そんな君が好きだから
久々知・竹谷編//後篇
「トイレってどこにありますか?」
素麺はあっという間になくなった。水分の摂取が多かったせいか急に用を足したくなったのだ。素直に尋ねると先輩はリビングを出て廊下の右にあると答えてくれたので、お借りしますと告げてトイレに行くことにした。
(自動洗浄だった)
久々知先輩の家はやっぱりお金持ちなのかなと思いながら、洗った手をタオルで拭いて出る。
「お待たせしましたー……あれ?」
リビングの扉を開けて声をかけるが、そこには誰の姿もなかった。
中に入り辺りを見渡すが、先輩たちの姿はない。
「あれ? テレビ、つけてたっけ?」
ブルースクリーンが画面いっぱいに広がっている。DVDの電源も付いているので、先輩が次のDVDを入れようと準備していたのだろう。だとすれば、先輩たちがいないのはおかしい。
もしかしたら、買い物に出かけているのかもしれない。私がトイレに入ったので、声を掛け辛くて黙ったまま出掛けたのだ。だったら、テレビの電源くらいはOFFにしていけばいいのにと思いながらテーブルに置いてあるリモコンを手にして電源を落とした。
「…………」
先ほどまで二人の声があったので賑やかだったから、この静けさはなんだか不安な気持ちにさせる。
(でも、直ぐに戻ってくるよね)
ゴトン
「!?」
静かな空間にいきなり響いた音に吃驚して軽く肩を揺らす。
音の発信源は、隣の部屋からした。風か何かで物が落ちたのだろうか。
ゴトン
そう思っていたらまた先ほどと同じ音が響いた。
(聞き間違いじゃないよね)
だとすれば、誰かが隣にいるのだ。
(……誰が?)
先輩たちは、出かけたはずだ。
いや、本当に出かけたのだろうか。もしかしたら、用事があって音のした部屋にいるのかもしれない。
(うん、そうだ。先輩たちは出かけてなくて、あの部屋にいるんだ)
何故そちらにいるのか分からないが、それならば、声をかければいい。そう思った私は足をそちらの部屋に向けた。
ノブを捻ると扉は開いた。開けた隙間から中を覗く。
「先輩?」
声をかけるけれども、返事はない。
「お邪魔します」
そう声をかけて、中に入った。カーテンが引かれているせいか薄暗かった。
ゆっくりとあたりに視線を彷徨わせる。
モノクロを基調としたシンプルな部屋だった。ベッドや勉強机があるので、久々知先輩の自室なのだろう。
「あ、もしかして、これが豆腐一家かな」
ベッドの脇に置かれている色とりどりのヌイグルミは、白や茶色いものが多い。緑が、レアキャラの枝豆君なのだろう。
(確かにミスマッチかも)
男の子っぽい部屋なのに、デフォルメされた豆腐一家のぬいぐるみが女の子っぽさを出しているから、そう思うのだろう。
そんな感想を漏らしていたが、とうの目的を思い出して、私は手にしていたぬいぐるみをもとに戻した。
この部屋にも先輩はいない。先輩どころか誰もいない。
何か落ちた音がしたのは、気のせいだったのだろうか。
でも、音がしたのだから何かが落ちたのに間違いはない。けれども、それらしいものは見当たらなかった。
ゴトン
「!?」
リビングに戻ろうかと考えていると直ぐ近くでその音が響いた。音のした方に視線を向けると、そこにはクローゼットの扉があった。
「だ、誰か、いるんですか?」
声をかけるけれども、返事はない。
どうするべきか考えあぐねる。いくらなんでも他人の家のクローゼットを勝手に開けるのは失礼だろう。だからといって、音がしたのに放っておくというのも気になって仕方がない。
「……先輩、ごめんなさい」
謝罪の言葉を述べて私は扉を思いっきりあけた。
開け途端にゴロンと何かが足元に転がり落ちてきた。
なんだろうと視線を向けると、そこには――
生首が一つ、あった。
驚きに目を瞠り、私は、抜けそうになる腰を支える為に震える手で扉を強く握った。早く逃げなきゃいけないのに石になってしまったかのように目が逸らせない。すると、その生首の目が開いた。にぃやりと笑みを浮かべる。
「……っ!」
悲鳴が出そうになるのを必死に堪える。
(に、げなきゃ!)
