あんなにリナリーのクラスに行くのを楽しみにしていた彼らの足は、2年E組の1メートル前で止まっていた。もう店は開いていて、中から客の騒ぐ声やオーダーを確認する声も聞こえる。
妙な緊張感が3人の間に走り、お互いの顔も見ることなくアイコンタクトを取る。ある意味神業。だが念をどれだけ送っても動こうとしない友人2人にみんな痺れを切らし始めた頃、アレンが溜息と共に話を切り出した。

「……ラビ、先に行って下さい」
「え、なんでオレなんさ。いいじゃんアレン行けよ、真っ先にリナリーに近づけるぞ」
「いいですラビや神田が近づいたって取り返せますから。じゃあ神田行ってください」
「俺に押しつけんじゃねぇよ」

照れなのかなんなのか、一番を譲り合う3人。その間にも一般客や生徒が怪訝な瞳で三人をちらちらと見ながら、ごく短い期間限定の喫茶店となった教室に入ってゆく。譲り合ううちにラビが似合わない丁寧語になったり、神田がいつもよりひどい暴言を吐いたり(ただし揺らいでいるらしく頬は赤い)アレンがぼそりと黒い言葉を呟いたりそれをラビと神田は聞こえない振りをしてみたり。そんなことをしている間にも時間は流れ、教室の前に来てから30分近くが経っていた。ラビの腕時計を覗き込んでそのことに気付いた3人の間にまた妙な沈黙が走り、気まずい表情で顔を見合わせる。そして、

「じゃあ僕が行きますよ」
「じゃあオレが行くさ」
「……………」
「……………」
「……………」
「………………………じゃあ俺が行く」
「どうぞどうぞどうぞ」
「ちょっと待ってェー! って言わすなっ!!」

一瞬驚愕と驚愕と興味と驚愕に目を見開いたラビとアレンを丸めたパンフレットで思いきり殴り、痛みに無言で悶える2人を冷めた瞳で見下ろす。だが数年前によく聞いたような一連の流れをそのまま汲み取ったアレンとラビのコンビネーションの良さに、思わず神田は溜息をついた。最初はスルーしようと思ったが空気読めよという雰囲気に押されつい口走ってしまったわけで、これはノーカウントだろう。ラビとアレンもただ単にあの会話をやりたかっただけらしくあまり追求はしない、空気読めよという空気を醸し出したのも2人であるし。
そしてまた3人の間に緊張感が走り振り出しに戻る。だが今回の空気はすぐに断ち切られた。教室の廊下側の窓が急にガラッと開いて、リナリーと同じクラスであるサチコが顔を出したのだ。

「お前ら廊下で何してんだっちょ」
「あれ、ちょめお前このクラスだったんか」
「そうっちょよ。廊下で遊んでるんなら少しでも売り上げに貢献しろっちょ、リナリーも寂しそうだったっちょよ」
「うおマジでかっ」
「別にお前らのことでなんて一言も言ってないっちょ」
「……ちょめ、お前何気嫌な奴さね」

慌てて駆け込もうとしたラビが、呆れたような視線をサチコに送った。サチコはラビに悪戯っ子のような笑みを向けたあと、店内に戻っていく。敢えてそこでリナリーを呼ばないのがサチコの気遣いである。ラビとアレンと神田もサチコの一言に顔を見合わせ、軽く頷いた。サチコは言ったことを揉み消すような発言をすることが多いが、一つ一つ真実なのだ。一つ違いといえどサチコと仲が良いラビはそれを知ってるし、サチコはラビと一緒にいるときも多いためアレンと神田もよく知っている。
そして意を決して、3人は同時に店内へ入っていった。

「……あっ、アレンくん、神田、ラビ!」

するとちょうど入り口の近くを通り過ぎようとしたリナリーが、安心したような笑みを顔いっぱいに広げた。そしてその予想を超える美しさに3人は揃いも揃って絶句する。
黒い布地に、青色の蝶がたくさん舞っているシンプルで優雅な浴衣。いつもツインテールに結い上げている髪は高い位置で一つにまとめてあり、緩やかに巻かれている。そしてその柔らかな髪を結っているものは浴衣と同じ青い蝶で、耳にも蝶が止まっている(校則でピアスは禁止なためマグネットピアスだろう)。さらに目元にも銀色の蝶が描かれていて、それでもしつこく感じられない。普段のリナリーも確かに美しいが、それでも今日の華やかさは別格だ。
固まっている3人を見て、リナリーはきょとんとした表情になる。そしてお客様の邪魔になるでしょ、と軽く叱りながら4人の席へ案内した。

