お帰りだ」
夜霧に滲むその人影は、肌寒く寂しげだった。
小柄な人影は3号棟に吸い込まれていく。
イェーガー曹長はくまなくその人影の周囲に視線を巡らせた。
照明の下に、霧に溶けるような二人の歩哨の人影を確認。時計を確認すると、蛍光塗料を塗った針は3時5分を指している。
1時間おきの歩哨の見回りは、先ほど2時50分ごろ通過。
先ほどの歩哨は身長差が大きかったが、今の歩哨はどちらも同じくらいの身長だ。
「・・・あいつらか」
歩哨のなりをしているが、その中身は全く違っているだろう。
琥珀色の目は、夜霧の合間から一瞬現れた歩哨の顔にピントを合わせる。
どちらも中年。眉の薄い、ギョロ目。ガマガエルみたいだ。それと、眉の太い一重瞼。口元に黒子。
恐るべき視力は、易々と特徴を捉えた。
明かりが灯ったマイヤー曹長の外来兵舎の周囲を、さりげなく歩哨は通過していく。
普段は使われない第3観測所からまさか、監視されているとは知らない歩哨はわずかに明かりの灯った窓のほうを指す仕草をした。
今のところ接触する様子はなさそうだが、油断はならない。
命令によっては、拘束することも考えに入れながら、建物の構造図をイェーガー曹長は頭の中に描く。
―――他の監視要員にも連絡を取らなければ。
必要な手順を確認しながら、イェーガー曹長は歩哨が出て行くまで闇の奥から監視を続けた。

海軍ハーゲン通信所 通信室
01日 1230時 [作戦開始 −1日]

ウェーバー軍曹が、ランケ少尉と交代で入ってきた。
「通信量の変化は?」
「変わらない。特に多くはなってない」
ランケ少尉は、肩を回しながら部屋を出て行く。ようやく交代、といった雰囲気だ。
先ほどベルク大尉も仮眠に入り、ランケ少尉が出て行った敵信傍受班は二人きりになる。
「お前、デュッセルドルフ出身だっけ?」
マイヤー曹長が、無線機をいじりながら聞く。
「はい」
「ランケ少尉も、デュッセルドルフ出身だそうだ」
スケルチと呼ばれる雑音制御つまみを調整し、音量を絞ったり高くしたりしているマイヤー曹長の指先。
照明のせいか、その横顔は少し青白く見える。
「いいところだな、あそこは。街がきれいで、人が多すぎない。物も旨かった」
マイヤー曹長は眉間を揉みながら呟く。
疲れを隠してはいるようだが、顔色まではどうしようもできない。
「そうですか?おれ、特にいいと思ったことないですけど・・・」
「ベルリンはどうも、騒々しくて好きじゃないんだ」
ヘッドホンを外し、首をぐるりと回すマイヤー曹長。
彼の出身地を、そういえばウェーバー軍曹は初めて聞いた。
驚いて答える言葉を失ってしまう。
それだけ信頼されているのだろうか、それともただうっかり洩らしてしまったのだろうか。
「ベルリン出身なんですね」
はっとした顔でマイヤー曹長がウェーバー軍曹を見た。
自分がしゃべったことに、初めて気付いたようだ。
思わず、沈黙したまま二人は顔を見合わせる。
マイヤー曹長は、にこりともしない。
「・・・ベルリンって言っても、薄汚い裏町のほうだ」
先に目をそらしたのは、マイヤー曹長のほうだった。
うなだれたやさしい、白い首筋に、静脈が透けて見えた。
何かひどく、悪いことを聞いてしまったようで、ウェーバー軍曹は心の奥底を掴まれた様になった。


其処にはっきりといるはずの存在が、陽炎のように曖昧に見える。
マイヤー曹長に感じるひどい違和感―――例えば、モザイク画を間近で見たときのように、何かハッキリしたものが実はそうではなかった不安感を感じた。
どうして―――おれはこんな事を考えているのだろう。
ヘッドホンから、ザー、キュッーとノイズが流れ込んでくる。
気まずい空気が流れ、ちらりと横目でマイヤー曹長を見た。
きれいに造形された顎から、少年のような喉仏の稜線を辿り、開襟シャツの鎖骨に落ちていく柔らかな線を視線でなぞる。
「体調、悪いんですか」
「どうして」
精一杯の問いを、冷淡に返されたウェーバー軍曹は言葉に詰まる。
兄のように慕っていた、マイヤー曹長の異変に気付かないわけがない。
そんなこと、彼が分からないはずがないのだ。
何だか他人同士のようになってしまった空気に、ウェーバー軍曹は揺らぐ。
「顔色、悪いし・・・肩、揉みますか?」
孤島ということもあってか、この基地は気圧の変化をモロに受ける。
先ほどから強まってきた風雨は、同時にマイヤー曹長に微弱な頭痛をもたらした。
それは頭の内側での血管の収縮を感じさせる痛みであり、肩の凝りもそれを増幅させる一因となっている。
決して今まで聞いてこなかったその問いかけに、マイヤー曹長は弱々しく頷いた。
「・・・じゃあ、頼む」
ウェーバー軍曹は決定的な違和感を抱いたまま、くるりと背を向けたマイヤー曹長の肩を掴む。

さらりと零れる髪の毛の下に伸びる、蝋のようなうなじは、どこにも凹凸がない。
ほんのわずかに、ウェーバー軍曹の鼻腔を柔らかな香りがくすぐる。
針葉樹の葉を潰したときのような、爽やかでいて深い香り。
太い指が、マイヤー曹長の薄い肩を掴んだ。
シャツの布越しに冷肌の感触がし、いつも頼っていた兄貴分がこんなに華奢だったのかと驚く。
首筋の付け根に強く親指を押し当てると、「ん」とマイヤー曹長が声を洩らした。
斜め後ろから見ると、長い睫の先が震えている。

何故今まで気付かなかったのだろう。

ウェーバー軍曹は、そんなはずないという考えと、目の前の事実の間で葛藤していた。
肩甲骨周辺からゆっくりと揉み解しながら、違和感の原因に突き当たる。
薄く、なだらか過ぎる肩。抜けるような肌。滑らか過ぎる首筋、優しすぎる顎。
筋力がないわけではないし、それこそ暇さえあればよく走ったり、体力作りをしているのをウェーバー軍曹は知っている。
それでも尚、何もかものパーツが、男には足りなさ過ぎる。


