「な、んで、テメェが、ここに、いる」

苦しそうに途切れ途切れで凄まれても、全く怖くない。神田が寝ているベッドの隣に座っているアレンはため息をついた。
神田が、熱を出した。恐らく日頃から蓄積された疲れなどが一気に表れたのだろう。実際神田は任務の無いときでも毎日休むことなく鍛練に明け暮れているし、夜寝るのも遅いようだ。この日に増して暑さがひどくなる時期に風邪をひくなんて、やはり夏風邪はなんとかしかひかないということだろうか。こんなこといえば確実に熱が上がるし怒られるから言わないが。
放っておくと無理して修練場やらに出かけそうだからと、アレン、リナリー、ラビの三人がコムイに監視役として任命された。だがアレンが隣にいると下がる神田の熱も下がらないだろうと判断したリナリーとラビは当初二人で監視しようとしていたのだが、急にリナリーに室長助手としての仕事が入り、さらにラビもブックマンから呼び出され、後に残ったのがアレンだけになってしまった。そして今に至るというわけだ。
ベッド脇にはリナリーが剥いたと思われるウサギ型のリンゴがあったが、手をつけられていなくて若干変色していた。未だに睨んでくる神田をちらりと見て、アレンはそのリンゴを一つ手に取る。そして神田の口に無理やり突っ込んだ。

「むぐ」
「食べなきゃ勿体ないじゃないですか、せっかくリナリーが剥いてくれたのに」

そう言えば神田は素直に、ゆっくりとリンゴを頬張る。ただ単に意地を張っていただけのようだ。そんな神田を見て、アレンもリンゴを一つ手に取って口の中に入れた。変色しかかっているとは言っても、リンゴの甘酸っぱさが一瞬で口の中に広がって、幸せな気分で満たされる。食べ物に対して単純なのは自分が一番理解しているが、それでもやっぱりおいしいものを食べると幸せになる。神田が胃の中にリンゴを流し込んだのを確認して、アレンはもう一つリンゴを神田の口元に近づけた。すると神田は少し戸惑ったようだが、ゆっくりと口を開いた。その中にリンゴを入れれば、きちんとそれを咀嚼するものの鋭い瞳でアレンを睨む。その視線に気付かない振りをしながら、アレンはリンゴを食べていた。
赤く上気した頬、乱れた黒髪、流れる汗、第二ボタンまで開いたシャツ。息遣いは荒く、瞳は熱のせいで潤んでいる。
いつも身のこなしはきちっとしている神田の、滅多に見られない姿だ。

「………なんていうか」
「、ん、だよ」
「熱出した神田って存在がR-18ですよね」
「!!! てめっ………」

神田は鬼のような形相でアレンを睨むと、バッと上半身を起こした。だがアレンの未発動の左手に押し戻され、また横になる体勢に戻る。熱のせいで体力が落ちている神田を力でねじ伏せることはそう難しくない。涼しい顔で二つ目のリンゴに手を伸ばしたアレンに、神田は言葉を吐き捨てる。

「……覚えて、ろよ」
「忘れないうちに治って下さいね。僕まだ15歳なんですから、熱出した神田なんていう悪影響を与える存在あまり見せないでください」
「………あん時、おまえなんか助けるんじゃなかった………」
「そりゃどうも」

三つめのリンゴを神田の口の中に入れてから、アレンは立ち上がった。神田の額にのせてある濡れタオルは既に温くなっている。それをそっと取り上げて、アレンは神田に問う。


「何か欲しいものありますか?」


返事があるとは思わなかった。だって神田はプライドが高いし、借りを作るなんて真似は決してしないと思っていたから。
それでも一応訊いとこうと思ってなんとなく訊いてみた、それだけなのに。







「……冷たい、飲み物かなんか」







アレンは目を見開く。
あの神田が、自分に甘えた。



アレンは少しの間立ち尽くしていたが、また神田に睨まれて肩をすくめる。そして「わかりました」と返して、神田の殺風景な部屋を出て行った。
まず、食堂に向かう。少しでもタオルは冷たい方がいいだろうと判断し、帰り際に水道で濡らしていこうと思ったのだ。昼をすぎた食堂には人がまばらにしかいない。アレンはまっすぐにジェリーの元へ向かった。

「こんにちは、ジェリー」
「あら、アレンちゃん。もうお腹すいちゃったの?」
「いえ、神田が冷たい飲み物をほしいと思うので貰おうと思って……」

そう言ったアレンの瞳に写ったのは、めんつゆ。




いいかもしれない。




そのまま出しても麦茶だといえば神田は飲んでしまいそうだ。日ごろの憂さ晴らしも兼ねて、めんつゆを持っていってしまおうか。神田は蕎麦が好きだし、好んで飲まれたらそれはそれで、からかうネタにもなるわけで。
アレンのその視線に気付いたジェリーは、苦笑いを浮かべて肩を竦めた。

「めんつゆを持っていこうとか考えてるでしょ」
「あ、やっぱりバレます?」
「わかるわよ。いたずらするなら私も協力するわよ? あとで反応教えてくれるなら」

ジェリーは楽しげに笑う。それにつられてアレンも笑った。

だが、脳裏に浮かんだのは仏頂面のまま冷たい飲み物を頼んだ神田の姿。苦しそうな表情で、それでも鋭い眼光でアレンを睨みつけたまま、神田は犬猿の仲であるアレンに、頼み事をしたわけで。


「………やっぱり普通の飲み物、くれませんか」
「あら。やらないのね、悪戯」
「さすがに病人に悪戯を仕掛ける気にはなれませんから……」



アレンは苦笑して、そう言った。










治るまでは優しい後輩でいてやろう。
その分治ってからは、存分に刃を交えようじゃないか。


(まぁ全ては、そっちが素直な先輩でいてくれるならの話。)











アレンは右手に冷えた麦茶を、左手に氷を包んだ濡れタオルをもって、また神田の部屋に向かった。









(僕が優しい後輩でいられるかどうかは、扉の向こうにいる君の反応次第ってことで。)


















(07.05.21)