なんだかひどく暑苦しい。今日は気温が高いのだろうか、と神田は薄い毛布に包まれたままぼんやり考えた。いやそれにしても、この息苦しさは何処から来るのだろうか。風邪をひいたような感覚はないから体調を崩したわけではないと思うのだが。体中から汗が噴き出して、肌を伝う嫌な感覚。それが気持ち悪くて、神田はさっさと起きてまず風呂にでも行こうかと思い、横になった体勢のままぱちりと目を開けた。 途端目に入るのは、割れた窓から差し込む太陽の光に照らされて輝く銀色の髪。白い頬に刻まれた大きく奇妙な形をした傷。無表情な神田を映しこむ銀灰色の瞳。しばらくその瞳と見つめ合っていたが、神田は何も言わずに寝返りを打った。だがそちら側にあったのは、少々癖のある赤い髪、キラキラと好奇心の光を宿す翠の瞳。それは澄みきっていて美しいが、右目は眼帯に隠されている。 神田はその瞳ともしばらく見つめ合ったあと、不意にむくっと上半身を起こした。神田と見つめ合った二つの瞳の持ち主であるアレンとラビは、横になったまま神田を見上げる。神田はぐるっと体を変え、その二人と向かい合う形になった。 そして。 ゴッ 「痛―――――――――ッ!!!」 神田の拳が、二人の額にクリーンヒットした。 * * * 「うー、まだズキズキするさ……」 「殴らなくてもいいじゃないですか…」 「悪いのはテメェらだろうが!」 瘤にまではならなかったものの少しだけ赤くなった額を押さえながら、不平を漏らすアレンとラビに神田は一喝した。 アレンとラビは仲良く神田のベッドの横で正座し、神田はベッドの上であぐらをかいて二人を見下ろしている。説教タイムというやつだ。神田は利き手である右手に六幻を持ち、それで左手をパンパンと音を立ててたたく。その状態の上で神田の鋭い瞳で見下ろせば、恐怖を煽るのには十分だ。だがアレンとラビは正座の苦痛がひどく、呻きながら俯いていたため神田の無言の脅しは効かなかった。不憫。 「まず聞きたい。どっから入った」 「…ドアの鍵こじ開けました。ラビの槌の後ろの部分で」 「………で、行動の理由は」 「こういうことさぁー!!」 いきなり元気になったラビとアレンが、おしくらまんじゅうでもするように神田にすり寄った。二人の予期せぬ行動に、神田は悲鳴に似た声を上げる。そこで軽く思いとどまった。前にもこんなことがなかっただろうか。 頭の中で日付を数えれば、今日は水無月の6日。ああそうだ、誕生日。そういえば、半年以上前に誕生日プレゼントについてこいつらに聞かれたことが……。 「ユウ、誕生日プレゼントはオレらに側にいてもらうことだって言ってたから一日中側にいてやろうと思って!」 「言ってねええええ!! だからあれは違うって言っただろうが!!」 「またまた照れちゃって。素直じゃないんですから神田は」 「照れてねえ!」 半年以上も前のことを完璧に覚えていたらしい。というかあの時もずっと側にいられて迷惑なことこの上なかったのに当日もやるとはどういうことなのか。ぎゅうと3人の男の子が仲良く(?)くっついている光景はとても微笑ましいが、15歳と18歳と本日19歳になった既に大人の体系の男子がくっついているのはコメントしがたい光景だ。 神田は二人に挟まれたまま立ち上がって、髪を結うための紐を手に取り素早く髪を結い上げた。そしてそのまま六幻を片手に部屋を出ようとすると、ラビとアレンも満面の笑みを浮かべたまま神田の後をついていく。風呂に入ろうと思ったが、きっとこの2人もついてくるだろうからどうにか切り離してからにしようと諦めることにして、まずは教団の森の中で鍛錬をしようと思った。 「どこ行くんですかー?」 「森だ。鍛錬ついでにテメェらも斬ってやる」 「やっぱり一緒に来てほしいんさね! 斬ってやるってのは照れ隠し?」 「今ここで斬ってほしいか。」 脅してもアレンとラビはにこにこと笑みを浮かべている。神田は盛大な溜息をつき、足早に森へ向かった。 だが、神田は気付かなかった。