獅子戦争終結から二ヶ月あまり経ったこの日、王都ルザリアのとある屋敷で喜びのあまり号泣する初老の男の姿があった。
戦争勃発前夜に行方不明になり、死んだものと諦めかけていた一人娘が生きて戻って来たのだ。
つい数日前に亡くなった妻が残された夫を哀れみ、入れ替わりに娘を帰らせてくれたのだと男は信じて疑わなかった。
 「おお、アグリアス、よく無事で帰って来てくれた。本当に夢の様だ……」
  男はそこまで言うと声を詰まらせ、娘の頭をかき抱いて嗚咽した。娘は目を閉じてただされるがままになっていた。

  幾人もの近衛騎士を輩出してきた屈指の武家に生まれながら剣よりもペンを以って王家に仕える名ばかりの騎士であった男と その妻は遅くに出来た一人娘を幼き頃からその名の通り蝶の様に美しく可憐な淑女になる様にと育ててきたが、
成長するにつれて皮肉な事にこの家に脈々と流れる騎士の血は親よりもむしろその娘に色濃く現れ始めた。
幼年学校を出る頃には騎士を志すと公言して憚らなくなっていた娘を両親は複雑な思いで見ていたが、
強情で真っ直ぐなところのある娘の志を曲げる訳にもいかず、泣く泣く士官アカデミーに送り出した。
  数年後、娘が首席で卒業したのを見て両親は喜んだが、他家の同じ年頃の娘達が次々と嫁いでいくのを見てはため息をつく事もしばしばだった。
娘は近衛騎士団に抜擢され、やがて若くして数人の部下を率いる様になり、ついには王女の護衛任務につくまでに出世した。
娘が男であったならば素直に喜べたものを、とイヴァリースに漂いつつある不穏な空気を案じながら両親は嘆いた。
不穏な空気はよりによって娘の派遣先であるオーボンヌ修道院で引火し、やがて大きな戦火となってイヴァリース中に飛び火した。
  それから間も無く近衛騎士団から使者が両親の元を訪れ、言った。

  「騎士アグリアスは任務を放棄し、離反した。現在の生死と所在は不明。もしここへ戻って来る様な事があれば直ちに知らせる様に」

  あの責任感の強い娘が任務を投げ出し、ましてや離反するなど何かの間違いだと両親は使者に喰ってかかったが、
そもそもイグーロスへ王女を護送する任務であったものを、騎士団の命に従わずにライオネルへ王女を連れて行ったというのだ。
状況から見てライオネルのドラクロワ枢機卿に何らかの見返りを提示されての事にまず間違い無いだろうと
語気を強めて言い放つ使者を前に、両親は信じられないながらも首をうなだれて沈黙するしか無かった。

  その後、風の噂で第一級異端犯罪者ラムザ・ベオルブといるのを見ただの、北天騎士団と戦っている姿を見ただのと
真偽のほども分からない話ばかりが聞こえてくる。
  ついには噂さえも絶え、それから二年が過ぎる頃にはわずかな希望にすがる事の辛さに耐えられず、両親は娘を諦める努力をし始めた。
当然ながらそれが無理だと悟った時、妻は心労で倒れ、そして失意の中で逝ってしまった。
残された夫が落胆していたところへ二度と会えないと思っていた愛娘が突然帰って来たのだから、その喜びたるやいかばかりであったか。


およそ二年半ぶりに見る娘は相変わらず律儀に近衛騎士の正装を纏っていたが、所々が破れて泥や血と思しき汚れにまみれており、
我が娘の歩いた苦難の道程を思うと父はどうしようもなく胸を締め付けられた。
  侍女にすぐ沐浴の仕度をする様に命じると自らは台所へ飛んで行き、もどかしく温めた朝食のスープの残りをカップに注いで娘のところへ駆け戻った。
娘が少しずつスープを口に含む様を見ながら、先程から一言も発さない娘に父は何と話しかけて良いものか迷い悩んだ。
ライオネル以降どこで何をしていたのか。騎士団を離反したというのは本当なのか、またそれはどの様ないきさつがあっての事だったのか。
オヴェリア様が無事に生きておられるのだから、きっとそれらは何かの間違いで騎士団側からの誤解に過ぎないだろうが……
そして何よりもあと数日、あと数日早くお前が帰って来ていれば母の死に目に会えたかも知れぬというのに!
しかしあまりに疲れているのか、黙々と静かにスープを飲むばかりの娘は母の姿が見えない事にも気付いている様子は無かった。
聞きたい事は他にも山ほどあったが今はまだ何も言わない方が良いだろう。
  とにかく休ませければ、口をきく事も出来ないほど憔悴した娘に暖かな食事とベッドでの安眠を与えてやらなければ。


