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タイトル不明

05_417氏

男が廊下を歩いていた。背が高く、短い黒髪に日に焼けた彫りの深い顔立ちをしている。
翠色の瞳は野心に満ち溢れ、軍服に包まれた身体は無駄のない筋肉に覆われていた。
若くして王立軍の中でもすべての技能に優れた者しか所属することの出来ない、エリートの集まりである騎馬隊の副隊長を務める彼、
エドガー・ブラックは、いつからかその外見と名前から、畏敬と尊敬の念を込めて“黒獅子”と呼ばれていた。

「エド副長ー」
気楽に呼びかけてきたのは、副隊長補佐で同期のフレデリック・バートだった。
エドガーと同じように短く切り揃えて額を出した髪型は、彼の場合その幼さを引き立たせている。
部下に舐められない様にと伸ばされた髭がアンバランスだった。
「どうしたフレッド」
「朝言ってた入隊試験だよ。このところの戦闘続きでだいぶ人数減ったからなぁ。隊長は北部遠征でまだ帰ってこないし、代わりにお前が見るしかないって言ってあっただろ」
「ああ、そうだったな。中庭か?」
「みんな待ちくたびれてるよ」

金髪をかきあげてぼやくフレッドと共に中庭に出る。入隊希望者と思わしき若者たちは、みな緊張しているようだった。
エドガーは審査を務める各隊長たちのところまで行き、遅れてきたことを詫びて席に着いた。

一人の受験生がエドガーの目を惹いた。弓の扱いが抜群に上手い。
走る馬の背中から弓を射る試験でも、綺麗な姿勢で的の中央を的確に射止めてくる。
うちの隊に欲しいな、そう思ってしばらくその若者を見つめる。
しかしそのうちに、残念ながら剣の扱いや体力は人並み以上ではないことがわかった。
騎馬隊に入れるほどではないが、弓の実力はかなりのものだ。鎧で顔は良く見えないが、その下の顔はまだ若いようだった。
「どうだブラック副長。誰か騎馬隊に欲しいのはいたか?」
隣に座る砲撃隊の隊長に話しかけられ、エドガーはその男から目を離した。


長弓隊に配属されることになったその男は、わずか3年で長弓隊の副隊長に出世した。
エドガーとその男が入隊試験以来の再会を果たしたのは、王立図書館でのことだった。
1年前に騎馬隊の隊長に就任したエドガーは、攻城に関する資料を集めに図書館に足を運んでいた。



戦術に関する本がぎっしり詰まった棚の前には先客がいた。
暗い図書館の中、窓のかたちに切り取られた光に照らされた細い金髪と白い肌は、どこか作り物めいて見える。
床にいくつもの本を並べて、それをあぐらをかいて読んでいた青年は、
エドガーの足音に気付きふと顔を上げ、相手に気付くとぎょっとしてすぐに立ち上がった。
「申し訳ありませんブラック騎馬隊長殿、お見苦しいところをお見せしました」
直立不動で敬礼をする青年に、エドガーは楽にするよう指示した。
「ああ、気にしなくていい。ええと――」
「ノートンです。オリバー・ノートン長弓隊副隊長です」
副長になったばかりのオリバーは、よく見るとまだ少年っぽさが残る顔立ちをしていた。中性的な、整った容姿をしている。
耳にかかるぐらいに切り揃えた綺麗な金髪をさらさらと揺らし、オリバーは丁寧におじぎをした。

きちんと制服を着込んでいるが、線の細さが目立つ。背はそれなりに高く、手足が長かった。
そのせいで細長くひ弱そうに見えるが、青い瞳は強い意思を表している。
「何を読んでいたんだ?」
床に散らばる本に目をやる。開かれたページには騎馬弓隊の陣形がいくつか図解されていた。
「弓の戦術書です、ブラック騎馬隊長殿」
「ああ、エドガーでいい。勉強熱心だな」
「ならば私のこともオリバーとお呼び下さい。―いえ、自分はまだまだ勉強不足ですから」
そう言って本を拾い集めると、オリバーはそれらを持って「失礼します」と言い、去っていった。
その後ろ姿を見送ってから、エドガーは本棚に視線を巡らせた。