「どうしたの、もう。みんな石みたいだよ?」
「いえ、あの、………リナリー、その目元の蝶、どうしたんですか?」

リナリーが綺麗だから、とはさすがのアレンでもいえなくて、話題の方向を変えた。リナリーは特に追求せず、ただ目元の蝶に人差し指と中指を這わせて柔らかに笑う。

「ああこれ? サチコからもらったボディシールなの。今日は蝶で統一してみようかなって思ったんだけど、……しつこいかな?」
「いや、全然大丈夫さ。むしろすごく似合ってる」
「ありがと」

嬉しそうに頬を染めて笑うリナリーの表情はやはりいつもより大人びていてまるでいつものリナリーじゃないようで、それでも確かにリナリーの面影はあって(当たり前のことなのだけれど)いつも癒してくれる笑顔がきちんとそこにあることに安堵を感じる。最初見たときは流れる空気が違うようにすら思えたが、今では違う、ここにいるのは確かにいつも一緒に笑いあってるリナリーだ。
だがリナリーはすっと瞼を下ろし、きゅっと唇を結んで深呼吸をし始めた。驚いてアレンたちがリナリーを見ていると、リナリーはまた目を開いてにこりと笑う。先ほどの明るい無邪気な笑顔とは違い、落ち着いた、大人の笑み。

「いらっしゃいませ。ご注文は何に致しましょうか?」

営業モード。3人は顔を見合わせて、アレンとラビは小さく笑い神田は興味なさそうにただメニューを見下ろした(それがただの照れ隠しであることは皆知っているが)。



「しっかし……本当に綺麗だよなあ、リナリー」

せかせかと働くリナリーの姿に釘付けになっているラビは、ふとそう口にした。同じくリナリーを見つめているアレンが、本当ですよね、と相槌を打つ。返答はしないが神田もリナリーに釘付けだ、傍から見れば一人の店員に釘付けになっている3人組ということ光景はさぞ滑稽に見えるだろう。

「……うーん、あの青い蝶をうなじに飾って標本みたいって笑いたい」
「……少し落ち着けよ、アレン」
「蛹はいづれ蝶になると知り……逃げないように羽を毟る……」
「うん、その先は言うな? ここ学校だからな?」
「せめて愛しあっ……さすがに危ないですね」

やっと気付いたか、とラビは弟分の犯しそうになった失態に溜息をつく。
そしてまた3人、他の客に笑顔で対応するリナリーの姿を見つめる。その笑顔を見て、自分たちに向けてくれる笑顔とは少し違うよなぁオレらと一緒のほうがすごく楽しそうだよなぁ、なんて、自意識過剰になってみたり。青い蝶はリナリーが軽やかに舞うたびに一緒に揺れて、まるで本物の蝶のように。そんなことを考えていたら、リナリーがトレーに乗せて料理を運ぼうとしていたクラスメートに声をかけた。そして少しの間話した後、笑顔で感謝の言葉の形に唇が動き、そのトレーを肩代わりする。リナリーは一旦厨房に戻り、そしてまた戻ってきた。そのままアレンたちのテーブルに歩み寄ってきて、そのトレーをテーブルにのせる。

「お待たせいたしました!」

そしてまた、満面の笑みを浮かべる。わざわざ3人と少しでも触れ合うために、クラスメートに交渉してまで。やっぱりその笑顔は特別のものだよなぁと錯覚したくもなる、だって彼女の笑顔はこんなにも、まぶしい。
やっぱり照れくさいのか、リナリーはすぐに背を向けて厨房の方へ駆け込んでいく。その後姿を見送ってから、3人は頼んだクッキーに手をのばし、口に含む。その途端サチコが通りかかってテーブルを覗き込んだ。

「あれ、それリナリーが型抜きしてたやつっちょ」
「そうなん? なんでわかるんさ」
「開店直前に厨房入って、男子に頼んでやらせてもらってたっちょ。他の客はみんな普通の丸型だっちょ?」

そう言われて辺りを見渡せば、確かにクッキーは丸型だった(人気メニューらしく殆どの人が食べている)。だが今3人の片手にあるのは、各々の歯型がついたハート型。

「誰にもこれは売らないで、って頼んでたっちょ。お前らがクッキー頼むこと、わかってたんちょね」

お前ら愛されてんちょー、とサチコはおどけた調子で笑う。客の呼ぶ声が聞こえてサチコはすぐに立ち去ったが、アレンとラビと神田は思わずといった調子で顔を見合わせる。そしてアレンとラビは照れたような笑みを浮かべ、神田は頬を染めて明後日の方向を見た。


「……幸せだな、オレら」
「ほんとだっちょ、あっ違う移った、本当ですね」
「おまえぶち壊しなんですけど」










(転職先を誤った少年達)
(騎士に転職するつもりがうっかり王子に転職してしまったよ!)
















(07.11.06)