ぴんぽん、と機械的な、それでいてどこか遠慮がちなチャイムが鳴った。2階で冬休みの課題をちょこちょこやっていたアレンは反射的に振り向いて時計を確認する。23時57分、こんな真夜中に一体誰だろうか。不信な気持ちもあるけれど、どことなく遠慮がちだったその音が気になる。というより、チャイムの音なんてどう押そうが一定なはずなのにそう聞こえたのは、つまり、 それを考えた直後、アレンは閃光のような速さで立ち上がり玄関に向かって走った。慌てて鍵を開け、ドアノブを捻る。一定のはずの音が少しだけ違って聞こえた理由、それはその音を鳴らしたのが本当に自分が心から愛している人だから。それに当てはまる人はリナリーとラビ、そして絶対に人前では認めないけれど神田、その3人。そして次は消去法、ラビと神田はどんなに遅い時間であっても遠慮がちになんて鳴らすはずがないから、そこにいるのはアレンの恋人でもあるリナリーもしくはリナリーを含んだメンバー。それなら尚更、急いで開けなければ。でも良く考えてみればリナリーは冬休みに入る直前に風邪をこじらせて学校を休んでいた、かなり高い熱が出ているという話を聞いた。治ったのなら良いが、そんな調子の悪いもしくは病み上がりの身体で、何故。 ぐるぐると考えながらドアを開けると、そこには予想通りリナリーがいた。マフラーを巻きコートを着こんで、整った小さな顔には不釣り合いなほど大きなマスクをしている。覚束ない足元、そして額には、ひえぴた。アレンは思わず目を見開いた。 「ちょ、リナリー……まさかまだ熱が下がってないんじゃ……!?」 「え、えへへ、じつ、は」 「ばか……!」 滅多に言わない言葉をリナリーに投げかけ、彼女の冷え切った手を強く引いて中へ引き込む。思わず口走ってしまった自分の声を反復させると耳にかすかに残っているのは掠れた必死な声。リナリーの前でそんな台詞を言ってしまったことに少しだけ恥を感じながらもリナリーの方を見れば、頬を熱と寒さのせいで真っ赤に染め、全身をカタカタと小さく震わせている。目の焦点は合っていないし手を握っていてもふらふらとしていて今にも倒れそうだ。とにもかくにも、温めないと。 リナリーの手を握ったまま、アレンは駆け込むようにしてリビングに入る。リナリーにこたつのところに座らせ、自分はキッチンに入ってミルクを小さな鍋に流し込んだ。最大火力で温めてコップに入れリナリーのところへ急ぐ。リビングに戻ってみるとリナリーはテーブルに突っ伏して自分を抱きしめ、荒い呼吸を続けていた。指を伸ばして頬に触れれば、当然だがまだ熱が循環しきっていない氷のような冷たさが、冷えた指からも伝わる。また慌てて毛布を2枚ほど持ってきてやりながら、必死さが隠しきれないままの声音で問う。 「治ってないのになんでこんな真冬の真夜中に……! そもそもコムイさんは……」 「兄さんは、研究所に泊まり、なの。残る、って、言い張ってくれたけど、リーバー班長がどうしても今回だけは、って」 すごく申し訳なさそうだったよ、と言ってリナリーは笑った。それでもその笑顔には説得力など欠片もなくて、胸がちくりと痛んだアレンはそっとリナリーを寝転がらせた。こたつだから逆に悪化してしまうかもしれないけれど、毛布だと温まるのに時間がかかるから。アレンは胸の中で溜息をつきながら体温計を取り出して、そっとリナリーに渡す。リナリーはそれを受け取ってコートのボタンを緩め、素直に体温を測った。数分経って彼女がアレンに返した体温計が示すのは、38.7℃。また慌ててリナリーを見れば、怯えたような表情でアレンを見つめていた。弱った彼女を怒るのは躊躇われるし何より彼女は、無理をしてまでも、ここへ来たのだ。何かちゃんとした理由があるに違いない、でも、 「用事があるならメールとか電話してくれれば僕が行ったのに……」 「それじゃ、意味が、ないの」 上気した頬で、リナリーは笑う。弱々しく伸ばされた指をほぼ反射的にとると、こたつや毛布のおかげで暖まり今度は体温のせいで寧ろ熱くなっているその温度が伝わってきた。時計を見せて、とせがむ彼女の目の前に携帯電話の待ち受け画面を持っていく。