「ようエド。久しぶりだな」
各隊の隊長が集まった会議の後、エドガーはフレッドに話しかけられた。
弓の腕前を買われ長弓隊に異動し、今ではその経験と指導力から隊長に出世している彼は、隊員たちからも慕われているようだった。
「フレッドか。お前は相変わらず能天気だな。今度の戦いは遠距離戦が要だっていうのに」
「大丈夫、うちは副長が優秀だから」
明るく笑うフレッドにため息をつきながら、エドガーは並んで歩く。
「そう言えばお前のところの副長、この前会ったな」
「オリバーに?あいつ態度悪いだろ」
「え?いや、むしろ礼儀正しかったが」
そう言うとフレッドは目を丸くした。そしてしたり顔で頷き出す。
「猫被られたな。あいつ普段は相当気が短いんだよ。スパルタだぜ、あいつの訓練は。顔立ちが整ってるからおとなしく見えるけど」
そういえば、あぐらをかいて本を読んでいたか、とエドガーは思い出した。
「でもうまく隊を指揮するし、何だかんだ言って面倒見いいからみんなに慕われてるよ。
それに弓では俺も含めて隊の誰も敵わないからなぁ」
「そうらしいな。残念ながら入隊試験以来、俺は見たことがないが」
「最近剣も上達してきたしな。あ、でも騎馬隊に取らないでくれよ」
優秀な副長を自慢する顔つきになっていたフレッドは、慌てて釘を刺した。
「わかってる。それよりお前、例の調査は進んでるのか?早く提出してくれ」
「あれかぁ。気が重いんだよ、俺の隊にそんな奴はいないって信じたい」
「しっかり調査しろよ、じゃあな」

騎馬隊長室に戻って、エドガーは書類を読み始めた。最近、軍の機密情報が隣国に漏れているのではないか、と思わせる出来事があったのだ。
そこで各隊長はスパイがいないかどうか調査を行っている。今エドガーが読んでいるのはその調査報告書だった。

コンコン。ドアがノックされる音に、書類を読みふけっていたエドガーは顔を上げた。
「オリバー・ノートン長弓隊副隊長です。隊長から書類を預かってきました」
「入れ」
「失礼します」
オリバーは洗練された動作でドアを開け、部屋に入って敬礼をした。動作は丁寧だが、無表情なので愛想がない。
渡されたスパイに関する調査報告書は、サイン以外はフレッドの筆跡ではなかった。
「これ、お前がやったのか?」
「はい。隊長はお忙しいとのことだったので」
「あいつのことだ。どうせ自分でやるのが面倒だったから押し付けたんだろう」
綺麗な文字が記された書類を受け取り、エドガーはオリバーを誘って外に出た。



外は良く晴れ、空気が澄んでいた。開放的な気分になったエドガーの後ろから、理由も告げずに連れ出されたオリバーが質問してくる。
「あの、どうされたのですか、エドガー騎馬隊長?」
「あいつがお前の弓をやたらと褒めるから、見ておこうと思って」
そう言って弓の練習場に連れて行く。オリバーは恐れ多いと言って断ろうとしたが、構わず引っ張っていく。

練習場にはたくさんの長弓隊員がいた。みな二人の姿を認めると、震え上がって敬礼する。
彼らはエドガーだけでなく、それと同じぐらいオリバーのことを恐れているらしいのが伺えた。
スパルタというのは嘘ではないらしい、とエドガーは含み笑いをすると、オリバーに一番遠くの的を狙うよう言って、自分は後ろに下がった。

部下に自分の弓と矢筒を持ってこさせたオリバーは、まったく面倒臭いと内心で思いながら矢をつがえた。狙いを定めて瞬時に射る。
狙い通りに的の真ん中に矢を当て、続けざまに残りの矢を射っていく。10本ほど射ると、エドガーがもういいと言ってそれを止めた。
「すごいな。速いし、狙いが正確だ」
感嘆の言葉に深々と礼をしたオリバーは、当たり前だと心の中で毒づいた。こんな見慣れた、動かない的じゃ話にならない。

「では次にいくか」
「次?」
「こんな動かない的じゃお前が不満そうだからな。外に行くぞ」
一瞬ぽかんとしたオリバーは、「いえ、不満などありません」と取り繕った。しかし「猫を被らなくていい」とエドガーが笑って言うと、
フレッドが自分のことをばらしたのだろうと気づいたらしく、不機嫌な表情を隠さなくなった。

外の練習場で走る馬に騎馬したまま矢を射らせると、入隊試験の時よりも距離があるのに、それをものともせず正確に的の中央ばかりを撃ち抜いた。
これは自分でも敵わないな、とエドガーは判断した。フレッドが放したくなくなるわけだ。

「もういいですか?仕事戻りたいんですけど」
オリバーは相変わらず不機嫌そうだ。もう本性を隠す気はなくなったらしい。
周りで自分たちを遠巻きに見ている長弓隊の隊員たちにも「見てんじゃねーよ、自分の訓練に戻れ」と叫んでいる。



「次は剣だ」
剣の練習場へ行き、うんざり、という顔をするオリバーに防具を渡す。
「…俺剣は得意じゃないって言いましたよね」
「言ったな」
「で?何すればいいんですか」
髪を耳にかけて兜を被ったオリバーは、自分の腰に帯びた真剣ではなく壁際にかかっていた練習用の木剣を手にした。
「真剣を持て」
「え?」
「俺と勝負だ」
「えぇぇ!無理、何言ってんですか!」
兜を脱いで抗議しようとするオリバーに、エドガーは剣を抜いて構えた。
その気迫に本気だということがわかったのか、オリバーは黙って剣を持ち替える。

