眩しい熱を伴う夏の陽射しが、傷だらけのエクソシストと船員達を襲う。空は快晴とは言いがたいがそれでも全身から汗が噴き出すくらい暑いし、このまま江戸まで急いでも意味がないだろう。衰弱しきったまま伯爵と戦う羽目になってしまう、それこそ元帥の足手まといだ。 「……ラビ」 ちょうど近くにあった川で気を引き締めるために顔を洗っていたラビは、後ろから声をかけられて振り向いた。そこにはエクソシストと同じくらい衰弱した、ちょめ助がいる。だが彼女は攻撃による衰弱ではなく、元の主である千年伯爵からの強すぎるメッセージの送信によるものである。今では大分よくなったようだがまだ顔は真っ青で、元気とは言いがたいようだ。 「ちょめ……大丈夫さ?」 「大分楽になったから平気っちょ、うん」 何か自分に言い聞かせるようにして、ちょめ助はラビの隣に座り込み川を見つめる。この国に流れる空気とは正反対の、澄んだ川の流れは見ているだけで涼しく心地良い。それは夏の陽射しを反射しきらりきらりと透明に輝いて、そして向こう側の岸に見える雑草の緑もその光景にはとても似合っていて。戦いに来ているのに、此処は戦場なのに、そういうことを忘れそうになるくらい、きれいで。 ラビはぼうっとそんなことを考えている自分に気付いて、慌ててまた水を自分の顔に思い切りぶつけた。冷たい感触が心地良く、現実に戻してくれる。そう、此処は戦場。江戸に行けばきっと最大の敵である千年伯爵がいるだろう、もしくはノア、もしくは両方が。生半可な感情は切り捨てなければならない。 そこでふとラビは、皮膚を焼く夏の感覚に微かな懐かしさを感じた。 「……ちょめ、今日が何日だかわかるさ?」 「今日っちょか? 8月10日だっちょ」 「あー、だからか」 ラビは天を仰いだ。中途半端に蒼い空が教えてくれる、今日は8月10日。ラビにとってはとても重要で大切な日だということを。 「……どうしたんっちょ」 「今日はな、オレの誕生日なんさー」 「そうなんっちょか!?」 ちょめ助の青白い顔にパッと赤みが差し、花が開くように明るく笑顔を零す。生半可な感情は切り捨てるとさっき決意したばかりなのに、こんな笑顔を見てはなかなか切り捨てられなくなってしまう、まぁそれも自分の一言がきっかけではあるのだが。身近な人(とはいっても、本当に最近逢ったばかりなのだけれど)の誕生日というのは奇妙なほど心躍るものであるし、それは自我を持ち改造されたアクマであるちょめ助も変わらないのだろう。 ちょめ助は爛々と輝くその瞳で笑顔のままラビを見つめている。ラビも照れくさくなって、にこりと笑みを返した。目の前に広がる川はちょめ助の瞳と同じくらい光を受けて輝いている。否、もしかしたらちょめ助の瞳の方が輝きは強いかもしれない。着物の裾から除く白い指を絡ませて、幸せそうな笑顔を浮かべて、瞳をキラキラと眩しいくらい輝かせて。 「うわー、なんだか妙に嬉しいっちょ……! ラビ、誕生日おめでとっちょ!!」 「ありがとさー」 そういって純粋に喜んでくれるちょめ助。ちょめ助はラビ自身がつけた“ちょめ助”という名前をとても気に入っているようで、そしてラビ自身の名前も好きなようで、ボディ名である“サチコ”という名前ではなくちょめ助と呼ぶように何度も言っているし、ラビの名前を連呼することも多々ある。 ラビという名前は、49番目の偽名。本当の名前は捨て去った。 ちょめ助はその偽の名前を、呼ぶ。それは他の人も同じなのだが、嫌になるくらい自分に嫉妬している自分がいる。 「……でも実を言うと“ラビ”の誕生日はちょっと違うんだよな」 「……どういうことっちょ?」 「“オレ”が生まれたのは8月10日。だけど“ラビ”って名前になった日はまた別の日なんさ。だから―――」 最後まで言い切る前に、ラビの濡れた手をちょめ助が掬い上げた。陽射しの熱を持った手は、アクマの手とは思えないくらい熱くて暖かい。本当に、人みたいな、本当に、ヒトであるなら、と (………イマサラ、) 自分は何を考えているのだろう。 そんなラビの想いも知らず、ちょめ助はラビの手を掬い上げ自分の手でそれを包み込みながら、にこりとラビに向かって笑った。またもや送信が強くなってきたらしく、優しい笑顔を浮かべながらも眉間には皺がより顔も青ざめてきていて、無理をしているというのがすぐにわかる。ラビは手を動かしてちょめ助を支えてやろうとしたが、案外しっかりと包み込まれていて動かない。 「関係、ないっちょ」 「ちょめ……?」 「オイラは、オマエがここにいてくれるから嬉しいんだっちょ。ラビとかラビじゃないなんて関係ないんちょ、……改造アクマの命は短いけど、その短い命の中でオマエとあえて、オイラは本当に幸せなアクマだと思うんちょ」 嗚呼、何故こいつは、こんなにも優しい。ヒトよりもヒトらしい、寧ろヒトよりも純粋すぎるほど純粋。 ラビはちょめ助の手が離れると、腕の痛みを堪えてちょめ助をぎゅっと強く抱きしめた。「ちょ」と驚いたような声が胸の中から聞こえる。それでも構わなかった。 彼女には誕生日など存在しないのだろう。改造された日はあっても、一年持つなんてことはありえないくらい、改造アクマの命は短い。こんなにいっぱいいっぱい祝ってくれたのに、祝ってやれない。それが酷く悔しかった。 「ちょめ、」 ちょめ助を腕から解放してやり、そしてその広い額に自分の額を軽くぶつける。驚いたような照れたような、煌きを消さない瞳がとても美しい。 「ありがとさ」 そういうとちょめ助もにこっと笑い、当然のことをしただけっちょ、とまた嬉しい事を言ってくれる。 別れの時が来ないように、とは祈れないから、 (祈ってもそれは彼女にとって残酷な想いにしかならない) せめてその時まで、気に入ってくれた自分のつけた二つの名前を、どうか二人で呼び合えますように、 紅い8月兎の幸福
(07.09.21) |