「其処の坊ちゃん嬢ちゃん方」

いきなりラビがラビらしくないことを言い出して、アレンと神田とリナリーの3人は不思議そうな表情でラビを見つめた。
今は朝食を終え、皆鍛練に入る前の休息時間をとっている。そしてその暇な時間に4人でババ抜きをやっていたところだ。今はラビが1位で抜け、3人で緊迫の勝負中。ババ抜きはイカサマをするに出来ない故に、得意なカードゲームでもアレンはその緊迫の中にいるのだ。ちなみにジョーカーはゲーム開始当初から神田が持っている。神田はああ見えてポーカーフェイスが苦手で引こうとしたら微かに表情が移り変わるため、どれがジョーカーなのかわかってしまうのだ。不憫。

「……ラビ? いきなりどうしたんですか」

アレンが眉根を寄せてそう聞くと、ラビはまず辺りをきょろきょろと見回した。偶然にも談話室には4人しかいない。それを確認すると、ラビはピッと指先を窓に向ける。

「みんな外を見てみるさぁーっ!」

その言葉につられてアレンも神田もリナリーも窓の外を見た。外は快晴、空の蒼はまるで吸い込まれそうになるくらい高く透明を伴っていて、雲はその広大な蒼穹にゆらゆらと漂っている。陽光は眩しく熱い光をさんさんと地に注いでいて、それは見ているだけで気分が高揚し内側から熱が噴出してくるような碧空。それを鳥が自由に飛びまわり、風が遠くの木々を揺らし、嗚呼夏だなぁなんて今更ながらに実感する。冷たいものが食べたくなってきた、ジェリーに言えばアイスの一本くらいはもらえるだろうか。

「で、こんな気持ちよさそーな夏の日、ずーっと屋内で過ごすつもりさ!? 世の子ども達が海とかで遊んでいる中!?」

ぴくり。
アレンとリナリーの肩が僅かに傾いだ。エクソシストとして年齢など無関係な世界にいるとはいえ、15歳と16歳という年若い彼らだ。夏の海というのはとても魅力的なセンテンスとして彼らの中に残ったのだろう、ラビはその僅かな動作も見逃さずにかかった、と胸の内でにやりと笑う。だが神田は興味を持たなかったようで、不機嫌な無表情のままだ。

「知るかよ、鍛練が出来ねェだろ。一日やらねェと三日戻る」
「砂浜とかで走るのは相当筋力を使うらしいさー」

ぴくり。
神田も僅かに、それでいて確かに反応を見せた。さすが鍛練馬鹿(こんなことを言うと怒られることは間違いないが)効率よく鍛えられる場所ならどこへだって行くか。神田は強さを求めている。早く、誰よりも強くなれるようにと。その純粋な思いを利用するのは心苦しいが、ラビ自身遊びたくて仕方ないしユウが喜ぶならそれはそれでいいと思える。
3人を見れば朝で鍛錬に入る前だからか、団服ではなく私服の姿だ。それは自分も同じこと。好都合だ。
ラビはにかっと笑みを浮かべ、うずうずしている彼らに言葉を投げかけた。



「遊びに行くことに反対の人!」




しん、と静寂が談話室を包み込む。アレンもリナリーも神田も手を上げる気配は全くない、むしろ期待に満ちた瞳でラビを見つめている。そんな弟分と妹分と同僚の反応に可愛いなぁなんてこっそり思いながら、ラビは再び笑みを浮かべた。

