「見つけた」 安心したような優しい声がして、修練場の物陰に隠れていた神田は顔を上げた。微笑みを浮かべてこちらを見るアレンの息は上がっていて、苦しそうに肩が上下している。恐らく食堂から全速力で走ってきたのだろう。アレンは神田の隣に腰を下ろした。神田は小さく舌打ちをするが、それ以外には嫌がる素振りも見せない。 「いきなりパーティーから消えてるんでびっくりしましたよ。あっちでも騒ぎになってますし。主役がいなくちゃ意味ないじゃないですか」 「……知らねぇよ」 今日は6月6日。神田の誕生日だ。お祝い事やパーティーが好きなコムイは早速嫌がる神田を無視し誕生パーティーを開いたのだが、途中で主役である神田が姿を消してしまったのだ。それにいち早く気付いたアレンはこうして修練場まで探しにきた、というわけで。神田は食事を摂取するとき以外は、大抵部屋か修練場、もしくは神田のみが場所を知る外の鍛錬場所にいる。食堂から外まで行くのには時間がかかるし、面倒くさがりの神田はそこまでしないだろう。 それにきっと、彼は誰かに見つけてもらうことを期待していたのだ。大勢の中心にいることが嫌で逃げ出してきたのだろうが、神田の性格上嬉しくないはずはなかったのだから。ただそれを表に表すことができないだけで。 神田の部屋は、そこが神田の部屋と思うだけで入りにくい印象を持たせる。だから敢えて一番神田自身が寛げる部屋より修練場に賭けた。教団総出のパーティーだから、今ここで鍛錬をしている人はいない。 三階層のだだっ広い修練場に、二人きり。会話が少しでも途切れれば、そこに広がるのは沈黙。神田は不機嫌そうな仏頂面のままで、自分から話題を提示する気はないようだ。そんな神田の大きくゴツゴツした手に、アレンはそっと右手を重ねた。ぴくり、と神田の肩が震える。だが触れられたその自分の手よりも小さな手を振り払いはせずに、そっとアレンの手の中でくるっと自分の手を上下反転させ、手のひら同士を重ねる形にした。自分から行動するなんて珍しい、とアレンは思わず目を見開く。だが重ね合わせた手のひらからは、微かに熱が伝わってくる。嗚呼、と合点して、アレンは神田に気付かれないように苦笑し、重ねる手に軽く力をいれて神田の手を優しく握った。 気まずいはずの静寂の空間。だがその真ん中にいるアレンはゆるく笑みを浮かべ、仏頂面のままの神田も頬を朱に染めている。静かな場所も、二人でいればそこは楽園に変わるのだ。 「………ったく、あんなことやりたがる奴らの気が知れねェ」 呟くような声で神田は思い切り不機嫌そうな声で言った。隣のアレンは苦笑して、神田の手を掬い上げる。そしてその手を今度は手袋で包んだ左手でも包みこんだ。神田は驚いたような表情でアレンを見つめる。そんな神田にアレンはにこりと笑いかけ、その大きな手の指先に唇を落とした。 「みんな神田が生まれてきたことをお祝いしたいんですよ」 「……下らねェ」 「まぁ、コムイさんはやりすぎだとは思いますけど……。でもリナリーは神田のこと案じてやんわりと止めたそうですよ。聞かずに実行しちゃったらしいですが……なのでせめて、リナリーに怒るのだけは止めてくださいね」 「……………」 言葉は何も返ってこなかったがアレンは肯定の意だと解釈して、少しだけ頬を緩めた。神田は普段冷徹で短気だが、理不尽ではない。アレンはきちんとそれを知っている。 神田はいつも自分から孤独を選んだ。神田の姿を見つければ一人でいることが多かったし、一緒に行動するとしてもアレン、ラビ、リナリーの三人だけで。他の者は神田に近づこうとすら思わなかったし、神田自身からも他の者に近づく気はまったくなかったようだ。孤独に慣れきった神田にとって、大勢の人から一斉に祝いの言葉をもらう、ということに過剰なほどの気まずさを感じたのだろう。