「アレンくん」

無意識でぼうっとしたまま朝食を口に運んでいたアレンは、声をかけられてびくりと肩を震わせようやく現実世界に戻ってきた。慌てて顔を上げれば少量の朝食を持ったリナリー。隣いい? と聞かれ笑顔で頷けば彼女も笑顔を返してくれる。いつも任務帰りの疲れを癒してくれていた笑顔だ、あの戦中のことを思い出して少しだけ懐かしくなる。
戦争が終わってから1年が経った。それでもアレンやリナリー達のように帰る家のない団員や、研究を続けていたいという団員のためにこの教団は機能していなくとも存在している。団員の半分以上を占める探索部隊の多くは故郷に帰ったために前よりは大分団員数が減ったが、それでもこの食堂はそれなりに賑わっている。戦中から仲の良かったアレン、リナリー、神田は3人ともこの教団に残っていた。だが、一人だけ欠員がある。
ラビは前のブックマンに一人前と認められて教団を出て行った。エクソシストとしての戦いは終わったが、また再び戦禍の中心にいるのだろう。ブックマンは戦争の裏歴史を記録する者なのだから。今では「ラビ」という仮初の名前も捨てて、「ブックマン」と呼ばれているのだろう。そう考えるとラビ自身でもない自分がくすぐったい気分になる。アレンたちの中でブックマンとはあの目に変わったメイクをした老人だったわけで、その老人は教団にとって無くてはならない重要な存在で。今ではその役割に仲の良かったラビがいるのかと思うと友人として誇らしいような、くすぐったいような、そんな複雑な思いに駆られる。
そして、今日、8月6日は。

「………去年の今日だね、ラビがこの教団を出て行った日」

涼しげな氷を浮かべたコーヒーを飲みながら、リナリーは優しい笑顔でそう言った。アレンも微笑んでマンゴージュースを喉に流し込む。
誕生日の4日前、どうせならパーティーやってからにしようとみんなで止めたのだが、ラビはただ笑って教団を出て行った。広くなった背中をみんなに向けて。
それ以来ラビに会っていない。たまに街に出ても会うことはないし(少しだけ期待を込めて探してみたりもするのだが)ラビ自身も教団に来ない。今でもラビのことは好きで話したい会いたいという願望もあり、そしてそれは他の団員、特にリナリーと神田も同じだろう。ラビは教団の中の太陽のような存在だったのだから。それでも神田は表に出すことなど無いのだけど。

「…そうですね。1年もラビに会ってないんですよね」
「寂しいな……ラビは本当に一緒にいて楽しかったものね」
「はい…。でも、きっと次のログでよくやってるんでしょうね」
「ラビは本当に人懐っこいからね。私もラビが来た次の日にはもうラビに馴染んでた」
「出会ってからの短い時間を感じさせない人ですよね」

思えばラビとの付き合いはひどく短いものだった。随分前から教団にいるリナリーや神田は2年以上もラビと一緒に過ごしてきたが、エクソシストとしては新参者であったアレンは半年一緒にいたかいないか、程度。
リナリーは最後にデザートとして頼んだゼリーを食べ終わると席を立つ。

「それじゃ、私これから科学班の手伝いに行くね」
「はい。大変ですね、科学班は残ってる団員多いですから……」
「ありがと、大変だけど結構充実してるんだよ。急に隣占領しちゃってごめんね」
「いえいえ、短い時間でしたけど楽しかったですよ。無理しない程度に頑張ってください」

そういうとリナリーは笑顔を浮かべて食器を片付けに行った。その後姿を見送り、アレンも最後にストロベリームースとチョコムースとマンゴープリンとバニラアイスを食べ終え席を立つ。そして食器を片付けると、小走りでとある場所に向かった。




