彼がいないと、世界が暗い。
何もかもが色をなくして、萎れているように見える。

やっぱり、ねえ、ラビ。知ってましたか、
あなたは太陽だったんだ。
















True Name
     Allen side
















ふと目が覚めて重い瞼を抉じ開けると、柔らかな朝陽が窓から差し込んで彼ら以外に誰もいない談話室の中を照らし出していた。首を少しだけ曲げて時計を見上げると、短針はまだ6を指している。そこまで多く眠っていないがそれでもまた眠る気にはなれなかった。そこでようやく肩にある重みに気付き、みるとまだ眠っているリナリーがころんと自分の肩に頭を預けていた。そのさらに隣にいる神田は、ソファーの腕置きに肘をつき頬づえの状態で眠っている。よく見ると、リナリーの頬にも神田の頬にも、涙が伝ったあとがあった。神田も鼻の頭を赤くして、リナリーは神田と同じ場所と、目の周り、耳まで真っ赤に染めて。おそらくまだ瞼の下に隠れている瞳も真っ赤に腫れているだろう。ずきりと胸が鈍く痛んだ。知っていたけれど彼らの姿を見てまた実感する、やっぱりラビは、みんなに愛されていたのだ(それは自分も例外でなく)。
視線を落とすとずっとアレンの手を強くそれでいて怯えるように握っていたリナリーの手は、今はもう力をなくしてふたりの手はただ触れ合っているだけになっていた。アレンは一瞬考えたのち、きゅ、とまたその小さな手に指を絡める。握り返す力がかえってくるわけではなかったけど、アレンの肩に乗った頭が僅かに揺れ動いた気がした。
そのとき、ぐぐっという低い音と、腹部に違和感。そういえば昨日夕食を食べられなかったから、寄生型である身体が悲鳴を上げているのだ。不謹慎な身体に嫌気が差す、こんな時に。食欲もそこまでないのに、しっかりとお腹は減る。寄生型特有の性質だから仕方がないといったら仕方がないのだけれど。
アレンはリナリーを起こさないように、そっと慎重に彼女の頭を神田に預けさらりとメモを残してこっそりと談話室を抜け出した。

さすがに早い時間だからか、廊下はいつもより人がまばらだ。その中、アレンはまっすぐに食堂に向かった。なるべく早くリナリーたちの元へ戻りたい。今の時間でも食堂は開いているはずだ。
すると予想通りジェリーはちゃんと受付のところにいて暇を持て余しているようだった。食堂内には探索部隊が数名ほど、急いでいるらしく最早掻きこんでいる。恐らく任務が入ったのだろう、その中にラビに関する報告をした探索部隊の男も入っていてちくりと胸が刺すように痛んだ。その痛みに気付かない振りをして得意のポーカーフェイスを装いアレンがジェリーの元へ向かうと、ジェリーは嬉しそうに笑う。だがどこかやつれているようにも見えた。

「あら、アレンちゃん。今日は随分と早いのね」
「ああ、……お腹すいちゃって」
「何でも食べていいわよ。何にする?」

優しい言葉にアレンは弱々しく微笑み、浮かんだ料理名をつらつらと並べ立てる。本当にぱっと浮かんだものだから、それがどんなものなのかをよく思い出せない。頭が完全に、働いていない。寝起きだからという理由ではないだろう。最後にみたらしだんごを注文して、止める。いくつ注文したかよくわからなかったが、ジェリーの表情でなんとなく推測できた。

「いつもより少ないわね。どうしたの?」
「ちょっと……あまり食欲無くて」
「……そう。わかった、すぐできるからね」

ジェリーは表情に暗い影を落とし、詳しくは追求しないままキッチンの方へ消えていった。
アレンはカウンターに背中を預け、小さく溜息をつく。こんなに静かな食堂にはいるのはもしかしたら初めてかもしれなかった。いつもこんなに早く起きないし、それに、―――それに、

「おまちどうさま」

その声にアレンははっと現実に戻った。ぱっと振り返ると料理の乗ったトレイを持っているジェリーが優しげな微笑を浮かべてそこに立っている。相変わらず驚異的な仕事の早さだ。アレンも微笑を返して、それを受け取る。うまく笑えていたかどうかはわからないけれど。

アレンはそのまま一番近い席に座り、料理を口に運んだ。だが三口ほど食べたところで、ぴたりとアレンの手の動きが止まる。食べている、という感覚が、わからない。歯が料理を噛む感触と潰された料理が喉を通る感覚はわかる、だが甘いとか、苦いとか、酸っぱいとか、辛いとか、味覚がまったくわからないのだ。食事を楽しくないと思ったのは今日が初めてで、不快感よりも何よりも違和感が強い。それにもどかしさを感じる自分と、どうにでもなればいいという自暴自棄になっている自分、ふたりの自分が自分の中に同居してまたそれがもどかしい。いつもならこんな量、10分もあれば食べられてしまうのに。耳の中によみがえる声が、ひとつ。




