「アレン、くんが……任務?」

リナリーはきょとんとした表情で、兄に告げられたことをそのまま繰り返した。コムイはリナリーが淹れてくれたコーヒーを飲みながらこくりと頷く。

「うん、でもアレンくん最近まで風邪引いてたでしょ? 病み上がりは可哀想だから、明日からフランスに行ってもらうことになったんだ。ということで明日、朝ご飯食べ終わったら僕のところにくるように言っといてくれる?」
「そっか、わかった」
「よろしくね」

コムイはにっこりと笑って、ひらひらと手を振った。リナリーも笑みを返し、コーヒーをのせていたトレイを胸に抱きかかえ、くるりと兄に背を向けて軽やかに走り去る。忙しそうな科学班の隙間を潜り抜け、コーヒーありがとうという声に笑顔を返しながら向かうのはアレンの部屋、では、なく。
まずは給湯室にトレイを置いて、身軽になった状態でまた走り出す。階段を駆け下り、ゆるやかなカーブを駆け抜け、外へと繋がる扉をまた駆け抜ける。途端眩しいくらいの初夏の陽射しがリナリーの瞳を灼き焦がし、そこで初めてリナリーは足を止めた。僅かに走る鈍い痛みとちかりちかりと点滅する視界を手で覆い、光に慣れたところでまた走り出す。そして辿り着いたのは、優しい緑に光がまぶしい初夏の庭園。

やわらかな景色にリナリーは頬を緩めたが、すぐに端にある空の植木鉢の一つを手に取った。そして底に石を敷き詰め、またそのすぐ近くにあるリナリーが管理する花壇の傍に座り込んだ。落ちているスコップで花壇の土を植木鉢の中に詰め込み7分目ほどまで入れてから、その花壇に咲いている鈴蘭の花に手を伸ばす。優しくスコップで根元の土を掘りながら、そ、と根を生やしていた土から引き抜いてすぐに植木鉢へと移しかえる。ぎゅ、と根元の土を固め、華奢な茎を安定させてからリナリーはその植木鉢を腕に抱え、また教団に軽やかに駆け出す。
今度は胸の中の鈴蘭に害がないよう、優しく、跳ねるように。



「アレンくん」

ドアを叩いて、厚いそれ越しに名前を呼ぶ。この時間帯は部屋にいるはずだ、すると予想通りがちゃりとドアが開いてアレンが顔を覗かせる。リナリー、と嬉しそうな声音が名前を紡ぎ、それだけでふわりと胸の奥が熱を帯びた。
アレンはリナリーを部屋の中に招き入れたすぐあとにリナリーの抱える鈴蘭の植木鉢に気付いて、その可憐な白い花に視線を送る。それからリナリーをまた見て、軽く首をかしげた。小さな子どものような仕草にリナリーは思わずくすりと笑う。

「アレンくん、兄さんから伝言。明日からフランスへ任務だって。だから朝ご飯食べたら司令室に行ってね」
「あ、はい、わかりました」
「あとこれ」

室長助手としての任務を果たしたリナリーは、すぐにその腕に抱えた植木鉢をアレンに向かって差し出す。りりん、と澄んだ鈴の音が聞こえた気がした。にこりと笑ってみせたらアレンはきょとんとして、またその揺れる白い花を見つめる。窓から差し込む夏の陽光が白と緑をより一層鮮やかに艶やかに可憐に照らし出し、本当に花からかろやかな音が聞こえてきそうだった。

「はい、アレンくんに」
「……え?」
「5月1日って、フランスで好きな人やお世話になってる人に鈴蘭を贈る日なんだって」
「あれ、でも今日ってまだ4月29日ですよね……?」
「つまり5月1日にアレンくんはここにいないでしょ? だから早めに、ね。あと、1日に鈴蘭を贈られた人はしあわせになれるんだって、その意味も込めて」
「っ、あ」

