オレは、傍観者。
光にも闇にも属さず、ただその中心で、冷静に光と闇の争いを見届ける者。
そしてそれを、記録する者。

そう、オレは傍観者。
全てにおいて中立に、どちらかに寄る事なんて許されない。
今教団にいるのは、裏歴史を記録するだけにすぎない。

オレは、傍観者。
すべてを見届ける者。
すべての外側に立って、すべての中心に在って、すべてを、見届ける者。


だから、彼女のことも、何かができるわけでもなく、ただ見ていることしか、できなかった。






「ラビ、ラビ? らーび」

ふらふらと目の前で白に限りなく近い肌色が揺れ、それと同時に彼の49番目の名前が鼓膜を振動させる。そのことにようやく気付いてラビははっと現実世界に帰ってきた。その小さな手の持ち主はリナリーで、心配そうな表情でラビのほうを見ている。窓から差し込む柔らかな光がその白い肌を照らして、かわいい、綺麗なんて言葉よりもむしろ神々しく思えた。だがそんな彼女はじっと真っ直ぐラビの隻眼を眼を逸らすことなく見つめていて、その桜色の唇から零れる声は良く通るどこにでもいる少女のもの。やさしい光の悪戯が彼女を世界から遠ざけようとしても、彼女がこの薄汚れた美しい世界から離れるはずはないのだ、だって彼女はこの世界を愛してる。

「大丈夫? いつになくボーっとしてたけど…」
「あー、だいじょぶ。気にすんなさ」
「それならいいんだけど。何かあったら言ってね?」
「うん。ありがと、リナリー」

にこりと笑ってみせたらリナリーも安心したようにゆるりと頬を緩めた。細まったその瞳に自分の赤が映りこんでいることに気づいてラビはどくんと心臓が波打つのを感じるが、笑顔は崩さずその隻眼でやわらかなリナリーの笑顔を見つめる。えくぼの浮かんだ頬が妙に愛おしかった。
車窓から見える景色は変わらない。今は駅に停車中だ、なんでも特急の待ち合わせらしい。外は快晴で、淡い蒼の頂点で輝く太陽のあたたかな光が心地良い。そしてその空き時間を利用して、アレンとブックマンとクロウリーは昼食の買出しに出かけている。ちょうど駅のホームに弁当屋が出ていたからそこへ。恐らくそろそろ帰ってくる頃だろう、むしろ帰ってきてもらわないと困る。そろそろお腹が妙な音を発し始めそうだ、リナリーの目の前だから必死で耐えていたのだが。アレン自身も今頃空腹で死にそうになっているのではないか。
寄生型である彼の普段の食事量と食に対する執念を思い、無意識のうちに遠い目になったところでがたんと音がしてコンパートメントのドアが開いた。

「お昼ご飯買ってきましたよー」

そこには待っていたアレンとクロウリーとブックマン、そして大量のお弁当。おいしそうな匂いが鼻をついた。ラビの目の前に座っていたリナリーはさっと素早く立ち上がり、一番多くお弁当を持っているアレンの腕からさりげなくそれを取り上げた。アレンは慌てる素振りを見せるが両手が塞がっている状態ではどうすることもできずに、ただリナリーがラビに5つものお弁当を渡すのをわたわたと見るだけだった。

「う、今日はリナリーに手伝ってもらう前に配っちゃおうと思ったのに」
「残念でした。ごめんね、雑務とかついついやりたくなっちゃうの」
「や、迷惑とかそういうんじゃないんです、けど!」

ぶんぶんと首を振って否定しながらもアレンはお弁当をひとつリナリーの席に置き、その隣にクロウリーが持っていた分もいくつか加えた自分の分のお弁当を置いた。
そんなふたりの様子を、ラビはぼうっと見ていた。果ての見えないクロス捜索の旅の中、彼らの周りだけ色が違って見える。しあわせそうに笑いあうふたりも勿論だが、夢で魘されたアレンを宥めるリナリー、何故だか不安そうなリナリーに寄り添うアレン、ふたりの周りは常に優しさで彩られている。その正体をラビは知っていた。
青春だねえととぼけたことを考えていたら頭に鋭い衝撃が走り、情けない声が唇から漏れ出た。じんじんと傷む部分を押さえながら涙目で顔をあげると、そこには実際のラビの身長より随分と低いブックマンが呆れたような表情でラビを見下ろしていた。

