| □ Genre menu bar □ はじめに ゲゲゲの鬼太郎 DRAGON BALL 3.3.7.ビョーシ 犬夜叉 GAME | ■ ゲゲゲの鬼太郎 ■ |
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56 反射鏡
] とある祠の奥。遠く古来より封印された反射鏡がある。 悪用されぬよう定期的な点検を頼まれた鬼太郎は、猫娘を連れて祠の奥へとたどり着いた。 御札の効力は衰えることなく、何者かが足を踏み入れた様子もない。 「何事もなかったようだね」 「うん」 密閉されてかびくさい澱んだ空気に鼻先をひと擦りすると、鬼太郎は一瞥しただけで踵を返した。 また数年もすれば訪れるだろう場所に、さして興味もない。 祠口に戻る鬼太郎の下駄の音がひとつ。 もうひとつの軽やかな足音は伴っていないことに気付いたのは、数歩進んでからだった。 「…猫娘…?」 わずかばかり、明り取りの窓から漏れる陽も、呑み込むような闇の中。 細い光を反射する鏡に額をつけた猫娘は、そのままじっと立ちすくんでいた。 「………」 鏡の向こう側。自分と同じ姿の自分が、じっと覗き込んでくる。 鏡が珍しいわけではない。けれど、封印されているとはいえ妖力を秘めたこの反射鏡に、猫娘は惹きつけられる。 妖力が引き合うように、鏡の中の猫目から目をそらせない。 見慣れた右手は左手となり。 わずかに動いた左肩は右肩となる。 山道を過ぎる時、草をかすめた左ひざのすり傷は鏡の中では右ひざだ。 反対の世界。鏡の向こうの自分。 まるで夢でも見ているかのように、猫娘の意識が揺らいだ。 鏡についたのは右手のはずだった。 しかしひんやりとした鏡の表面に触れているのは左手になっていた。 ふと視線を落とせば右ひざにすり傷が走っていた。 「…どうしたんだい? ねこむすめ」 背後から声をかけた鬼太郎の姿が鏡に映る。 顔をあげると、その姿はどこも変わらない。変わり映えのない鬼太郎の姿だった。 しかしその眼が、どこか違う。 鏡越しに見つめあううちに、鬼太郎の姿はどんどん近づいてくる。 猫娘の等身と同じになった途端、背後からその身を密着させてきた。 「?」 それでもその身はいつもの鬼太郎だったから、猫娘はまだ半分は異変に気付かない。 しかし半面、猫の本能が危機を知らせていた。 自然と爪が尖る。瞳の色が変わる。 鏡と鬼太郎とに挟まれて猫娘が振り返ると、鬼太郎は嫌な含み笑い声を浮かべて、顔を上げた。 「そんな処から、逃げられるとでも思っているのかい?」 様子だけではない。変なことを言う。 「逃げる…って?」 「何処へ行ったって変わらないよ。逃げられやしない」 鬼太郎の笑いは止まらず、密着したままの猫娘の身をも揺らした。 「全て消してしまったんだからね。邪魔なものは何も、ないんだよ」 「…邪魔な…もの?」 鬼太郎の笑いがやみ、口端が降りた。 まるで睨みつけているように、強い視線で猫娘を捉える。 「君にとっては“救い”かな?」 本当に変なことばかり言う。 けれどもっとずっと変なのは、鬼太郎の目つきだった。 「…誰も助けてはくれないよ…?」 いつも。助けてくれるはずの鬼太郎が、何を言っているのだろう。 振り返ろうと身をよじっただけで、鬼太郎は更に腕の力を強めて猫娘の動きを押さえつけた。 何ひとつ自由になどしてやらないと、束縛するような意思に、猫娘はやっと気付いた。 「痛…っ」 手首を掴まれ、反転させられる。鬼太郎と向き合ったまま再び鏡に押しつけられた。 両手首は振り払うこともできない。 見上げた鬼太郎の眼には見覚えがあった。 牛鬼に取り込まれた時の眼。鬼太郎自身も制御できない、殺意の眼。 「鬼太郎…」 しかしその眼に飢餓はみられない。 殺意を満たすだけのことを、し終えた悪鬼の眼だ。 ───全て消してしまったんだからね。 遠く、祠口に吹き込む風の音がする。 しかしその先に、有機性の音はなかった。 ───何も、ないんだよ。 その言葉通り、いかなる生ける音が何も、なかった。 「…どうして…」 猫娘の顔に恐怖の影が差すと、それさえも満足そうに鬼太郎は笑む。 「どうして…? 君だってわかっていただろう。これしか方法がなかったからさ」 目を伏せれば、瞬時に世界が蘇ってくる。 どれだけの時が流れても、人が人である以上、戦いが潰える時代はなかった。 破壊衝動は消えることはなく、目に見えぬ欲望の渦が取り巻いていた。 深くかかわりあう内に鬼太郎も毒されていく。 誰にも止めることはできない。