キスからはじめよう サンプル


「君にしか頼めないんだ」
 ココさんは困ったように笑って、そう言った。それは、僕には到底理解出来ない内容のものだった。
 僕の容姿は、自分で言うのもなんだけど不細工だ。それなのに、そんなことをお願いするココさんの気がしれない。
「本気……ですか?」
「本気だよ。嫌ならそう言ってくれて構わない。僕も出来るならこんなこと、友達である君に頼みたくはないんだけどね……」
 ココさんはそう言って、苦笑を浮かべた。僕なんかで力になれるのなら、なってあげたい。そう思いはするけれど、目の前に用意された衣服を目にすると、どうしても戸惑う。
 そもそも、どうして僕のサイズのそれを、今ここに用意出来ているのかというのが問題だと思う。
 ここはホテルグルメの客室。ココさんに仕事終りに来て欲しいとメールで呼ばれ、僕はのこのことここまで出てきたわけだけれど……
「………確かに僕は小柄ですけど、ね。いくらなんでも女性には見えないと思いますよ?」
「そうかな? 化粧やウィッグを被れば大丈夫だと思うよ」
 僕はココさんから、ベッドの上へと視線を向ける。そこに広げられているものは、自分には一生縁がないと思っていたようなものばかりだ。
「それに、こんなことを頼める女性の知り合いもいないし、他に宛てもなくて……。無理強いをするつもりはないけど、小松君が良い返事をしてくれるととても助かるよ」
 目の前に見えるのは、薄桃色のワンピース。きっと華奢で綺麗な女の人が着たのなら、それはとても可愛らしくなるのだろう。
だけど、僕も一応男の端くれだ。意外と力の必要な料理だって作っているし、筋肉だってそこそこについていると思う。体つきだって、女の子に比べればごつい筈だ。隠すための羽織物もあるようだけれど、それでもわかる人にはわかってしまうだろうと僕は思う。いや、思いたい。
「本当に最近、過激な人が多くて困っているんだよ」
ココさんは疲れたように溜息を一つ零してそう言った。そんな彼の横顔を見詰めながら、僕も小さく息を吐く。
「ココさんに彼女が出来たなんて話、火に油な気がしますけど……」
「それは僕が彼女達に、伝えればいいんじゃないかな? 見守っていて欲しいって」
 ココさんは渋る僕に、さっきからこうして何度も何度も説いてはお願いをしてくる。
 そりゃ、叶えてあげたいのは山々なんだけども……。
「何があっても、君のことは僕が守るから」
 真っ直ぐな瞳で、ココさんはそう言った。



心臓がドキドキと音を奏でる。この光景が、僕には信じられなかった。
あのココさんの唇が、僕に触れている。
「ふ、ぁっ! ん、ココさん!」
 長いようで短い時間が経過し、僕がなんとか唇を離して叫べば、ココさんが驚いたように体を引いた。
唇を抑えて呆然としている僕を見て少しだけ目を見開いたココさんは、そのままはたと我に返ったかのように僕に背中を向けた。まるで庇うように僕の前へと立ったココさんは、女性達へと一瞥を向けると、静かに告げる。
「……これで、納得して貰えたかな?」
 ココさんは有無を言わせない笑みを浮かべて、茫然自失といった風な女性達を見渡した。
「……うん。異論はないみたいだね」
 ココさんは一人この状況に納得したように頷くと、僕の腕を優しく引っ張った。
「さあ、家に帰ろう」
 呆然としてしまっていたのは、僕も同じだった。唇を抑えて固まったままだった僕は、ココさんに肩を抱かれながらその場を後にする。
 それから僕がやっと物を考えられるようになったのは、ココさんの家についてからだった。
「びっくりしましたよ!」
 我に返った僕は、衣服をいつもの普段着に着替えながらココさんにそう言うのがやっとだった。ココさんも悪いことをしたとは思っているらしい。僕の抗議に口を挟むことなく聞きながら、着替え終わった僕にそっとお茶を差し出してくれる。
「ごめんね? ついカッとなってしまって……」
「……まあ、わかりますけどね。あの状況じゃ……」
 ココさんの言葉に、僕も怒るに怒れなくなってしまった。頭を掻いて、気持ちを落ち着かせようと出されたお茶を口に含む。柔らかい口当たりの、優しいお茶の味はいつも通りだ。けれど、今日のお茶はそれよりもっとまろやかで、甘いような気がする。
「今日のお茶、いつもとちょっと違いますね」
「流石小松君。今日は疲れただろうと思って、蜂蜜を入れてみたんだ」
 僕ははにかんで、改めてお礼を言った。そんな些細なココさんの心配りは、いつも僕の気持ちを温めてくれる。
「……本当に、すまなかったね」
 お茶に息を吹きかけながら飲んでいると、どこかバツが悪そうなココさんが視線を泳がせていた。
「何がです?」
 ココさんの様子が本当に不思議で、僕はカップを机の上に戻しながら問い返す。




ココはある日、自分の追っかけの女性の牽制目的も兼ねて小松に女装を依頼する。
渋々承諾した小松だったが…――
小松君がいたしかたなく女装しますので苦手な人は要注意です
シリアス R-18 本文40P
2012.7.16発行予定