パタパタ、パタパタと羽が擦れるような音がして、神田はゆっくりと瞼を上げた。鳥のような羽ではなく、若干それよりも硬い羽のような。ベッドの横に置いてある六幻を無意識に握りながら、神田は未だにはっきりと夢から醒めない頭のまま上半身を起こす。下がろうとする瞼を擦りながら、その音の源を目で追った。 探してみるとそれはすぐに見つかった。それは殺風景な神田の部屋では目立つ金色をしていたから。 ゴーレムには特殊な金色の輝く丸いボディと、長く先端がぐるぐると円を描いている尾。そして神田を起こした原因である、パタパタと軽快な音を立てる金の羽。神田にとって親友であり戦友でありそしてストレスの原因の一因であるアレンのゴーレム、ティムキャンピーだ。 いつもアレンの頭に乗っているか周りを飛び回っているのに、今日は一体どうしたのだろうか。それよりどこから入った。 そう思ってふとドアの方を見れば、端の方にティムキャンピーが入れる程度の目立たない穴が開いていた。あのいびつな形はきっとアレンの発動した左手だろう。神田の額にぴきりと青筋が浮かび上がった。そんな神田の前にティムキャンピーがパタパタと舞い降りてきた。よく見れば、口に何か紙をくわえている。いらいらしたままそれをティムの口から乱暴にむしりとると、その紙には小さな文字が書いてあった。 『Leave room,and turn right soon!』 (部屋を出て、すぐに右へ曲がって!) この角張った文字はラビの文字だろう。そしてティムキャンピーの存在とあの扉の穴の開き方からしてアレンも何か関わっている。恐らくそうくれば、リナリーも同様だろう。 神田がグシャッとその紙を握り締める。お使いの任を任されていたのであろうティムはその反応にびくっと驚いたように見えた(表情も何もないからわからないが)。だが神田が何も言わず、大雑把に髪を結ってから六幻を持って部屋を出、右へ曲がったのを見ると、少しほっとしたようだ。お使いを任されたのに神田がそれを無視したら意味がないから、その神田の荒っぽい反応にドキッとしたのだろう。 神田はいつも朝からきっちりと着こなしている団服も着ないまま、早足でその道をまっすぐ行く。パタパタと神田の隣を嬉しそうに飛び回るティムを軽く睨んだあと、小さな声で吐き捨てた。 「テメェらに付き合ってやるよ。だが、下らねェことだったらすぐに切り刻む。……今の映像奴らに見せて、そのこと伝えろ」 脅しの言葉のつもりだったのに、ティムは機嫌良さそうに神田の上を軽やかに一回転すると光のような速さでどこかへ飛んでいった。 一体何なんだ、と神田が小さく舌打ちした。付き合うとは言ったものの、自分ひとりだけが内容を知らないと手の中で踊らされているような気分になる。それは神田にとって屈辱以外の何者でもなく、どんどん不機嫌になっていくのを自分でも感じた。 ずっと右の方へ歩いていったら、行き止まりになった。ティムがくわえていた紙には部屋を出て右に曲がることしか書いていない。やはりティムをあいつらのところへ飛ばすのは駄目だったか、とまた小さく(今度は自分に対して)舌打ちをすると、また何かの紙が目に入った。壁にテープで乱暴に貼ってある。 『Turn left!』(左に曲がって!) 反射的に左を見れば、そっちは下の階へ続く階段だった。神田は迷いもせずにその階段を駆け下りる。すると今度はすぐに行き止まりで、また紙が貼ってあった。 『Down stairs to 1F!』(1階まで階段を下りて!) 『Go outside!』(外へ出て!) 『Turn right!』(右に曲がって!) 『Turn left!』(左に曲がって!) 『Go straight!』(そのまままっすぐ!) 数々の紙の道案内に導かれながら、神田はその場所へやってきた。その場所はいつも神田が鍛錬をしている、森の中にある開けた場所。だがそこに人影はなく、いつものように風が木々の葉を鳴らしているだけだった。6月の上旬。すごしやすい気候で、朝になりたての空も青く澄み渡っている。 (一体どこにいんだ、あいつら……。こんなとこに回りくどいことまでして呼び出しておいて…) 神田はまた舌打ちをして、一歩を踏み出した、その途端。 