神田が一歩を踏み出したその一瞬、アレンとラビがちらりと一瞬目配せをしたのを。 神田は一瞬だけ遅れたアレンとラビに何の違和感も抱かないまま森へと足を早める。 外は快晴だった。朝陽が葉の隙間からキラキラと零れ、地面を斑に染め上げる。空は蒼の中で悠々と雲を泳がせ、雲はのんびりと穏やかに風に乗るまま流れていく。神田とアレンとラビは朝の木漏れ日に照らされながら、神田のいつもの鍛錬場所へ向かっていた。神田はたまに舌打ちをしながら、アレンとラビは満面の笑みを浮かべながら。涼やかな風が、熱を持つ陽光に晒される身に心地よい。太く堅い木の根に躓きそうになりながら、どんどん奥へ奥へと進んでいく。鳥の歌声が響き渡る森の中、優しい樹の匂いと爽やかな朝の匂いが鼻をくすぐる。まるで“エクソシスト”としての日常から切り離されたような、美しい静けさが漂う森の空間。 そしてやっと神田の鍛錬場所が見えてきた、その瞬間。 神田の隣を歩いていたアレンとラビが一気に駆け出し、風がザッと鳴った。神田は驚いて思わず足を止める。アレンは左手を太陽に翳し、ラビはホルダーから槌を取り出し、二人同時に声を張り上げる。 「「イノセンス発動ッ!!」」 アレンの左手に宿る十字架が光を放ち、一瞬で巨大化する。アレンは高く跳躍すると、豊かに茂る木の葉をその左手で打ち払った。大量の葉が枝からあっけなく離れ、はらはらと舞い落ちる。 そこでラビがくるくると槌を回して、イノセンスを第二開放する。ラビは複数の判の中から迷わず『木判』を叩いた。 「木判、天地盤回……」 そして槌で思い切り地面を叩くと強い風が巻き起こり、地面に落ちかけていた葉が再び舞い上がった。それは風に揺られて流されて舞い上がって、文字のようなものを形作っていく。その様子を呆然と眺めていた神田の瞳に、一瞬、本当に一瞬だけそれは映った。 『Happy birthday!!』 葉で作られた祝いの言葉。それは一瞬だけの出来事で、完成したと同時に止んだラビの風のせいですぐに崩れてまた地面に落ちてしまった。 二人はまず神田が鍛練にここへ向かうことを知っていて、こんな企画を立てたのだ。誕生日プレゼントだと称し、神田と一緒に鍛練場所へ向かうことまで設定して。アレンとラビは呆然としている神田の反応を窺う。神田はしばらく無言のまま突っ立っていたが、不意に背を向けて教団の方向へ帰り始めた。 「えっ、ちょ、ユウ!? 鍛錬しないんさ?」 「あの鍛練バカの神田が!?」 「誰が鍛練バカだこのモヤシ!!」 失礼な言葉をはっきりと言ってのけたアレンにガッと噛みつきながら、神田はそのまま歩き続ける。 ここは美しい空間だ。葉の間から零れる朝陽の木漏れ日、澄み切った青い空、流れる白い雲、爽やかな風、鳥の歌声、柔らかな森の匂い。そしてこの二人が、実戦でしか使わないイノセンスを発動してまで誕生日を祝ってくれた、この場所。 神田は鳥の歌声と風の音に乗せて、小さく呟くように言った。 「テメェらがあの文字を作ってくれた葉を、鍛練に使いたくねェからな」 誰にも聞こえないはずだった。聞こえなくてもいいと思ってた。むしろ聞こえてはならないと思っていた。こんな恥ずかしい本音の言葉、あいつらに聞かれたらきっとこの先ずっとからかわれるだろう。 なのに。 「…………神田?」 その声は背後で聞こえた。 「なっ、テメェら………ッ!!?」 「うわああああちょっと聞きましたラビ!? 今の一言聞きました!!? ちゃんと記録しましたか!?」 「ばっちりさ!! 今レアなの聞いたなアレン!!!」 どうやらあの誕生日プレゼント計画をまだ実行していたらしく、ぴったりと神田の後ろについて歩いてきていたのだ。つまり誰にも聞こえないはずの声もすぐ後ろにいた彼らにはばっちり聞こえていたらしい。神田の顔から血の気が引く。 「ちょ、ラビ! リナリーにも教えてきましょうよ!!」 「賛成! リナリーに届けオレのテレパシー!!」 「あはははは! 馬鹿ですか!!」 「酷ッ!」 「本当に斬るぞテメェら!!!!」
(07.06.09) |