  数日が過ぎた。
  アグリアスは多くの時間をベッドで眠って過ごし、ひと眠りする毎に食欲を取り戻してみるみる回復していった。
父はそんな娘の様子を慎重に窺いながら少しずつ戦時中にこちらで起こった事を時間をかけて話した。
ここ数日で察していたのだろう。母の死を告げてもアグリアスは目尻を光らせながら静かにうなずくのみだった。
話し終えた父に促され、娘は重い口を開いた。北天騎士団の裏切りから始まって多くの仲間達との出会い、そして戦いの日々――――
  娘がポツリポツリと言葉の滴を落とす様にして語るのを父はただ黙って耳を傾けて聞いた。

  大体の事情は分かったが、一部に信じ難い内容を含んでいた為に父は混乱した。各勢力の暗躍、ゲルモニーク聖典、そしてルカヴィ……
しかしそれらが事実だとすれば全て辻褄が合っており、表沙汰になれば落ち着きつつあるイヴァリースに再び混乱を招く事だけは確かだ。
娘に言われるまでもなく、父はこの事は誰にも口外しない旨を告げた。
  「それと、騎士団にお前の事を知られてはマズいだろう。今はここで休みながら今後の事をじっくりと考えていこう。いいねアグリアス?」
  しかし、小さな声でハイと返事をしつつも娘はどこか心ここにあらずといった様子で、以前のいかにも騎士らしい凛とした雰囲気はどこかへ失せ、
父の目には長身を感じさせないほど小さく頼りなく映っており、まるで失恋をして塞ぎ込む思春期の少女の様にさえ見えた。
他にも何か悩み事があるのか、一体どうしたのかと問うと娘は突然ポロポロと大粒の涙をこぼし、声を上げて泣いた。
父はどうして良いか分からずそれ以上聞く事が出来なかった。戦場では他にも見たくないものを多く見てきたのだろうが……
こんな時に妻が生きていたなら、きっと妻は幼子をなだめすかす様にして娘の口からうまく理由を聞き出す事も出来ただろう。
  だが妻亡き今、父は無力感に打ちひしがれ、ただただ娘を不憫に思いつつ見守る事しか出来なかった。


あの時ラムザ・ベオルブは爆発の中心におり、妹と共に……死んだ。

  血塗られた聖天使が今際に起こした爆発によって偶然出来た次元の狭間を抜けて飛空挺の墓場から辛くも帰還した後、
雷神シドは口ごもりながら力無く呟いた。
最後の戦いの最中に不覚をとり、強烈な攻撃をまともに受けて目に血が入ってしまったアグリアスはそれを見ていない。
信じられずにウソだとつかみかかるアグリアスをいなそうともせず、ただ石像の様に立ち尽くして沈黙するシドの姿は
しかしそれが真実である事を何よりも雄弁に物語っていた。
  アグリアス、シド、ベイオウーフ、レーゼ、そしてラムザ。最後の戦いに赴いた五人の内の一人、即ちラムザだけが戻らなかった。
四人は傷ついた身体を引きずりながら急いで地上で待っていた仲間たちと合流し、それぞれに聖石を隠すため各地に散る事を決めた。
仲間達は一様にラムザの訃報に涙したが、アグリアスだけは泣かなかった。見ていないものは信じられない、と。
そんなアグリアスに仲間達はかける言葉も見つけられず、更に涙を誘われるのだった。

  アリシアとラヴィアンがついて行くと言うのを、しばらく一人にさせて欲しいと断るとアグリアスはルザリアへ向けて歩き始めた。
チョコボを使わず、ただひたすらに歩き通す事でわざと体を疲労させて何も考えずに済む様にしたかった。
しかし、むしろ一歩一歩踏みしめる毎にラムザが戻らなかったという現実がアグリアスの心を侵食してゆく。
ラムザは……もういない……皆も…居るべき場所へ散った……私は……どうしたらいい?
騎士団には戻れない。きっと私は反逆者扱いだ。でももう騎士団に戻る理由も無い。家に帰りたい。父上と母上に会いたい。それから……

  いつになく鎧が重かった。



  娘が帰って一月が経った頃、父は娘のおかしな行動に気付いた。
ここのところ、娘は昼間は何をするでもなく暗い部屋にこもっているのだが、夜遅くになると屋敷をこっそり抜け出している様なのだ。
人目につく様な事が出来ないため、せめて目立たぬ深夜の町でこっそりと気晴らしでもしているのだろうか。
そう思うと、父は心配しながらもそれを問い質す事が出来なかった。屋敷の中でずっと過ごさなければならない息苦しさは想像に難くない。
何も問題が無ければそれでいい。何も無ければ……


