こんこんとコンクリートの階段が足元で軽い音を立てる。発車時間の8分前、ちょっと早く着きすぎたかもしれない。何もしていない8分はひどく長く感じられる。だからといって駅のホームでできることなんてほとんどない。勉強するには短すぎるしぼうっとしているには長すぎる、それでもどうせ、少し経てば彼らが来るかもしれない、し。可能性はそこまで高くないのだけれど。
だがリナリーは階段の途中でぴたりと足を止めた。リナリーの5段ほど後ろを歩いていた女子高生は慌てたように方向を変え、隣を駆け足で下りていく。リナリーの使う電車と反対方面の電車はあと2分で発車だからその乗客だろうか、ふわりと漂うシャンプーのものと思われる甘い香りと一緒にちょっとした罪悪感が芽生えた。が、今はそれどころではない。
ゆっくり、ゆっくり、一段一段踏みしめるように階段を下りていく。何故だか胸がどくんどくんと高鳴っている。優しい冬の朝陽が照らすホームの上に立つ見慣れた影がひとつ。信じられない、思わず時計を確認する、発車時間の6分前。もう一度ホームに目を戻す、やっぱり見慣れた赤い影が、ひとつ。

「ラビ!」

それを確信した瞬間、リナリーは慌てて階段を駆け下りた。最後は2段くらいとばして飛び降り、ラビの元へ駆け寄る。名前を呼ばれたラビはゆっくり振り向き、へらっと笑った。iPodのイヤホンを耳から外して、鞄の中にしまいこむ。朝陽がいつもよりも鮮やかにラビの髪を照らして、その反射する光がまぶしい。

「おはよ、リナリー」
「おはよう。今日は早いのね、いつもギリギリか遅刻じゃない」
「まぁねぇー。リナリーと登校したかったからさ」
「なら遅刻なんかしないでいつもちゃーんと来るの」

リナリーは笑いながら小突く意味を込めて身体をラビに軽くぶつけた。ラビは笑いながらよろけるふりをするがまたすぐに体勢を立て直し、リナリーの方を見てきょとんとしたような表情を浮かべる。

「あれ、そういえばアレンは?」
「生徒会の挨拶当番。今週から始まったの、ラビは木曜だから明日ちゃんと起きてね。神田は?」
「ユウは寝坊するからサボるって」
「……普通寝坊したから、だよね。もう」

リナリーは大きな溜息をつき、ラビは苦笑いに似た曖昧な笑みを刻む。それを普段やっているのはラビも同じだからだ。
それからは他愛もない話を繰り広げ、そうこうしているうちに電車ががたごととどこか暢気にやってくる。ひとりの8分は長いけれど、誰かと一緒の8分は短い、不思議な時間の感覚。そしてふたりは電車に乗り込み、ちょうどふたり分空いていた席に素早く腰を下ろした。軽快な発車ベルが鳴り終わり、アナウンスの後にぷしゅうと空気が一気に抜けるような音を立ててドアが閉まる。それから電車はまたがとんごとんと走り出した。一瞬慣性の法則にのっとってリナリーがラビに寄りかかる形になったが、すぐに直る。電車に乗ってる時間は10分強ほど、ふたりでいればあっという間の距離だ。
今日何があったっけかな、と時間割表と携帯電話に保存してある時間割変更表を見るラビに身体を寄せてリナリーもラビの時間割と携帯電話を覗き込む。水曜日のラビの時間割は、体育、生物、数学、化学、英語、古典。リナリーは首を曲げてラビの表情を窺い見た、眉をしかめて時間割と睨めっこしている。2限からサボるか3限からサボるかで迷ってるでしょ、と指摘したら、気まずそうにそれでも笑ってバレたか、と言った。リナリーも怒るよりも先に笑う。リナリーとラビは幼馴染だ、お互いの考えていることくらい大抵はわかる。
それから今度はリナリーの時間割を見てみたり、そしたら音楽音楽体育道徳英語LHRというあまりにも見事な時間割だったため思わずふたりで笑ったり、また駅にいたときと同じように他愛もない話をしたりして時間をつぶす。だがあと2分ほどで駅に着くというとき、ラビが何かを思い出したようにごそごそと鞄の中をあさりだした。えーっと、あったあった、という独り言のあと、その大きな手が握っていたのはラビのiPod。ラビはそれをリナリーに差し出し、リナリーが反射的に手を出すとその手の上にiPodを置いた。リナリーは戸惑ったような表情でラビを見上げる。

