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怪盗紳士ピーターヘヴン
「ヒャッホゥ!ついに追い詰めたぜぇ怪盗紳士ピーターヘヴン!!」
甲高い声が地下室に響いた。
つぶれた賭博場跡。割れたオーク材のテーブルの下には、カードとグラス片が散乱している。
鉄でできた格子に、自生のバラと朽ちることのない造花が絡みついて、抜けた天上からは月の光が注ぎ込んでいる。
革の靴底が、雨水の溜まりを踏みにじった。
敏腕刑事のブラストは、汚水槽に逃げ込んだ犯人を、射殺した瞬間を思いだしながら唾を吐く。
機嫌はすこぶるいい。鬱陶しい肩のコリも、コートに染みついたゲロくさいヤニのにおいも、今日なら許せた。
なんならこのまま踊りだしたいくらいだ。
月夜は極上のウィスキーと同じ色をして、自分を歓迎してくれるだろう、今宵死ぬことになる毒虫は、この星でもっとも有害な害虫だからだ。
「くっくっく、無様だなぁピーターヘヴン!テメェは無様だぜ!!テメエラ悪党の中じゃぁ、酒の肴に床のゴミを舐めんのがトレンディなのか!?ヒャハハ」
「くぅ…ふ、不覚」
ドスンと、革靴の先が、うずくまる怪人の腹をえぐった。
中には鉄が仕込まれている。骨ぐらいならいつでも砕くことが可能だった。
ブラストは照星の向こうに揺れるエモノを見る。
長かった、ついにこの時がきたのだ。ずっとこの時を待ち望んでいたのだ。
ピーターヘヴン
この害毒をこの世から消し去ることだけを生きる糧に、ブラストは今日まで永らえてきた。
そう、あの日からずっと。
ここは厳しい思想統制の敷かれた未来国家。
自由などという言葉はもはや死語、人はただ社会の歯車となり、ゆりかごから墓場まで安心して死ねばよい、そういう世界。
一人の人間が己の任ずるままに生き、ましてやその生き方の延長線上に、同じく自由に生きた生涯のパートナーを発見するなどということは、あってはならないことなのだ。
産まれる人間の数と、DNAの組み交わされるパターンは、あらかじめコンピューターによって定められている。最も効率的な配列に、例外は許されない。自由恋愛などという考え方は、典型的な危険思想。
ならばホモセクシャルやレズビアンはどうだ。彼等は生涯、他の人間と関わらずともよい仕事をあてがわれるだろう。それでも裁判抜きで射殺される、性的倒錯者よりはましだった。
恋だの愛だのなんていう言葉は、もはや親玉である心という言葉と共に、迷信と同程度の意義しか持たない。持ちようもないから、それらの言葉はあらゆる媒体から削除された。無意味なのだ。
そんな国家に、真っ向から否を突きつけた者がいる。
怪盗紳士ピーターヘヴン。第一級国家反逆者。
神出鬼没、正体不明、年齢不詳。
分かっているのは、ネヴァーランドと呼ばれる巨大飛行船を乗り回し、片っ端から同調者、あるいは狂信者を集めて回る犯罪者であるということだけ。
旗印は、自由。
「ケェッ!なにがネヴァーランドだ!クソクラエだ!!」
ブラストの靴先が、再びピーターヘヴンの鳩尾をえぐった。
「分かってんだよ、テメェが幼い少女にしか興奮しねぇってことはな!!異性の意味も分からないような幼子を、自分好みに洗脳する!カルトきどりではべらせる!!虫唾が走るんだよこのクソ変態ヤロウが!!」
バチリ、と、電気が爆ぜた。
苦悶にのたうつピーターヘヴン。その背には子猫の形をしたロボットがじゃれついている。これが怪人の身を束縛する原因なのだ。
「ハハハァ!!いい様だな変態ヤロウ!!”ミケ”もお前を気にいってるとよ!!コイツはなぁ…お前みたいな変態性欲の持ち主を捕捉するためだけに造られたもんだ…ヒャハ!!貴様等変態に生きている価値などねぇーんだからな!!苦しいだろう?痺れるだろう?ムダだムダだ、無駄な抵抗すんじゃねぇよ」
「くぅ……」
「コイツのヒゲはなぁ、善良な一般人ニャァ無縁のシロモノだが、テメェみてーな変態ニャァ敏感に反応する……テメェだよコラおら…テメェの…!その…!!クソみてーな×××がくせぇくせぇってよ…!!!」
「ぐあ……!!」
「誰彼構わず発情するような…!テメェの×××なんぞ…!!!磨り潰して豚のエサにしてやるからよゥ…ぎゃはははは」
「……はは」
「あん!?」
「ふは…あはははは」
「オイこら、なにが可笑しい。オイ笑うな、クソ!!このクサレ×××が!!」