王都ルザリアの片隅にひっそりと建つ、使われなくなって久しい古びた教会には夜な夜なひっそりと幾人もの女達が訪れる。
今もまた一人、ローブを纏った背の高い女が現れた。辺りを見渡して人がいないかどうかを確認してから女は教会の裏口へ向かった。
明かり一つとて無く静まりかえった教会の裏口の扉を規定の回数分、ノックする。扉は開かれ、身なりの整った老人が恭しく頭を垂れて訪問者を迎える。

  「……これはこれは。ここのところ毎日ですね。ありがとうございます」
 「……」
  「ささ、奥へどうぞ。決まりましたらお呼び下さい」  老人は優雅に会釈して女を教会の中へ迎え入れると小さな鈴を手渡した。鈴の音を立てる事によって他の“お客”と会わない様にする為のものだ。
歩みを進める毎にちりんちりんと風雅な音を立てながら女は裏口から続く狭い廊下を進み、奥の広間へ入っていった。
自分以外の鈴の音がしない。偶然にか今夜のこの時間には他の客がいない様だ。おそらく全ての客は既に相手を選んで離れの個室に入っているのだろう。
女は鈴の音が止むのを待たずに済む事にホッとしながら懺悔室だったであろう小部屋に入り、そこに設けられた小さな覗き窓から今夜の慰みを品定めする。
覗き窓の向こうには裸の上半身を晒して長椅子に腰掛ける若い男達の姿が見えた。髪や肌の色も様々な男達は待っているのだ。自分が指名されるのを。
選んで買った男は夜が明けるまで自分の好きな様に出来る。一晩だけの恋人にも、ペットにも、そして奴隷にも出来るのだ。
女は居並ぶ男達の上に視線を滑らせてゆき――――一番隅の男に釘付けにされてしまった。視線が揺れ、震えている。

  そんなバカな。何故こんな所に、人違いなのか。いや、あの癖毛は間違え様も無く――――しかし――――!?

  確かめなければ。確かめなければ。女は震える手で鈴を振って鳴り響かせた。
打ち鳴らされる鈴の音を聞きつけて廊下の奥の闇から姿を現した老人に自分の指名を告げると、
老人はかしこまりましたと言って下がり、覗き窓の向こうにある部屋の戸を開けて一番隅の男を手招きした。男は老人に言われるまま部屋を出ていく。
老人はすぐに戻ってきて女にそっと耳打ちした。
  「お待たせしました。いつもの離れの六号室へお入り下さい。ごゆるりとお過ごし下さいませ」


六号室の中には先程の男がベッドに腰掛けて待っていた。
男は部屋に入ってきた女に柔和な笑顔を向けて迎えたが、被っていたフードを払った女の顔を見るやその笑顔は瞬時に硬く凍りついた。
  「アグリ……!!」
  女は、アグリアスは無表情のまま男の顔をじっと見据えた。これが現実なのかどうかさえ分からない。目の前にいるのに。
  「…………死んだと……聞かされた……のに」
  お互いの脳裏に何故ここにあなたがという疑問が駆け巡って思考を掻き乱す。口は開いても言葉が出て来ない。
それでも部屋を暖かなオレンジ色で照らす小さなランプの明りが幾度か瞬いた後、男が先に沈黙を破った。
  「誰から僕が死んだと?」
  「伯が……私は見ていないが」
  「確かに僕は……僕らは死にました。自分の腕がちぎれ飛んで身体が裂けるのを見ました。
でも気がついたら何処かよく分からない遺跡にアルマと倒れていたんです。身体は何ともなくって、今までの事が嘘の様に思えました。
聖石(ヴァルゴ)の力が発動したのかも知れませんが、よくは分かりません」
  アルマ、そして聖石という言葉がアグリアスにようやく確信をもたらした。この男はラムザで、生きていて、現実だ。決して他人の空似などではない。
  「僕らはみんなも同じ様にどこかへ飛ばされて生きていると思って各地を回りました。アグリアスさんを含めて何人かの行方は分からなかったけど、
みんなそれぞれに新しい生活を始めているみたいでした。会って話をしたわけじゃないですが」
  「何故、お前が生きている事を知れば皆喜ぶ筈だ」
  「戦いは終わった。みんな幸せにならなければならない。もう僕の様な異端者と関わってはいけないんだ」
  アグリアスが何か言おうとするのを遮ってラムザは続けた。
  「それに僕はもう世間的にも死んだ人間です。先日のアルマの葬式で僕も死んだ事にされていましたから。
僕はいいんです。でもアルマはまだ十五だし、学校に行かせてあげたかった。貴族の身分と金さえあればそれは可能なんです。」
そこでいったん言葉を切り、ラムザは視線を落として自分の手をじっと見つめた。
(その時から僕は本当の意味で“持たざる者”になった……)
  ここでの歓楽には一晩で三万ギルが必要だ。ラムザの取り分が幾らなのかは知らないが、それなりに高給なのは確かだろう。
急速に平和を取り戻しつつあるこのイヴァリースで、戦以外に生きる術を知らない傭兵が金のいい職を求めれば
行き着くのは野盗、密漁、麻薬の売買等の犯罪、そして売春――――
  ラムザはうつむいたまま、ここで働く様になったいきさつを静かに語り始めた。