『アレン、早食い競争しよーぜっ』




いつも彼はそう言って、嬉しそうに笑って、アレンよりは少ないが一般人よりは相当多い量の料理を持ってアレンの隣の席を陣取っていた。リナリーや神田を審判に立て、オフが重なった日は毎日早食い競争。寄生型のアレンが負けることはなかったが、それでも彼はめげずに毎日、毎日。負けても笑って、次こそ、といつも前向きだった。楽しそうに、いつも、いつも、



(……女々しい)



こつん、とアレンはテーブルに頭を乗せた。まだまだ山のように残っている料理が目の前にどんと立ちふさがり、上から見下ろしていた時とは全く印象が違った。まるで陥落しない城、今の精神状態で見るとこの大量の皿はそう思える。
未だにあの声と笑顔が、忘れられない。こうしていると上からいつもの明るい声が上から降ってくるんじゃないか、なんて、どうしようもない期待を抱いてしまう。なにしてんさ、と、やっぱり笑いながら。
そんなことは、もう、永遠にないのに。

「……ウォーカー殿?」

思い描いていた声とは違う心配そうな声が聞こえてきて、アレンはゆっくりと顔を上げた。その先にいたのは探索部隊のトマ、先ほどまでこの食堂にはいなかったから今来たのだろう。これから任務か、それとも、アレンにコムイからの伝言を言い渡すため、つまりアレンが任務か、もしくはただ単に早起きなのか。特に意味のないことでぐるぐると思考をめぐらせていたが、その難しい表情も相まってかトマの眉がまたさらに心配そうに下がった。

「どうされたのですか? ご気分でも……?」
「あ、いえ……大丈夫です。ありがとう」
「安心しました、それでウォーカー殿、コムイ殿が呼んでおられました。神田殿もリー殿も一緒に」
「神田も、リナリーも……? わかりました」

アレンはまたスプーンを取り、無理やり料理を掻きこみ始めた。うまく戻らない味覚のせいで途中吐きそうになりながらも、5分で食事を終えてしまう。コムイが呼んでいるということはつまり、先ほど予想した答えの真ん中のものだろう。アレンは食器を急いで片付け、司令室へがむしゃらに走っていった。必死になればなるほど、余計なことを考えずにすむから。

司令室の前に着き、扉の前で大きく深呼吸をして荒れた呼吸を無理やりに整えようとするが逆に咳き込んでしまう。灼けるような喉の痛みに視界が滲み、慌てて瞳をこすって今度はゆっくりと呼吸を整えた。それからこんこんと小さくノックし、がちゃりとドアを開ける。するとソファーに座ったまま振り返る神田とリナリーの姿が見えた。リナリーの瞳はまだ赤いままだったが、アレンの姿をみるとぎこちなく、そしてやわらかく笑った。だがコムイの表情は随分と暗く、背筋にぞくりと寒気が走る。いつもの任務ではないことに気付かずにはいられなかった。
そんなコムイに手で示され、アレンはドアを閉めてリナリーと神田の座るソファーに座る。リナリーがアレンの座る分を右端に空けておいてくれたから、その場所に。コムイはそれでも何かをまだ考え続けているようで、どくんどくんと心臓が波打つ。しばらくすると、コムイが意を決したように声を絞り出した。

「イノセンス探索の任務ではないんだ。でも、どうか君たちに、やってほしいこと」

ぞくり、再び背筋に寒気が走る。声を絞り出した今もまだ何かに迷っているようだ、コムイはまたさらに顔に落ちる影を濃くする。だが再び、重々しく口を開いた。



「………赤い髪、翠の瞳、右眼の眼帯。最近発見されたノアを、殺してきてほしい」



ひゅ、と息を呑む音が聞こえた。誰の喉から聞こえた音かは誰も知らない、もしかしたら全員のかもしれないけれど。赤い髪、翠の瞳、右眼の眼帯、そんな特徴的な容姿はひとりしか思い当たらない。つい最近までこの教団で、黒い団服を着込んで、笑顔の絶えなかった彼。今ではもう遠い場所で、恐らく黒のスーツを着込んで、――どんな表情をしているのだろう、そのひとしか、

「そん、な」

リナリーがぽつりと呟くように言葉を零した。その紫の滲む瞳は大きく見開かれ、俯く兄の姿を刻んでいる。哀しみよりもなによりも衝撃の方が大きいようで、ただ呆然とした表情でコムイを見つめるだけ。

「そんな、の、できるわけ、」
「ラビもきっと殺されるなら君達に殺されることを願うだろう。それくらいラビは君たちを想っていたし、君たちもラビを想っていた」

しあわせに思うはずのその事実が、鋭利な矢となり心臓に突き刺さる。
(だって本当に想ってくれていたのならどうして)
コムイは苦しそうな声で、一音一音を噛み締めるように言葉を紡ぐ。そして、耐え切れなくなったように立ち上がった。椅子ががたんと音を立てる。

「狂ってしまった歯車を直すには、一度壊すしかない」

俯いたまま、コムイは唇から音を零し続ける。浮かび上がる赤、翠、黒。低めの体温、声、広い肩、大きな掌、笑顔。そして、硝子のように、割れて、


「お願いだ、ラビを救ってくれ……! 君たちにしか、できないんだ………!!」



砕けて、崩れて、それでもひかりは瞳の奥に灼きついたまま、きえない、














(08.04.21 Remake)