「これ、なに……」
「昨日リナリーが好きそうな曲見つけてさ、聴かせてやりたいなって思ってたんさ。すっかり忘れてた、一番上に入れたから休み時間にでも聴いて」
「わ、ありがとう! 昼休みが楽しみ!」

リナリーがぱっと笑みを浮かべ、ラビも同じように笑う。そして電車は速度を落とし始め、アナウンスが入る。昼休みまであと4時間ほど、お弁当以外の大きな楽しみがひとつ、できた。








午前中最後の授業が終わった瞬間、リナリーはお弁当とラビのiPodを持って教室を飛び出した。目指すは屋上、普段は閉鎖されているがいつもアレンと神田とラビと一緒に屋上でお昼を食べている。神田とラビはいないことも多いのだが。ちなみにラビは結局2限で帰ったようだ(校庭を堂々と突っ切るラビの姿が音楽室からよく見えた)。
アレンも今日はクラスの用事で遅くなるといっていたから、最初は自分ひとりだ。さすがに普段閉鎖されているはずの屋上にひとりで行くのは少し怖い。元々リナリーはとても真面目だから尚更。だがアレンは用事を終えたらまっすぐに屋上へ向かうだろう、だから行かないと。リナリーは屋上へ続く階段の下で周りに人気がないことを確かめてから、一段飛ばしで、だが足音を立てないように軽やかに階段を駆け上がった。鍵が壊れている(壊されている)屋上のドアを勢いよく開き、閉めるときはそっと音を立てないように閉める。これしきの運動リナリーにはなんのことはないのだけれど、思わず安堵で大きく息をついた。
校庭にいる生徒から見えないようになるべく真ん中に近い場所に座り、リナリーはまずイヤホンを耳につけた。どくんと心臓が大きく高鳴る。どんな曲だかはまったくわからないのだ、ラビと音楽の趣味は合うから好みじゃないのが流れるという可能性はほとんどないがそれでも緊張する。リナリーは音楽がこれで相当好きだから尚更だ。リナリーは慣れた手つきで操作し、ラビの言っていた一番上に入っている曲を流す。どくん、また、高鳴る。
そして耳に流れ込んできたのは、前奏、などではなかった。

ぶつ、という機械音と微かなノイズ。リナリーの脳裏にぱっと疑問符が浮かんだ。だがその瞬間、


『...Happy birthday to you...』


リナリーは思わず目を見開いた。雑音にまぎれて聞こえてきたのは、確かに、


『Happy birthday dear Lenalee......』



ラビの、声。



そういえば今日は2月20日、リナリーの誕生日だ。ラビの声がじわりじわりと全身をあたたかく浸食していく。優しい熱に蕩けそうだ、思わず両手を耳に添え、外の雑音から声を守る。
ふわりと涙腺が緩みそうになったが、堪える。アレンに見られたら大変なことになりそうだ、ただでさえ彼は色々と鋭いのに。
とけそうになるくらい体があまやかな熱に侵されている。あまりにも幸せで、嬉しくて、仕方がない。それなのに彼はここにいなくて、メールで伝えるにも、文章でどうこの幸福を表せばいいのかわからない。どうせならめいっぱいの感謝を込めて、笑顔と、言葉で、伝えたいのに。



(言い逃げ、なんて)



終わりそうになるその歌を、リナリーはiPodをいじってもう一度再生した。全てを暖かく包み込むようなテノールに全身が甘い痺れに襲われる。自分だけこんなに幸せで苦しくて切なくて、ばかみたい。言いたいだけ言ってお礼をさせないつもりなんて。言い逃げ、だなんて、








「…ずるい、」



















(あなたの、      )

















Happy birthday Lenalee!!




by Lavi







and me and you!!

















(08.04.14)