どれか一つが、というレベルの話ではないのだ。
親指で、そっと首の付け根を撫でる。ピクリとマイヤー曹長は身じろぎした。
霞が晴れたように、目の前にあるものの真価に、ようやくウェーバー軍曹は気付く。
言葉を失い、呆然としたまま、優しく肩をほぐす。
誰も、一言もしゃべらない。
「・・・・」
この細い肩に、どれほどの重責を背負ってきたのか。銃を背負い、軽くはない無線機を背負い、仕事を背負ってきた。
あれほど確固たるものに見えた姿が、小さく見え、危うく、頼りない少女の肌に吸い込まれそうだ。
守るべきと誓ったその女子供の、命令を聞いていたとは。
マイヤー曹長の正体を、ほとんど確信したウェーバー軍曹は、思わず指先に力をこめる。
「痛ッ」
骨の隙間に食い込んだ指に、マイヤー曹長は驚いて思わず声を上げた。
「・・・マーシアス、どうした?」
二人きりのときだけ呼ぶ、彼のファーストネーム。
ごく近しいものしか、マイヤー曹長は名前で呼ばない。
その顎を、頬を、首筋を、確かめて触れたい衝動を抑えながら、ウェーバー軍曹はぽそりと答える。
「すみません」
少し赤みの差したうなじに、万年筆を持ったままの、震えた指先。
ネイビー・ブルーに金色の唐草模様の入った万年筆は、少なくともウェーバー軍曹とマイヤー曹長が出会ったことから使っているはずだ。
一瞬、泣いているのかと錯覚しそうになる。
「ウェーバー軍曹、もういい」
マイヤー曹長が、何かを感じ取ったのか、ウェーバー軍曹の指先を払った。
その呼び方には、明確な命令の意志がある。
一度も視線を合わせぬまま、マイヤー曹長はヘッドホンを掛け直しデスクに向かった。
胸など皆無に近く、豊かな尻もなくても、やはり女は女なのだとウェーバー軍曹は知る。
気付いてしまえば、もう後戻りはできない。
マイヤー曹長のその向こうに、大いなる深淵が待ち構えていることをそのとき彼は気付いていなかった。


『・・・らは自由ポー・・・ド放・・・す』
一言も口を利かぬ二人の通信士の、奇妙な空気を変えたのは皮肉にも怪電波だった。
海軍の通信や雑音に混じり、正体不明の電波が届いたのは、1900時を少し過ぎた頃だ。
明らかに陸地からの電波であろうこの音声は、ひどく雑音に紛れている。
ザー・・・ガガガガ、キューッという音に紛れて、無機質な男性アナウンサーの声が聞こえてきた。
『7時・・・送を始め・・・す。 0230・・・27 6659 12・・・09・・ 1867・・・』
電波を傍受したマイヤーの表情が変わる。
ガリガリと筆記していくマイヤー曹長の様子の変化に、ウェーバー軍曹はすぐに気付いた。
アナウンサーは平坦な口調で、乱数を読み上げていく。
音声は明瞭ではないが、聞き取れる限りを傍受し、筆記する。
乱数はもう一度読まれ、マイヤー曹長は聞き取れなかった部分を幾分か埋めることができた。


『行い・・・、罪のな・・・は、ムー・・・投槍も、弓も・・・ない。 7時の放送を終わります』
最後に、何かの符号を放送して、『7時の放送』は終わった。
筆記で追いかけていたマイヤー曹長の眉がピクリと吊りあがる。
走り書きされた乱数を別の電報紙に清書しながら、マイヤー曹長は記憶の奥底を浚っているようだ。
4桁ずつ、流れるような筆跡の字が電報紙を埋めていく。
清書を終えてしばらく、ペンを額に押し当て、マイヤー曹長はようやく、記憶の糸を掴んだ。
「・・・行いの正しく、罪のないものは、ムーアの投槍も、弓も必要としない。この詩は・・・」
「『頌歌』でしょう。行いの正しいものは、武力を必要としない」
見かけによらず高等な教育を受けたウェーバー軍曹は即答する。
「武力侵攻を皮肉っているのか」
マイヤー曹長は渋い顔のままポツリと呟いた。その表情に先ほどの動揺の影は微塵もない。
「不正義の証明こそが武力であると逆説的にとれます」
んんん、と唸り声を上げ、マイヤー曹長は席を立った。
「お前、頭いいな」
「家であんまり、兄弟げんかがひどかったので、拳骨のあと親父がおれ達に言って聞かせたんです」
マイヤー曹長は思わず噴き出す。
その笑った顔に、ウェーバー軍曹はひどく安心感を覚えた。
「・・・提出してくる」
背を向けて出て行くその後姿を、ウェーバー軍曹は見送った。
まるでか弱さ、頼りなさなど微塵も感じさせないその背中は、今でも兄のようだ。

海軍ハーゲン通信所 司令室
01日 1543時 [作戦開始 −1日]

「行いの正しく、罪のないものは、ムーアの投槍も、弓も必要としない」
作戦会議の後、短い仮眠を追え、入浴して帰ってきたクレッチマン大佐は、机の上に置かれた見慣れぬ文字を目で追った。
受信時刻1903時。内容は乱数。
最後に添えられた詩文は、滑らかで優しげな筆記体で記されてある。
参謀のマイヤー少佐がいつの間にか後ろに立っており、「既に軍司令部に通報しました」と報告した。
「スパイ放送か。受信したのは?」
「例の中央軍のマイヤー曹長です」
ふむ、とクレッチマン大佐は頷く。
眼鏡をかけなおしながら、マイヤー少佐が思わぬことを口にした。
「どうやら、レジスタンスに潜入した中央軍工作員の偽装放送のようです」
鋭い目で、マイヤー少佐をクレッチマン大佐が見上げる。


「潜入工作員?対連合軍工作か」
「ええ」
そうか、と報告書を置き、クレッチマン大佐は椅子に腰かける。
「それで、マイヤー曹長は?」
「先ほど仮眠に入りました」
呼び戻しますか、と聞いたマイヤー少佐に、クレッチマン大佐は一言、いい、と断る。
そのまま、積まれた他の班の報告書に目を通す。

電探班、敵航空部隊及び艦船をポイント・Fに確認。
敵信傍受班、通信量に変化認めず。
電波測定班、潜水艦の電波を座標×××× ××××に確認。
妨害班、陸軍工作部隊、C岬に指向性アンテナの資材搬入完了。
航空管制班、悪天候により、航空部隊との交信に一時期若干の障害あり。
陸上通信班、観測班を配置完了。交信に異常なし。

「作戦開始時刻、及び作戦に変化なしか」
眉間に皺を寄せながらクレッチマン大佐は呟く。
士官が、作戦図に刺されたピンを、刻々と移動していく。
「調査班からの報告は?」
不意に、クレッチマン大佐がマイヤー少佐に問うた。
低い声で、マイヤー少佐は答える。
「家族及び血縁者を洗い出しました。兄は陸軍に在籍しているようです」
報告を続けようとするマイヤー少佐を遮るクレッチマン大佐。
「報告書ができたら、すぐに上げるように」

外来兵舎 3号棟 第6室
01日 1822時 [作戦開始 −1日]

