割れた窓から降り注ぐ朝の陽光に閉じた瞼の裏側を刺激される。その優しい刺激で夢の中から戻ってきた神田は、ゆっくりと目をあけた。身体を起こし窓の外を見やれば、蒼い空が広がっている。今は6月、日本のほうだったら梅雨でこんな天気は滅多に拝めない時期だ。だがここヨーロッパの6月は天気が安定していて、晴れの日のほうがずっと多い。もうすっかりこちらの生活の方が長くなり、それにも慣れたが、最初の方は妙な抵抗があったものだ。6月は雨が降る、だから誕生日も雨なことが多い。――空に祝福されない誕生日というのが、当たり前だったから。 神田は未だに落ちようとする瞼をこすりながら、ベッドから抜け団服を羽織った。窓の外からは心地よさそうな風の音が聞こえてくる。そこまで暑くはならないだろう。その風がやまないうちに鍛練へ行こうと、手早く髪を結い上げ六幻を片手にドアへ向かった。 がちゃ、と手元でドアノブが鳴る。そしてなんの迷いも疑いもなく、神田はそのままドアを開けた。だが半分ほど開けたところでピタリと動きが止まり、その切れ長の瞳が見開かれる。そこにいたのは自分よりもほんの少しだけ背の高い、赤い髪の青年。にこにこと人当たりの良い笑みを浮かべていて、いつもしているバンダナは首にかかっていた。そしてラビは、朝からどうした、と言おうとして口を開いた神田に、思い切り抱きついた。 「ユウ――――ッ!!」 「ちょ、てめいきなり何しやが……ッ!」 神田の部屋は神田の希望で、人通りのほとんどない場所にある。だから人目はないと知っていても、ここまで公に抱きつかれると恥ずかしくないわけがなくて(神田は日本人だからなおさらのこと)。神田は顔を真っ赤にしながらラビを引き剥がそうとするが、ラビの腕の力は強くなかなか離れない。 「ラビッ! テメェ、いい加減に………っ」 「誕生日、おめでとうさ」 ぴたり。そういわれた途端、神田の動きが止まる。ラビは顔を神田の前まで戻し、にこり、と笑みを浮かべた。神田は時を止められたように、眉一つ動かさないでラビの顔を凝視している。そして、頭の中でゆっくりと日付を数えた。 さっきまで自分の誕生日のことを考えていたのに、すっかり今日の日付を忘れてしまっていたようだ。よく数えてみれば今日は6月6日、自分の、誕生日だ。 だがそれを思い出すと逆にラビへ怒りに似た感情がわきあがる。たったそれだけで抱きつかれて恥ずかしい思いをしたのかと。目の前のラビは驚きに目を見開かせている。 「ま、まさかユウ自分の誕生日忘れてたとか!?」 「悪ぃか! 誕生日なんて任務には関係ねえ、別にどうでもいいだろうがっ」 「何言ってるんさっ!」 再びラビは強く神田を抱きしめる。再び抱きしめられるとは思わなかった神田は声にならない叫びを上げた。実際声になっていたらひどく間の抜けた叫びになっていただろうけど。 だが、ラビの腕は先ほどの勢いに任せて抱きしめた時の腕とは何かが異なっていた。力が強いのは変わらないのだが、むしろ力加減は全く変わっていないのだが、何か、が。胸の中に迫り来る何かが、ある。跳ね返そうとした神田の腕は行き場をなくして空中を彷徨った。 「……誕生日がどうでもいいなんて、言わないで」 「…ら、び」 「オレはこの日にすごく感謝してるの」 そういってラビは再び神田の目の前に視線を持ってきて、こつん、と額を合わせる。鼻と鼻がぶつかりそうなほどに近く、その翠の瞳に自分が映っているのが見える。それがなんだか照れくさいことのように感じて、頬がまた熱くなるのに気付いた。 「この日が来なかったら、オレは一生ユウに会えなかっただろ?」 「……よくそういう恥ずかしいことを言えるな」 「これがオレの本音。ユウになら何でもいえるさ」 またにこりと嬉しそうに笑うラビの近距離で見る笑顔。その距離に慣れない神田は顔を赤くしたままそっとラビの胸に手を沿え、軽く押し返した。そこではっと気付いて、ばっと神田は顔を上げてそのラビの瞳を見る。ラビはまた曖昧に笑って、自分とそう変わらない高さにある神田の頭を抱きこんだ。暗闇に染まる視界が何故か妙に恐怖を煽る、それでも全身を優しく包む暖かな温もり。その奇妙な温度差に戸惑いながらも、神田はラビの胸の中で抵抗を示す。 「っ、てめ、」 「何も言わないで、な?」 ラビは神田の瞳もまともに見ないまま、少し踵を宙に浮かせて神田の額にキスを落とす。流れる黒い髪を掬ってそれにも唇で触れ、そのまま頬にも唇を落とした。くすぐったい感覚に神田は思わず目を瞑る。そして、降り注ぐのは甘い言葉。 「月並みな言葉で、申し訳ないけど。ユウ、生まれてきてくれてありがとう」 恐る恐る目を開くと、そこにあるのは変わらないラビの笑顔。なんだか負けたような気がして、神田は不機嫌そうに眉根を寄せる。 「……よくあんなに早い鼓動で、そういう真似が出来るよな」 「だってユウが好きだから。……理由にならない?」 「無に還りやがれっ」 秋に実る果実のような紅に頬を染めたまま神田はぷいとラビに背を向けた。その背中をラビは優しい瞳で見つめながら、そっと神田の腕を引く。 「……今日は一緒にいてもいいさ?」 「……好きにしやがれ」 ラビのほうを振り返らないまま、それでも耳まで赤くしたまま、神田はそう言った。 手のひらから伝う鼓動の音 (まるで機械みたいに笑うお前が人間であることを実感して安心したなんて、一生言ってやるものか)
(07.08.02) |