アレンはそっとリナリーの手から植木鉢を受け取り、喜びと驚愕が入り混じった表情で花を見た後、リナリーに心底幸せそうな笑顔と瞳を向けて頬をやわらかな薄紅に染める。

「ありがとうございます! じゃあもう僕、本当、頑張ってきますから! なるべくすぐ帰ってこられるように!」
「うん、ずっと待ってる!」

ふたりは笑いあい、静けさの中の音に耳を澄ます。りり、りりん、聞こえないはずの金属音が、優しく鼓膜を揺らしている気がした。全て気のせいでしかないのだけれど。















ざざん、水が波打つ音が水路の中に木霊し消えていく。たった今任務から教団に帰ってきたリナリーは探索舞台に導かれるまま腰を上げ、重い足を地に下ろした。
あの日から、約1ヶ月。なるべくすぐ帰ってこられるように、と言って任務に出て行った彼はそれきり教団に戻ってきていない。それどころかこの一週間、連絡すら取れない状況に陥っていた。
今回リナリーの任務は完全なる外れで、アクマにすら会わなかった。だから怪我一つないのだけれど、任務のたびにしょっちゅう大怪我をして帰ってくる彼のことが心配で心配で仕方がない。ただでさえひどい方向音痴なのだから、連絡が取れないのは彼にとっても不安だろう。いっそこの外れ任務を利用して彼を探しに行こうかとも思ったけれど、リナリーの任務地とアレンの任務地であるフランスはかなり離れた場所で、しかもコムイにも見抜かれ「真っ直ぐ教団に帰るように」と言われたほどだったのだ。だから大人しく、帰ってきた。もしかしたら彼のほうがタッチの差ででも帰ってきてるかもしれないという一縷の望みにかけて。
かつ、かつ、と靴がコンクリートを鳴らす音がよく響く。地下水路を抜けて、探索舞台にお礼を言って別れ、自分の書いた報告書に最後の推敲を施しながら、司令室に向かって歩いていく。あ、よく見ると初っ端から曜日を間違えてしまっていた。心の中で軽く自分に対する舌打ちをしながらも顔には出さず静かに、また切り替えて推敲しなおしながら、歩く、

「リナリー」
「ふ、わっ」

すると耳元で囁くように声をかけられ、リナリーは変な声を上げて報告書をばさりと落としてしまった。クリップで止めていたからバラバラにはならずにすんだ、だがリナリーはそれを拾うよりも先に素早く振り向く。
そこにはアレンが立っていた。どことなく艶を失った銀色の髪、悪戯な笑みと、手には小さな鈴蘭の鉢植えを携えて。リナリーが何もできずにただアレンの顔を食い入るように見つめていると、アレンは小さく苦笑してリナリーの足元に落ちた報告書を拾ってリナリーに手渡した。そこではっとリナリーは我に返り、アレンに縋りつく。

「アレン、くん……!」
「おかえり、そしてただいま、リナリー。すぐ帰ってくるって言ったのにこんなに遅くなっちゃってすみません」
「…………、うん、おかえりなさい、アレンくん」

なにもいわず、アレンの大きな胸に額を当てる。優しいアレンの体温が額を通して身体に流れ込み、疲労も何もかも吹っ飛んでどこかに消えるような感じがした。だがアレンにちょいちょいと肩をつつかれ、リナリーが顔を上げるとアレンの手がリナリーの肩を捉えてそっと引き離す。名残惜しそうに体温が離れ、そして小さな鈴蘭の鉢植えが二人の間にはいる。

「遅くなっちゃいました、けど。本当はもっとはやく渡せればよかったんですけど、僕の不注意でこんな日になっちゃって。でもちょうど、今日5月28日の誕生花って鈴蘭らしいんですよ、こじつけになっちゃいますが」
「……くれるの……!?」
「リナリーにも幸せになってほしいから」

ね、と笑うアレンの笑顔が眩しすぎて、リナリーは慌てて鈴蘭に視線を移してその鉢植えを受け取った。緑の葉の間で揺れる可憐な白い花は、どことなく、アレンを連想せずにはいられなくて。
つい、とリナリーは顔を上げて、アレンのその笑顔を真っ直ぐに見つめた。アレンもリナリーを見つめて、それがなんとなくおかしくてふたりで小さく笑いあう。



鈴蘭の別名“君影草”、この白い花を見ると君のことを思い出すよ、君の影をうつした花は、こんなにも可憐で美しい。






























(08.05.28)
(Happy birthday Dear 渡鳥さん!)