シャワーを浴び、ベッドに倒れこんでも、目が冴えて眠れない。
ウェーバー軍曹の明らかな異変。探るような指先の感触。胸の奥に、消えぬ染みの様に不安が広がる。
何故あの時、触れることを許してしまったのだろう。
暗闇の奥に沈みながら、マイヤー曹長はもはやどうにもならぬことを後悔をしていた。
恐ろしい。動悸とともに、フラッシュバックする光景。
正体が暴かれたとき、どれほど手ひどい目にあったか、マイヤー曹長ははっきりと記憶している。


何もかもを失ったのだ。
羽を千切られ、心と身体を陵辱された。そしてそれは今でもなお、続いている。
それをなしているのは、マイヤー曹長の部署で彼の上官に当たるハインリッヒ大尉。
長身、痩躯の蛇のような男は、獲物に逃げ場のないことを十分に知っていた。
そしてその悪意が、一ひねりでなせる事もまた、熟知していたのだ。
彼と同じことを、他の誰かがなさぬとはどうして言い切れるだろう。
ウェーバー軍曹―――マーシアスは、優秀な部下であったし、個人的な親友でもある。
通信士としてともに苦楽を乗り越えてきた。
信用している。それは間違いない。

それでも、今は彼が恐ろしくて堪らない。

彼の純粋さが、真っ直ぐな瞳が、屈さぬ姿勢が。
同時に、それを知ってなお、彼を疑っている自分の良心が悲しくてならない。
誰もが大尉のように、暴虐に及ぶとは考えたくなかった。
その暴虐に耐え、いつしか適応している自分の姿が醜くて、気持ち悪くて堪らない。
片隅で、頭を抱えて必死に命を繋ごうと震えている姿。
快楽に流され、一時溺れている姿。
何より、その姿をマーシアスに知られることが怖い。
―――彼は軽蔑するだろう。
よき上官であり、親友であり、兄であろうと努力してきたが、それも水の泡に帰すのか。
どうして―――、どうして。
功績も、信頼も、何故こんなどうしようもないことで失ってしまうのだろう。
温かで、優しげなマーシアスの指先の感触が、痛みのように蘇る。
―――胸の奥底が苦しい。
あの清らかな若者の指先は、暴虐の如何なるものかをまだ知らない。
自分は穢れだ。
あるいは、既にあの大尉と同じように、どぶ川にどっぷりと浸かっている。
求めることを、服従することを、暴力に屈することを知ってしまった。
大尉が悪いのではない。この世のどこにでも、あのような悪意は存在するのだ。
ただ、無防備な自分が悪かったのだ。
そのせいでいまや、再び総てを失おうとしている。
腹が立って、悔しくて、不意に目の前の闇が滲む。
枕に、涙が落ちた。
「―――っうっ、・・・」
闘う力が欲しい。挑むもの総てを屈服させるような。自分を守る力がほしい。
流れ出る涙を止められぬまま、運命へ復讐する力を、祈った。
潅木のような無力さを呪った。
あるいは、清い若者が二度とこの身を見ず、触れぬようにと願った。
暗闇に嗚咽が溶けていく。冷たい夜霧が、視界を奪う夜に。


第3観測所
01日 2021時 [作戦開始 −1日]

唇をゆっくりと舐める。
呼吸のたびに、腹の奥底まで冷えた夜が入り込み、体温を下げてくれる。
薄い、這うような夜霧が煙のように淀み、照明の光をぼやかしていた。
肩の根元の骨に溶接されたように構えた狙撃銃は、調整もなされ、いつでも完全な照準が可能だ。
銃の前方部に取り付けた脚は、狙撃手の負担を少なくし、長時間の耐久による疲労を軽減させる。
穏やかな、眠るような呼吸をしながら、イェーガー曹長は夜の闇に溶け込んでいた。
顔を黒く塗りつぶし、首にも真っ黒のスカーフを巻く。
緑と黒、黄土の円形で塗りつぶしたような迷彩の戦闘服を着、同じ柄の帽子を浅被りした闇は、観測所のベランダに寝そべり、時を待っていた。
ぼんやりとした月明かりに、琥珀色の炎だけがわずかに透き通っていた。
傍にしゃがむシュタイナー軍曹には見えないものも、彼には見える。
昼間にあって、肉眼では確認できないはずの星を確認できるまでの彼の視力、そして生きるために幼少から叩き込まれた射撃。
北の最果て、極寒の大地の先住民族の中で育った彼の強健な肉体。
それらは彼を構成する、最高の狙撃手のパーツだ。
もはや彼自身が銃の一部であり、銃は彼の一部だった。
頬を、構えた銃の上に食い込むほど乗せ、間近で吐く息が銃の上で結露する。
「アザラシ、早く来い」
イェーガー曹長はかすかに呟く。
その声はぞくぞくとするような低く、奈落の底のから響いているようだ。
「眉間でも、耳の穴でも、心臓でも、手でも足でも好きなところを撃ち抜いてやる」
コンクリから、戦闘服ごしに伝わってくる冷たさも彼の肉体の前には無意味だ。
夜の寒さなど、氷の世界に馴致した身体には春の気温も同然だった。
引き金の感触を楽しみ、銃と一体になる感覚を楽しむ。
村一番の狩人になるといわれ、狩猟の神様がついているとまで謳われた彼には、狩りは楽しみであり、生業であった。
『ブラウ・アイン(1)、ツヴァイ(2)、ドガイ(3)、こちらノルト。対象がグスタフ(G)を通過した』
小型無線機に、中央軍監視班指揮官の声が入る。
「了解。ブラウ・ツヴァイ、準備を完了している」
観測手は、彼の仕事どおり無線を傍受し、返信した。
濃くなった無精ひげを掻きながら、シュタイナー軍曹は双眼鏡に手をかける。
「獲物がグスタフ地点を通過した」
シュタイナー軍曹は、低くイェーガー曹長に伝える。
狙撃手の神経に無駄に侵入するような愚は冒さない。
緩やかな呼吸―――フラットな精神―――そして完全に調整された銃がなければ、狙撃は果たせないからだ。
マイヤー曹長も、ウェーバー軍曹とかいう若造のことも、イェーガー曹長には今はどうでもいい。
海獣が、氷の隙間から呼吸をしに浮上するその瞬間を待ち続けるように、沈黙の中でその時を待つ。


耳をそばだてれば、故郷で唄っていた皮太鼓のリズム、それに乗った狩りの歌が聞こえてくるようだ。
彼の周囲には、もう、無骨なコンクリ造りの建物も、異形のアンテナも、四角いだけの兵舎も存在しない。
凍った海、漂うカモメ、遠くに続く山脈、薄氷のような空、それら狩場が広がっている。
犬達の吐く息は白く凍り、彼自身の無精ひげにも露が凍りついているだろう。

