| □ Genre menu bar □ はじめに ゲゲゲの鬼太郎 DRAGON BALL 3.3.7.ビョーシ 犬夜叉 GAME | ■ ゲゲゲの鬼太郎 ■ |
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54 通り雨
] その日は朝から町に出ていた。 森を出た頃までは快晴だったけれど、買い物を済ませた途端に空は雲に覆われて、気付いた頃にはぽつりぽつりと降り出してきたのだ。 「やだなぁ…もう〜」 頼まれものの紙袋を小さな胸に抱え込み、人並みを縫うようにして帰り道を辿る。 雨を避け、自然と顔は下を向く。足元のコンクリートが段々と水玉を広げ、ついには濃いグレイに染まっていくまでの間、猫娘は走り続けていた。 町を抜ければやり過ごせると思っていた。早く頼まれものを届けたい焦りもあった。 猫娘が「あっ」と気付いたのも束の間、その俊敏な動きでも避けきれずに、街角で濃緑にぶつかった。 「いたた…」 跳ね返されてしりもちをつく。見上げると、濃緑の背広を着た人間だった。 猫娘ひとりが跳ね飛ばされた格好でも、先を急ぐ人並みは途切れることはなく、一瞬ちらり見ただけで引き起こす者もない。 「大丈夫ですか?」 驚いて立ちすくんでいた男が、慌ててひざを折る。しゃがんでもなお、猫娘よりも頭ひとつ分は大きいくらいだった。 (随分と背が高い人なんだな…) 少しばかり頭も打ったのか、猫娘はぼんやりと男を見上げていた。 「怪我はありませんか? すみません…ちょっと考え事をしていて」 そこで思い出す。打ったおしりは鈍痛が走っていたが、大したことはない。胸に抱えていた紙袋も、何とか破れることはなかった。 猫娘がこくりと頷くと、男は内ポケットからハンカチを取り出して、猫娘に手を伸ばした。 「…びっくりさせちゃったかな。すみません。僕の不注意です」 まるで親が子にするように、柔らかく頬を拭う。そのハンカチには妙に懐かしい匂いがした。 その香りは決して強いものではないけれど、雨が降っているせいか強調される。 珍しい匂いではなく、懐かしい匂い。むしろ、珍しい匂いばかりするこの町中で、唯一鼻に馴染んでいるような感じだった。 優しげな瞳が罪悪感に歪んでいる。猫娘は、これはまずいと思って立ち上がった。 「あ、あのー…あたし大丈夫ですからっ。こっちこそごめんなさい! 全然前見てなかったし、だから…」 「女の子が怪我をしたら大変です。僕が悪かったです。すみません」 雨降る町の中。互いに競って謝り合っているのがおかしくて、目が合った瞬間吹き出してしまった。 「服を濡らしてしまいましたね。あの、もし良かったらこの辺りの服屋で新しいものを…」 「あぁいいんです、すぐ帰りますからっ。気にしないでください」 「でも、随分濡れてしまって…」 「それはお互い様ですよ」 傘も差さず、ぼんやりと歩いていた男もまた、通り雨にさらされているのだ。 猫娘は困ったような笑顔を向けて「じゃあ」と再び帰路についた。 ただそれだけの、ことだった。 「?」 奇妙なことに、森に帰ってからも猫娘の瞼には男の顔が浮かんでばかりいた。 何故こんなに思い浮かぶのか、分からない。だからここ数日、首を傾げてばかりだった。 目を伏せても瞼の裏に蘇ってくる、優しい瞳。 耳の奥からは、男の残した一言一句が覚えたてのメロディのように繰り返されていた。 (なんでだろ?) もう、ぶつかった時の驚きは遠の昔のことなのに、まだ驚いているかのように胸が弾む。 「??」 考えているうちに頭がぼんやりとしてきて、ついには熱まで持ち始めた。 「どうしたんだい?」 卓袱台の向かい側。額や頬に手を当てた猫娘を心配して、鬼太郎がこえをかける。 (あぁそうだ。鬼太郎が遊びにきていたんだっけ…) 男のことを思い出すと、目の前の鬼太郎の姿さえも霞んでいた。 日常に埋もれた風景に馴染み過ぎて、ふと忘れてしまっていた。 「うん…」 「熱でもあるのかい?」 「そうみたい」 みるみるうちに鬼太郎の表情が凍り、無言のまま猫娘の額に手を当てた。 確かに少しばかり熱を持っているように思える。 鬼太郎は動揺を胸に押し殺して、静かに訊ねた。 「…おばばに薬を作ってもらおうか」 「やだぁ〜。苦いんだもん!」 「でも…」 「大丈夫だってば! 具合が悪いんじゃないの」 むしろ少しばかり胸がうずくような、いい気分だった。 「暖かくなったり冷えたりを繰り返しているからね、春先は体を壊しやすいんだよ?」 「そんなんじゃないもん」 「じゃあ…どうしたんだい?」 「うーん…」 猫娘はそっと目を伏せる。似合わぬ眉間のしわを寄せながら、考えこんでいた。 考えても答えは出ない。また、男の顔が浮かぶだけだった。 