ノノは置いてきた荷物を取りに、体育館へと戻った。
今日の部活は終わり。本日も実に過酷なトレーニングだった。
メニュー内容には時間制限なども課せられるため、うかうかトイレにも行っていられない。
部活が終わると同時に真っ先にトイレに向かうのがノノの日課だった。
男装して日々をやりすごすには、トイレ一つ行くだけでも気を配らなければならない。
男子用トイレでは、毎回何度も個室を使うわけにもいかず、ほとんど誰も使用していない、
古びて汚い、体育館とはだいぶ離れた場所にあるトイレを使うしかなかった。
そこまで行くだけでもずいぶん時間がかかるし、荷物を取りに体育館に戻る頃には、
もう誰もいなくなっている。はずだった。
しかし、今日は違った。
扉を開けると、館内にはまだ岸谷が残っていた。
「野々宮、遅かったな。どこに行ってたんだ?」
「え、えっと、ちょっと飲み物を買いに……」
「ふうん。ずいぶん遠くの自販機まで行ってきたんだな」
岸谷はそう言うと、肩にかけていたボストンバッグをふいに床に下ろした。
「あれ? 帰るんじゃないの?」
「ああ。今日は俺が戸じまり係だから、野々宮が来たらすぐに帰ろうと思ってたんだけど……」
岸谷がちら、とノノに視線をよこした。
「……せっかくだから、もう少し残らないか? マッサージしてやるよ、野々宮」
「え? い、いいよ、そんなの」
「いいことないって。お前、まだ今日は誰からもしてもらってないだろ。
部活終わったらいっつもふらっといなくなるし。運動の後の柔軟は基本だぞ」
「いや、でも。いいよ。帰ってからコオロギにやってもらうから……」
「遠慮するなって」
ノノが断り続けても、岸谷は引こうとしない。
彼はなんだかんだ言っても、いつも地味に面倒見が良かった。
ノノはため息をつくと、しぶしぶマットに腰を下ろした。
「じゃあ、ちょっとだけ、お願いするよ」
「ああ、ばっちりほぐしてやる」
このとき、岸谷の好意的な笑顔の裏に潜んだ彼の下心を、単純なノノが気づくはずもなかった。
(よっしゃー! 野々宮の身体に堂々と触る口実が出来た!)
ひそかに心の中でガッツポーズをする岸谷だった。
「いーち、にーい、さーん、しーい」
両足をまっすぐにぴんと広げて柔軟をするノノの背中を、岸谷が押す。
一生懸命に身体を動かしているノノに反して、岸谷が考えていたのは全く別のことだった。
(はあ……野々宮の肩って柔らかいなぁ……背中は異様に硬いけど。
体操着の下になんか仕込んでるのか?)
そう思って、気づかれない程度に背中を手さぐりに調べてみるも、
下に何をつけているかの確信にまではいたらなかった。
(男の振りしてるんだから、ブラなんかはつけてないと思うけど……)
そうこう探っていると、ノノがふいにこちらを振り返ってきたので岸谷は心底驚いた。
「ねえ」
「な、何だ!? 野々宮」
「これ、まだやるの?」
「あ、そ、そうだな……そろそろ違うのにしようか」
岸谷は自分の動揺を隠そうと、ノノの目をあまり見ないようにして言った。
「じゃあ、次は背部マッサージしてやるから、マットにうつぶせになって」
「わかった」
ノノは従順に岸谷の注文に従う。
マットに寝そべって(なぜか)目をつむるノノは、岸谷から見れば、
据え膳以外の何ものでもなかった。
(うわー! うわー!)