騎馬団長自ら剣の訓練を付けてくれるというのは、騎馬隊員か長剣隊員ならとても名誉なことだ。
しかしあいにくオリバーは長弓隊員だ。恐怖が先に立つ。
それでもおとなしく細身の剣を構えたオリバーに、“黒獅子”と呼ばれる剣の使い手は呼吸を整えて言った。
「行くぞ」

言葉とほとんど同時に踏み込む。
「…っ!」
オリバーは剛剣の重い一振りを何とか受け止めた。しかし腕に電流のような衝撃が走り、慌てて飛びすさる。
休む間もなく次々に攻撃がきて、オリバーはそれらをかわすので精一杯になる。
「逃げてばかりじゃ勝てんぞ。自分から来い」
勝手なことを言うな、とオリバーは言いたかった。
王国一の剣の使い手、伝説の“黒獅子”に弓が専門の自分がどうやったら敵うというのか。冗談じゃない。
声を出す余裕もなく、防戦一方のオリバーの身体すれすれのところを剣が掠めていく。

「はぁっ!!」
オリバーは渾身の一撃を繰り出した。しかしそれをあっさり防がれ、身体ごと弾き飛ばされる。
「うわっ」
バランスを崩して倒れこんだオリバーの喉元に横からエドガーの剣が突きつけられた。
「何だ、もう終わりか?」
「まだまだぁ!」
転がって刃から逃れ、立ち上がって剣を振りかぶるオリバー。一度火がついたら熱くなったらしい。次々と斬りこんでくる。
それらをかわし、自分からも攻撃を仕掛けながら、エドガーは冷静にオリバーの実力を見定めていた。
(青いな。太刀筋が簡単に読めてしまう。しかしなかなか素早い。俺の攻撃をすべて防ぎ、かわしている。あとは力さえあれば――)

ガキィン!大きな音を立て、オリバーの剣が弾け飛んだ。遠くの地面に刺さってしまう。
すぐに後ろに退がると、オリバーは息を切らしながら悔しそうに言った。
「…降参、です」
「非力だな。まあでも長弓隊にしてはよくやったほうだな。オリバー、お前いくつだ?」
「18、ですけど」
まだ若い。それならこれから剣の腕を鍛えれば、騎馬隊で自分の副長としてやっていけるかもしれない。



「決めたぞ」
「はぁ?」
兜を外して座り込み、一息ついていたオリバーが顔を上げる。
汗で額に貼り付いた髪をかきあげる彼に対して、エドガーは涼しい顔をしている。汗をかくどころか息さえ上がっていない。
「これから毎朝、俺がお前に訓練を付けてやる」
そう自信たっぷりに宣言したエドガーを、オリバーは鼻で笑った。
「何言ってんですか。…俺、長弓隊ですよ」
「可愛げがないな」
「そんなものいりません」
「その性格も気に入った。フレッドはお前を騎馬隊にはやらんと言ったが、ぜひ手元に置いておきたい。いつか騎馬隊の副長にする」
「…はぁ?」
何言ってんだコイツ、という表情を顔いっぱいに浮かべ、オリバーはエドガーを見上げた。
「明日の朝からだ。ここで6時に」
「え、ちょっ、本気ですか!?」

エドガーは足取りも軽くその場を後にした。一人残されたオリバーはしばらく呆気に取られていたが、
そのうちに一瞬だけ、何か逡巡するような表情を浮かべた。
しかしすぐに立ち上がって、地面に突き刺さったままの自分の剣を抜きに行った。


次の日から始まった訓練は、すぐに軍全体の噂となった。2日後にはフレッドが文句を言いに来たが、
エドガーの騎馬隊のほうが権力も実力も立場も上である。泣き寝入りするしかなかった。

「ほら、腰が引けてるぞ!」
「はい!」
「そんなわかりやすく斬りかかってきてどうする!考えろ!」
「はいっ!」
重い剣戟の間に交わされる指導。オリバーは飲み込みの早い優秀な生徒だった。
朝の訓練だけでなく空き時間に自主練習を続けたこともあり、半年も経つと騎馬隊にいても引けを取らないぐらいに剣の腕前を上げた。
相変わらず力はないが、技のキレとスピードはエドガーも感心するほどになった。


正式に騎馬隊の副隊長に就任したオリバーは、その卓越した弓の才能と努力の結晶である剣の技術、
そして指導力とカリスマ性で徐々に騎馬隊員たちに認められていった。
「ほらそこ!脇締めろっつってんだろ、何度も言わせんな!」
「動かない的ぐらい当てろ!それでも騎馬隊員か?」
弓の訓練を指導するオリバーは隊員たちに鋭い檄を飛ばす。若くして実力を兼ね備えたオリバーは、
厳しいし口こそ悪いが、面倒見の良さと誰よりもわかりやすい指導をするので評判になった。

