食堂に着いた瞬間、ラビは違和感に気付いた。別に食堂に何か異変があるわけではない。ブックマンの記録を総動員してもいつもと違う部分は全く見つからないし、あると言っても人が昨日より少しだけ少ないとか、そんなひどく些細なこと。だがすぐに思い出す、隣に誰もいないのだ。 食堂に向かう途中でアレンやリナリー、神田などに偶然会ってそのまま流れで一緒に行く、というのがいつものパターン。でもそれがない。いつも皆規則正しい生活をしているから食堂に向かう時間は殆んど同じで、だから偶然とはいえいつも会うし、こんなことは長らくなかった。 ラビはこんなに偶然が重なったことのほうが珍しいのかもな、と妙に納得しながらカウンターに向かう。そしてジェリーにざっと3人前の朝食を注文し、そのついでに尋ねた。 「アレンとかリナリーとかユウはまだ来てねェんさ?」 「アレンちゃん達? さぁ、見てないわねぇ」 「ふーん、そっか。さんきゅ」 見事な出来で素早く作られたその大量の朝食を(アレンには敵わないが)持ち、ラビはいつもアレン達と一緒に座る席に向かった。そこはカウンターから見て右にあるテーブルの一番前の辺り。この辺りを誰も任務がないときはいつも4人で陣取っている。それを知っている探索部隊の面々はその指定席を取ろうとはしないため、そこはぽっかり誰もいない正方形を成していた。 ラビは先に朝食をテーブルに置き、それから椅子を引いた。その瞬間、ラビの全身が硬直する。しばらくラビは椅子のあった場所を食い入るように見ていたが、やがて腰をその場に下ろしテーブルの下を覗きこんだ。 「なーにやってんさ……」 「…やっぱりバレちゃった」 「神田の図体がでかいのがいけないんですよ、ブーツはみ出してたじゃないです か」 「なんで俺がこんなことをなんで俺がこんなことを何で俺がこんなことを……」 アレンの咎める言葉も耳に入っていないのか、神田はテーブルの下にぎゅうぎゅう詰めになった状態でぶつぶつと呟いている。ラビは思わず苦笑した。あのユウが自ら進んでテーブルの下に入るなんて真似は決してしないだろうし、恐らくアレンとリナリーにのせられたのだろう。だが一体なんのために? それが思いつかない。 「で、なんでテーブルの下でかくれんぼしてんさ。オレ強制的に鬼? でもかくれんぼなら隠れる場所は被んないようにしないと」 「かくれんぼじゃないですって。行きますよリナリー、せぇのっ」 アレンの掛け声と同時にアレンとリナリーが後ろに回していた手を前に突きだし、それをラビの瞳が認識するかしないかのうちに強烈な破裂音が鼓膜を大きく振動させた。目の前に紙テープが散り、紙吹雪が視界を覆う。 「「Happy birthday!!」」 団服や肌にまとわりつくカラフルな紙切れ、それに埋もれながらラビはきょとんとした表情で瞬きをした。アレンとリナリーの言葉をゆっくり反芻して、そしてやっと理解する。 「あ、あー、今日はオレの誕生日か!」 「こら、重要な日忘れないの!」 「僕らからのプレゼントもちゃんとありますよー。ほら早く神田!」 アレンに急かされて神田はテーブルの下から這い出た。その頬は赤く、耳まで朱に染まっている。またプレゼント渡す役か、とラビは思わず苦笑した。神田はアレンの時もリナリーの時も、半分自分の思惑のせいでプレゼントを渡す役になっている。ただじゃんけんの時最初にパーを出すということをラビに知られてしまったせいで。不憫には思うがやっぱり神田が人にプレゼントを渡すところは珍しく滅多に見られない姿なため、やはり悪いとは思いつつチョキを出してしまう。それはアレンもリナリーも同じなのだ。 神田はその切れ長の瞳でラビをにらみつけると、ガッと勢いよくラビの首に抱きつく形になった。予想外の展開にラビは間抜けな声をあげそうになり、ぐっと堪える。いや、抱きついているわけではないのだ。だが呼吸が苦しい。首を細い糸のような、それでも糸とは違う何かで締め付けられているような苦しみ。慌てたような様子でアレンとリナリーもテーブルの下から這い出てきた。 「ちょ、待、ユウ苦しッ……げほげほげほげほっっ」 「神田!? 待って神田落ち着いて、ラビが死んじゃうー!」 「うるせぇッ」 神田は不機嫌な表情と声音でそれだけ言うと、パッと手を離した。するとラビの首を締め付けていたものはするりとラビの首元に下がり、大人しく胸元に収まった。苦しさで潤んだ瞳のままラビが自分の胸元を見ると、そこに在ったのは小さなオリーブグリーンの輝く石。金色のチェーンで繋がれているネックレスだ。 神田はまだ顔が赤いがどこか満足そうな表情になっている。日頃積み重なる色々なものをそのネックレスをつける力に込めたのだろう、だけどそのせいで一歩間違えば誕生日と命日が重なる寸前だった。まぁそれでも神田は本気でラビを殺そうとなんて思ったことなんて無いのだろうから、その2つの日が神田のせいで重なることはまずないだろうが。 「えーと、これペリドット?」 「さすがブックマン後継者、当たり。別名かんらん石で8月の誕生石!」 リナリーが嬉しそうにそう説明した。 ラビは複雑そうな表情でその石を見つめている。だがすぐに笑顔になり、アレンとリナリーと神田を同時にその腕で包み込んだ。腕の中で3人が同時に驚きの声をあげ、反射的に身動きをしたがそれでも大人しく抱かれていてくれる。 「ほんとに、感謝しても仕切れねェさ、みんな……ありがとう」 初めて聞いた、ラビの今にも泣き出しそうな声。それにまた3人は驚いたが、何も言わずに震える背中に腕を回した。 それは夏の時間、夏の朝陽、夏の一日。“ラビ”が生まれた日でありそうでない、葉月10日のひとつの刻。 * * * ラビは自室に戻ってからネックレスを外し、その石をてのひらにのせた。ひやりと冷たい感覚が手のひらを伝う。嗚呼、確かにこの石はペリドット。8月の誕生石であるペリドット。その石が伝えるメッセージは、 「“知恵と分別”、な……。ここまではアレン達も知らなかっただろうけど……」 ぱた、と資料に覆われてないわずかな床のスペースに、一つの小さな雫が落ちた。 「これで分別つけろなんて、無理な話さ………っ!」 耳の奥から優しい耳鳴りが聞こえる、甘いノイズが鼓膜を揺らす。聞こえてはいけないはずのその雑音は、ラビに残酷なほど暖かな風を運んでくる。 それでも嬉しくてどうしようもなくて、身体を熱い何かが駆け巡る。 誰にも見せてはいけない涙、だから誰にも見られないうちに存分に流しておこう。 嬉しさと絶望と嬉しさからくる涙を、ラビはそのペリドットを握り締めたままただ流し続けていた。
(07.08.10) |