「ブラウ・ツヴァイ、対象がハインリヒ(H)地点通過を確認」
無線に吹き込むシュタイナー軍曹。
ハインリヒ(H)地点―――門を通り、歩哨二人組が外来兵舎地区に進入したのを彼は双眼鏡で確認していた。
「ノルト了解」
ブラウ・アイン、ドガイもその無線を傍受したはずだ。
中央軍を収容する兵舎周辺及び近隣地域を警戒するブラウ・アイン、ドガイ班の兵士達は、銃剣を抜いて待ち構えているだろう。
闇の色をした靄。
そう形容するに相応しい特殊作戦部の精鋭たちは、気付かぬうちに獲物を囲み、牙を剥く瞬間を待っている。
基地に着陸しようとする偵察機の爆音が頭上を通過していく。
何も知らずに進んでくる歩哨達―――泳がされているとも知らず、あるときは海軍の兵舎管理員になりすまし、建物の中に潜入した―――の余命は僅かだ。
基地に潜んでいるであろう、彼らの仲間に対するこれは警告なのだ。
手前側の端に位置する、中央軍兵舎前面付近を通過していく歩哨達。
彼らが端で折り返し、裏面側を通過した瞬間が、命を断たれる瞬間だ。
伏せた狼のように、今にも飛び立とうと羽を広げる鷲のように、黄色い火焔が熔けるように輝く。
死神のスコープいっぱいに彼らが映る瞬間も遠くない。
質量を持った闇が、その濃度を増した。冷たい引き金を、じわりと絞り始める。
狙撃手の指が加圧する、キログラムが増す。
肺中の冷たい空気が全身を巡っているようだ。
穴を開けた氷のすぐ下に、アザラシが来ている。撃鉄が弾薬を突く一点まで、髪の毛一本に迫る。
千里眼に、スコープ越しのこめかみが映った。
あと、0.000001キログラムで撃発する。
0.00000001キログラム。

「マヌケ」

その一瞬、神の領域が訪れ、巨大な暗渠に命の終わりを告げる銃声が響いた。


海軍ハーゲン通信所 通信室
02日 0300時 [作戦開始 −4時間]

感情を洗い落としたマイヤー曹長の横顔は、人形のように動かない。
通信機と指揮官を結ぶ、部品の一部に変化した身体に生命の兆候は皆無だった。
脈や呼吸すら疑いたくなる完全な沈黙。
作戦開始前の熱気の中にあって、触れれば凍ってしまうほどに冷たく沈んでいる。
一糸乱れぬ指先でモールスを傍受し、その点と線を瞬時にアルファベットに翻訳し、書き写す。
椅子に座り、無線機に向かい、ひたすら通信を待ち、傍受する。
そのためだけに生まれてきたかのような白い身体を、ウェーバー軍曹は見た。
心の奥底から沸いてくる闘志が胸を満たす彼とは、マイヤー曹長は対照的だった。
研ぎ澄まされた刀のように、触れる全てを断つような眼光は、夜に沈んで見えぬ艦船の中の、通信室に控える通信士の指先まで見通しているかのようだ。
人を拒む神々しささえ感じる、その無感情さ。
動揺も弱さも儚さも、何もかもを背負い込んだ薄い肩も、今まで見たものが嘘のように思えてくる。
対象の艦船が使用する複数の周波数を、目隠しで細い糸に触れるように探るマイヤー曹長。
自らもまた、傍受に専念しながら、それでも時折ウェーバー軍曹は彼を見てしまう。
海峡を通過する敵国艦船の、心なしか明瞭になりつつある電波。
ヘッドホンのスピーカーのコーンを震わすモールス信号、そして音声。
墓標となる海へ向かっていくその船が発する信号を、ウェーバー軍曹はできる限りの集中力で傍受した。
コーヒーも飲まず、指を解きほぐすことも忘れ、筆記し続ける。
「アントン ジークフリート コンラッド エミル ユリウス オットー ・・・・」
傍受したモールスは脳の中でアルファベットの無線符丁に変換され、反射的に、閃く様に筆記された。
A S K E J O・・・・
一見、何の意味もなさないそのアルファベット群は、暗号解析班に回され、本来の意味を現す。
丸裸にされた通信ほど恐ろしい毒はない。
曙光とともに切って落とされる火蓋を待ちながら、ウェーバー軍曹はいつの間にか隣のマイヤー曹長のことなど忘れ、自らも一心に通信機器となっていた。
傍受した無線をひたすらランケ少尉に託し、ベルク大尉の指示に従う。
今や、それだけのために彼らは存在した。
対照的な二人の背中に、同じ明晰さ、鋭敏さを見出したベルク大尉は、中央軍の人材選びにひそかに感服する。
同時に、指揮所での煩わしい調整や、士官同士の衝突とは無縁の彼らを羨ましく思った。
彼らは孜々たる兵士であり続けている。
ただ自分の責務を果たすことに全神経を集中し、将校の野心などとは無縁だ。
若すぎる曹長とそれに従う軍曹は、互いによく信頼していることがよくわかる。
―――いや、彼らだけではないだろう。

夜明けを待ちながら、電波の伝播方向を一部に制限した陸軍の大型指向性アンテナを、責務感を以って全力で組み立て待っているであろう陸軍工作班。
水平線を睨み、戦場を待ち、そして見届けるであろう観測班。
ここで作戦を待ち受けている、レーダーや無線機に精通した古参兵たち。
直接的に成功の鍵を握る空軍の精鋭たち。
そして作戦司令のクレッチマン大佐。
作戦要員が互いの技量を信頼できるからこそこの作戦は成立するのだ。

一つの生き物のように、兵士達は曙光を待つ。
研ぎ澄まされていく空気の中で。



気を吐く戦闘通信兵の為の朝が、もうまもなくやってくる。



02日 0700時 [作戦開始 00時間]

海峡を通過する敵戦艦に向け、指向性アンテナから大出力の妨害電波発射開始。
敵戦艦、無線通信断絶。
マイヤー曹長、ウェーバー軍曹のヘッドホンから敵戦艦の通信が消える。

02日 0712時 [作戦開始 +00時間12分]

帝国側の戦闘機、敵艦に波状攻撃。
対空砲火苛烈なるも、敵艦レーダー施設を破壊。
敵艦に対する妨害電波を一時弱める。
ウェーバー軍曹、敵艦より本国への緊急信号、迎撃戦闘機出動要請を傍受。

02日 0718時 [作戦開始 +00時間18分]

敵艦に対する電波妨害の出力、再び最大。

02日 0734時 [作戦開始 +00時間34分]

敵戦闘機を、レーダー班作戦海域より30km北に確認。
帝国側戦闘機、再び敵艦に対し波状攻撃。

02日 0738時 [作戦開始 +00時間38分]