感動のあまり、岸谷はしばらくその喜びをかみしめる。
こうして改めてじっくり見ると、肩も薄く腕も腰も細い。
やっぱり女の子なんだなと思い返した瞬間だった。
こんな華奢な身体のどこに、あれだけの大ジャンプをひねり出す力が備わっているのだろうか。
見とれるのと感心するのと両方に感じ入っていると、ノノがまたしても岸谷のほうを見た。
「さっきからどうしたの、岸谷。手が止まってるよ。疲れてるんならもう帰ったほうが……」
「や、やるよ! やるやる!」
岸谷は慌てて手を動かしていく。
以前に二人で柔軟をしたことは何度かあった。
しかし岸谷が、ノノが女だということを知ってから本日まで、
彼がノノの身体にこんなにも触れる機会などそうそう無かった。
だから変にドキドキして、余計なことまで考えてしまう。
(し、仕方ないよな。俺だって健全な男子高校生なんだ。
こんな風に女の子の身体に触って、やらしいこと考えるなってほうが無理だ)
岸谷はそう自分に言い聞かせた。
(す、少しくらい自分の気持ちに素直になっても、バチは当たらない、よな……。
それに、これはあくまでマッサージだし!)
そうして、彼の手が向かったその先は……
「んっ、ぅあ……っ」
ノノが妙な声をあげた。
それでも岸谷は気づかない振りをする。
「き、岸谷! あの、お、お尻はいいからっ……」
「遠慮するなって、野々宮」
岸谷の手の力はそのうちにだんだんと力強いものに変わっていった。
ノノはそのふいをつかれた岸谷の手の動きに、ただ翻弄されて身をよじるだけ。
きっと、過剰に嫌がってもかえって変かもしれない、などと思っているのだろう。
岸谷はそれに気づくと、ノノに悟られないようにごくりと喉を鳴らし、
さらにエスカレートした行動にうつった。
「ゃっ……!」
ノノの身体が大きく跳ねる。
岸谷の手が、ノノの太ももの付け根、内側にするりとすべりこんできたのだ。
ノノは薄い短パンを履いており、今は岸谷の手が太ももにじかに触れている状態だった。
(……さすがに、今のはまずかったかな……?)
岸谷が少しだけ冷静さを取り戻していた。
しかし、思いのほか、ノノから抗議の声があがる風はなかった。
きっと、必死で平静を装っているのだろう。
自分は「男」なのだから、同じ「男」に触られても、なんともない、とでもいうように。
岸谷はその様子を見て、自分の理性がもろくも崩れ去っていくような、
そんな陶酔するようなめまいを覚えた。
(やっばい。俺、本気でやばいかも)
岸谷は自分でそう感づきつつも、突き動かされるような衝動を止めることはできなかった。
「野々宮、次は仰向けになって」
言いながら、ノノの返答を待たずして、すでにこちらを向かせるようにノノの肩を掴んでいた。
「え? 岸谷……?」
戸惑うノノに構わず、岸谷はノノを抱き起こしたあと、
ゆっくりとその身体をマットに押し倒していた。
目と目が合った。
ノノは困惑しているのと、こんな体勢になって恥ずかしいのとで、複雑な表情をしていた。
対する岸谷は、ノノ以上に顔を真っ赤にしている。
(あはは……俺、かっこ悪いな。もっと普通にしてないと、野々宮に変に思われるって……)
「ど、どうしたの、岸谷? 顔がすごく赤いよ。手も熱いし、汗かいてるし。
熱でもあるんじゃ……」
(ほら、きた)
岸谷は、ノノが不審がりはじめたことに、少し焦りを感じた。
それでももう、身体の真ん中の芯を一気に這い上がってくるような、
自分のこの衝動を抑えることはできない。
やめられそうにない。やめたくもない。もっと野々宮の身体に触れていたい。近づきたい。
そんな考えで頭の中はいっぱいだった。
「大丈夫、野々宮、大丈夫だから……」
「でも、岸谷」
「大丈夫だよ、野々宮」
(ちょっと、気持ちよくなってもらうだけだから)
