「アレンくん、ラビ!」 後ろから声をかけられ、二人並んでアレンのみたらし団子を食べながら話していたアレンとラビは、くるりと同時に振り向いた。窓の外の空は夏の蒼に染まっていて、今のお昼時の太陽は強い日差しを地に送り届けている。だがこの教団内にはその熱はあまり届かないため、ひんやりと涼しい空気を保っている(その分冬は寒いのだが)。 後ろにいたのはコムイだった。片手にコーヒーカップを持ち、そこからは淹れたてなのか湯気が出ている。いつもコムイは科学班の研究室に閉じ込められているのに、今は暇なのだろうか。 「おー、コムイ。今科学班暇なん?」 「え? ラビくん何か言ったぁ? 微かにしか聞こえなかったなぁー? リナリーがなんだって?」 どうやら逃げてきたらしい。周りに花を飛ばして現実逃避をするコムイを見て、思わずアレンとラビは顔を見合わせてため息をついた。 だが急にコムイが花を飛ばすのをやめ、にこりと二人に向かって笑いかける。 「ちょうど良かった。二人に任務だよ」 その言葉を廊下で聞くのは初めてだった。いつもならたくさんの紙が床を敷き詰める司令室で、大きなソファーに座ってリーバーかリナリーに資料をもらいながら聞くから。それにイノセンス回収やアクマ破壊の任務だったら、確実に司令室に呼び出されるのに。下手したら命を落とす可能性もある、そんな任務の中で生きている彼らに、廊下という場所で任務を言い渡すのはおかしい。 ラビとアレンがきょとんとしていると(ただしきちんとみたらし団子は食べながら)コムイは外を指差した。 「教団の庭園の花壇に、水を撒いてきてくれないかい?」 「あーっちぃー………」 団服を脱ぎ捨て軽装になったラビは、首にかけたタオルで汗をぬぐいながらそう呟くように言った。その右手にはホースが握られ、絶えず水が流れている。 「ちょっとラビ、サボんないでくださいよ。二人しかいないんですからね」 「だーってさぁアレン、今日本当に暑すぎねェ?」 「ラビは僕を見てるからいいじゃないですか、でも僕はラビのその見てるだけで暑くなるような暖色の髪を見てるんですよ、それに比べれば大分マシですって」 「………存在否定?」 傷ついたようなラビの言葉を無視し、アレンは一息ついてから同じく右手に持ったホースを構え、その口を細めて水の勢いを強くした。カラカラに乾いていた土は水を含み、生き生きとしたこげ茶色に色を変える。水を浴びたカラフルな花々は急に潤いを持ち、色が鮮やかになったように見えた。それは夏の暑さで少しだけ感覚がおかしくなった為の、幻覚に過ぎないのだろうけど。 夏は一つ一つのものの色彩がとても鮮やかだ。こう快晴の日は特に。余りの鮮やかさに目が軽くちかちかとする。 すると急に、冷たい感覚が全身を支配した。 「冷たっ!! いきなりどうしたんさアレン!」 「どうせなので遊びませんか、水遊び!!」 肌に絶え間無く感じるのは遠慮を知らず勢いよくぶつかってくる水。それは炎天下の中ではとても気持ちいいが、その勢いは痛いほど。水がラビに向かってきたのは、アレンが水を思い切りラビにかけたからだった。 目に毒なほどに眩しい太陽を背に、アレンはその太陽に負けないくらいに明るい笑顔をラビに向けた。ラビは水に濡れた髪や顔を拭きながら、不満そうな声を漏らす。 「楽しそうだけど、いきなりは反則さ。風邪ひいちまうだろー」 「馬鹿は風邪ひかないって神田の国の言葉で言うそうじゃありませんか。あ、でも夏風邪は馬鹿しかひかないとも言うらしいので危ないかもしれませんが」 「どういう意味」 「お好きなように解釈してください」 軽く言い放ったアレンに唇を尖らせ、ラビは仕返しとばかりにホースの口を細めてアレンに向けた。今まで涼しい顔をしていたアレンは途端に頭から足までびしょ濡れになる。反射的に目をつむったアレンはぷるぷると犬のように体を震わせると、目を開けてまた楽しげな笑みを浮かべた。そしてまたラビに向けて水を噴射する。 