生還してからのラムザは少しの間、密漁によって糧を得ていた。しかし戦争の終結は騎士や傭兵の失職を促した為、
にわか密猟者が急速に増えてモンスターの固体数があっという間に激減していった。個人では養殖も出来ない。
一人で生きていくだけならまだしも、アルマを養いつつ貴族の戸籍を手に入れて学校にやる為には大きな額のまとまった金が必要だ。
  「自分と妹は元貴族だが、戦時中に混み入った事情で戸籍を失ってしまった。
人殺しや盗み以外ならどんな事でもする。なんとかして十五歳くらいの貴族の女の戸籍が手に入らないだろうか」
  いきつけの毛皮骨肉店の店主に相談を持ちかけると、店主はためらいながらも覚悟があるなら、とドーリスという男をラムザに紹介した。
ドーリスは人身売買や金貸し等といった幾つかの事業を持つ、その筋では名の知れた男らしい。
  ラムザの、妹を学校にやる為の貴族の戸籍と学費が欲しいという話を聞き終わると、ドーリスは事もなげにいいだろうと頷いた。
人身売買を行なっているだけあって、貴族の戸籍はうなるほど“在庫”があるらしく、また、大金を用意してやれるだけの仕事もあるという。
  「元貴族で顔もよし、それでいてイイ体をしてやがる。クッ……お前ならその価値があるだろう。売れっ子になりそうだ」
  ……大方の予想はつく。男娼をやれとでも言うのだろう。ゾッとしながらもラムザは覚悟を決めた。アルマのためなら……
  「まあそう強張るな。今は男娼は足りているし、もっと割の良い客がつく仕事だ。お前には女の相手をしてもらう。
が、まあただの女は来ない。そこらの娼夫を買わずに大金を支払ってまでここで男を買いたいという女達だ。分かるか?」
  「……貴族……か?」
  「そうだ。欲求不満のご婦人方が大半だが、種無しの旦那の代わりに子供を仕込んでもらいたい女、それから貴族のガキ共の遊びも多いし、
貴族以外でも金を持っている女の慰みやらとまあ様々だ。ここなら秘密厳守で容姿の整った、貴族の礼儀作法を身に付けた男を安心して買える。
つまり紹介制高級秘密娼館という訳だ。この話を受けるなら、明日にでも金を用意してお前の妹とやらを貴族に仕立ててやろう」
  「……分かった」
  「俺の見立てではお前はかなり稼げるだろう。早く足を洗いたいならしっかり働く事だな。
それと一応言っておくが、もし百万ギル分を稼ぐ前に逃げようものなら妹の戸籍の件が官憲の耳に入る事になる。忘れない事だ」

  アルマを学校に行かせてやりたい。いや、行かせてやらなければ。
  その翌日からアルマは「遠方の伯父から仕送りを受けている、戦災孤児の貴族」となり、全寮制の学校に入学する事が出来た。
そしてその日の夜からラムザは戦前から建っている苔むした教会の奥の長椅子で女達の視線を浴びる事となった。