勉強熱心で戦術にも詳しく、実戦では部下たちを率いて弓で的確に遠くの敵を撃ち、
かと思えば細い身体のどこにそんな力があるのか、自ら敵陣に突っ込んでいっては剣を振るう。
態度は悪いが確かな実力と整った顔立ちを持つ副長を、騎馬隊員たちが尊敬のまなざしで見始めるのに時間はかからなかった。
エドガーには時折少し距離を取るようなそぶりがあったが、すぐにその右腕として力を発揮していった。



フレッドが騎馬隊長室を訪れ、実家に帰ったら母親に持たされたという手作りのお菓子をお裾分けに来たある日のことだった。
さっきまでそのお菓子を食べていたオリバーが、じっと自分の方を見つめているのに気付き、エドガーは顔を上げた。
「どうした?もっと欲しいのか?フレッドの母上は菓子作りがうまいからな」
「いえ、子どもじゃないですから。―ふと思ったんですけど。隊長のご家族はどうされてるんですか?」
水を湛えたような静かな青の瞳に浮かぶ感情はよく読み取れなかったが、いつものような不機嫌さは感じられなかった。
オリバーからふっと視線をそらしてエドガーは答える。
「死んだよ。いや、殺したんだ」
「え?」
「俺が殺したんだ。7年前に、親と弟を」
オリバーは何も言わなかった。言えなかったのかもしれない。お前だから言うけど、と前置きしてエドガーは昔話を始めた。

「俺はある地方貴族の長男として生まれた。ただし妾の子だ。
正妻にはなかなか子どもが出来なくて、父親があてつけにメイドに産ませたのが俺だ。俺を産んですぐ母は死んだ。
父は俺に厳しかった。後継者教育を受けさせられたんだが、少しでも間違えると母親の血が悪い、と言って殴られた。
…父は、俺を愛していなかった。何しろ正妻に男の子が生まれた途端俺を追い出したんだからな」
エドガーは苦々しく笑った。
「それが12歳の時だ。それからしばらくは孤児院にいたが、そのうちに軍に志願した。
実家が隣国と裏で通じているという情報が入ったのが、俺が23歳の時。俺は自分からその討伐隊に加わった。
―そしてこの手で父親と義理の弟を殺した」
オリバーはうつむいたままそれを聞いていた。少し伸びた前髪が顔を隠してしまい、表情はわからない。
「―すみませんでした」
「気にしなくていい」

オリバーはうつむいたまま、ぽつりと呟くように聞いた。
「隊長は、憎かったんですか?その弟さんも」
「え?まぁ自分の居場所を奪われたわけだから、憎くないわけではないな」
「…そうですよね」
続けて何か言おうと口を開きかけたエドガーだったが、そこに突然ノックの音がした。
「隊長、報告があるのですが」
「入れ」
報告にきた隊員と話していると、オリバーは突然席を立った。
「弓の訓練の時間なので」
いつもみたいに無愛想にそう言うと、彼は部屋を出て行った。

「…何言ってんだろ、俺」
扉の外でため息をつくと、オリバーは廊下を歩き出した。



(ねえ、いつもみたいに取り換えっこしようよ!)
少年は少女に提案した。少年は貴族の子弟が着るような仕立ての良い服を着ているのに対して、
少女が身にまとうのはそれに仕える女性が身につける簡素なドレスだった。
(いいわよ、じゃああたしが王子様でエリアスがあたしのお世話係ね)
少女はそう言って、着ていた服を脱ぎだす。彼らの関係は主従のそれだったが、乳兄妹として育てられた彼らには、あまりそういう概念はなかった。
(僕は王子様じゃないよ、セシリア)
そう笑って、少年も着ていた服を脱ぐ。二人とも下着姿を気にするわけでもなく、互いに着ていたものを交換して身につけていく。

(じゃあ遊んでくるよ)
少女の服を着た少年はそう言って、窓から外に出た。
(いいわよ、でも早く帰ってきてね。お勉強の時間なんだから、ご主人様が見にくるかもしれないし)
(お父様なんて来ないよ。僕のこともお母様のことも愛してないし、それにお仕事があるって言ってたもの。
…とにかく、お昼ごはんまでは大丈夫だよ。じゃあねセシリア、あとはよろしく)
髪の毛を帽子の中に入れようとしている少女を部屋に残し、少年は駆け出した。


眠れないので水でも飲もうと思い部屋から出たエドガーは、ふと外で何かが動いているのを見つけた。
よく見てみるとそれは、窓の外を早足で通り過ぎていく誰かの後姿だった。
(こんな時間に誰だ?)
宿舎の見回りの時間でもない、中途半端な時間だ。影はそのまま外を進み、隣の建物に入っていった。
やがてカンテラのものらしきうっすらとした明かりが、騎馬隊長室から漏れてくる。

危険を感じ、部屋に戻って愛用の剣を持つとエドガーは騎馬隊長室へ向かった。例のスパイだろうか。
そっと歩みを進め、夜目に慣れてから静かに抜刀し、騎馬隊長室のドアを乱暴に開ける。
「そこで何をしている!」
持っていたカンテラの明かりに照らされたのは、見慣れた金髪の青年だった。
いつか図書館で目にしたときのように、床に所狭しと広げられた資料の真ん中であぐらをかいて座っている。

