「『ごめんっ、一生のお願い! 放課後、神田と一緒に生徒会室で待っていてくれない? 2人に話を聞いてもらいたいの……』だってさ、ユウ」 「……リナリーか」 「当たりー」 3年D組、教室窓際の一番後ろ、眠たくなる席の代表。そこがラビと神田の席だ。実際にラビの前に座る男子生徒はすっかり夢の中に旅立っている。その隣、つまり神田の前に座る女子生徒もうつらうつらしているようで、たまにかくんと首が曲がるのが後ろからでもわかるほど。そんな今は6限目の授業中。数々の数式が黒板に並べられ、教壇に立つ教師が呪文のような解説をしている。 だがラビはこっそり机に隠しながら、携帯に届いたメールを見ていた。神田も隣からそれを覗き込む。差出人はリナリー、先ほど届いたものだ。当然1年生も今の時間は授業中。リナリーは真面目だから授業中携帯をいじるなんて、そんなことしそうもないのに。よほど深刻な事態なのだろうか。 「珍しいな、あいつが授業中にメール?」 「うーん、今日学校来るときも元気なさそうだったもんなぁ……なんか悩んでる感じなかったさ?」 「ああ、確かにそれは感じた」 「だよなぁ……」 うーん、と授業そっちのけでラビと神田が考え始めた瞬間、教師の声が飛んだ。 「ラビ、神田、何話してるんだ。そんなに先生の授業はつまらないか?」 つまんねーよ、と神田とラビは同時に、そして即座に心の中で毒づいた。くすくす、と教室の中で笑いが起こる。 黒板に書かれてるのは一つの数式。答えはおろか、まだ途中の式さえ書かれていない。それを見たラビは神田の腕を教師に気付かれないように引く。神田も一瞬で理解して、そっと掌をラビのほうに向けて広げた。その掌に、ラビはいくつかの線を繋ぐ。その形は、 「ならここを答えてみろ、神田?」 「6√2だろ」 数式の答え。 一瞬で出た答えに、先ほどふたりを笑ったクラスメイトも驚きの歓声を上げた。ラビと神田はちらりとアイコンタクトをして、一瞬で、視線を外す。 教師は悔しそうな表情のまま途中の計算式と答えを書き、また授業を続けていく。その時にまた、ラビの携帯が光った。 「あ、またメール」 「メルマガか」 「それ一番寂しいパターンさね。や、違う、アレンだ」 また小さな声で話しながら、ラビは差出人の名前を指差した。確かにそこは中学の時の後輩であるアレン・ウォーカーの名前が刻まれている。 「モヤシ? 中学は携帯持ってくのだって禁止だろ」 「でも今日、テストだって言ってたから帰るの早いのかも」 「ハッ、受験期の苦しみを味わえ」 「オレらも一応受験生なんですけど」 「知るか。で、中身は?」 「えーと……『すみませんラビいきなり……このままだと勉強も手につかないんでちょっと話、聞いてもらえませんか? あ、できれば神田も一緒に。今すぐでも授業終わってからでも構わないんで』」 ラビと神田は思わず顔を見合わせ、そして一通前のリナリーのメールを開いてみた。中学と高校、いる場所が違うからという仕方ない理由の違いはあれど、殆ど同じ内容だ。 だがそのことより、どちらかというと授業中携帯をいじってること前提な内容なのが気になる。学校が違うといえどアレンはラビや神田と会うことも多いし、今現在ラビと神田が隣の席であることを知ってる。その上で、神田も一緒にラビの携帯を見ていることも前提。 一体先輩を何だと思っているのか。 (そんな風に見られる自分達に非があるということはとりあえず棚に上げて。) SHRを終え、いつものように掃除をサボって生徒会室に向かえばそこには既にリナリーがいた。神田とラビの姿を捉えると、心底安堵したように笑う。神田は小さな舌打ち、ラビは笑顔を返して、適当に席についた。まず最初にラビが切り出す。