岸谷は、馬乗りになってノノを見下ろす体勢に入り、その両の肩を掴んだ。
そして、ノノの首筋から鎖骨にかけてのラインを薄くなぞる。
「き、岸谷……?」
「か、肩幅のマッサージも、入念にしておかないとな」
……と、自分で言いつつ、これがマッサージと呼べるものかどうかはもう、
岸谷自身ですら疑うレベルだった。
言い訳するとすれば、「手と股間だけが別の生き物に……!」といった具合だ。
もはや言い訳にすらなりえない。
(野々宮の肌って、どこ触ってもすべすべだなぁ……。このままずっと触ってたいなぁ)
などと思うくらい、もう岸谷の思考回路は様々な面で手おくれだった。
引き寄せられるように、かなりノノの首筋近くまで顔を近づけさせる。
白い肌に吸いつきたい衝動に駆られ、それだけはなんとか押し留めるも、熱に浮かされた彼の吐息が、
ふいにノノの耳元に吹きかけられ、ノノの身体は再び跳ねた。
その様子を見て、また岸谷が興奮し……という悪循環を繰り返す。
岸谷は、いつの間にか肩幅のマッサージから、前胸部のマッサージへと手技を移行していた。
乳房にはあえて触れず、その周辺を両手でなぞるようにして持ち上げながらもみほぐす。
その微妙な手の動きが、逆にノノを困惑させる。
胸を直接もまれているというわけではないので、抵抗らしい抵抗もかえって出来ない。
「んっ……ひぁっ……!」
「ど、どうしたんだ? 野々宮。変な声出して」
「べ、別に、変な声、なんて……」
「あ、あぁ、そう? じゃあ、俺の気のせいか」
ノノが感じている風を見せても、あえてそこには触れない。触れたらそこで終わってしまうのだ。
よく考えると、自分は実に卑怯かつおいしいポジションにいるのかもしれない、と岸谷は思った。
とにかく、何を言われたって、もうどうしたって止まらないのだ。
このままいくところまでいくしかない。
岸谷は、今まであえて触れないようにしていた乳房にも、
ゆるゆると境目をなくしていくように、少しずつ触れる範囲を広げていき、
やがては完全に乳房自体をもみしだくような大胆な手の動きに移行していった。
やはりノノは体操着の下に何か固いものを仕込んでいるようで、
残念なことに胸の本当の感触を味わうことはできなかったが、
それでも“触れられている”という感覚は十分にノノに与えることはできているはずだ。
その証拠に、乳房の突起部があると思われる箇所にわざと力を入れてやると、ノノが甲高い声をあげた。
「ゃっ……岸谷っ……だ、だめっ……!」
「な、何がだめなんだ?」
「あ、えぇっと、だ、だめ、っていうか、その……」
胸をもまれながらも、身をよじるだけで、抵抗らしい抵抗を何一つできないノノ。
どうやら、「だめ」な理由を一生懸命に考えているらしい、ということは岸谷にもすぐにわかった。
「えっと、そう……く、くすぐったいから! その、だから、んんっ、
ちょっとそこは、ゃ、ちょっと、勘弁、して……」
「あ、ああ、そうだったのか。ごめん、ごめん。わかった。じゃあ、違うとこマッサージしてやるよ」
なるべくわざとらしい言い方にならないように努めて、
岸谷はその手をさらに下へ下へと移動させていくことにした。
そこでノノは、胸以上にさらに「くすぐったい」思いをすることになる。
「ひ……ぃぁっ……」
岸谷がノノの太ももをなでまわす。
さらに、ゆっくりと中心部を、そして内側を目指すように、
わざとねっとりと這い上がってくるような触り方をした。
ノノを見下ろす形をとっているので、ノノの恥ずかしがる表情がよく見えて興奮した。
この様子だと、ノノは岸谷の「マッサージ」に少なくとも、いや、完全に感じているようだった。
(野々宮が、俺の指で……あのノリコさんが、俺の指で……野々宮が……!)