そして残念なことに、その記憶さえも思い出すたびにもやがかっていき、だんだんと輪郭がぼやけていることに気付く。 「あのね。何だか変なのよ」 「何がだい」 鬼太郎ならば分かるのだろうか。 猫娘はぽつりぽつりと、この間の町での出来事を話した。 ただの通り雨。街角で人間の男とぶつかっただけのこと。 鬼太郎はやや心配そうな顔つきをしたが、静かに猫娘の話を聞き入っていた。 そして、猫娘の言葉の端々に、その男への妙な配慮を感じ取り、段々と表情を強張らせていく。 「 でね? それからずっと変なの」 いつも男のことが思い浮かぶ。思い浮かんだ途端、まるで周囲が消えてしまったかのようにあの時の、あの瞬間に気持ちが戻ってしまう。 何度も、何度も思い出す。止まらない。 止まらないのが何故かも分からないけれど、止めたいとも思わない。 ただただ、不思議な気分になって、首をかしげるばかりだ。 最近では夢にまで出てくる。 そして目覚めた時、それが夢だと知ると猫娘は妙な感傷を覚えるのだ。 「鬼太郎もそういうこと、ある?」 「え…」 今度は鬼太郎の眉間にしわが寄った。 そんなことならいつもある。いつでもある。 そしてその時の相手は人間の女ではなく、目の前にいる猫娘だ。 「それは、たとえば…」 鬼太郎は慎重に言葉を選び、くいっと窓の外を見上げた。 「この空の下に、その人がいると思うと…胸が弾むような気持ちかい?」 猫娘も倣って空を見上げる。 そうして少し考えた後、そうかも…と呟いた。 「その人のことを思い出すと、今、していたことも忘れてしまうような…。自分の身を取り残して、気持ちだけが浮かんで行ってしまうような…」 「あー! そうそう、そんな感じ!」 やっぱり鬼太郎は物知りだと、霧が晴れたように喜ぶ猫娘とは裏腹に、鬼太郎の表情はどんどん曇っていった。 ただ一言で答えは出せる。 しかし鬼太郎はどうにか遠まわしにして、その答えを否定したかった。 心を埋め尽くすような存在が現れたのだと、思いたくもない。 「ねえねえ、これは何? やっぱり…病気?」 「うーん…」 鬼太郎を目を伏せる。まるで現実逃避するように世界を閉じた。 もしもそれが、恋なのだとしたら。 今まで猫娘はそんなふうに自分を見たことはなく、初めての感情に翻弄されているというのだろうか。 そしてそれはこれまでも、これからも。ずっと、そうだというのだろうか。 「 たとえば。たとえば、の話だよ?」 「うん?」 「僕の事をそういう風に感じたことは、ないかな?」 「へ? ないよ」 考える間もなく、猫娘は即答した。 「だって鬼太郎は、いつも目の前にいるじゃない」 どこか遠くの空の下ではなく、ここに。そばにいる。 顔も思い出せないその男とは、違い過ぎる。 思い出となるべき時間が何度も、何度も繰り返し塗り替えられるから、ある一瞬だけが残るようなことは、ない。 「…そうじゃなくて。うーん…」 「違うの?」 腕組みしている間にも、鬼太郎の頭はぐるぐると回り続け、やがて、鈍痛を含む微熱があがってきていた。 「じゃから季節変わりは気をつけんといかんと言うのじゃ」 年寄りの言うことをきかんから…と、ここぞとばかりに説教をしながらも、砂かけおばばは二人の看病でてんてこまいだった。 おばばの部屋に布団を並べ、赤い顔をさらした二人は、気まずく顔を上かけ布団に埋める。 「…ごめーん…」 「早くからわしの処方薬を飲んでいればよかったものを」 「だってぇ…」 苦いんだもん…という不平の言葉は、もごもごと飲み込まれた。 「とにかくゆっくり休むんじゃぞ」 額にひんやりとした感触。布越しにおばばの手のぬくもりを感じて、鬼太郎は肩をすくめた。 障子を閉じれば薄暗い室内。 しんと静まり返った部屋でも、二人でいると何かおしゃべりしたくてうずうずするが…… そんなことをしていたら、障子越しに一喝入れられてしまいそうで、猫娘は我慢した。 「…ごめんね。鬼太郎」 「え…っ」 驚いて声をあげると、猫娘は「しーっ」と指を一本立てた。 「あたしが伝染しちゃったみたいで…ごめんね?」 「いや…僕は」 病気じゃないよ、病気になんてなったことないよ、と言いかけて止める。 この熱病が病いではないと、言い切れない。 草津の湯では治らないとは聞いているが。治す気も、ない。 「……こういう時は気が弱くなるんだよ」 「え…?」 いっそ自分もそうだと思いたい。 こんなふうに、消極的に考えてしまったのは知恵熱に冒されているせいであって、いつもの冷静な目でみればまた見方が変わるかもしれない。変わるに違いない。変わると思いたい。 「だから、早く元気な猫娘に戻って?」 そう微笑みかけると、猫娘は少し困ったように微笑んでこくりと頷いた。 どちらからともなくおやすみと言い合って、目を伏せる。 不思議なことに。その瞼裏にはもうあの男の人の姿はなかった。 Fin. |