まずは他愛も無い話から。 「リナリー、掃除はしてきたんさ?」 「……クラスの子に頼んできちゃった……。というより、朝から具合悪いみたいに思われてたみたいで」 ラビと神田はこっそり胸の中で頷いた。あんなリナリーを見れば、リナリーを昔から知る人物でないと具合でも悪いのかと思うだろう。それくらいリナリーは元気が無かった。 「ラビと神田はサボりでしょ」 「あたりー」 「生徒会役員のくせに」 そういったリナリーは呆れたように笑うだけで、お咎めはなかった。もう既に慣れっこになっているのだ、幼稚園からの付き合いともなれば。 悪ガキであったラビと神田を止められるのはリナリーだけだったし、今でもそう。リナリーが何か言えばラビと神田はぴたりと止まるし、それでも弱みを握られてるってわけじゃなくただ単純にラビと神田がリナリーのことを好きだから。その想いも恋愛の“Love”ではなく、兄妹という感覚での“Like” 。ラビと神田を不良と思い込んで怖がる連中もいるが、それでもリナリーはただ幼馴染としてふたりに接する。それがラビと神田にとってありがたいことで、リナリーにとってもそれが当然なのだ。まぁ神田は、幼少時代から愛情を素直に表現することをしない人だが。 「で、リナリー」 「え?」 「話があるならさっさと話せ」 「あ、そうだよ、ね」 途端リナリーの表情が急変した。頬が朱に染まり、ひどく気まずそうに視線を宙に漂わせている。手を合わせて指をゆるく絡め、その人差し指で唇に触れて。 一度ぎゅっと目をきつく瞑ってから、決心したように瞼を持ち上げその唇を開いた。 「……夢を、みたの。あの、……アレンくんに告白される夢」 「ぶっ」 思わずラビが吹きだした。その隣で神田も、あの神田も、必死で笑いを堪えているらしくふるふると全身が震えさらに前髪で目を覆い隠している。頬を朱に染めていたリナリーは途端に真っ赤になり、今にも泣き出しそうな瞳でばんばんと机を叩く。 「わ、笑わないでよっ、私真剣なんだからぁっ」 「ご、ごめんさ、リナリー」 必死で笑いを押さえ込み、ラビは腕を伸ばしてリナリーの頭を優しく撫でた。潤んだ瞳でそんなラビを上目遣いで見るリナリーは、本当に羞恥と戸惑いで泣き出しそうだ。悪いことをしてしまったかなと思いつつ、今は自宅で勉強中であろうアレンを思う。夢の中じゃ大分積極的じゃないか。 その時ラビの携帯が震え始めた。リナリーに少し断ってから開くと、アレンからの返信メール。。内容を見て、ラビは目を見開いた。そんなラビの仕草を不審がって神田が携帯を覗き込む。ラビは返信をてきぱきとし、それからそのアレンからのメールを開いた状態の携帯を神田に見えるような角度に傾けてから、リナリーの方を向き直った。 「それで?」 「……夢の中で告白された瞬間、私すごく嬉しくて舞い上がるくらい幸せで。……目が覚めたら夢だって知って哀しくて仕方なくて、あの、すごく言いにくいんだけど、」 再びリナリーは目をぎゅっと瞑り、火照った頬を冷やすように両手で頬を包み込む。少しの間沈黙が続いたが、またラビの携帯のバイブ音によってそれが壊された。ラビがリナリーの方をちらりと見ればリナリーは了承の意で頷き、ラビは携帯を開く。また、アレンから。内容を読んで、まずちょっと待てよと突っ込みたくなった。その意味を込めて神田の肩に額を乗せると、神田はうっとうしそうな表情でラビを見てその掌から携帯を奪う。今回は返信せず、放置。 リナリーはそんな調子のふたりを見ながら、頃合を見計らい言葉を紡いだ。 「……これって、アレンくんがすきって、ことなのかなぁ」 「………え?」 思わずラビは聞き返してしまった。