漸くその言葉が頭を支配した。それが合図のように私は弾かれたように部屋を飛び出した。震える足を激励しながら壁を伝い、玄関を目指す。
(だれか、だれか――!)
恐怖で出ない声が必死に助けを求める。
ガチャガチャ
「!?」
なんとか玄関前に辿り着いた私は、その音に足を止めた。
誰かがドアノブを回しているのだ。
(だれ?)
ここを尋ねてきた誰かか、それとも人ではない何か。
その単語が脳内に浮かんで私は、恐怖でその場に腰を落としてしまった。震えた足は、もう動いてくれない。
出来るだけ恐怖を緩和させようとギュッと目を瞑る。
(たすけてたすけてたすけて、たすけて、せんぱい!)
ガチャンと音がして施錠が外される。ゆっくりと扉が開く音が響いた。
「ただいまー!」
私の耳に飛び込んできたのは、先ほどまでの雰囲気を払拭させるほど明るい声だった。
「あれ? 、どうしたんだ?」
恐る恐る瞼を開けると、先ほどまで思い描いていた二人の姿が視界に映った。
「たけや、せんぱい?」
「おう、アイス買ってきたぞ」
「くくち、せんぱい」
「どれがいい?」
「――っ!」
恐怖から逃れられたことへの安堵感が大きかったのだろう。ポロポロと涙が零れ落ちた。
「え!?」
「、どうしたんだ!?」
「先輩たちが、いな、くて、それで、」
「直ぐ戻ってくるはずだったんだけど、ちょうど好みのアイスがなかったから選ぶのに時間がかかったんだ。一人にさせてごめんな」
久々知先輩の言葉に私は首を横に振った。
一人にされたから泣いているわけではない。
「となりの、部屋で、おとがして、なま、くびが、あって」
先ほどの光景を思い出して背筋がぞっと冷たくなった。
「……生首?」
私の言葉に竹谷先輩が眉間に皺を寄せた。
私はその言葉に小さく頷いた。
「隣の部屋って、俺の部屋だよな?」
久々知先輩の言葉に、私は先ほどと同じように頷いた。
すると、先輩は、立ち上がって奥へと足を進めた。
「久々知先輩!」
部屋に向かうつもりなのだと気付いて私は慌てて先輩の名前を呼んで呼び止めた。
しかし、先輩は、大丈夫と一言告げて部屋の方へと向かってしまった。
「、大丈夫か?」
竹谷先輩が、不安な表情を浮かべている私を安心させるように頭を優しく撫でてくれた。私は軽く首を縦に振った。
「すみません、泣いてしまって」
慌てて涙を拭う。すると、竹谷先輩は、手首を掴んで止めた。
「擦ると腫れるぞ」
「え、あ、はい」
しかし、今私の手にはハンカチはない。玄関前なのでティッシュの類もない。どうやって拭おうかと考えていると、竹谷先輩に名前を呼ばれたので、顔を上げた。
「舐めていいか?」
「……は?」
何を言っているんだと突っ込もうと思ったのに、竹谷先輩は私の両頬に手を添えて動かないように顔を固定した。
「あの、竹谷先輩」
声をかけると先輩は気持ちの良いくらいの明るい笑みを浮かべた。
「一度やってみたかったんだ!」
「試さないでください!」
思わず突っ込んでしまった。満面の笑顔で言うことじゃない。むしろ、もうちょっと雰囲気を作って言うべきことだ。いや、実際にそんな雰囲気を作られても困ることには変わりない。
「竹谷八左ヱ門、な に を し て いるんだ?」
地を這うような低い声が背後から届いた。
顔だけをそちらに向けると、無表情の久々知先輩がこちらを見下ろしていた。瞬きもしないので、それが怖さが増している。