「オリバー?」
それに気付いたオリバーは素早く立ち上がると、十分に距離を取って剣を構えた。エドガーに教え込まれた、無駄のない動作だった。
「隊長…気付いてたんですか、それとも偶然?」
床に散らばった極秘文書や作戦会議の議事録。それらとこの態度を見れば、オリバーが隣国のスパイであることは明らかだった。
「お前がスパイか。何故こんなことをした?」
オリバーは答えなかった。その代わりに剣を振りかぶって、攻撃を仕掛けてくる。
狭い室内で思うように剣が振るえない中、二人はしばし無言で討ち合った。

オリバーの華奢な腕がエドガーの重い剣戟を受け止めきれず、一瞬身体が揺らぐ。
その隙を見逃さず、エドガーは剣の持ち手を思いっきりオリバーの腹に叩きつけた。
「ぐっ…」
どさりと倒れこんだ細い身体。他に武器を隠していないか調べ、拘束しようとして、エドガーはオリバーの身体に触れた。



少しの間気を失っていたらしい。オリバーが気付くと、身体は後ろ手に縛られて、床に転がされていた。
あちこち浅い切り傷が出来ていて、いつも崩すことなく着ている制服がところどころ破れている。
「ってー…。あー、…これ絶対アバラ何本かいっちゃいましたよ」
目の前で自分に剣を突きつけている上官に物怖じすることなく、気丈にもオリバーは笑ってみせた。
「答えろ。何故こんなことをした?お嬢様」
何とか起き上がって床に座ると、オリバーは答えずにエドガーを見上げた。無表情だった。

エドガーは大きくため息をつく。
「まさかお前がスパイで、しかも女だったとはな。お前を見込んだ俺は本当に馬鹿だよ」
「殺すのか?」
「詳しいことを、拷問してでも吐かせる。それまでは殺さん。舌を噛み切って死のうなんて考えるなよ」
「んな女々しいことしねぇよ。あーあ、やっぱ剣じゃあんたに勝てねぇわ。“黒獅子”って呼ばれてるだけあるな」
いつも部下たちに言っているような乱暴な口調で吐き捨てると、オリバーは壁に背中を預けた。
女性だとばれたこともまったく気にしていないような、粗野な動作だった。

「やっぱ寝込み襲って殺しとくんだった。何の為にここに入ったのかわかりゃしねえ」
はっ、と息を吐いてエドガーの瞳を挑戦的な眼差しで見つめる。
「勇敢なお嬢様だな、オリバー…いや、本名はオリビアか?」
彼の名乗っている名前の女性形を口にしたエドガーに、オリバーは余裕の態度で微笑み、答えを返した。
「エリアスだよ」
「何…?」
エドガーの目が驚きに見開かれる。その名前には覚えがあった。
それに構わず、エリアスは歌うように言った。
「エリアス・ウィード。覚えてるか?7年前あんたが殺し損ねた義理の弟だよ」

言葉を失っているエドガーを見上げ、エリアスは高らかに笑った。
「残念だったな、ウィード家の血を絶てなくて。そのせいでこの戦争は負けだぜ、例えあんたが今から俺を殺そうとな」
オリバー、自称エリアスの乾いた笑いが部屋に響く。狂ったように笑う彼女に、エドガーは剣を突きつけたまま冷静に答えようとする。

「俺は確かにあの日、この剣で弟を殺した」
「あんたが殺したのは俺の服を着てた乳母の子だよ。俺はあの日彼女と服を交換して外に遊びに行ってたんだ」
そう言ってエリアスは唇の端を上げて笑った。無理に笑おうとしているのがエドガーにもよくわかる、痛々しい笑みだった。
「それ以前に、お前は女だろう」
エドガーの声にゆっくりと顔を上げたエリアスは、前髪の下で傷付いたようで諦めたような、複雑な表情を浮かべた。

「ほんとにそう思ってたのか?」
声は低く、とても静かだった。さっきまで高い声で笑っていた彼女とは、まるで別人のように。
「どういう意味だ」
「俺は男として育てられたんだよ。あの家の後継者になるために、生まれた時からずっとね」
エドガーの突きつけている剣先が少し揺らいだ。

「ポケットの中見た?懐中時計入ってたろ。あの蓋の裏、見てみろよ」
そう言われてエドガーは剣先を突きつけたまま、さっき彼女の身体を確かめた時についでに没収してあった懐中時計を自分の懐から取り出した。
「これは…」
蓋を開けると、その裏には自分の生家の家紋と、『我が息子エリアスへ』という文字が刻まれていた。

「ふざけるな!」
エドガーは思わず膝をついて思いきり目の前の少女を殴りつけていた。では、自分は一体何だったと言うのだ。妹のために家を追い出されたのか?
衝撃に身体をぐらりと傾かせながら、エリアスは内心でにやりと笑った。そうだ、もっと怒ればいい。