リナリーは収まらない熱を全身に持ったまま、ラビと神田を見つめる。神田はラビの携帯に届いたメールと、リナリーの言葉に完全に硬直している。 「ちょ、ちょっと待ってリナリー、いまさら?」 「え、今更って……?」 「まさか今まで自覚してなかったんさ!? ユウにも勝る鈍感っぷり!」 「テメェそれはどういうことだ! 俺だってこいつがモヤシを好きなことくらいとっくに知ってたぞ、それにモヤシも……むぐ」 「それはここで言わない」 ラビに口を押さえられた神田は不機嫌そうにラビをにらみつけた。リナリーは予想外なふたりの反応に驚いてばかりいる。ラビは急いで携帯をあけ、先ほど放置したアレンからのメールに返信した。『今すぐこっちの学校に来い、生徒会室!』それからアドレス帳を開き、友人にメールする。 「え、どういうこと……? 神田とラビは、私がアレンくんのこと、好き、って……」 「とっくの昔から知ってたんだよそんなん。気付いてないなんて思わなかったけどな」 「本当、リナリーってば鈍感にもほどがあるさ……」 「嘘……でもまさかアレンくんと同じ学校卒業して何ヶ月も経つのに今更気付くなんて、遅すぎるよね……私部活あるからなかなかアレンくんと会えないし、今更気付いたって無駄……」 「そんなことないさ、リナリー。少しだけ、待ってみな?」 ラビが唇に人差し指を当て、そう悪戯な笑みを浮かべたときに校内アナウンスが入る、ガチャ、という音がスピーカーから漏れた。そしてアナウンスが流れる。内容は、 『生徒の呼び出しをいたします。3年D組の神田くん、ラビくん、至急職員室に来てください。繰り返します……』 職員室への呼び出し。神田とラビは目を見合わせ、続いてリナリーを見る。リナリーは不安げな表情でふたりを見つめていた。 「こ、今度は何やったの?」 「今回は何も心当たり無ェんだけどな……」 「まぁいいさ、説教って決まったわけじゃねェし。つーことで行ってくるさ、リナリー。ちょっと待ってて」 「う、うん」 深刻な戸惑いと悩みの最中にいる彼女を一人狭い生徒会室に残すのは酷な気もしたが、すぐに一人じゃなくなるから良いだろうと判断する。生徒会室を出てすぐ近くにある階段を下りて職員室に向かい、はしない。ラビは神田の腕を引き、生徒会室を出てすぐ隣にある誰もいない教室に駆け込み、ドアを閉めた。神田は驚いたような、呆れたような微妙な表情をラビに向け、ラビはにかりと笑ってみせる。 「こんなことだろうと思った。おまえさっき、放送部の奴にメールしたろ」 「バレてたか、さすがユウ」 だが神田は溜息を一つしただけで、逆らったりはしなかった。 そのうち、階段を急いで駆け下りるような音が聞こえてきた。荒い息遣い、揺れる鈴の音。自転車の鍵だろう、アレンの自転車の鍵には小さな鈴がついていた。なんでもリナリーが中学の時の修学旅行でお土産として買ってきたものをつけているらしい。ドアの小さな隙間から見れば、特徴的な白い髪と黒い中学の学生服が見えた。アレン確定。 がちゃ、とドアノブをまわす音がして、アレンが生徒会室に入るのがわかった。ふたりは慌てて生徒会室側の壁に耳を押し付けるが、別に大声で話しているわけじゃないから何も聞こえない。ふたりは顔を見合わせ、そろそろとドアを開けて廊下に出た。素早く移動して、生徒会室のドアに音を立てないようにして耳を近づける。やっと音声が聞こえてきた。 「…ラビや神田から、何か聞きました? 僕の夢のこと、とか」 「…ううん、何も。アレンくんは?」 「…全く……」 「…アレンくん、どんな夢を見たの? 「…引きません?」 「…引かないよ!」 「………リナリーに、告白する夢でした」 よく言ったアレン。なんだ自覚すれば結構積極的になれるではないか。 