「「「Happy birthdayー!!」」」 パン、と大きな破裂音とともに、視界を覆うのは目に痛いくらいにカラフルな紙ふぶきやら紙テープやら。神田が何も言えずにぼうっとしていると、ニコニコと眩しいくらいの笑顔を浮かべたアレンとラビとリナリーが神田を覗き込んでいた。 「………バースデー?」 「ちょっと神田、それは頭の回転が遅いにもほどがありますよ」 「喧嘩売ってんのかテメェ」 「あなたには喧嘩ももったいなくて売れませんけど」 「もう、アレンくんも神田もこんな日まで喧嘩しないの! 今日は神田の誕生日でしょう?」 Birthday、誕生日。 頭の中で母国語に変換してから、ゆっくりと日付を辿った。 今月は水無月で、水無月の、1、2、3、4、5………。 ―――――水無月の6日。つまり、確かに自分の誕生日だ。 「ユウは大勢に囲まれるの苦手だしょー? だから食堂とかで派手にやっちゃうと嫌だろうから、わざわざここまで呼び出したんさ!」 「もう少し手軽な方法は無ェのか!!?」 「だってこういうの、パズルみたいで面白いじゃない?」 にっこりと笑いながらリナリーにそういわれ、神田は思わず脱力した。発案者はこいつか。 そんなリナリーは明るい笑みを浮かべながら、神田の右手をぎゅっと両手で握る。そしてその手に、そっと小さな四角の箱を渡した。 「プレゼント。私達三人からの気持ちだよ」 リナリーが言ってる言葉は普通の優しい言葉なのに、何故ラビとアレンはその後ろで必死に笑いをこらえようとしているのだろうか。しかもポーカーフェイスとは程遠く、ちょっとした刺激ですぐにでも笑い出しそうだ。笑みを浮かべるリナリーも、どこか頬が引きつっている。 この3人がこんな状態になった時、いい思いをしたためしがない。むしろ4人で一緒にいるといつも怒鳴っている気がする。それでもこのアレン、ラビ、リナリーの3人は懲りもせずちょっかいを出してくるのだから敵わない。 神田は恐る恐るながらもその箱を開けた。箱の中に入っているのは、 ――――――真珠のピアス。 途端アレンとリナリーが堪えきれなくなったように笑い出した。二人とも腹を抱えて蹲り、息も絶え絶えな状態でひたすら肩を震わせる。未だに必死で笑いを堪えていたラビは、半分涙目になりながらもそのピアスを指差して説明する。 「6月の誕生石は真珠なんさ。ユウせっかくピアス穴開いてるのに、一回つけただけですぐに外しちゃったし、どうせだからいいかなと思って。あと………、 真珠は肌荒れに効果があるらしいから、ユウのそのすべすべお肌を保つためにも、ね!」 ぶち。 確かにその音が神田の額から聞こえた。 「テメェらそこに正座しろ……無に還してやる」 「ちょ、神田……でも私たちちゃんと神田のこと考えて選んだんだよ? ………くくくっ……」 「リナリー、思い出し笑いは駄目ですって……………ぶふっ」 「あーあと真珠は美や若返りのお守りでもあって、悪霊から身を守るのにも使えるらしいさ?」 「ちょっと、ラビ…ッッ!! あははははははは!!」 「アレンくんだってそんなに笑っちゃ…………あははは! もう駄目止まらない……ッ」 「災厄招来ッッッ!!!」 * * * 「ったく、あいつらと関わるとろくなことねェ………!!」 そう毒づきながら自室へ戻ってきた神田は、ベッドの側に六幻を置くとシャツの上に団服を羽織った。そして手の中にあるそのピアスを見やると、タンスの上に置く。しばらく神田はそれを見つめていたが、やがて耳の前でたらしていた髪をそっと耳にかける。 割れた窓から差し込んでくる陽光にその真珠は煌いて、光を放つ。それはとても小さくて、髪に隠れてしまいそうなほど。エクソシストは、物をあげたりもらったりなんてするほど所有物が無い。だからそれは神田にとって、初めてもらった戦友からのプレゼント、で。 神田はゆっくりと箱からピアスを取り出すと、ゆっくりと自分の耳に空いたピアス穴に通す。金属が耳を貫く、少しひやりとした感覚。それを両耳に通すと、耳にかけていた髪をそっとまた前にたらした。すると小さなピアスは途端に目立たなくなる。 (仕方ねェ、つけといてやるか) 彼らがくれた、きっと最初で最後のものだから。
(07.06.06) |