ギィ、とドアが鳴る。アレンは小さく開けたその隙間からアレンの部屋ではないその場所にするりと入り込んだ。そこはだだっ広い2人用の部屋で、綺麗に整えられた2段ベッドが置かれている。嗚呼、いつも思うがすっかり広くなったものだ。前は様々な資料やら何やらが山のように置かれていて足の踏み場も危ういほどだったのに。そして窓辺には百日草が一輪だけ花瓶に飾られている。ここは、ラビとブックマンの部屋だった場所だ。
たまにアレンはここに来ていた。1年経ってもラビのいない生活に慣れることなどなくて、ここにいればラビが突然帰ってくるような気がなんとなくしていて。それが当たったことは今までに一度も無いのだけれど。
女々しいとは自分でも思うし、そんなことしてなんになるのだろうとも思う。ラビは自分にとって無くてはならない存在だったのだと、隣からいなくなってから気付く。
アレンは部屋の中心に座り込んだ。ラビは滅多にこの部屋に入れてくれなかったな、と思い返す。ブックマンの資料は基本的に機密情報なのだ。その代わりラビはしょっちゅう部屋に遊びに来てくれたり、リナリーや神田も一緒に談話室で話したり、カードをしたり。大食い勝負をしたりポーカーをしたり(アレンが負けることは一度も無かったのだが)。ラビとの生活は楽しかった、明るかった、楽園のようだった、といっても過言ではないかもしれない。
暑いな、と思い、アレンは窓を開けた。花瓶の中に在る百日草が風に揺れて甘い香りを振りまく。この百日草はアレンが出かけたときにアレン自身が買ってきたものだ。指で花を撫ぜながら、特に意味も無く外を眺める。空は晴れているが、雲も多く漂っている。日差しが遮断されていて朝だというのに少し薄暗い。それでも暑さは変わりなく汗がじんわりと噴き出してくる。
そしてアレンが、そろそろ部屋に戻って鍛練でもしようかと思いくるりと身体の方向を変えたときだった。


「あっれー」


聞きなれた、それでいて少し違う声が後ろから聞こえて反射的にアレンは後ろを振り返った。そして、アレンはその銀灰色の瞳を見開く。

「ラ………ッッ!!」
「どうしたんさーアレン、久しぶりー」
「ちょ、待、ラ……ッ、え、ほん、あの、」
「落ち着けって」


そこにいたのは未だに持っていた槌に乗ったラビだった。わたわたと慌てるアレンを苦笑しながら面白がっている。髪型は前から変わっていなくて、それでも大人びた顔つきになった。笑い方は全く変わっていない、その、太陽の笑顔。

「……ほんとにラビですか?」
「偽者なんているはずないデショ、もうアクマはいねェのに。まぁラビじゃないのは確かだけど、今は。とりあえずおまえの中のラビはオレ自身だよ」
「だって、なんで、ここに……ッ」
「あー、ジジイに怒られちまうさね」

くしゃくしゃと自分の頭を撫でて、ラビはにかっと笑う。だがそれは笑いというよりは苦笑いや嘲笑に似た笑顔。


「会いたかったから来た。それだけ」


そういうとラビは槌から部屋の中に飛びおりると槌を小さく戻した。アレンはぽけーっとその様子を見ていたが、少し立つと笑顔を取り戻して時間を巻き戻す。戦争も終わってなくてラビもエクソシストという位置にいて仲間とはいえなくとも一緒に戦ったあの日々。ラビが任務から帰ってきたときに真っ先に残した言葉は、いつも。




「……おかえりなさい、ラビ」




ラビは少し驚いたような表情をアレンに向ける、だがすぐにいつもの笑顔を浮かべた。




「ただいま、アレン」



アレンも嬉しそうに笑って、ラビの服の裾をつかむ。

「……ラビッ、一緒に行きましょうよコムイさんのところへ! リナリーもそこにいますし、神田だって知らせればすぐに来てくれますし! 他の団員へはコムイさんが知らせてくれるでしょうし!」
「そのつもりさ! で、アレン」

とても楽しそうな笑顔で走り出さんばかりのアレンを引き止めて、ラビは窓際の百日草を指さす。その指が指すものを見て、アレンはぎくりと口元を引きつらせた。嗚呼、さすがはブックマンという立場にいるだけある。やはりいろんな物事に詳しい。

「あれはアレンが買ってきたんさ?」
「……ええ、そうです」
「たまたま? なんか狙った?」
「やっぱり知ってますか」

アレンが苦笑すると、ラビは当たり前さ、といって笑った。その頬は微かだが朱に染まっている。

「で、オレが旅立ちの日をこの日にした理由は分かる?」
「いえ………」
「すごくな、どうでもいいことなんだけど。この花が8月6日、今日の誕生花だからなんさ」

その翠の瞳が優しく赤い百日草を捉える。アレンは驚きで目を見開いた。さすがに誕生花までは調べていなかった。だがそれを知ればラビがこの日を選んだ理由はわかりやすい。それと同時にくすぐったいような照れくさいようなそんな感覚に襲われた。ラビも同じことを思っていてくれたのだと、胸の奥が嬉しさに染まってゆく。

「じゃぁ、行くか。科学班」
「はいっ」

そしてアレンとラビは並んで、科学班研究室に走り出した。










6

(どんなに遠くにいても、僕たちはずっと、)














(07.08.06)
(Happy birthday my friend!!)

(百日草 * 遠くの友を思う)