「……私も同じ、アレンくんに、告白される夢。でも途中で止まっちゃって、その言葉を聞くことは出来なかったの」 「…雨の夢でした?」 「…うん…」 「…同じです。今は晴れてますし場所も違いますけど、夢の続きをここで言っても、構いませんか」 「…アレンく…」 緊迫。聴いているだけのラビと神田の心臓までどくどくと高鳴ってくる。 「え、と、僕、こういうの、なんていえばわからないんですけど、あの、リナリー、僕は、君が、」 続きを、きみに、 「君が、……君を、……好き、な、みたいです……」 最後の最後で消極的かィイイイィと外でラビと神田が盛大に胸中でつっこんだが、遂にアレンが想いを伝えたことには変わらない、恐らく面白いくらいに顔を赤くしているだろう。ふたりでらしくもなく心臓を高鳴らせ、次のリナリーの言葉を待つ。答えはもう、ふたりとも知っていたけれど。 「……私も、アレンくんが、好きだよ。今日、やっと気付いた……」 つん、とラビと神田の鼻の奥に痛みが走った。次の瞬間何かの堰が崩壊し、ぼろぼろと涙が溢れてくる。濡れる頬、真っ赤に充血する瞳。お互いのそんな表情を見て、驚きも何も無いままふたりは立ち上がって生徒会室のドアを開けた。ふたりの世界に入りかけていたアレンとリナリーはぱっとドアの方向に視線を向け、ぼろぼろにないているラビと神田を見ると悲鳴に近い驚きの声を上げる。 「ちょ、ちょっとちょっと、ラビ、神田、一体どうしたんですか!?」 「あれ、呼び出しは……?」 「そんなのお前らをふたりっきりにさせるための口実をつくり上げたにすぎないさぁーっ」 ラビは涙を流し続けるまま、その長い腕を広げてアレンとリナリーを抱きしめた。ラビの腕の中でふたりはくぐもった声をあげる。 「もうお前らいじらしすぎるんさバカヤロー! この鈍感夫婦め!」 「じ……じあわぜにおなりなざいぃい……えぐっ」 「神田ァ!?」 「ええっ、神田が泣いてるとこ私初めて見た!」 「それにしてもアレンおまえ来るの早かったよなぁおまえんちからここ近いけどチャリで10分かかるだろ?」 「あ、今日僕この学校の隣の図書館で勉強してたので……ってもうラビも神田も早く泣き止んでくださいよぉぉ……! 僕まで泣けて……」 「えっ、ちょ、アレンくんまで……もう私にまで伝染ってきちゃったじゃないっ……!」 そうやって人のことなのにぼろぼろと泣くラビと神田に釣られて、アレンとリナリーも涙を流し始めた。妹分と弟分がやっと結ばれた嬉しさ、想いを通わせることができた歓び。これ以上ないってくらいのしあわせの中心で、みんな笑いながら涙を脱水症状でも起こすんじゃないかと心配するくらいぼろぼろ流して。小さく狭い生徒会室には、いつまでも鼻を啜る音と嗚咽を上げる音、そして笑い声がいつまでも響いていた。 『夢を見たんです。リナリーに告白する夢』 『おまえ夢の中じゃ大胆じゃん』 『何言ってるんですか。伝える寸前に夢は切れてしまったんですが、それがどうしようもなく切なくて苦しくて続きを言わなきゃってずっと、朝から思ってるんです。……これって、リナリーのことが好きってことなんでしょうか』 『今すぐこっちの学校に来い、生徒会室!』 「あーようやくアレンとリナリーが付き合い始めたかぁ」 「そうだな」 「長かったさね」 「そうだな」 「まさかお互い自分の想いに気付いてないとは思わなかったけどさー」 「そうだな」 「まぁしあわせになれたんだから良かったな」 「そうだな」 「結婚式はいつ開いてくれるんだろうなー」 「そうだな」 「いっそオレらも付き合っちゃう?」 「寝言は寝て言え」(バシッ) 「痛―――ッ!!」 (07.12.02) |