そして時刻を確認したリナリーは嬉しそうにまた笑って、その笑顔をアレンに向けた。 「アレンくん、誕生日おめでとう」 「………え、」 アレンは思わず目を見開いた。そして先ほどリナリーに見せた待ち受け画面をもう一度開いて、日にちを確認する。12月25日、そういえば今日は僕がマナに。 驚いて携帯とリナリーを交互に見つめていると、リナリーは可笑しそうにくすっと笑った。 「熱出してて、何も用意できなかったから。……前アレンくんに幸せな時はいつ、って聞いた時、神田やラビ、……そして私と一緒にいるだけで幸せだっていってくれたから、だからせめて今日になる瞬間は一緒にいたいな、って思って」 「リナリ、」 「心配かけちゃってごめんね、アレンくんの誕生日なのに、私が我侭言って」 もう一度ごめんね、と続けようとしたリナリーの言葉をアレンは無理やりさえぎった。アレンはリナリーの背中に腕を回して上体を起こさせ、そのまま優しく優しく抱きしめる。ほんのり、自分より体温の高いリナリーの華奢な身体。 「ありがとう、リナリー、ありがとう……すごくしあわせ、です」 「……良かった」 リナリーの腕もアレンの背中に回ってくる。彼女の肩に顔を埋めるような形になっているから表情なんて見えないけれど、恐らくとても優しく、微笑っているのだろう。空間が、眠たくなるくらい暖かな空気で満たされてゆく。耳元でハッピーバースデーの歌がリナリーの唇から微かに零れ出て、暖かな空気の中に優しさのO2を生み出して。酸素濃度が高くなって眩暈がしそうだ、でも大丈夫、この酸素はぼくらが生み出した、優しい、優しい。 そっとリナリーの肩から顔を上げて、熱と、そして照れのせいか赤くなっている頬にそっと手を添える。 「コムイさんは、いつ帰ってくるんですか?」 「明日の昼頃、だって」 「じゃあ今日は一日僕のところに泊まってください。不器用ですけど、看病しますから」 「そ、そんなの悪いよ、だってせっかくアレンくんの誕生日なのに……!」 「僕がきみの看病をしたいんです。ね、むしろ看病させてください、誕生日プレゼントはそれがいいな」 にっこりと笑って言えば、狼狽えていたリナリーも笑って頷いてくれた。それを確認したアレンは片腕をリナリーの膝裏に回し、そのまま抱き上げる。いきなりの展開にリナリーは一気に顔を真っ赤にして、じたばたと弱々しく足を上下させた。 「ちょ、アレンくん……っ、歩けるから、ひとりで歩けるから……っ!」 「嘘つかない無理しない。夜も遅いですし、今日は一緒に寝ましょうか。ベッドに行ったら氷枕とか代えのひえぴたとか飲み物とか持ってきますね」 「だ、だって、重いでしょ……!? それに一緒になんか寝たら、風邪、うつっちゃ、」 「重くなんてないですよ。風邪はむしろうつしてください、半分になればふたりとも治るの早くなるでしょう?」 また笑みを浮かべたまま言えばリナリーは口を噤んで、暴れるのをやめた。アレンは苦笑して辿り着いた自室のドアをリナリーに開けてもらい、1人用の小さなベッドにリナリーをおろし、布団を優しく掛けてやる。どこか不安げな表情で見上げるリナリーの頭をぽんぽんと軽く叩いて、少しだけ待っててくださいね、と言えば、熱のせいか他の何かのせいか顔を真っ赤にしたリナリーはこくりとただ頷く。 そして自室から出て冷蔵庫のあるキッチンへ向かいながら、アレンは言葉に言い表すことの出来ないような嬉しさに浸っていた。 熱に魘されながらも誕生日プレゼントの代わりに、と会いに来てくれた。 一緒にいるだけで幸せだっていう、何気ない言葉を覚えていてくれた。 寒い寒い真冬の夜道を歩いて、誕生日を祝うため愛に来てくれた。 視界が滲む。慌ててアレンは目をこすり涙をせき止めた。そして冷蔵庫から予備のひえぴたや飲み物、そして氷枕をタオルで包みそれらを腕に抱えてまた彼女の待つ自室へ戻る。 「それじゃ、意味が、ないの」 「アレンくん、誕生日おめでとう」 「心配かけちゃってごめんね、アレンくんの誕生日なのに、私が我侭言って」 この世界で初めて僕を愛してくれた、マナへ。 大丈夫、今でも僕は、こんなにも優しく愛されてるよ。
(08.01.06) |