「色々な人を相手にしてきました。十代の女の子から閉経したお婆さんまで」
  自嘲気味に小さく笑ってラムザは続けた。
  「でも考え様によっては良い仕事です。命のやりとりをする訳でも無く、それなりに大きな額を稼げますから」
  「……何もかも全てアルマ殿のため……か?」
  ラムザはキッと顔を上げて真っ直ぐにアグリアスを見つめた。その視線に耐えられず、アグリアスは目をそらした。
  「今度はアグリアスさんの番です。ここは人からの紹介が無いと入れない筈。誰に紹介されたんですか?」
  「私は……帰還してからずっと無気力のまま屋敷に篭っていた。ある晩遅く、住み込みで働いている待女が屋敷を出て行くのを見かけた。
こんな夜更けに何処へと聞くと、あなたにも息抜きが必要ですと言われてここへ連れて来られた」
  「ここへ来たのは何回目ですか」
  「……十回、くらい」
  「十回目で僕を見るなんて運がいいですね。僕はいつも予約がいっぱいであそこに座っていない事の方が多いですから。
今日はたまたまキャンセルが入ったので。予約は常連の人しか出来ない事になっていますし」
  皮肉なのか自嘲なのか、ラムザは平坦な口調で淡々と言った。言葉のひとつひとつが重りの様にアグリアスの心に沈んでゆく。
  「さあ、アグリアスさん、こちらへ」
  不意に名を呼ばれて我に返ると、いつの間にかラムザが隣に寄り添ってアグリアスの腰に手を回していた。
  「あッ……ラ、ラムザ、私……」
  「あなたはここへ何をしにきたんです? ……ご指名下さいまして有難うございます。今夜はたっぷり楽しみましょう」
  ラムザはベッドへと促されるのをためらって身を固くするアグリアスの足をすくう様にして抱きかかえ、半ば強引にベッドへと下ろした。
のしかかるラムザの胸を両手で押し返そうとするアグリアスの力は弱々しく、それも唇を奪われるとやがて消えた。
アグリアスは口内にラムザの舌が侵入するのを許し、受け入れ、いつしか自らラムザの舌を絡め取り、唾液をすすりあった。
ローブの下の夜着をはだけられ、花咲き乱れるワインレッドのブラを外されて小ぶりの乳房を顕にされると羞恥からアグリアスは両手で胸を隠した。
  「小さいから恥かしい……」
  こんな感情が湧き出て来るなど、ここで買った男達相手には無い事だった。一緒に戦っていた頃にはとても口に出せなかったが、
今こうして抱かれてからようやく自分の気持ちに素直になる事が出来た。私は、ラムザが好きで、この男にこそ抱かれたかった。
だからこそ自分の胸の小ささが悔しく、怖い。小さな胸では魅力が無いかも知れない。この男を繋ぎ止める力が弱いかも知れない。
  しかしそんなアグリアスの懸念をよそにラムザは両手を掴んでグイとベッドに抑え付けると、再び顕になった白い乳房を一口に頬張った。
ラムザの口全体でまろやかに揉まれ、乳首を吸われ、転がされてアグリアスは可愛らしく声を上げた。その自分の声にますます羞恥心が昂る。
左から右、そしてまた左の乳房へと愛撫は続けられた。乳首が少し痛いほど硬くなっているのを自覚してアグリアスは切ないため息を漏らした。





「可愛いですよ、アグリアスさんの胸……」
  「……意地悪だな」
  「可愛いから可愛いと言っているんです。それに声も。アグリアスさんってこんな声を出すんですね」
  クスクスと笑うラムザに軽い怒りを覚えてアグリアスはむくれた。キスをしようとするラムザの唇をかわしてイヤイヤをする様に顔を動かす。
  「ごめんなさい」
  そう言いながらもクスクス笑いを止めないラムザの顔がアグリアスの視界から消え、ラムザの唇が下着越しのクレバスに押し当てられた。
  「口にキスさせてくれないなら、こっちの口にキスしますから」
  ラムザの唇がアグリアスの茂みを下着毎ついばむ様に吸い付いて来る。声を出してはまたからかわれると思ったアグリアスは口を押さえて快楽に耐えた。
唇がゆっくりと上下し始め、アグリアスの肉の丘を撫ぜていく。その途中、肉の芽がある辺りにキスをされるとアグリアスはビクリと身体を震わせた。
そこは特別なところ、私の一番感じるところ……ずっと舐めたり吸ったりして欲しいところ……。
  アグリアスの心を見透かしているかの様に、ラムザは執拗にそこを愛撫した。時折りアグリアスの身体がビクンと跳ねるのを面白がっている様にさえ見えた。
ラムザの興奮は極度に達してきており、いつもだったらもっと愛撫に時間をかけて焦らすところを我慢出来ずにアグリアスの下着に手をかけた。
アグリアスもラムザに従って尻を少し浮かせたが、半分ほど脱がされかけた辺りでラムザの手が止まった。
  「ラムザ……?」
  何故かラムザは再び下着を引き上げて元通りにすると真顔になってアグリアスに言った。
  「お尻を……四つん這いになってお尻をこっちに向けて下さい」
  「えっ……」
  「いいから。早く」
  アグリアスは言われた通り四つん這いになってラムザの方に向かって尻を突き出した。ラムザは後ろからするのが好きなのだろうか。
獣の様な体勢で尻を晒している自分のはしたなさに耳まで赤くなりながらも、アグリアスは興奮のあまり思わず甘い声を漏らした。
しかし、アグリアスの期待に反してラムザが発したのは意外な言葉だった。
  「こんないやらしい下着をはいて……あなたがこんなに淫乱な人だったなんて」
  「なッ!」
  ブラと揃いのワインレッドに染め上げられたそれは秘部のみを包み込み、それ以外の部分はほとんど隠さないが故に
特に尻を丸出しにして強調する、いわゆるTバックだった。
  胸の大きさにコンプレックスを持つアグリアスが逆に最も自信を持っている大きな美尻を最大限に活かす下着。
  今までにそれを見て喜ばない男はいなかったが故にアグリアスは困惑した。
  「そ、それはこういう所に来るのだから野暮ったい下着をはいてくる訳には」
  「あなたには……買われる者の気持ちなんて分からないんだ!」