二人して髪の毛の一本一本から足の指先まで水に濡れながら、任務なんてそっちのけで遊び続ける。蒼天の庭園の下には、いつまでも二人の幼稚園児のようなはしゃぎ声が響いていた。 「つっ……かれたさぁ……」 「こんなにはしゃいだの、すごく久々ですよ………」 しばらく子供のようにはしゃぎまわったあと、体力を使いはたしたアレンとラビは息を荒くしながらひとつの花壇に倒れこんだ。背中にあるのは名前も知らない黄色の小さな花。疲れ果てている二人とは違い、小さくも凛と華やかに咲き誇っている。 ラビは教団の壁についている時計をチェックした。短針は4の数字を示している。 「もう4時か…最近日が長くなってきたさねー」 「親父くさいですよラビ」 「………アレンて時々オレに辛辣だよな」 「気のせいですよ」 そっけなく言い返し、アレンは太陽が徐々に徐々に西に傾きつつある空を見上げた。それでも空はまだまだ蒼く、西の空はほんのりと目立たないくらいに朱に染まっているに過ぎない。ぐるりと空を見渡したアレンは、急に大きな声を上げた。 「あっ、ラビ、見てみて!」 「んー?」 「ほらあそこ、僕の指先!」 いわれるとおりにアレンの指先、太陽の逆の方へ顔を向けたラビは、その翠の瞳を見開いた。 そこにあったのは、小さな虹。きっとさっき二人で水遊びをした時の水飛沫と真夏の眩しい陽光の悪戯だろう。自然にできたものではない、遊びの中で偶然できた人工の虹だが、その七色の光が織り成す幻想橋の美しさが変わるわけではなくて。 二人は声もなくただその橋に見惚れていた。が、だんだんと西の朱が濃くなってきたのに気付いて、慌ててラビが立ち上がった。 「って、ヤベ、任務終わってないさ!」 「大丈夫ですよ、僕たちの水遊びのおかげで花壇全部の花壇に水がいきわたりましたから」 そういわれてあたりを見回せば、確かに花壇の土全てがきちんと水を含んでいる。もともと水遊びを始めたのは任務遂行寸前で、ほとんどその完了していたという状況だったのだ。その時に始めたのだから残っていたのは数個の花壇のみで、他は既に水を吸って花はその水分を吸って、自らの成長に役立てていた。 ラビは大きく息をついて、首にかけてあったタオルで完璧に濡れきった顔や髪を拭こうとした。だが当然のことながらそれもびしょびしょに濡れていて、タオルの役目を果たしていない。この状態で教団の風呂まで行くのかと軽く憂鬱な気分になったところに、いつの間にか姿を消していたティムキャンピーが2枚のタオルを咥えてふらふらとアレンの下へ飛んできた。アレンが指を差し出すとティムはそこに止まり、タオルをアレンに差し出す。その一連のシーンを見ていたら、アレンはふっと一枚のタオルをラビに向かって投げた。 「うぉっと」 「一応ティムにお使いを頼んでおいたんですよ、二人とも濡れ犬状態になると思って。それじゃ任務も遂行したことですし、帰ってまたみたらし団子食べませんか?」 ニコ、と笑いかけたアレンに、ラビも頷いて笑みを返した。アレンはさっと立ち上がり、先頭を切って歩き出す。ラビは首にタオルをかけて顔を拭きながら、アレンの後を追いかけようとした。その時。 「………、ぁ」 「何かいいました?」 思わず漏らした声にアレンは反応して、くるっと後ろを振り返る。だがラビは曖昧な笑顔を浮かべて、手を横に振った。 「ああ、ん、なんでもないさ」 「……そうですか」 あまり追求しないまま、アレンはまた教団のほうへ歩み出した。その銀色の髪は、まだ色濃く残っている虹を映しこんでいる。 これを言ったってアレンは美しいそれを見ることができない。ならこの瞳に、できるだけ長い間それを焼きつけていよう。決して忘れないように、自分だけの宝物にできるように。二人で創った虹が、彼の銀色の髪を彩っているのを。 それは裏歴史には記録されない、ブックマン後継者である彼の49番目の名前、“ラビ”の中の歴史書だけに刻まれた、夏の日の一ページ。 (07.06.21) |