「あははは!!コレが笑わずにいられるか!!警察じゃぁそんな下品なスラングを教えているのかい?…はは、孤児院にいた頃、お前はソレの意味をこの私に聞いたんだよ……ユウ」
「……!?」
ブラストの顔から、笑みが消えた。
ゆっくりと立ち上がる怪人。その背は、ブラストと同程度。
「大きくなったなぁ…はは、それにエラくなった。もうチビ助とは呼べないよなぁ…」
「……っく」
「どうした?」
「そのクソみてぇな笑みを止めやがれ、さもねぇとテメェの腐りきった処女膜を、鉛玉でぶち破るぞ…!!」
ピーターヘヴンは素直に笑うのをやめた。
そして少し、考える仕草をする。
長い髪が、月光そのもののように揺れている。
この世ならざる妖艶さが、そこにはあった。
世界は今、この一人の女の美しさにたぶらかされているのだ。
この星が、月の引力で潮の満ち引きを繰返すように。
「ユウが相手なら悪くない」
「な…なに…?」
「ユウが初めての相手なら、別に悪くないといったんだ」
ユウ・ブラストにとって、それはあまりにも甘い誘惑だった。
この女は、肉をもった薔薇のように、人の心をかきむしる。
どれだけ鋭いとげが、隠されていようとも。
「どうしたユウ?…ふふ、まさかお前も初めてか?」
「よ、寄るんじゃねぇ!!」
「綺麗な顔だ…あの時のまま…」
「寄るんじゃねぇといってるんだ!!」
雷管が爆ぜた。
弾は造花を貫いて、壁に黒い穴を穿つ。
「ふふ…そこじゃない。…あせるな、ホラ、触って……」
「や…やめろ……、だ、誰が貴様と……」
「私は本望さ……ゆっくりでいい、…さぁ…」
「……なんで」
「ん?」
「こんなことするなら……なんであの時…オレをおいてったんだ…!!ロゼッタ姉さん!!」
「……ユウ」
そう、許せるはずがないのだ。
ユウ・ブラストの”心”を、かつて一度殺した女を。
愛し合っていると確信していたのに、自分を棄てて世界の敵に回ったこの女を。
殺してやる。
この女がいる限り、自分の心はいつまでたっても狂ったように荒れ続けるだろう。
引き金を引くだけ、それで全てが、終わるのだ。
終わらせるのだ。
バチリという音と共に
ユウ・ブラストは地面に崩れ落ちた。
足元には、ネコ型のロボットがじゃれついている。そのヒゲが、ユウの顔を向いてヒクヒクと動いていた。
「ゆ…ユウ!…だ、大丈夫か…?」
「………できるわけ…ないよ」
「ユウ…」
「わ、わたし……お姉ちゃんのこと大好きだもん……!!もうウソはつけないよ……!!」
「バカな娘だ……このネコに…自分を捕獲対象外にするよう、セットしておかなかったのか?」
「そんなことをしたら当局に目をつけられるから……この国は腐ってる…人が人を愛するだけで狂人扱い…もしもお姉ちゃんが当局に捕まって…酷い目にあわされるくらいなら…赤の他人にお姉ちゃんを傷つけられるくらいなら…わたしの手でケリをつけようって…そう、思ってた。自分を殺して、レズビアンであることを悟られないよう、”ミケ”の実験テストも積極的に受けたわ…」
”ミケ”が、睦みあう2人に威嚇を開始した。敵発見敵発見。しかしロゼッタに首根っこを掴まれると、途端にシュンとなっておとなしくなる。
「ごめんねお姉ちゃん…ごめんね……、こんなことしておいて信じてもらえないかもしれないけど…やっぱり私、ロゼッタお姉ちゃんのことが好き」
「みなまで言うなユウ……お前の気持ちはこのネコが証明してくれた……。私はお前にはまっとうに生きて欲しいと、普通の暮らしをして幸せになってほしいと思って、なにもいわずに旅にでたが……どうやらそれがお前につらい思いをさせたようだな……」
重なり合う、くちびる二つ。
「共にゆこう、ユウ。…我々の国へ」
「お姉…ちゃん…。……わたしなんかでいいの?」
「なにをいっているんだ、お前は私の好みのドストライクだ。やぁ、綺麗な黒髪だね」
「お、お姉ちゃん…血が……」
「ん?」
「ご、ご、ごめんねお姉ちゃん!!わ、わたしが強く蹴ったから…!!!」
「ああ…いや…これは……フフフ。ちがうよユウ、これは違うんだ。どうやら一足先に大人になってしまったようだな……ヤレヤレ」
2人は手をつなぎながら地下室を後にした。
階段を昇ると、月の光が2人の少女を祝福した。
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