「ひぃ! せ、せんぱい、それ」
その表情よりも、私は、久々知先輩が手にしているものの方が怖くて悲鳴の声を発した。
「これ?」
先輩はそれを顔の前に持ってくる。それは、先ほど私が見た、あの生首だった。
「せ、せんぱい、な、何してるか分かってますか!?」
あの生首を持つなんて正気じゃない。もしかして、今の先輩には何か恐ろしいものが乗り移ってしまったんじゃないだろうか。
「うん、分かってるぞ。これ、生首だろ?」
「あー……兵助、もしかして、それって」
何か思い当たる節でもあるのか向かいにいた竹谷先輩が呆れた声を発した。
「うん。これ、綾部が押し付けていった首フィギュア」
「…………ふぃ、ふぃぎゅあ?」
先輩の口から出た言葉に、私は目を白黒させながら尋ねた。
「やっぱりか、なんか見覚えがあるなって思ったけど、特製とか言ってたやつだよな」
「うん。兵太夫に協力してもらって、顎と目が動くんだってさ」
「凝り過ぎだろ」
先輩たちの言葉を耳にして、漸く自分の中でも整理が出来た。
つまり、私が見た生首は、作り物だったというわけだ。
(う、うわぁーー!)
途端に先ほどまでの自分の行動を思い出して、顔を両手で押さえた。
自分は、作り物に脅かされていたのだ。火が出そうなほど恥ずかしい。
「?」
「み、みないでください」
穴があったら入りたい。綾部よ、今すぐにここに来て穴を掘ってくれ。喜んで飛び込んでやる。
「もしかして、って、こういうの苦手?」
「…………」
反論が出来なかった。その通りなのだ。
私は、立体的なホラーが苦手だった。映像で見る分には平気だが、生ものだけは絶対にダメだ。目の前で驚かされるから怖いのだろう。だから、テーマパークなどにあるお化け屋敷には、絶対に行かない。誘われても断固拒否する。
「へぇ〜」
「意外だな」
「だ、誰にも言わないでくださいよ!?」
こんな事が鉢屋先輩あたりにでもバレたら確実に標的にされる。それだけは絶対に嫌だ。
ひしっと竹谷先輩の手を掴んで訴える。
「大丈夫、言わねぇよ」
「本当ですか!?」
「ああ、言わないって約束する」
私の必死な様子に苦笑を浮かべて告げる竹谷先輩は、指きりでもするかと小指を出したので、絡めて思い切り指を切った。
すると、すっと私たちの間に手が差し入れられた。
視線を向けると久々知先輩が小指をこちらに向けていた。
「俺も、約束」
「はい、絶対に言わないでくださいね。破ったら針千本ですからね!」
そう告げて久々知先輩の小指とも絡める。
これで、二人への口止めも完了した。
まるで機密任務を完遂したかのような気分だった。
「いつまでもここにいるのも暑いし、リビングに行かないか?」
「ああ、そうだな。アイス溶けるよな」
久々知先輩の言葉に竹谷先輩が手にしていたビニール袋の中身を覗いていた。
提案は凄く嬉しい。私だって暑い。ここよりも涼しいリビングに行きたい。だがしかし、腰が抜けて立てなかった。
(そんなこと言ったら、またからかわれそうだよね)
けれども、このまま座っていても怪しまれるだけだ。
すると、すっと目の前に手を差し出された。しかも、二つある。
顔を上げると、久々知先輩と竹谷先輩がそれぞれ一つずつ手を差し出していた。
「腰抜けてるんだろ? 遠慮なく使え」
「ん、俺も」
「っ、あ、ありがとうございます」
そのさり気ない優しさに私は、笑みを浮かべ両の手を掴んだ。