もはや今の岸谷に正常な思考を求めることは不可能だった。
太ももの付け根部分、それこそノノの核心部に触れるか触れないかのすれすれな部位に岸谷の指がすべりこむ。
「い、いやっ……!」
ノノが反射的に脚を閉じた。それでも岸谷は引かない。
大胆なことに、岸谷はノノの脚を強引に開かせて、その間に割って入る。
そして、ノノの両脚を持ち上げると、自身の腰をノノの股間に密着させた。
「き、岸谷……!?」
「野々宮は敏感なんだなぁ。た、たかがマッサージくらいでそんなにくすぐったがるなんて……」
そう言って、岸谷はまるでノノにこすりつけるように自身の腰を動かしながら、
ノノの両脚を伸縮させる動作をとった。
これも一応れっきとしたマッサージだが、はたから見ればそれこそ正常位にしか見えない。
ノノは、岸谷の股間の感触に泣きそうになった。
硬くなっているような気がするのは絶対に気のせいであってほしい。そう思った。
「き、岸谷、も、もういいよ。もう十分……んっ……今日は、ぁっ……今日は、このくらいに、しよう?」
「いいや、まだだ」
嫌がるノノを強引に押さえつけて、この行為に没頭する岸谷。
ノノの涙目になった表情にさえ欲情するのだから、とことん始末が悪いと自分でも思った。
「き、岸谷っ……お願いだから、もう……こんなの……なんか、なんか、変、だよぉ……」
「へ、変って、何が? マッサージ……してる、だけだろ?」
「で、でも、なんだか……」
(なんだか、エッチなことしてるみたいなんだもん……)
ノノは、心なしかいつもとは違う目をした岸谷を見てそう思った。
それでも岸谷はやめない。
より敏感な部分をこすりあげられ、ノノの身体がまたびくん、と跳ねあがった。
「い、いやぁっ……なんか、やだ……やだ。お願い、岸谷、も、もうやめ……」
「でも野々宮、そう言いつつも、き、気持ちいいんだろ……? そんな顔、してるぞ」
「う、嘘だ、そんなのっ……嘘、ぁっ……」
「ほら、今も。気持ち良かった、だろ?」
「そ、そんなこと、ない……!」
連続的に与えられる刺激に首を横に振りながら、それでもノノは、
岸谷の言葉を完全に否定することはできなかった。
(や、だめ、このままじゃ……っ)
ノノの焦る気持ちとは裏腹に、岸谷の動きがさらに強く速くなっていく。
ノノは、この刺激に耐えるだけで精一杯だった。
「岸谷っ……きし、たに……っ」
(どうしよう、なんか、変……私、変に……!)
ノノがマットの端を必死で掴む。そこでその身体は大きくのけ反った。
「い、いや、ぁっ―――……!」
びくびくと数回痙攣するように、弓なりに身体をしならせる。
「の、野々宮……?」
岸谷はその様子を見て驚き、一瞬自分の動きを止めた。
(も、もしかして野々宮、イっちゃった、のか……?)
そこで岸谷の一瞬の隙をつくように、ノノは突然彼を突き飛ばすようにして離れた。
「う、うわっ」
「ご、ごめん、岸谷」
ノノは自分の身体を抱え込むようにしてその場に座りこんでいた。
その身体はまだ小刻みに震えている。
「あ、あの! 今日はもう帰るね! 遅くなるとコオロギが心配するかもしれないし!」
「え……?」
「そ、それじゃあ!」
一気にまくしたてると、ノノは自分の荷物をむしりとり、逃げるように体育館を後にした。
岸谷だけが、夕暮れの体育館に一人、取り残される形となった。
「え、ちょ、おい……」
呆然とする岸谷。
「自分だけ先に行くなよ……てか、イクなよ……」
不完全燃焼にもほどがある、と岸谷は自分の、いまだ直立したままの股間を見てそう思うのだった。
*
ノノが全速力で家に帰ると、明かりはまだついてはいなかった。
(良かった……コオロギは、まだ帰ってないみたいだ)
心底ほっとした。
自分の部屋に入り、扉の鍵を閉める。
重い荷物を床におろしてから、ノノは大きく息を吐いた。
それから、改めて部屋に誰もいないことを確認したのちに、
おそるおそる短パンを脱いで、下着をずり下ろした。
予想していたとおり、下着はぐっしょりと濡れている。
ノノは途端に恥ずかしくなって、そのままベッドにもぐりこんで頭を抱えた。
穴があったら入りたい、とはまさに今のことだと思った。
しかし、ふと思い直し、上気した気持ちを抑えて天井を見上げる。
先ほどの出来事を思い出していた。
「どうせなら、天津にしてもらいたかったなぁ……」
割と酷なことを思うノノだった。
終。