どんどん、と部屋のドアが叩かれる音がした。普段はこんこんと控えめな音を出すのに、こんなに慌しく叩くのは一体誰なのだろう。アレンは不審に思いながらも鍛練をそこで一旦止め、団服を羽織った。その途中にもどんどんとドアが叩かれ、本当に急ぎの用事らしい。アレンは慌ててドアを開く、するとそこには嬉しげな笑みを浮かべたリナリーの姿があった。少し不快感を感じていたアレンだが、その感覚は彼女の姿を見た瞬間一瞬でどこかへ吹き飛んでしまった。リナリーは爛々と煌く瞳でアレンを見つめると、先ほどまで鍛練で鍛えていた腕に抱きつく。何かが嬉しくて嬉しくてたまらない様子だ、一体何があったのだろうか。柔らかに流れる漆黒の髪を撫でながら、アレンは思考をめぐらせた。結論が出る前に(といっても結論が出る気配も無かったのだが)リナリーはアレンの腕から顔を上げ、先ほどから変わらない輝く瞳でアレンの銀灰色の瞳を覗き込んだ。

「ね、疲れてる? 鍛練してたかな」
「してましたけど、そんなに疲れてるわけではありませんよ」
「じゃぁ10階くらいまでダッシュできる?」
「はい、それくらいなら」

そう言って笑顔を返すと、リナリーの表情がさらに花を咲かせた。

「よかった! じゃぁ行こう今すぐ行こうっ」
「あ、リナリー!」

先頭を切って駆け出したリナリーの後をアレンは慌てて追いかける。ダークブーツの適合者であるリナリーは、イノセンスを使わなくとも足がとても速い。男性であるアレンでさえ本気を出されたら敵わないだろうし、少なくともこの教団内には彼女の俊足に勝てる人はいないだろう。今は本気ではないようでアレンが慌てて追いかければすぐに横に並べた。ツインテールに結われた漆黒の髪が風邪に流れてさらさらと揺れる。彼女の髪が触れ合う音はとても柔らかで、それすらも音楽に聴こえる。そんなことを思えるのは自分だけかもしれないけれども。

「リナリー……何があるんですか?」
「ついてからのお楽しみ。とにかくアレンくんと一緒に見たいなっていうものがあるの!」

リナリーの隣の位置をキープしようと精一杯に走るアレンとは正反対に、リナリーは汗一つかかない涼しげな表情でにこりと笑ってみせた。つまり早く着けば着くほど、その楽しみに早く巡りあえるということか。
そう考えたアレンは、スピードを上げた。隣にいたリナリーより数歩分前に出ると、後ろから「アレンくんはやーい」という無邪気なリナリーの声が耳に届く。だがそのリナリーはすぐにアレンの隣に並び、なんだかそんな彼女に速いといわれても嬉しいような嬉しくないような微妙な心境だ。できるなら運動神経くらい勝っていたいのに(戦うことを仕事とするエクソシストなのに、そんなことを言っているのは不謹慎なのだけれど)。
年齢は彼女よりも一つ年下で、入団歴もリナリーの方が10年くらいの差があるし身長だって2センチしか変わらない。なのに走力でも負けているとは、なんとなく男として悔しいというのが本心である。

「……今度から走力の鍛練メニュー増やそうかなぁ……」
「え? アレンくん、何か言った?」
「いえいえ、何も」

そう? とリナリーは首を傾げる。可愛さ余って憎さ百倍、憎さも余って愛しさ千倍。





「は、は……やっと、10階……」
「結構長かったね」

少ししか息の切れていないリナリーとは逆に、普段から腕などの筋肉ばかり鍛えているアレンはもう疲れきっていた。リナリーはきっと長く速く走り続けるための鍛練をしているのだろう、腕と足、全く違う対アクマ武器だ。鍛練内容も大分違ってくる。
リナリーはそんなアレンの背中を苦笑いの表情で優しくさする。その背中から伝わる熱が、そっと疲れを一粒ずつゆっくり確実に取り除いていくのが、なんとなくアレンにも感じられた。彼女の手には魔法がかかっているのかと疑いたくなるくらい。とりあえずあの時無茶しなければ良かったと今更後悔する。

「ありがとうございます、リナリー。大分楽になってきました」
「よかった、でもごめんね? こんなところまで連れ回しちゃって……」
「いえ、リナリーと一緒なら何処までも?」
「何言ってるの」

そういえばリナリーは冗談のように受け流し笑ったが、その頬は軽く朱色に染まっている。リナリー自身気付いてはいないのだろうが、アレンは何も言わずその笑顔を優しく見つめた。

「それで、僕と一緒に見たかったものって……?」
「あのね、とりあえず10階のバルコニーに出たかったの」
「バルコニー?」
「消えてないといいんだけど……」

リナリーはバルコニーに繋がる窓に駆け寄り、重いそれをゆっくり開いた。そして外に出ると、後ろにいるアレンを笑顔で手招いた。アレンは慌ててリナリーの元へ駆け寄り、彼女の指が指す方向を見た。そして、


「うわぁ……」


思わず感嘆の息が漏れた。蒼く澄み渡る秋の空、浮かび上がる雲とその隙間からこぼれる光。まるで天使の梯子のように、それは地表に降り注いで。

リナリーはくいいるようにその風景を見つめているアレンに笑いかけた。

「ね、すごく綺麗でしょう? まるで天使が降りてきているみたいだなーって思ったの」
「素敵な発想ですね、天使かぁ……、あ」

そう思いながらその空を見つめていると、昔なにかで読んだものが奥底に蘇ってきた。そういえば今日は、10月4日。

「リナリー、知ってますか? 今日は天使の日なんです」
「そうなの!?」

リナリーは驚いたように口を押さえ、そして優しく微笑んだ。じゃあ本当に天使が降りてきているのかもね、とひどく優しい瞳でその空と光を見つめる。そうかもしれませんね、と返しながら、アレンはリナリーの横顔を窺った。変わらない優しい表情、闇色の瞳はその中に天使の光を宿して。白く抜けるような肌は柔らかにその天使の梯子を反射して、彼女自身がまるで天使のよう。
アレンは腕を伸ばして、その風景を見入るリナリーを抱きしめた。リナリーは目を見開いて、たった2センチしか変わらないアレンの顔を見上げる。

「天使に祝福してもらえるように」

そう言って笑いかけると、リナリーもふっと微笑んだ。そしてその腕をぎこちないながらにアレンの背中に回す。アレンも柔らかな髪から香る清潔な匂いに酔いそうになりながら、リナリーをその腕の中に閉じ込めて。











October's angel















(07.10.04)
(Happy birthday Dear 沖里飛沫さん!)