身体を起こし、エリアスは母の顔を思い出した。
かわいそうな母。彼女は跡継ぎを産むことが出来れば、永遠に夫の愛を手に入れることができると思っていたのだろうか。
実際は父の女遊びが途切れることはなかったし、いくら娘を息子と偽って優秀な後継者に仕立て上げようとしても、
病気には勝てず彼女はあっさり亡くなってしまった。

「どんな気分?弟じゃなくて妹のせいで後継者になれずに家を追い出されたってわかって、
しかも殺したはずのそいつが生きててあんたの邪魔してさ。俺のこと殺したくなったか?」
エリアスはわざと兄を挑発した。怒りで周りが見えなくなったときが最後のチャンスだ。
剣は取り上げられてしまったが、ブーツの底に隠してある護身用のナイフ。
先ほどブーツを少し振ってみたが、その存在は気付かれていないようだった。
父とセシリアを殺し、家を断絶した男。そうだ、何としても彼だけは殺さなければいけない。
それが貴族としての義務だった。例え勝ち目はなくても、そうしなければ今まで生き長らえてきた意味がない。
手を縛りあげている縄をわからないように緩めると、エリアスは慎重にチャンスを見計らった。

「セシリアを殺してどんな気分だった?なぁ、答えろよ」
「…」
ふらふらと立ち上がり、剣を突きつけることも忘れ、言葉を失い呆然としている兄を見上げ、エリアスは今がチャンスだと悟った。
縄をほどきつつブーツの底を床に叩きつけ、中から飛び出してきたナイフを掴むと、立ち上がりざまに喉元めがけて切りつける。
「!」
さすがに王国一の実力者だけあって、エドガーの反応は素早かった。とっさにナイフを避け、エリアスに思いっきり蹴りを食らわす。
迷いがあったのか、わずかに鈍った刃先。首の皮が少しだけ切れたが、血が滲んだ程度で大したことはない。
「がは…っ」
壁に叩きつけられて激しく咳き込むエリアスを、彼は仮眠の為に衝立の向こうに設けられている簡易ベッドに突き飛ばした。

「…懲りないな。その程度の実力で俺を殺せるとでも思っていたのか?それに、やるなら迷わずやれ」
衝撃に彼女が息を詰まらせている隙に、再び両腕をまとめてベッドの手すりにきつく縛り付ける。
「…っ」
彼のぎらぎらした怒りに燃えた目に一瞬動きを失ったエリアスだったが、意図を察して彼の身体の下から蹴りを入れ始めた。
「迷ってなんかいねぇよ!っざけんな、放せよ!」

エリアスの蹴りは、軍に何年もいるだけあってそれなりの威力があった。
しかしそれ以上の実力を持ち、かなりの体格差があるエドガーには通用しない。
うまく体重をかけて上に乗られてしまうと、もう抵抗は封じられてしまった。
「くっそ、憎いなら殺せばいいだろ、こんな卑怯な真似してんじゃねぇよ!」
エドガーがわめいて暴れるエリアスの口を自らの唇で塞ぐと、彼女はくぐもった悲鳴をあげ、侵入してきた彼の舌を噛んだ。
「っ」
思わず口を離したエドガーに、エリアスは早口でまくし立てた。
「シュミの悪りぃことしてんじゃねえよ!俺は男だ!」
「…まったく、気の強い女だな。わからせてやるよ」
冷たい翠の瞳を細め、エドガーはにやりと笑った。めちゃめちゃにしてやりたい気分だった。



口元の血を拭って、エリアスのきちんと着込まれた制服を乱暴に脱がせる。
シャツのボタンがいくつか飛ぶと、白い肌の上にきつく巻かれたサラシが現れた。
息を呑む彼女に構わずサラシを引き裂く。血を見たからだろうか、エドガーの気分はひどく高揚していた。
「やめろ!」
自分の身体の下で必死に暴れるエリアス。男として育てられたからだろうか、薄い筋肉のついたその身体はしなやかで少年めいていた。
しかし胸や腰は丸みを帯びたきれいなラインをしている。そのギャップが倒錯的で、扇情的だった。

エドガーは戦闘中、敵を殺している時のように興奮していた。今自分は、義理の妹に手を出すという禁忌を犯している。
酷薄な笑みを浮かべ、エリアスの胸を掴むと嫌悪感に顔を歪める彼女の耳元に囁く。
「大きくはないが、きれいな胸だな。これでも自分を男だと言うのか?」
「っ、うるせぇよ!」
「恨むんなら俺を殺せなかった自分の実力不足を恨むんだな」
言ってエリアスの胸をやさしく揉んでやる。エリアスが身震いをしたのが感じられた。

「くそっ、舌噛んで死んでやる」
「そんな女々しいことはしないんじゃなかったのか?」
その言葉にエリアスは悔しそうに唇を噛んだ。しばらく何か考えているようだったが、そのうちに顔を背けた。
「…後でぜってえ、殺してやる」
エリアスは悔しそうにそう言うと、力を抜いた。諦めたらしい。