帝国側戦闘機、作戦空域を一時離脱。
敵艦、本国よりの迎撃戦闘機との交信断絶状態。
迎撃戦闘機隊、帝国戦闘機を追撃開始。

敵艦、迎撃戦闘機隊を帝国側戦闘機と識別、対空射撃。

迎撃戦闘機隊、味方艦による対空射撃を受ける。
迎撃戦闘機103機、対空射撃で撃墜。

02日 0745時 [作戦開始 +00時間45分]

迎撃戦闘機隊、混乱状態続行。
帝国側戦闘機、再び敵艦上空に侵入、攻撃。
帝国側雷撃により、敵艦被弾。

02日 0748時 [作戦開始 +00時間48分]

帝国側戦闘機、離脱。
観測班、敵艦大破を確認、電波妨害を解除。
戦闘終了。


外来兵舎 3号棟 第6室
03日 0121時 [作戦終了 +16時間]

マイヤー曹長は、椅子にもたれかかったまま微動だにしない。
部屋に満ちる、軽く甘い女性ソプラノにつつまれたまま、ソファに沈み込んでいる。
今は、何も聞きたくなかった。
目の前にぽっかりと口をあけた闇に立ちすくみ、頭がおかしくなりそうだ。


作戦終了後、クレッチマン大佐に呼び出された。
全く予想もしていなかった話だ。
彼が中心となり、設立を計画している「特務通信隊」への誘いだった。
早ければ2年後、今回のような敵通信を傍受・妨害・攪乱することを任務とする部隊が中央軍に設置されるだろう。
交渉は私が尽くす、だから特務通信隊へ是非来てほしい、という。
なぜ私に、なぜウェーバー軍曹や他の通信士ではなく、とマイヤー曹長は答えた。
中央軍通信隊の仕事は嫌いではないし、特務通信隊の任務もこれから先重要性を増すはずだ。
「私は、ただ命令された場所に行くだけです。個人的には、ぜひお受けしたいですが」
そうとしか彼には言いようがなかった。
まだまだ先のこととはいえ、それは彼にとって運命の機転になるだろう。
逡巡はしなかった。しかし、衝撃を受けなかったと言えば嘘になる。
「君は海軍川棚学校にも留学したそうだね」
その時、手を後ろに組んだクレッチマン大佐は、参謀のマイヤー少佐から書類を受け取り、息を吸い込んだ。
「はい」
「君達の友人と、こんどは共に戦うこともできるかもしれない。対連合軍の強力な情報組織を構成する機関に、特務通信隊も含まれている」
自らの経歴をここまで洗われていたことに、マイヤー曹長は警戒心を抱く。
彼が川棚学校で得た友人、経験までも調べ上げているのではないか。
だが、マイヤー曹長にとっての本当の衝撃はこの後来る。

「それに、君の父君とは仲が良くてね」
「・・・なんですって?」

マイヤー曹長は耳を疑った。
いや、彼自身の頭を疑ったといったほうが正確だ。
腹の底を殴られたような衝撃。
彼は父親を知らない。娼婦の子であり、だれが父であるかなど聞かなかったし、聞こうとも思わなかった。


「一時期、アレクサンドラ・マイヤーは海軍少尉ユリウス・リヒテルと交際していた」
知らぬ間に、顔を青ざめさせ、拳を痛いほど握ったマイヤー曹長。
ただ立ち尽くしたまま、疑問も思いつかない。
「一時期彼女は姿を消した。リヒテル少尉と結婚を約束していたからだ」
「でも兄はそんなことを覚えていません」
彼の兄から、少なくともそんなことを聞いた覚えはなかった。
「君の兄さんもまだ幼かった頃だ。私は彼と親密であったから、君の兄さんと会った事もある」
マイヤー少佐はちらりと同姓の曹長を見る。
「リヒテル大尉は誠実な男だった。勇敢な海の男で、もし飛行機の墜落事故さえなければ私以上の指揮官になっていたはずだ」
ぐらぐらと足許が揺らいでいるようで、マイヤー曹長は感覚を失う。
脂汗が浮かんできた。
ブラインドをめくり、区切られた光がクレッチマン大佐の目を刺す。
「君の事は全て知っている。何もかも・・・だから、友人の娘として君を厚遇したい」
「私はただ通信士として生きてきました。一個人として厚遇に値するような英雄ではありません」
俯き、必死に眩暈を抑えるマイヤー曹長は、力を振り絞ってそう応えた。
「高潔さ、頑なさは父君譲りだな。前を向きたまえ」
父親のハンサムな顔立ちを受け継いだその面影を、精一杯持ち上げる。
「胸を張りたまえ、誇りを持て」
彼の周辺を洗うために払った犠牲―――
連絡の行き違いにより、兵舎地区で狙撃兵の歯牙にかかった情報員のことを思い出しながら、クレッチマン大佐は言った。
言葉を失ったマイヤー曹長には、今思考する力はなかった。
「・・・特務通信隊の話は、命令さえあれば喜んでお受けいたします。ですが・・・、父の話は・・・・なんと言っていいのか私には分かりかねます」
心音がうるさい。体温が一気に下がったようだ。
思考にまとまりがなくなり、そう答えることしかできない。
紙の様な顔色をした彼を、クレッチマン大佐は気遣った。
「そうだな、・・・君には衝撃的な話だろう。・・・今日のパーティーには来なくてもいい。ゆっくりと休みたまえ」


マイヤー曹長はソファーに凭れたまま、何度もクレッチマン大佐の言葉を思い返す。
無線の傍受をしろという命令で、彼は作戦成功のパーティーから逃げる名目をもらった。
実際は、ただ空電ばかりで電報など入ってこない。
ウェーバー軍曹とは会っていないが、きっとその任務に文句を垂れていることだろう。
命令でさっさと切り上げて、部屋に戻ってきたのはいいが、昂ぶった神経は簡単に睡眠に向かいそうにない。
それで、レコードを聴きながら酒を飲んでいるというわけだ。
手足の指先から這い上がる冷気は、神経を侵食している。
ビンを持ち上げては一口ごく僅かに含むことを繰り返していた。
そうやって夜がただ滑っていくのを待っている。
シャワーを浴び、ここで何をする力も持たぬまま。
―――今は誰とも会いたくなかった。

外来兵舎 3号棟 廊下
03日 0220時 [作戦終了 +17時間]

ひどく酔いの回った頭に、かすかに甘いソプラノが響く。
ウェーバー軍曹は、熱を持った身体に少し、冷気を感じた。
まだ、起きている。
マイヤー曹長の部屋から流れたレコードの音に、何故だかウェーバー軍曹は吸い寄せられるようだった。
作戦成功のパーティーに来れなかったマイヤー曹長。
彩を瞬く間に変え、時には鋼鉄のように、時にはエーデルワイスのように、時には静かな海のように彼は表情を変える。
―――どうしても確かめねばならぬことがあった。
酔いが驚くほど醒めていくのを感じながら、ウェーバー曹長はドアに向き合う。
息を吸い込み、覚悟を決めた。