「お前も手伝わんかい」
「いってェさ……殴ることはないんじゃねェの」

思いっきり下から恨みを込めた瞳で見上げると、ブックマンはフンと鼻を鳴らしてあっさりと視線を逸らした。それに軽くイラッと来るが、ここで彼に怒っても仕方がないし怒る意味などないことを知っているラビはそのまま大人しく椅子に納まった。
そのとき車内アナウンスが響き、ドアが閉まる。ようやく発車らしい。
小さく溜息をついて前を向くと、リナリーの隣に座るアレンの膝には10個ほどのお弁当が乗っていた。嬉々としてぱくつく彼の姿を見ているとこっちまでたくさん食べられる気がしてくるが、実際は寄生型の彼とはエネルギーの消費量が桁違いなことを思い知らされるだけだ。

「よく食うなぁ……オレも寄生型がよかったさー」
「本当。いいな、おいしいものいっぱい食べられて」
「幸せですよー。まぁ、その分早くお腹がすいてしまって腹が減っては戦は出来ぬ状態がいっぱいあるんですけど」

アレンはそういって笑い、ラビも釣られて軽く笑った。隣に座るリナリーも楽しげに笑うが、その頬は少しばかり朱に染まっている。
わかりやすい、ラビは思わず心の中で呟いた。本人はばれていないと思っているのだろうか。秘密にしている気配はあるからそうなのかもしれないが、傍から見れば一目瞭然なのに。アレンがリナリーを想っていることも、リナリーがアレンを想っていることも。


ぎしり。

何かが軋む音が聞こえた、でもきっとそれは空耳。何も聞こえない。何も感じない。ただ目の前にふたりがいるだけ、幸せそうに笑いあう、ふたりがいるだけ。

ぎしり。

嫌になるほど脳裏に響くその音を、無視する。感覚をシャットダウンする、引き出し全てに鍵をかける、心の中で強く強く耳をふさぐ。痛みを伴うくらいに、強く。割れかけた爪を肌に食い込ませるくらい。
なぜならそれは“ラビ”にとって、聞こえないはずの音。聞こえてはいけない音だから。







「ラビに関係ないでしょ!!」

リナリーの怒声が方舟の一室に響いた瞬間、ずきりと胸の奥が刺されたように鋭く痛んだ。ラビの団服を掴んだリナリーは眉を吊り上げ、少し怒ったような表情でラビを見ている。だがその頬は微かに赤らんでいて、ラビが映りこんでいた漆黒の瞳が、一瞬だけ、アレンを捕らえた。本当に一瞬、微かに黒目が動いた程度だったが、それでも確かに動いたのだ。

―――笑って誤魔化そうと、思った。笑って誤魔化せば、良かった。『関係なくねェさ! オレはリナリーの将来を案じてんの!!』とでも、笑いながら言えばよかった。またアレンに蹴り飛ばされるかもしれないしリナリーにも殴られるかもしれないし、それでも良いとラビは思っていた。とにかくばれなければ良いのだ、ブックマンは中立であればそれで良い。
だが、ラビの紡いだ言葉は。

「か……ッ、関係は、ねェけどさ……」

歯切れの悪い、格好悪い言葉。その上顔がだんだん火照ってきて、瞳まで熱くなってきた。顔が赤くなっているだろうというのが自分でもわかる、これは一体なんだろう、これじゃまるで。
怒った表情だったリナリーはその眉間を緩め、きょとんとした顔になった。その華奢な肩越しに見えるアレンもチャオジーも、頭の上に疑問符が飛んでいるようだ。
慌ててアレンに話題を逸らし、チャオジーの集中はあっけなくそちらへ向いた。ほっと安堵の溜息を胸の中でついたが、残るのはどうしようもないやりきれなさ。リナリーはアレンの話題になってもまだラビを気にかけて、ちらちらと心配そうな表情で見ている。そんなリナリーの視線に気付かない振りをしながらも、その優しい視線が突き刺さるように痛くて苦しい。アレンが好きならアレンを見れば良いのにと願った、リナリーはアレンに恋する少女である以前に、仲間想いのエクソシストだということはちゃんと知っていたのだけれど。


関係ない。
リナリーに恋人が出来ようと出来なかろうと、アレンと付き合おうとも、“ラビ”には全く関係ない。だってリナリーは“ラビ”の妹分で、アレンは“ラビ”の弟分で。ただそれだけ。仲間じゃない、ただ仲良く戯れてるだけだ。表面だけの、偽兄妹関係。

ブックマンは傍観者、すべてを見届ける者、すべての外側に立って、すべてを、見届ける者。

内側に入るなんてことは、決して許されることではないのだから。












My sweet pain

(なのにもやもやと胸に残る このひどい吐き気を伴うような哀しさは 一体なんなのだろう)
















(07.04.13)(08.05.21 Remake)