しばらく愛撫を続けていると、唇を噛んで耐えていたエリアスの息がだんだんあがってきた。
「ちくしょう、やめろよ」
快楽をまぎらわせようと首を振るエリアス。エドガーが「感じているのか?」とからかうと、泣きそうな顔をして「ちがう」と否定した。
「こんなの、知らない…」
声はひどく弱々しかった。生まれてから今まで男として生きてきた彼女には、どうしていいのかわからないらしい。

カンテラの明かりに照らされたエリアスの肌は、普段日にさらされることが少ないためか白くなめらかだった。
その白に、先ほどの斬り合いで出来た浅い切り傷の赤が映えている。
胸をいじりながら白い首筋に口を寄せてべろりと舐め、きつく吸うと、抑えていたエリアスの声が漏れた。
「…ぁ」
エドガーはそれを揶揄すると、気をよくして下着ごとズボンを脱がせた。わずかに濡れたそこを指でやさしく愛撫する。
わざといやらしい音を立ててやる。エリアスのプライドを引き裂いてやりたかった。



声を抑えることを諦め、エリアスは自分の上にのしかかる男を何となく見上げていた。
何でこんなことになったのかよくわからなかった。
殺しておけばよかった、そう思ったが同時に心の中にそれを否定する自分がいるのにも気付いていた。
殺すチャンスならいくらでもあった。今までそれをせずにきたのは、ひとえにこの男のそばにいたかったからだ。
戦闘で味方であるはずの隣国の敵を出来るだけ多く倒してきたのも、怪しまれないようにするためだけではない。
何よりこの人に褒められたかったからだ。いつも寂しそうに笑うこの人を、喜ばせたかった。
憎むべき相手であるはずなのに、いつしか純粋にこの人の強さに憧れていた。
もっとそばにいたい、そう思って必死で苦手な剣の練習もしてきた。
実力をつけて、一対一で戦って倒すためだと自分に言い聞かせてきたけど、本当はこの人が好きだったのだ。
それも憧れではなく、女として。

「どうした?気持ちいいか」
エドガーはひどく凶暴な目つきをしていた。何でこの人はこんなことを言うんだろう。
…ああ、そうか。

「…っ、く」
「オリ…エリアス?」
急にぼろぼろと涙をこぼし始めたエリアスに、エドガーの動きが一瞬止まる。
「…痛いのか?」
ちくしょう、今さらになっていつもみたいに優しくするんじゃねぇよ。エリアスは泣きながらぶんぶんと首を横に振った。ひどく胸が苦しかった。
エリアスの涙で冷静になったらしい。エドガーはかけていた体重を緩めて、エリアスの中でかき回していた指を抜いた。

「…ごめんなさい、兄貴」
しゃくりあげながらそう言うと、エリアスはひたすら泣きじゃくった。涙で兄の表情はよく見えない。
「いいよ、あんたの気が、それで済むなら。好きにしていいよ」
切れ切れにそう言って、エリアスは身体の力を抜いた。

副長としてそばにいたエリアスには、翠の瞳が何を言いたいかよくわかっていた。
この人は淋しかったんだ。誰にも愛されずに、淋しかったんだ。
自分が生まれたせいで彼がこうなってしまったのなら、父が死んだ今、自分がその憎しみを受け止めようと思った。
ごめん、セシリア。仇が取れなくて。エリアスは静かに目を閉じた。
例え犯された後で殺されても、それはそれで構わなかった。
兄を殺したところで、死んだセシリアや父、なくなった家が戻ってくるわけではない。
ただ義務感から今まで生き長らえてきて、隣国にひたすら利用されてきた自分にはふさわしい最期のような気がした。



覚悟を決めたエリアスに訪れたのは、しかしやさしい口付けだった。
「…?」
ぼんやりと目を開けたエリアスの涙を拭き取ると、エドガーはばつが悪そうに視線を彷徨わせた。
「すまない、どうかしていた」
そのままエリアスの上からどくと、エドガーは彼女の身体にシーツをかけた。
「…何で」
掠れた声で静かにエリアスが問う。自分のことを憎み、怨んでいるはずの彼が、なぜいきなりこんなことをするのかわからなかった。
「…こんなことがしたかったんじゃない」
そう言うとエドガーはエリアスの身体から視線をそらし、ベッドの端に座った。

本当はわかっていたのだ。彼女に怒りをぶつけるのは間違っていると。
彼女が跡継ぎの男児として育てられてきたのは彼女自身がそうしたかったからではないし、
隣国のスパイになったのも、家がなくなって他に頼るものがなかったからだ。
自分たちが憎みあうのは間違っているのではないか。彼女をさんざんいたぶりながらも、彼は心の中のどこかでそれを考えていた。