コン。

軽くノックする。起きているのならば聞こえるはずだ。
何故か胸に緊迫感を感じながら、ウェーバー軍曹は返事を待った。
しばらく沈黙が続く。
長い10秒が過ぎ、やはり眠ってしまったのかと思った瞬間、低い声が聞こえた。
「・・・誰だ」
「ウェーバー軍曹です」
恐る恐る返事を待つと、やはり無感情な声が返ってきた。
「入れ」
マイヤー曹長らしい、簡潔な命令形。
恐る恐るノブを回す。
ウェーバー軍曹は、冷たい空気に満ちた部屋と、窓に向かって座っているマイヤー曹長の後姿を見た。
白い、病室のような灯りの下に座った後姿はマネキンのようだ。
威圧感に圧倒されながら、知らぬ間にウェーバー軍曹は気をつけの姿勢をとっていた。
「何の用だ」
甘いソプラノと対照的な、喉元に刃物を突きつけるような声が響く。
振り向きもしないし、必要以外の口を利かない。
切り出し方を失ったウェーバー軍曹は、固まったように立ち尽くす。
「あの、具合が良くないようで、その・・・」
「ウェーバー軍曹、明日本国に帰るんだろう。具合が良くないのに飲んだのか」
立ち上がって、窓から夜空を見渡すマイヤー曹長の顔がガラスに映る。
「自分ではありません。マイヤー曹長の顔色が」
「・・・余計な口を利くな、『軍曹』」


彼の階級を強調しながら、マイヤー曹長はウェーバー軍曹を見据える。
初めて振り向いたその表情は青白く、幽鬼のように鋭い。
メスの刃先のような目は、灰色に爛々と光っている。
初めて降ろしたのを見た、プラチナブロンドは緩やかなウェーブを描いて耳に掛かっていた。
「失礼ですが、ひどくお疲れのようで」
返事もせず、フイっとそっぽを向くマイヤー曹長。
照明に晒された白い首筋や、細く伸びた腕が目に付く。
「そんな用なら帰れ」
なだらかに落ちた肩の線。
明らかな苛立ちを孕んだ口調とは対照的に、身体のラインは柔らかい。
「・・・・あの、おれ」
何かを言い出そうとするウェーバー軍曹の言葉を遮る。
「帰れ、ウェーバー軍曹。君の言うとおり、私は疲れているんだ」
命令形のまま、冷たく拒絶されたウェーバー軍曹。
巨体を萎縮させ、明らかに傷ついた表情をした彼をマイヤー曹長はガラス越しに見た。
弟を苛めすぎたかのような罪悪感が心を刺す。
叱られた犬のようにしゅんとしたウェーバー軍曹から目をそらした。
「早く寝ろ。飲んだなら」
「マイヤー曹長!」
上官であり、兄であったマイヤー曹長の変貌。
戸惑い、傷ついたウェーバー軍曹の、感情の迸りが思わず口を突いた。
考えるより早く、気付けば彼はマイヤー曹長に歩み寄っていた。

「何が言いたいっ!!」

マイヤー曹長が、鬼神のような表情で叫び、振り向く。
気迫が破裂し、ニキビ跡の多い右頬にウェーバー軍曹は鋭い衝撃を受けた。
パンッ!と小気味良い音がして、平手が飛んだのだ。
感情に任せた折檻など一度もしたことがない、マイヤー曹長の目には憎しみの色が灯っている。
ウェーバー軍曹の千々に乱れた心をそれはさらに深く抉った。
肩で息をするマイヤー曹長の、乱れた襟元から覗く白い稜線。
激しい感情の対立が、二人から理性を奪っていく。
もう一発飛んできた平手を右手で止めると、ウェーバー軍曹は思わず目の前の曹長の肩を掴んで揺さぶっていた。
「おれは!あんたにとってそんなに、憎いのか!!」
言うつもりのなかった本音が口を突き、酔いではなく激昂に頬を赤らめた青年は、幼さの片鱗もない。
筋肉ではち切れそうな肩、盛り上がった胸筋、太い首に見合った逞しい下半身から生み出される力は、華奢な曹長に反撃する機会を与えなかった。
激しく揺さぶられながら、マイヤー曹長は言葉を失う。
人形のように首ががくがくと揺れる。


初めて怯えたような眼差しを部下に向けたその表情から、さらに色が失われた。
「・・・・めて!放せ!!」
シャツの胸元のボタンが飛んだ。
「違う!!違う、違う!!」
マイヤー曹長はそうとしか言えぬまま、気がつけば腰が抜けている。
せめて肌蹴た胸の間の白さを隠そうと、自分の身体を抱きしめた。
―――不意に目の前が暗くなる。
「違う・・・」
知らぬ間に筋力の増したマーシアスの腕が、自分を縛り付けていた。
押しつぶされそうで息ができない。
額に当たったウェーバー軍曹の顎から、不意に熱い滴りが垂れた。
「おれ、どうしていいのか分からない。分からないんです!」
叫ぶように吐き出す、悲痛な言葉がマイヤー曹長の胸に突き刺さった。
白猫のような柔らかな肢体と、厳しくも優しい曹長としての存在のちぐはぐさがウェーバー軍曹を混乱させている。
拒絶―――陵辱の記憶がマイヤー曹長の心を縛り、一方で上官としての自分はこんな自分を否定していた。

「私はもう、潔白じゃない」

ぽそりと、マイヤー曹長が―――いや、エーディットと呼ぶべき女が呟いた。
意外なほど淡々とした、何かを失ってしまったかのような声。

「潔白は奪われてしまった」

涙も出ない。
その時、愉悦を感じてしまったことに非常な後ろめたさを感じ、エーディットは力なく身体を預ける。
「誰がそんなことを」
エーディットは返事をしなかった。
直情型の彼に知らせるべきではないことだ。
「マーシアス、いいか。魂に汚れが染みる前に、離れるんだ。さあ」
できる限りの命令口調で、エーディットは彼を突き放す。
全身の力を振り絞って胸板を押し返そうとする。
少し伸びた彼の無精ひげが白い額を刺した。
「置いていかないでください」
マーシアスが鼻をすすり上げるのが聞こえる。
抗うには無力な腕、抜けてしまった腰ではどうすることもできなかった。
「雪山で遭難したときも、最後まで一緒に歩いてくれたじゃないですか。おれを見捨てないでください」
マーシアスが、崩れるように床に膝を付いた。その力は弱まらぬ。
ひとつになった影が、冷たい床に落ちていた。
「見捨てるんじゃない」
大の男がおいおいと泣いているのを、華奢な女が慰めているのだから、傍から見れば随分奇妙な光景だろう。
「マイヤー曹長・・・マイヤー曹長」
従うべきもの、守るべきもの、守られてきたもの。
その名を呼びながら、彼の上官だったものをゆっくりと床に押し倒す。