  パアン!
  「ひぐッ!?」
  パアン!
  アグリアスは驚きと痛みの中で混乱した。ラムザに尻を平手で叩かれている。こんな仕打ち、父からだって受けた事は無い。
  「い、痛いッ」
  パアン!
  アグリアスの声を無視してラムザは陶磁の様に透き通る白さを湛えた尻の頬を赤く染め上げようと平手で打ち続ける。
本当は痛み自体は大した事は無い。尻を叩かれている事自体がアグリアスにとっての痛みだった。
今までにつきあったどんな男も、この店で買ったどの男達も、愛撫は一様に皆優しく、アグリアスをそれこそ姫君の様に扱ってきた。
それを――――
  しかし、叩かれている内にアグリアスの中でこみ上げて来るものがあった。何故、ラムザがこんな事をするのか。
  「あなたが好きだったのにッ! 男を買いに来た上にこんな下着で男を欲情させようだなんてッ」
  アグリアスの胸の奥に悲しみとも嬉しさともつかない複雑な感情が沸き起こり、アグリアスの女の部分に響いた。
ラムザは私の下着でこんなにも欲情して、嫉妬して、自分をさらけ出している。もはや私を客と思っていない。
この痛みはラムザの自分に対する気持ちの表れなのだと分かると、もっとぶって欲しいという屈折した衝動に駆られた。
その衝動は無意識にアグリアスの尻をより一層高く突き出させた。それは「欲しい!」という声無き声に他ならなかった。
無意識とはいえアグリアスの思惑通り、匂い立つ様なむき出しの尻の谷間の性器を辛うじて隠す赤い布地の下の盛り上がりはラムザの本能を撃った。
  「……そっちこそ……そっちこそ戻らない人を待つ女の気持ちなんて分からないんだッ!」
  「くッ……! アグリアスッ!!」
  ラムザはアグリアスの尻をがっしと掴むと自分の固くなったもので秘所を探り当てて欲望のままに突っ込もうとした。
下着を引き剥がす様にして乱暴におろす。濡れていなくても構わない。この女を、この女を!!
  「……ああッ、ラムザッ!」
  しかし、予想に反してラムザの怒張はすんなりとアグリアスの中に吸い込まれる様にして納まった。
アグリアスの秘肉は既に口を開け始めており、ぬらぬら光るほどに濡れそぼっていたのだ。
  尻を叩かれてこんなに濡らすだなんて、アグリアスは、僕はッ……!
ラムザは混乱しながらも昂り、腰をアグリアスの大きな尻に激しく叩きつけた。うっすらと汗ばんだ尻が弾み、その度に亀頭がとろける思いがした。
パンパンという腰と尻がぶつかる音に混じってヌチャヌチャと淫靡な水音が、そしてアグリアスの短い喘ぎ声がリズムを刻む。
  ラムザはかつての凛とした気高い騎士アグリアスの姿を、今目の前で尻を突き出して痴態を見せる一人の女としてのアグリアスに重ね合わせ、
そのギャップに激しい興奮を覚えた。あのアグリアスが全裸で自分と交わっている!自分のものを受け入れてよがっている!
次第にアグリアスの声が大きくなり、ギュウギュウと締め付けてくる様になった。精液を搾り出そうと膣がうねっているのが感じられる。
ラムザに早くも限界が訪れようとしていた。もっとこの快楽を味わっていたいという切なる願いは叶わず、先の方に快感が集中してゆき、そして――――
  「あッああッ、あン…………あったかい……」
  ラムザの位置から表情は見えないが、勢いよく迸る精液を注がれたアグリアスの声は幸せそうだった。望んだ男に抱かれた、一人の女のとしての声。
  そう感じた時、ラムザはこの場所に来てから始めて幸福感のある性行為をした事に気付いた。
好きな女と感じ合える喜び。当たり前の様で、決してここでは得る事の叶わなかった幸せと充足感。
  ラムザはアグリアスの背中に倒れこみ、編みこまれた金髪に顔を埋めた。アグリアスの髪からはほのかに良い香りがした。
のしかかったラムザの重みと熱さを感じながら胎内に放たれた精を意識するとアグリアスは浅いオーガズムを迎えた。
ラムザが腰を引いて出て行ったのを感じると、アグリアスは急に寂しさを覚えた。まだつながっていたい。放したくない。
  「ラムザ、待って……」
  アグリアスは身体を反転させると、戸惑うラムザの下腹部に顔を埋めて自分の愛液にまみれて少し力を失いつつあるラムザのものにしゃぶりついた。
自分の愛液のしょっぱさとにおいがするが、どうでもいい。それを舐め消してラムザのものの味を直に舌で味わいたい。
  「うあっ……アグリアス……ダメだよ、今は出たばっかりだからすごく敏感に……うくっ……」
  さっきまでとは打って変わって弱々しい反応を見せるラムザが愛おしくもおかしくて、アグリアスは微笑みながらからかう様に舌全体でそれを撫で上げる。
先端から滲んで来た残りの精液の苦ささえもラムザがここにいる事の喜びに感じ、アグリアスはそれを強く吸い上げた。
  「ダメだよ、ダメだったら!!」
  度を越した快楽に耐えかねたラムザが腰を引いてしまったので、ちゅぽん、と音を立ててそれはアグリアスの口から出て行ってしまった。
  せっかくの自分の好意をないがしろにするラムザの行動に怒ったアグリアスは思わず口走った。
  「返してッ!」