ひととき留めたところでほころびは広がって広がって… そして最期の日。鬼太郎が諦めを込めて目を反らした瞬間に、世界は消えた。 「僕は全てを救ったんだよ?」 悲劇を生む存在ごと、全てを消滅させた。 そこにはもう生死の意味もない。魂ごとない。 ただ大地だけが広がり続けている。 「もう誰も悲しまない。誰も、苦しまない」 だって誰もいないんだからね、と呟いた途端、鬼太郎は火がついたように笑い出した。 「………」 本当に、これが、鬼太郎の望みだったのだろうか。 終着点はここしかなかったのだろうか。 まるで魅入られるかのように、鬼太郎が戦いを続けていく間、ずっとそばにいた自分にも止められなかったのだろうか。 (…違う…) 猫娘は下唇を強く噛む。 本当は止めなければならなかった。たとえこの爪を研ぎ澄ましてでも、決断をするべきだった。 信じたいからこそ目を背けてきた。きっとひとときの過ちなのだと見過ごせば、嵐のように過ぎ去ると思っていた。 見て見ぬふりしてきた鬼太郎の狂いを、止められるのは自分ひとりだったのだ。 “救い”を求めていたのは他ならぬ、鬼太郎自身だったのだと、笑い続ける鬼太郎を目の前にして気付いた。 「…君も憐れなものだよね」 「……え?」 「いつまでも僕についてきたものだから、こんな目に遭ったんだよ?」 強く掴まれたままの手首が痛い。痛みと熱さの中、抑圧された鼓動が強く脈打っていた。 「僕ひとりだけで済んだんだ」 何もかもが消えた世界で、ただ孤独と絶望に打ちひしがれるのは独りだけでよかった。 しかし猫娘はどんなときにでも鬼太郎のそばにいた。 同じだけの時。同じだけの罪を共に背負う覚悟をしていた。 決して独りにはさせないと、鬼太郎だけを信じてきたのだ。 「───でも。やっぱり逃げるんだ?」 鬼太郎の眼に再び殺意が宿る。 それは鏡越しのように、猫娘が向けているのと同じものなのだろう。 研ぎ澄まされた爪は収まることがない。 「許さないよ」 酷く冷たい呟きを落とした。 叩かれるよりも、引き裂かれるよりも、ずっと悪意に満ちた酷い仕打ちをされるのだと猫娘は勘付いた。 それがどんな行為であるかは分からないけれど。 強く身を重ね合わせた瞬間、鬼太郎の内に秘めた強い脈動がそれを伝えてきた。 (…どう…しよう…) 目を伏せる。 きっと、鬼太郎は自分を逃がさない。猫娘も逃げる気がないからだ。 右ひざのすり傷が、思い出したようにじくじくと痛みを運んでくる。 猫娘は困惑する。 ここは、鏡の中の世界であって。右手が左手に、左が右にと反射する世界であるはずなのに。 決して、自分の知る鬼太郎ではない、はずなのに。 この鬼太郎でさえ、嫌うことはできない。 「…して」 震える唇から可細い声がもれる。 聞き返すと、今度ははっきりと目を見開いて告げた。 「離して」 鬼太郎の顔が凍りつく。 しかしそれは怒りを秘めたものではなく、放された手と同様に、力のない表情だった。 抑制の解けた腕をあげると、今度は猫娘の方からそっと鬼太郎を抱き寄せる。 掌握するのではなく、こうして包み込めたのなら、全ては変わっていたのだろうか。 しかしもう、何もかもが遅い。 消滅したものを元通りに蘇らせることなど、たとえ鬼太郎であってもできないのだ。 (逃げたりなんて…しないよ) 腕の中の鬼太郎は、まるで赤児のように小さく思えた。 (あたしは…絶対に言わない) 小さく思えた…だけではない。本当にみるみるうちに小さくなっていった。 (“許さない”なんて、絶対言わない) 大きさだけではなく存在ごと薄れてゆき、猫娘の腕の中には霧のような鬼太郎の残像が揺れた。 目を伏せたままの猫娘の唇が、ひとつの言葉を象った。 信じてる。 声もない呪文は猫娘の爪を縮ませ、殺意に満ちていた瞳はまぶたに消える。 また、妙な浮遊感とともに意識が揺らいだ。 「猫娘」 右手を鏡についたまま、呼び声に目を上げる。 鏡越し。いつもの呑気な表情で、鬼太郎はぱちくりとひとつ瞬いていた。 「どうか…した?」 鏡の中には右目を前髪で覆った鬼太郎。 振り返れば左目を前髪で覆った鬼太郎の姿。 笑いかけると、さも不思議そうに首をかしげた。 「鬼太郎がふたりいる」 「…え?」 そっと背後に近づいて、鏡の中を覗き込む。 「猫娘だってふたりいるじゃないか」 鏡の向こうとすぐ目の前の猫娘を見比べて言うと、猫娘は「本当だ」と笑う。 ふたりの猫娘。それもそれで悪くない。 けれど左右対称の鬼太郎が、さりげなく猫娘の肩に手を置いているのをみて、ちょっと妬けた。 Fin. |