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其処に在る(殺りん)


[ 其処に在る(殺りん) ]

殺生丸さまのフカフカが好き。
どんなに夜風の冷たい野宿でも、ふわふわに包まれていればとっても暖かい。
邪見さまも一緒にくるまったらいいのに。いつも殺生丸さまの足元にうずくまっているだけ。
一度、殺生丸さまにもそう伝えたけれど、答えはなかった。邪見さまは『畏れ多い』って青ざめてたっけ。
うーん。まあいっか。
こうして殺生丸さまのフカフカに包まれていると、怖い暗闇も全然怖くないの。
薄い月明かりが白銀の毛並みを浮かび上がらせるように仄かに輝いて、優しい光がふわりと浮かぶの。
暗い───あの、一度は堕ちたあの暗いトコロへ沈んでいくようで、眠るのは怖いはずなのに、今はもう怖くない。
殺生丸さまが包んでいてくれる。安心して眠りにつけるの。
それで、りんの体が蕩けてしまうみたいに、頭の中が霧がかってきて───静かな眠りが下りてくる。
「……」
あぁそうだ。今夜はどんな夢が見れるんだろう?
起きている間は忘れてしまうけれど、いつもいつもいろんな夢を見る。
昨夜の夢は何だったっけ?
それで、今夜の夢は……何なんだ…ろう……?


『御館様、ご機嫌麗しゅう…』
見たこともない綺麗な着物を着た女の人が列を成し、優雅に頭を下げる。
おやかた…さま?
ひたひたと進む廊下はどこまでも続き、ふと視界に長い白銀の髪が靡いた。
あたしは、殺生丸さまだった。
両手を広げてみると、それは長く伸びた指と爪。失われていたはずの左手もしっかりとあった。
『如何なさいましたか?』
『……』
返事に困って黙ったままでも、いつもの殺生丸さまと変わらない態度だったのかな、気付かなかったみたい。
どういうことだろう? りん、殺生丸さまになっちゃったの?
大好きだから殺生丸さまになっちゃったのかしら。
うん、そっか。これならずっと、ずーっと一緒にいられるんだもの。
嬉しくて跳ね飛ぶような足取りで駆けたかったけれど、どうもうまく動けない。
やっぱり殺生丸さまの体。殺生丸さまらしくしか動けなかった。
それにしても、ここは何処なんだろう?
ふと足を止めれば、右肩から涼やかな風が運ばれてくる。
広い廊下、このお屋敷に似合った、整えられた美しい庭園が広がっていた。
足を向けると、従者がそっと草鞋を差し出す。
庭に下りれば庭木から注ぐ芳しい香りがより強く感じられて、誘われるように花々に近づく。
殺生丸さまの鼻は本当によく利くんだなぁ。
背も高いから、こんなに木の枝も近い。
『……?』
ふとみれば、昼寝中の邪見さま。やっと出会った見知った顔に、ほっと安堵する。
悪戯にその名を呼ぶと、邪見さまったら慌てて枝から落ちてしまった。
『せっ、殺生丸さま! 御用なればなんなりと』
あたし知ってるんだ。
邪見さまも、とってもとーっても殺生丸さまが大好きだから、殺生丸さまに何か頼まれるのが大好きなんだ。
でも殺生丸さまは大抵のことは御一人でなさるから……。
無用だと言われると寂しいんだって、りん知ってるよ。
『……りん…は?』
『はっ。りんならばこの時間、まだのんびり眠っている頃でしょう』
りん、そんなに朝寝坊じゃないもん。ちゃんと早く起きてるもん。
ただ、殺生丸さまのフカフカが気持ちいいから……。
もう少しもう少しってしてたら、結果的に二度寝しちゃうだけなんだから。
不平気味に黙り込むと、邪見さまは勝手に何かを察して敬礼した。
『今すぐ、連れて参りますっ』
小っちゃいけれど邪見さまって本当に俊敏なの。もう姿が見えなくなっちゃった。
でも。
りんがこうして殺生丸さまになっていたら───りんはどうなっているんだろう?
もしかしてりんの中に殺生丸さまが?
想像したら可笑しくて、思わず笑い出したけど……ただ口元を上げるだけのことが難しい。
『?』
この頬は、この顔は。笑うことには慣れていない。
遠く結界の張られた天空を見上げた。
こうして殺生丸さまになったのも嬉しいけれど……。
でも、もう殺生丸さまには会えないんだ。
だって、りんが殺生丸さまになっちゃったんだもの。
振り返る。一瞬だけ殺生丸さまの輪郭が見えた気がしたけれど、それは長い毛並みの残像だけ。
この手を、腕を、抱きしめてみてもそれはりんの手じゃない。
もう殺生丸さまと手を繋ぐことができない。
もしりんの姿が現れたとしても、その中にりんはもういなくって───。
りんはここにいて、殺生丸さまの中にいて───。
でも、殺生丸さまはここにはいなくって───。
なんだか悲しい気持ちが胸に広がったけれど、それも殺生丸さまの胸。すぐに何事もなかったように平静に戻ってしまう。
どうしよう。どうしたらいいんだろう。
べそをかきそうになっても、この顔はうまく泣くこともできないみたい。
せめても、ぎゅっと目を瞑った。


