01.一世一代の大事件
私は、目立たない人間だ。
別に無口と言うわけではないのだが、存在感というやつを生まれたときに、どこかに置き忘れてしまったらしい。
言い過ぎではない。友達にすら存在を忘れられてしまうこともあるのだ。
実技訓練の時に、茂みに隠れたまま放置されるのもしょっちゅうで、途中で思い出してくれた友達が謝りながら迎えに来てくれるのは、くのいち教室の名物となりつつある。(けど、噂になるほど広まる事もない)
しかも、みんなは、わざとではなく本気で忘れてしまうので怒るに怒れない。
それに、学園に入る前から良くあることだったので、私は、別にそれを理由に彼女たちと友達関係を止めようと思ったことは一度もない。
なぜならば、私は、目立たない人間なのだから仕方がない。
それは、内にも外にも影響するもので、座学も実技もどれも突出したものはない。赤点を取らない程度の実力だ。そして、見た目も目立つほど綺麗な顔立ちでもなければ、男に好かれるようなスタイルの良さも持っていない。
それも要因なのかもしれないが、色の授業に関しては、てんで駄目である。まず、相手に私の存在を認識してもらえない。始まる前から終わっているのだ。
先生には、目立たない事は、忍者としては最高のことよ、というありがたい助言を頂くのだが、くのいちは、その美貌を武器にして情報を得ることも多いと言われているのに、相手の目にも止まらない私は、くのいちに向いていないのじゃないかと思ってしまう。
何が言いたいのかと言えば、私は、他の生徒にすら忘れられるほど存在が薄い人間なのだ。
そして、それは、卒業するまでずっと続くものだと思っていた。
なのに、なぜ、私は、彼に呼び出されたのだろうか。
「……あの、久々知先輩? 私に用ってなんでしょうか?」
大きな木の下で二人で突っ立っている。
私は、目の前の久々知兵助先輩に呼び出された。
久々知先輩といえば、五年い組、火薬委員会に所属している人で、頭脳明晰、文武両道という四字熟語を体現している凄い人だ。と、くのいちの子たちが、色々と話していたので、よく覚えている。それなのに、豆腐が大好物らしく、周りからは豆腐小僧とまで呼ばれているような変わった面も持っている。
そう言えば、食堂で嬉しそうに豆腐を食している姿を見かけたことがあった。
いわば、知らない人はいないだろうという有名人の一人だった。彼の友人もそれはそれは個性的な人たちばかりで、有名だ。変装名人の鉢屋三郎先輩なんかはいい例だろう。
そんな彼に、呼び出しを喰らうと言う事自体が、私にとっては大事件だった。
まさか、そんな人が私の存在を知っていたなんて、これはもう世紀の大事件だとしか言いようがないではないか。
「うん、ええと、付き合って欲しいんだ」
少しはにかんだ顔は、ちょっと可愛いかもなんて思ってしまったが、耳に届いた言葉に脳が止まるかと思った。
付き合う? 付き合うとは何ぞや?
久々知先輩、可笑しなことを言っちゃったよ?
「あの……何処に行けばいいんですか?」
多分、そういう意味で言ったんだと思う。
それしかない。だって、先輩と話したのはこれが初めてのことだし、存在感の薄い私に交際を申し込むなんて土台ありえない話だ。いや、どこかに付き合って欲しいと誘われる事自体が、既に大事件でもあるので、それはそれで吃驚事件に変わりはない。
私が告げた言葉に、今度は久々知先輩が困った顔を浮かべた。
「そういう意味じゃなくて、俺の彼女になって欲しいんだけど」
私の精一杯の誤魔化しは、さらっと訂正されてしまった。
更なる大きな衝撃が私の脳みそを直撃する。
彼女として付き合うということは、つまり男女の仲になって欲しいという意味しかない。
けど、私は、本当に先輩と面識がない。すれ違った事くらいはあるかもしれないけれど、話したことすらない。
それで、何故、私が先輩の彼女になるのだろうか。どう考えても方式が上手く出来上がらない。
もしや、これは罰ゲームか何かなのだろうか。いくらなんでも、そういうのは本気で断った方がいいと思う。
しかし、罰ゲームを告げた相手も、よく私の名前が口から出てきたなぁと、むしろ、そっちの方に感心してしまった。
もしかして、私は、自分で思ったよりも存在感があるほうだったのだろうか。いや、くのいち教室での惨状を見る限り、ありえない。
ありえないのに、なぜ、こうなってるのだろうか。尚更、分からない。
「駄目、か?」
そう告げた先輩の声は凄く不安げなもので、なんだか、こっちが悪い事を考えているような気がしてしまう。
「……構いません、けど」
告白されて嫌ではなかったのは、事実だ。それに、先輩のことは嫌いでもない。かといって、好きでもない。有名人ではあるが、先輩の人となりを知らない。何が好きで何が嫌いか。そういうことすら、全く知らない。
たぶん、向こうもこっちのことなど全く知らないだろう。それで、付き合ってくれと言われるのは本当に不思議な話だ。
それに、悪戯だとしても本気だとしても、存在感の薄い私は、すぐに忘れられてしまうに違いない。
だから、多分、交際も長続きしないだろう。
「本当?」
「ええ、まあ、私なんかでよければ」
「よ、よかったぁ」
嬉しそうに先輩は笑った。その顔を見て、ちょっと短慮だったかなと罪悪感が滲み出て来たのは、黙っておこう。