  ランプの発するオレンジ色の光に惹かれた小さな蛾がランプの周りを飛び回るのをぼんやりと眺めながら
三回目を終えたラムザはアグリアスを後ろから抱きかかえて寝転んでいた。
ラムザのものは既に萎んでいたが、アグリアスが抜かないでと言ったので入れたままにしている。
尻をぴったりと背後のラムザに押し付けているアグリアスがラムザの腕の中で呟いた。
  「ドーリスとかいう男に用意してもらった額は百万ギルだったな? 今までに返済出来た額は?」
  「六十万……です」
  残り四十万ギル。確かに大金だが、アグリアスには一日で用意出来る金額だ。ここで使う金もそうだったが、アグリアスには財産があるのだ。
  「ラムザ……私はもう他の男を代用品にしたくないし、他の女を抱いて欲しくもない。私はラムザを自由にしてあげられる。
アルマ殿の事も心配しなくていいから、ラムザは明日の晩はここへ来ずに家で待っていて」
  「アグリアスさん……?」
  「何も心配しなくていいから……私を信じて待っていて」
  その後に続く言葉は無く、二人はそのまま深い眠りに入っていった。



  朝食の時間に姿を見せなかった娘が、昼前になって書斎で書き物をしていた父の前に現れて言った。
  「父上、お話があります」
  「アグリアス、どうしたというのだね。戦にでも出る様な格好ではないか」
  アグリアスは繕い直してあった近衛騎士団の正装を纏った上に鎧まで着込んでおり、腰には帯剣さえしている。
  「私は旅に出たいと思います。すぐには戻っては来れないかも知れません。どうかこの身勝手を許して下さい」
  娘の目に以前の光が戻り、一文字に結ばれた唇に力強い意志が宿っているのを見た父は驚きのあまり何も言えずにうなずくばかりだった。
暗い部屋に篭るばかりだった娘はどこかへ消え、毅然とした凛々しい騎士アグリアスがそこにいた。
  家の門をくぐる娘の後ろ姿の眩しさに目を細め、父はいつかこんな光景を見たと思い、もう会う事は無いのかもしれないと漠然と感じた。
しかし、何故か声をかける事も追いかけて引き止める事も出来ず、父は呆然として姿が見えなくなるまで娘を見送った。


     アグリアスは戦時中に小さな楽しみとして集めていた香水や装飾品の類の残りを市場で惜しげもなく全て売り払った。
香水の類はいずれも一般の市場には出回らないものばかりだったため、予想通りかなりの高値で売れ、総額でおよそ四十万ギルほどになった。
これで金は出来た。ドーリスの所へ直談判に行かなければ。が、その前に準備が必要だ。あの手の輩との交渉にはそれなりの準備がつきものだ。