「よし、じゃぁ早速―――」
「あ、でも待ってラビ、勝手に抜け出したら心配かけちゃう……」

さすが4人の中で一番真面目なリナリーだ。だがラビにはそのための策も考えてあった。

「メモを置いとくといいさ、それに秘密の旅行ってなんか楽しみじゃん? あと一応対アクマ武器も忘れんなよー」

そう言うとリナリーは不安げだが確かに明るい笑顔を浮かべた。ラビは近くにあった紙と筆記用具を引っつかみ、さらさらと書き上げる。そしてそれをテーブルの上にそっと置き、立ち上がった。談話室はしょっちゅう団員が出入りする場所だから、誰かは気付いてくれるだろう。あとはとにかく任務が急に入ったりしないことを祈るばかりだ。
ラビは窓に駆け寄り、鍵を外してその重い窓を開け放った。薄い風が微かに流れ込み、髪を揺らす。ベランダに出れば太陽が容赦なく照りつけ、一瞬で汗が噴出すのを感じた。強く眩しい陽光は皮膚を焦がし、それでもその暑さがひどく愛しい。
これから自分はこの籠から抜け出すのだ、それはとてもとても短いローリスクハイリターンな冒険。冒険という言葉に妙なほど惹かれる時期はもう過ぎた。それでも隣には彼らがいる、4人ならどこへだって行ける気がする(こんな感情持ってはいけないというのは自分でもよく承知しているつもりなのだが)。
ラビは太陽を見上げ、一人で笑みを浮かべた。そして後ろを振り返ってうずうずしているアレン達もベランダに呼び、ラビは対アクマ武器を太陽に翳す。その唇が二文字の言葉を紡いだ。








「うみ――――――――ッッッ!!!」

誰もいない砂浜の端に着陸した途端、提案者であるラビが一番はしゃいで海に向かって走っていった。だが海に到達する前に、サラサラな砂に足をとられて派手に転ぶ。18歳とは思えぬその姿にアレンとリナリーはなんとも言えない苦笑いを浮かべ、神田は盛大な溜息をついた。下は砂だから衝撃はそんなに無いだろうが、太陽の熱を浴びて相当熱くなっているだろう、ただ立っているだけだと熱が足の裏から伝わってきてひりひりする。リナリーはきちんとダークブーツを履いているのに、その上からも。ラビはばっと砂から顔を上げ、後ろのアレンたちを振り返った。

「何してんさー、オレ一人で馬鹿みたいだろ」
「実際馬鹿じゃないですか」
「酷ッ!!」

そしてギャーギャーと騒ぎ出したラビを再び苦笑いの表情で見やったあと、アレンは駆け出す。その後を追いかけるようにリナリーも海に向かって走り出した。ラビも慌てて立ち上がり再び海に向かう。そしてばしゃんと派手な水音を立てて、3人は思い切り海の中に飛び込んだ。
一人砂浜に取り残された神田は、ここについて1分もしないうちにびしょ濡れとなった3人を見て再び盛大な溜息をつく。アレンもリナリーもラビも服を着たまま海水に濡れ、何が楽しいのかけたけたと笑っている。神田はゆっくりとした足取りで海の中で座ったまま水遊びを始めたアレンたちの元に向かう。それに気付いたラビは海の中から神田に手を振った。その隙をつかれアレンとリナリーに大量の水を掛けられ、バランスを崩して後ろ向きに倒れた。すぐに上体を起こして口と鼻から入り込んだ海水に盛大に咳き込んだ。その状況に陥らせたアレンとリナリーは悪びれることなく腹を抱えて笑っている。ひとしきり咳き込んだあと、ラビは涙目で2人を見、今度は立ち上がって2人に水を掛けた。アレンとリナリーも慌てて立ち上がりその水から逃げる。だがその表情はとても明るく、笑っていた。
ラビは少しの間アレンとリナリーを追いかけた後、くるりと神田のほうに向き直った。そして手を振って神田を手招く。