その明るいはずの場所が息苦しい空間となって、だからそこから逃げた。神田は心を持たないはずがないのだから、祝ってもらったことはきっと嬉しかったのだろうけど。それでもやはり大勢の中心にいることに慣れてない神田には大変なものがあったのだろう。 「………神田?」 「んだよ」 「大勢の人に祝われることに苦痛を感じるなら、せめて、僕からのだけでも受け取ってくれませんか?」 「は、」 答えも聞かないまま、アレンは繋いでいた神田の手を急に引いた。バランスを崩して前に倒れかけた神田の肩を支え、そしてアレンは優しく神田の瞼に唇を落とす。一瞬だけ神田は身を固まらせたが、すぐ我に返ってはっとアレンから身を引いた。くちづけられた左眼の瞼を押さえ、顔を真っ赤にしてアレンを食い入るように見つめる。そんな神田に微笑みを送って、アレンは口を開いた。 「誕生日、おめでとうございます。神田」 大きな声とはとても言えないが、二人だけの修練場にはその声は優しく甘く、響いて。 だがその余韻を打ち消すかのように、扉の外から騒がしい声が聞こえてきた。その中から特に響いて聞こえるのは、リナリーとラビの声。心配そうな声音で神田とアレンの名前を呼んでいる。二人は顔を見合わせるが、二人とも動こうとしない。逆に気付かれないように息を潜める自分に、二人とも気付いた。 リナリーやラビ、他の教団員には申し訳ないとは思ったが、それでも大切な6月6日の日はできるだけ長い間、二人きりで過ごしたくて。 アレンは再び、きゅっと神田の手を握った。お互いの視線を絡め合わせる。そしてなるべく呼吸をしないようにしながら(したとしても分厚い修練場の扉越しに聞こえるはずがないのだけれど)じっと声が通り過ぎるのを待った。どうかあの扉が開かないようにと、繋がった手のひらの間で願いながら。 しばらくすると、リナリー達の声が遠ざかっていく。思わず二人は大きく息をついた。 「……あとでリナリーとラビには謝っておきましょうね」 「…………」 「そうだ、神田。もう一度いいですか」 「何がだ」 そう短くいって赤い頬のまま睨んでくる神田に、にっこりと笑みを見せる。 「うまれ てきて くれて ありが とう」 神田は目を見開いた。それはひどく久しぶりに聞いた、母国語。アレンはイギリス人で、日本はあんまり好きじゃないとも言っていたのに、その口から零れてきたのは間違いなく日本語だった。 神田が漆黒の瞳でアレンの銀色の瞳を見つめていると、アレンはまた笑みを浮かべる。 「ラビから教えてもらったんですけど……“Thank you for your birth.”って意味ですよね? なんとなくこの言葉は神田の国の言葉で言いたくて」 「ばかじゃねェのか」 「あっひどい、頑張って覚えたのに!! もしかして間違ってました?」 「………大丈夫だ、あってる」 そうボソッと呟いて、神田はついとアレンに背中を向けた。 「……ありがとう」 小さく英語で紡がれた言葉は、自分が生まれてきてくれたことを喜んでくれている彼への素直な感謝の言葉。きちんとそれを聞き取ったアレンは微笑んで、後ろからまるで甘えるように神田の首に腕を回した。びくりと一瞬神田の背中が震える。 「……来年も再来年も、6月6日は二人で祝いませんか」 「………テメェがくたばらなければな」 「僕がこの世に神田がいる限り死にませんよ」 「ハッ、上等」 神田は自らの胸の前で組まれたアレンの腕を、何かに誓うようにぎゅっと握りしめた。 二人きりの空間、口を閉じれば一瞬でそれは沈黙で包まれる。それでも構わない、君が隣にいてくれるなら、一緒にいてくれるなら。 この優しく眩暈を起こしそうなほど幸せな空間で、君が隣にいてくれることに、言葉に仕切れないくらいの、感謝の気持ちを。 君がここにいるということ
(07.06.30) |