  ドーリスが教会の二階にある小部屋で書類の束を広げながらペンを走らせていると、部屋の周りから靴音が聞こえた。
靴音は部屋の前を何度か行き来し、やがて小部屋の前で止んだ。……妙な奴が来た。誰だ?
唐突に小部屋の扉が乱暴に二回、ゴンゴンと叩かれた。
  「開いている。入れ」
  ドーリスが言い終わると同時に扉が開け放たれ、妙なニオイが漂って来た。そのニオイの向こうに人が立っている。
長身を薄汚れた麻のフード付きローブに包んでおり、顔はフードに隠れてよく見えない。
それにしてもこのニオイは何だ? 知っているニオイだが、思い出せない。悪臭というわけではないが、別に良い香りでもない。
  「ルグリアという男の事だが」
  ニオイの主が声を発した。背が高いし、随分と乱暴な感じがしたので男だとばかり思っていたが、その声は女のものだった。
客か。だが、何故受付でなくここに来たのか。受付のジジイは何をしている。
  「ああ、彼は予約が一杯でしてね。今は一ヶ月待ちなんだ。ま、金次第で予約の順序を変える事も……」
  女は男が眠たげに喋るのを無視して分厚い樫のテーブルの上にゴシャリと大きな皮袋を投げつけた。
  「ルグリアの貴様への残りの返済額四十万ギルを用意した。あの男を身受けする。文句無いな」
  あまりにも横柄な女の態度にドーリスは形相を変えて女を睨み付けた。この女、俺を貴様呼ばわりするとは――――
思わず立ち上がりかけたその時、女が着ているローブの裾から細長いものが突き出ているのが目に入った。この女、帯剣している!
しかも鞘の痛み具合と形状からしてかなり使い込まれた騎士剣だ。
目深に被られたフードの奥から漂う女の殺気に気付いたドーリスは咳払いをして侮辱の言葉を飲み込み、舌打ちした。
  「金がありゃいいってモンじゃない。さっきも言った通り、奴には一ヶ月分もの予約が入っている。
あんた一人の欲望で他の数十人が待っている楽しみを奪うつもりか?そ――――」
一瞬だった。女がゆらりと動いたかと思うと、ドーリスの喉元に鋭く暴力的な輝きを放つ白刃がピタリと押し当てられていた。
  「二度は言わんぞ」
  ……この女、本気だッ! ドーリスの額から冷たく粘る汗がぶわりと吹き出て来る。
クソッ! 今、奴が抜けたらせっかく掴んだ大口の顧客が離れる可能性がある。しかし……
逡巡するドーリスの喉元で刃がきらめく。首にチクリと痛みが走った。やがて生温かいものが襟元へ伝ってゆくのを感じた。
  「分かった、分かったから剣を収めてくれ。あんたの提案を受けよう」
喉元に寄り添っていた死がゆっくりと遠ざかってゆくのを横目で追ってから、ドーリスは大きく息を吐いた。


女が去った後、ドーリスは皮袋の中に入っていた四十万ギル分の金貨を眺めながら考えをめぐらせていた。
  あの女は一体、何者なのだろう。凄腕の戦士には違いないが、そこまでしてルグリアを身受けするとは……?
  どうも何か臭う。
  あの女を調べてみてもいい。あの長身で、使い込んだ騎士剣にふさわしい使い手の女となれば数はそう多くないだろう。
まだ近くにいる筈だ。部下に後を尾けさせるか……


  教会の入り口から数十歩進んだところでアグリアスは立ち止まった。その足元の石畳には黒々とした液体が溜まり、月明かりを反射してゆらめいている。
アグリアスはゆっくりとした気だるげな動作で腰の剣を抜き、まるで玩具の木剣を扱うかの様にぞんざいに片手で振り上げ――――足元に叩きつけた。

  ぢ ぃ ん !!

  石畳に火花が散ったかと思うとそこから魔法の様に炎が湧き上がり、一直線に教会の入り口に向かって疾走してゆく。
炎は入り口の扉の下の隙間を潜り抜け、一階のそこかしこを明るく燃え上がらせるだろう。
その間にも炎の先端は風よりも早く二階へと続く階段を駆け上り、奥の小部屋を取り囲む。焦げ臭さと白い煙が部屋に染み入っていく。
部屋に漂ってきたうっすらとした煙に気付いた時、ドーリスは思い出した。
  しまった! あれは、あの女のニオイはいつか死霊にグリースタッチを喰らった時と同じ――――
慌てて椅子を蹴飛ばす様に立ち上がって駆け出し、部屋のドアノブを掴むとジュッ! という音がして掌が焼き付き、ズルリと皮が剥けた。
思わず呻き声を上げて崩折れると同時にもう助からない事を悟り、絶望と恐怖、そして怒りに突き動かされてドーリスは獣の様に吼えた。
  「あの女アアアァッ!!」


  「約束通り金はくれてやる。地獄で使え」
  教会の二階の高窓を睨めつけて言い放ち、アグリアスは踵を返してその場から足早に立ち去った。
騒ぎで目を醒ました近所の住人達の怪訝そうな声がチラホラと聞こえ始める。それが悲鳴や驚きの声に変わって辺りが騒然とする頃、
炎は教会の窓という窓から舌を出して黒煙と共に建物を侵食しつつあった。
                                                                                                                                                               終