「ユウもこっち来るさぁー」
「いかねェよ、何でお前は18歳にもなってガキみてーな遊びしてんだ」
「いいじゃんたまにはさ! ほらほらっ」
「うわ、ちょ、てめぇっ」

ラビは神田に駆け寄って、その手を思い切り引いた。いきなりの行動にバランスを崩した神田は、そのバランスを元に戻せぬまま海に飛び込む。冷たい海水が口やら耳やら鼻から入り込んで鼻の奥に激痛が走り、視界は妙に歪んだ淡い碧に染まった。慌てて神田は顔を上げ、目を擦る。濡れた視界がクリアになり、歪んでいたラビの姿が鮮明になって目の前に飛び込んできた。喉に入り込んだ海水が逆流してきて思わず神田は咳き込む。ラビは笑いながらその背中をさすってやった。痛みと咳のせいで潤んだ瞳で神田はラビを睨みつける。

「いきなり何しやがんだっ! 俺は六幻を腰にしてんだぞっ!? 錆びついたらどうすんだ」
「………自分の心配より六幻の心配かー。まぁいいや、ほら、悔しかったら捕まえてごらんなさーい」
「気色悪い」
「……アレンに引き続きユウまでひどいさ」

オレの女神はリナリーだけさー、と呟きながら、ラビはアレンとリナリーがいる方向へ走り神田はその後を追いかける。アレンとリナリーもラビと神田がこちらへ向かってくるのに気付いて、きゃっきゃきゃっきゃと騒ぎながら逃げ出した。ラビがちらりと後ろを見れば神田はすぐ後ろまで迫っていてラビから笑顔が消える。そして悲鳴に似た声を上げながら猛然とダッシュし、海の中の壮絶なる鬼ごっこが幕を開けた。







バン、と強く叩かれた机が音を立て、そこに置かれていたコーヒーが揺れる。その音に机の前に立つ4人は肩を震わせ、その反対側ではコムイが滅多に見せない怒り顔を見せている。

「一体何を考えてるんだ!!」

その大声にアレン、リナリー、神田、ラビの4人は肩をすくめた。科学班員は何事かと覗き込んでくるが、その光景を見ると首を突っ込んではいけないと判断したのかすぐに仕事に戻る。

「今回は何も無かったから良いものの……君達がのんきに遊びに行ってる間、急な任務が入ったりしたらどうするんだ! それだけじゃない、アクマやノアが教団を襲撃してくる可能性だったあるんだよ!? そんな中でエクソシストが4人も消えるなんて……一体、何を……ッ」
「ごめんなさい、兄さん、ごめんなさい! 本当に、ごめんなさい……っ」

リナリーの必死な声音に、アレンと神田とラビも視線を落とした。コムイはまだ怒りの表情をしていたが、ついと視線を逸らし、手だけで帰っていいと合図した。アレン、リナリー、神田、ラビの4人は暗い表情のまま科学班研究室を退出する。そこには静寂だけが取り残された。





「………さっきは僕も、キツく言っちゃったけど」

コムイは溜息をつきながらそういった。場所は変わり、ここは談話室。コムイの隣にはリーバーがいて、大きな薄手のタオルケットを持って苦笑していた。

「この子達には本当に申し訳ない生活を強いていると思ってるよ、満足に遊びに行けないし行ったら行ったで怒られるし。怒ったのは僕なんだけどさー、さすがにここで怒らないと室長としては駄目でしょ?」
「室長にしては偉い判断だったとは思いますよ」
「どういう意味だいリーバー班長」

漆黒の瞳で、じとっと睨みつけられリーバーは思わず視線を外した。そしてそっとタオルケットを手放すと、そのタオルケットははらりと落ちる。コムイもリーバーもそのタオルケットの下にいるモノを、優しい瞳で見つめた。

「………でもね、いつか」
「………………」
「この子達が安心して楽しく遊べるような、そんな世界を作っていきたいと思ってる」
「そうですね」

リーバーが掛けたタオルケットの下、そこには。
疲れたような表情でも確かに口元は楽しげに緩んでいて、その口を開けば紡ぐのはお互いの名前。一体どんな夢を見ているのか手と手をぎゅっと握り合って、疲れ果てたように眠っているアレン、リナリー、神田、ラビの4人の姿が在った。










    























(07.08.23)