「・・・やぁっ・・・!」
小さく叫んだエーディットの髪の毛が床に散らばり、背けようとする白い顔に両手を触れる。
肘と膝を付いた姿勢で覆いかぶさったマーシアスの目は涙で赤く腫れていた。
その落ちる涙が、高く秀でた鼻筋にポツリと落ちる。
シェイプされた顎、磨き上げられた肌、切れ長の美しい灰色、長い長い睫。
美女、とでも美青年、とでも呼べる中性的な顔立ち。
清潔でいて肉感的な唇はしっとりとした質感を纏っている。
「おれだって、いつまでもあなたの弟じゃないんです」
そう呟くと、マーシアスはエーディットの顎を掴んで上向かせた。

―――今一時でもいい。

無理矢理唇を重ねる。頑なに抵抗して閉じる唇の柔らかさ。
「んっ」
壊れない程度の力で鼻を摘む。
空気を求めて唇が開いた瞬間を狙い、こじ開けた。
「んんぅっ」
抵抗するように唸るエーディットの声。
舌が口腔に侵入し、彼女の酒の後味が残る口蓋を舐った。ねちゃ、と唾液の絡まる音がする。
唇を貪る、まるで軟体生物の性交のようなキス。
舌を動かすと、口蓋の、硬い感触から、舌下のぐにゅぐにゅした感触へと変わる。
重なった舌が柔らかく、まるで胎内のようだ。

舌の根元の筋を舐め上げると、エーディットは身体をピクリと動かした。
「ぁあっ・・・」
何度も其処をなぞると、堪えた喘ぎ声が漏れる。
目を閉じ、皮膚感覚に全神経を集中させていると、肌で彼女の体温が増すのを感じる。
舌を犯し、擦りあい、いつの間にかマーシアスは柔らかい身体に沈み込んでいた。
歯列の表から裏までなぞると、唾液が溢れて顎に滴る。
貝の内部のように、重なり絡まる柔らかい肉。
こんな華奢な身体に、今まで自分はどれほどの重責を与えてきただろう。
頭のどこか遠くでそんなことを考えた。

舌を抜き、唇を離すと、マーシアスは首筋まで滴った唾液を舌先で舐めとる。
神経をくすぐられたように、その感覚がエーディットの脳髄をダイレクトに刺激した。
「ああ、んっ」
ピクリ、ピクリと反応する表情と身体は、もはや女以外の何者でもない。
「だ、めだ、マー、シアスっ」
指先まで震わせながらする拒否は、彼をあおる以外の効果はなかった。
「こんな表情をして、何を言ってるんです?」
まさに命令反抗をした態度をしたマーシアスに、しかしエーディットは制裁を加える力などない。
顎の輪郭を、唾液にぬれた舌でなぞる。


「『口』を慎めッ!」
極めて具体的な叱責にも構わず、顎に唇を寄せ、キスマークの残らない程度に吸い上げた。
脳髄まで蕩けるような感覚に、頬が熱を帯びた。
「ああーっ・・・」
「床、冷たいですか?」
追撃とばかりに、エーディットの耳元に、息をそっと吹き込む。
そのまま耳朶を口に含み、ちろちろと刺激した。
「ふぅ、ん、ん」
舌先で刺激するたびに、漏れる声。
「おれだって、童貞じゃないですよ」
従順だった部下の、意地悪そうに囁いた声が妙にはっきりと聞こえる。
エーディットはねちっこく理性を蕩かし、崩していく長い長いキスに屈服しそうだった。
脱力し、意識が白っぽくなっていく。
大尉に抱かれるのとはその感覚が違った。
「おれは、はぁっ、マイヤー曹長がっ、・・・してほし、い、なら・・・何でも、します」
不意に身体がふわりと浮かんだ。
何の不安定さもない。
抱きかかえられたまま、ぼうっとした頭でそう思った。
内腿が熱を帯びているようだ。
快感が内臓までぞくぞくと這い上がってくる。
ベッドの上にぽそりと身体が置かれた。息を荒くしたマーシアスの指が、ボタンの飛んだ胸元から侵入して来た。
この部下を大尉の脅威に晒すわけには行かない・・・ぼんやりとしながらも、エーディットはそれを忘れない。
たっぷりと互いの匂いをつけて帰ってくれば、あの大尉が見逃すはずが無い。
「ダメだ。あんた、ま、だ死に、たく、ないだろうぅっ」
その言葉に構い無く、大きな掌が、服の下に眠る僅かなまろみを捏ねる。
小さめの蕾を指先が摘み、そのたびに言葉が乱れた。
「今更何を、言って、る、んですか」
吐き続けてきた拒否の言葉も、効果はない事をエーディットは悟る。
人形の服を脱がせるように、らくらくとマーシアスは彼女の衣服を除きはじめた。
つるりとしたマネキンのような足が剥き出しになる。
「身体だけはっ」
海に漂っているかのように、不確かな感覚。
大事な部下だと思って、手塩にかけて育ててきた。
―――どうしてこんなことになってしまったのだろう。
「おれの事嫌いなんですか」
「違っ」
とろりとした熱が内股に溢れるのを感じた。
太い指先が、湿って張り付いた下着の脇から侵入してくる。
淀んだ熱、体中の筋に伝播する快楽に、新しく秘部の襞をかき回される鋭い刺戟が加わった。