「───りん…」
幾度か瞬きして目を開けば、それはまだ夜明け前。
フカフカに包まれたまま、遠く月明かりが揺れる。
「…え……? あ…っ」
殺生丸さまがいつもの表情で覗き込んでいる。
目の前に、殺生丸さまがいる───その安堵感だけで深く吐息が漏れた。
不思議。悲しい時だけじゃなくて、安心した時も泣きそうになっちゃうんだ。
「どうした」
抑揚のない口調で尋ねる。でもその視線がその意は伝えている。
殺生丸さまを心配させちゃいけない。慌てて首を横に振った。
「……どうした」
強がりも効かない。すぐに見透かされて、もう一回尋ねられた。
「…夢…だったみたい。怖かったの」
「……」
興味を持ったのか、殺生丸さまの手が伸びて、りんの頭を抱えてそっと抱き寄せた。
小さな声でも聞こえるように耳元に近づける。
尋ねられなくても、どんな夢を見たのか話すのをじっと目を伏せて待っているのが分かる。
「……あのね」
内緒話するみたいにそっと呟く。
「りんがね、殺生丸さまになっちゃう……夢をみたの」
「……」
殺生丸さまの目が再び開いた。
「…それが、怖い夢か」
気のせいかしら、ちょっと不満そうだった。
「うん。だって……殺生丸さまと会えなくなっちゃったから」
りんが殺生丸さまで、でもその中にはもう殺生丸さまはいなくて。
「どこにも殺生丸さまはいないの…。でもりんが殺生丸さまなの。だから…」
こうして腕の中に包まれることも、見つめ合うこともできなくて寂しかった。
とってもとっても寂しかった。
「───ただの夢だ」
着物の裾から出たくるぶしまですっぽりとフカフカが覆う。
「もう眠れ」
夜明けはまだ遠い。明日もまた、千里を行く旅は続く。
「……うん。でも…」
またあの夢に堕ちたらどうしよう。
言うまでもなくりんの不安が伝わっちゃったのかしら。殺生丸さまはフッと鼻で笑った。
「愚かなことだ」
「だってぇ……」
「もう一度同じ夢をみたのなら、今度は池を覗くといい」
「え…?」
「私は其処に在る」
そういえば。庭園に足を運んだものの池には近づかなかった。
鏡のように澄んだ水面に映るのは、きっと……。
「あ」
思わずぽんと手を叩くと、その手もフカフカに覆われる。
「……眠れ」
「うん」
そっか。そうだよね。もう、怖くなんかない。
そういえば邪見さまが探しに行った、夢の中のあたしはどうなったんだろう?
考えている間にまた頭の中が霧がかったように睡魔が襲って…きて……。
りんの静かな寝息ごと、殺生丸さまのフカフカに包み込まれていった。


Fin.

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