エドガーはエリアスの手を戒めていた縄をほどいた。赤く腫れた手首にそっと口付ける。
エリアスはもう彼に襲い掛かってはこなかった。静かに起き上がると、青い瞳でじっと彼の行動を見ている。
嫌われただろうな。エドガーは苦笑した。
自分の副官としても軍人としても優秀で、素直に感情を表す彼女のことが好きだったのに。
戦闘中に弓を射るその凛々しい姿。ぴんと背筋を張って敵を見据え、的確に目標を見据える青い瞳。
愛想がなく大抵は不機嫌そうだが、中性的で綺麗な顔立ちを見るにつけ、こいつが女だったらなぁと思っていた。

自分は馬鹿だ。自嘲の笑みを浮かべ立ち上がろうとしたエドガーは、手を引かれてそれを留まった。
「わけ、わかんねぇよ」
涙声で呟いたエリアスは、ぎゅっと、エドガーの腕を掴んでいた手に力をこめた。
「そんな寂しそうな顔してるあんたのこと、ほっとけるわけないだろ」
驚いた顔をしているエドガーのたくましい胸元に顔をうずめて、彼女は聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声でこう言った。
「あんたのことが好き……抱いてよ」
この後、自分はスパイとして処刑されるのだろう。どうせ最後なら、一番好きなこの人に抱かれたいと思った。



やさしく寝かされて、口付けをされる。どうしよう、どきどきしてきた。エリアスは泣き腫らして赤くなった瞳を彷徨わせた。
「…好きだ」
焦がれたような、余裕のない声でエドガーがそっと髪をなでる。さらさらした金髪が白いシーツに流れていてとても綺麗だった。
「うん」
もう舌が入ってきても胸を触られても、嫌悪感はなかった。
ぎこちなく舌を絡め返すと、エドガーが嬉しそうな顔をした。エリアスも嬉しくなって、たくましいエドガーの背中にそっと腕を回した。

「ん…」
熱に浮かされたような顔で控えめに喘ぐエリアスは、いつもの刺々しさがない分とても可愛らしい。
女らしい甘さはなく、そのしなやかな肢体は中性的だった。
腫れたわき腹に負担がかからないよう気をつけながら、エドガーは角度を変えて口付けた。
やわらかい胸をゆっくりやさしく揉むと、エリアスは困ったような顔をする。
「どうした?」
「っ何か…変なんだよ。怖い」
「怖がらなくていい。感じろ」
男として生きてきた彼女が、今さらになって急に女に戻ることは難しいのかもしれない。
それでもそのうちに、だんだん与えられる快楽に身を任せていこうとする。
「あ、…はぁ」
エドガーに殴られて腫れた頬は、それだけではない赤みで染まっていた。

「も、いいから、来てよ」
切なげに睫毛を震わせて、エリアスは切れ切れに言った。
「いいのか?」
中をかき回す手を止めずに、エドガーが耳元で囁く。
「あんたを、感じたい…」
掠れたその声に、理性が飛びそうになる。それでも傷付けないように気をつけながら、エドガーはエリアスの中に自身を進めた。

「っ、く…ああっ」
「痛いか…?」
顔を歪めるエリアスになだめるような口付けを落としながら、エドガーは聞いた。
狭くて熱いエリアスの中が締め付けてきて、自分もあまり余裕はなかった。
「だいじょぶ、だから」
「力、抜いて」
「うん…。っ、ふ」
痛みをごまかそうと、浅い呼吸を繰り返すエリアスは、戦闘で怪我を負っても決して弱音を吐かないいつもの彼女と同じだった。
それが彼女なりの処世術だったのだろう。自分にぐらい弱みを見せてくれてもいいのに、と苦笑しつつエドガーはゆっくりと腰を進めた。

「…」
生理的な涙でぼやける視界。折れた肋骨のことが気にならなくなるぐらい痛かったが、彼女は幸せだった。
今までで、いちばん近くに彼を感じる。彼の体温を、重みを、感触や表情を、最期まで覚えていようと思った。
いつもは冷静で、自信満々に部下を率いて圧倒的な強さで敵を倒す彼が、余裕なく眉を寄せて自分の中に吐精するのを、
エリアスはひどく満足しながら感じ、その顔を瞼の裏に焼き付けようと目を閉じた。



騎馬隊隊長のエドガー・ブラックは、隣国のスパイとして拘束された副隊長のオリバー・ノートンの罪を軽くするよう王に訴えた。
彼は隣国に利用されていただけだとして強く直訴し、長弓隊隊長のフレデリック・バートや、騎馬隊と長弓隊の部下たちもそれに同調した。

彼のそれまでの功績と多くの者たちの嘆願によって、オリバーの罪は重いものにはならなかった。
半年の拘禁の後に騎馬隊に復帰した彼は、その人並みはずれた弓の能力で隣国との戦争の勝利に貢献することで借りを返し、その後すぐに退役した。
皆がその早すぎる退役を残念がったが、実家に戻ると言って去った彼の消息を知る者はほとんどいない。
同時に、家を買って宿舎から出た騎馬隊長が一緒に住み始めた相手が、短い金髪と青い目を持つ綺麗な女性だということを知る者もほとんどいなかった。


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