「や、あん、あ、ああっ」
ずり上げられたシャツでは、もはや横隔膜の激しい収縮、そして紅に染まる肌を隠すことはできない。
美しい顔をゆがめながら、喘ぎ声を漏らすエーディットの妖艶な姿は男の理性を奪うことなど易い。
指を咥えた横顔は、さっと桜色に染まっていた。
「曹長の、中にっ」
ベルトのバックルを外し、ズボンを下げると、逞しい臀部から伸びた太い大腿が現れる。
「んんっ、マー、・・・シ、アス」
細い腰を持ち上げ、逃げようとするが優に40kgを超す体重差には敵わない。
下着についた先走り液の染みを持ち上げる肉茎は、ブレーキなど利かないことを表している。
迷い無く下着に手を掛け、彼は溶けた鉄のようなそれを剥き出しにした。
太く節くれだった肉茎は、我慢に我慢を重ねて十分に肥大化している。
「や、そんなのっ、入ら、ない」
恐怖感にエーディットは目を剥く。見るだけでも息苦しくなるようだ。
彼女の抗議は虚しく、両足に割って入ったマーシアスの太いが締まった胴体がぴったりと秘部にくっつく。
敏感になった花弁を押し分け、とろりと蜜に濡れた膣にそれが押し当てられた。
可愛がっていた部下のそれが、こんなに凶暴だとは誰が思っただろう。
息んだ彼の肉茎が、ぐりぐりと秘部を裂くようにして侵入してくる。
「は、はぁ、あああああああ!」
内臓を持ち上げるような異物感が膣内に満ちた。
悶え、いやいやをするエーディットは、思わず叫びにならない叫びを漏らす。
マーシアスは腰を掴み、結合を深くした。
どろどろになった膣内はすべりがよく、締まっているが進めるのは楽だ。
「これが、マイ、ヤー、曹長、の・なか・・・」
顎を突き上げ、マーシアスは思わず仰け反った。
肉の幕が、男を搾り取るような膣の感触。
結合部からは、卵白のような愛液が溶け出している。
もう一度、マーシアスが白い顔に咲いた唇に軽く口づけした。
「・・・動かします」
くちゅ、と結合の具合を確かめ、涙に濡れたエーディットの顔を見つめる。
切れ長の瞳が印象的な凛々しい顔立ちは、表情に甘さがないからこそ却って淫靡だ。
「んっ」
腹の中を蠢く圧迫感にエーディットは唸る。
膣を擦る肉の感触に、身体の芯から溶けていく。
しっかりと抱きとめられた身体には、ストロークの力が余すことなく伝わった。
「だめ、だめぇ、こ、んなの違うぅぅぅ」
身体を絡めとる快感に、溺れていきながらもまだ理性を手放さない。
出し入れを始めた肉茎の摩擦が激しくなっていくにつれて、その声はしかし乱れていく。
「あんっ、あうっ、っぅううう、うううぅ」


快楽を禁じれば禁じるほど、身体の感度は研ぎ澄まされていく。
じゅぶっ、じゅぶっ、じゅぶっと繰り返される出し入れの音が部屋中に響き、ベッドが軋んだ。
「んああああ、ダメぇぇぇぇ」
エーディットの目から、涙がとめどなく溢れていく。
いつも彼を従わせた上官の淫らな表情は、彼の脳を麻痺させた。
腰を動かし、一体となることに溺れ始めたエーディットの口元から唾液が零れる。
カクカクと、壊れた人形のように揺さぶられるその身体。
「マ、イヤー、曹、長の中っ、あああ、いい、い、いです」
全身で挿入しながら、思わずマーシアスは獣のようなうめき声を上げた。
「んん、んんんんんぅぅぅ」
エーディットの激しい喘ぎ声が高まり、行き場の無い両手がシーツを強く握った。
激しさを増す出し入れに、身体の揺れが大きくなる。
「ああああっ、あ、ああああ」
マーシアスの唸り声と共に、唾液が白い胸に落ちた。
互いの締め上げるような感覚が、絶頂まで導いていく。
ぎしっ、ぎしっ、ぎしっ、とベッドのスプリングの音が部屋中に響いた。
「あっ、あっ、あっ、融けるぅぅぅ」
粗野でいて愛しむような情交。
目の前が霞み、息が荒くなり、脊椎を快感が満たす。
狭い膣口にしごかれる肉茎は、もう暴発寸前だった。
「んんんっ・・・」
優しい身体の線が、大きく揺らぐ。
「マイヤー、曹、長っ」
短くマーシアスがエーディットを呼び、腰に指が食い込んだ。
身体が一瞬にして、燃え尽きるような感覚に陥る。
「ぅ・・・・・!」
その瞬間、エーディットは声なき叫びを挙げた。

―――胎内が白濁で満ちる。
「ぁぁぁぁぁあああ」
快楽に天を仰いだマーシアスの姿が、ぼやけて見えた。



強く抱かれたまま、エーディットはしばらく息を切らしていた。
呆然としたまま、変わってしまった関係、目の前の事実を眺めている。
増えてしまった問題―――マーシアスを、どう大尉から守るか、というとても厄介なもの。
「どうして」
涙ぐんだ目で、その見慣れた弟の顔を見上げる。
愛おしかった。それはいまでも、護るべきもののままだ。
「どうしてこんな事を」
白い手が、するりとマーシアスの頬を撫でた。
切なさそうな眼でエーディットを見下ろし、マーシアスは沈黙する。
あまり一緒にいてはいけない。エーディットはそう思い、ベッドから離れようと思った。
「・・・本国に帰っても、絶対にうちの部署に近づいてはいけない。当分は」
あんたのためだ、いいな、と一方的にエーディットは念を押す。

そのままするりとベッドを抜け出し、彼女はシャワー室へ向かった。
マーシアスはその後姿を見送る。
細く壊れそうな足首、野生動物のようにすらりとした足、その上のきゅっと締まった尻。

結局、シャワー室でもう一度彼女を抱き、マーシアスはふらふらの状態で本国に帰ることになる。


中央軍本部隊舎 屋上
06日 0910時

黒塗りの、小型高級車がレンガ造りの隊舎の前に止まっている。
建物から出てきたロマンスグレーの将校―――海軍大佐に付き従い、見慣れた細身の影が出てくる。
松葉杖をついたクレメンス・ハインリッヒ大尉は、屋上からその様子を見ていた。
スタミナと軽量性を兼ね備えた筋肉、無駄な重さなど少しもないスリムな肉体。
総合して「蛇のような」という形容詞が相応しい。
任務中、大腿を貫通した傷はまだ癒えそうにないが、帰ってきた彼女を『尋問』するのに支障はないだろう。
しようと思えば、腕力だけで抑止できる。
ハインリッヒ大尉は軍人らしからぬ、にやりとした笑みを浮かべる。
着こなした黒に金の飾りのついた中央軍の制服は、彼の残忍さをよく引き立てていた。
やっと判明した父親の墓参くらい、どうこう言う気は全くない。
彼の通信士にも、自由は与えてある。
だが、そこに入り込み、縄張りを荒らすものを彼は許す気はなかった。
「殺気立ってるぜ」
不意に後ろから声が掛かる。
振り向かなくても、その声の主が誰なのかはすぐ分かる。
「よお、ルーシアスか」
発進した乗用車の後姿を見送ったまま、ハインリッヒ大尉は同期のルーシアス・イェーガー上級曹長の名を呼んだ。
二人の身長は同じくらいだが、筋肉のつき方は対照的だ。
そして、その性格も実に対照的であった。
何かに殺気立っているが、大体こういうときハインリッヒ大尉は碌なことをしなのをイェーガー曹長は知っている。
廊下で擦れ違いざま、ふわりと彼女の香りをまといながら擦れ違っていったあの通信士。
ここ最近、ハインリッヒ大尉を警戒し、徹底的に避け続けているマイヤー曹長。

―――あまり私を怒らせないほうがいい。

イェーガー曹長は、見慣れた同期の顔がぐにゃりと笑ったのを見た。
帽子のつばの陰、触れれるものを焼き切るような電光が、その目に宿ったのを見た。


Index(X) / Menu(M) / /