最初で最後の恋
「ふふ、僕にはわからなかったけど、他にもいくつか隠し味はあるでしょう?」
ココさんの指摘に、僕は頷く。それでも、その食材の一つを当てるだけでも凄いものだ。流石、フグ鯨を捌けるだけの人ではあると、僕は改めてココさんを尊敬の眼差しで見つめた。
「前にも言ったけど、君の料理のセンスはとても素晴らしいものだし、料理に対して真摯な姿勢も、とても好感が持てる」
ちょっと品や落ち着きがないのが問題だけど。
そう告げられて、ちくりとしたその物言いに僕は苦笑を浮かべる。
「はは、でもまさか、本当にホテルに来て頂けるなんて、夢にも思っていませんでしたよ」
「社交辞令のつもりはなかったからね。あんなに素晴らしい包丁と料理の腕を見せられたら、小松君が料理長を務めるレストランが気になってくるのは、至極当然のことだと思うよ?」
それに僕はお世辞も社交辞令も、言わない。
僕はそう言われて、妙に納得してしまった。顔に似合わず、ずばっと痛い所をちくちく突いてくる物言いは、確かにココさんならではだ。
「あっ! そう言えば、美食屋、復帰されたとお聞きしたんですけど……」
「あぁ、うん、少しずつ再開してるんだ」
僕はその言葉に、にっこりと微笑んだ。ココさんの過去を詳しくは知らないけど、何にせよココさんが何かを始めようと言うのなら、それはとても良いことだと僕は思う。
「ん? どうしたの? なんだか、嬉しそうだね」
「そりゃそうですよ! ココさんが美食屋に復帰したんですよ? 喜ばずにはいられません!」
ココさんはきょとんとした後、小さく声を立てて笑った。その笑みに、今度は僕が首を傾げた。
「はは、全く君って人は……僕が美食屋に復帰したからといって、君にはなんのメリットもないだろう?」
「そうですけど……ココさんがまたやってみようかなって、そう思ってくれたことが嬉しいんです!」
ココさんの目元が和らいだ。優しげな表情に、思わずどきりとしてしまう。こんな表情をされたら、きっと誰だって同じことを思う筈だ。
「ふうん? 成程。僕のハントにも同行しようっていう魂胆かな?」
「へぁっ?!」
全く思ってもみなかったそれに、僕は目を丸くする。ココさんは悪戯っぽい笑みを浮かべて、僕を見つめていた。僕はその笑みに、苦笑を浮かべる。
「はは、そうですね。あわよくば同行させて貰えたら嬉しい、ですけど」
「この前死に掛けたのに……と、言うか死んでたのに、懲りないね」
僕は気まずさを隠すように頬を掻いた。そこを突かれると、結構痛いものがある。
「うん、でも、そうだね。小松君が良ければ……っと!」
「あっ!」
僕の目の前で、ココさんのグラスに水を注ごうとした給仕係の子が水を零した。
それはココさんの、ちょっと高そうなジャケットに見事に零れてしまう。さっと顔を青褪めさせた子を退けると、僕は慌ててココさんのジャケットに手を伸ばした。
「すみません、ココさ……」
「駄目だ、触らないでくれ!」
辺りがびりびりとする程の声量だった。怒ったような声に、僕も思わずびくりと手を止める。
さっきまで和やかな雰囲気だったのに、辺りが一気に緊迫したそれに変わった。ココさんははたとそれに気付くと、小さく咳払いをする。
「……すまない。でも、前にも言ったでしょう? 僕は毒人間だから、いきなり触れたら……って、ちょっと、わっ、小松君?」
ココさんが皆まで言い終わらない内に、僕はそのジャケットに手を掛けて、ぐいぐいと脱がしていく。給仕係の子が驚いたように身を強ばらせているのが見えたけれど、勢いで体を動かしてしまった後では、もう僕も後には引けなくなってしまっていた。
「はい、お客様のジャケット。すぐにクリーニングに出してきて」
僕がジャケットを渡すと、給仕係の子は「申し訳ありません」と一礼して、どたばたと部屋を出ていく。その背中が扉の向こうに消えると、ココさんはどこか呆れたような目で僕を見上げた。
「ちょっと、小松君? 僕の話、聞いてた?」
「ええ、勿論!」
僕は思わずつんとした声で返す。そんな僕の声に、ココさんがびくりと体を揺らした。
「でも、僕だって洞窟の砂浜で言いましたよね。人間、毒があるくらいのが好まれるって」
ずんずんとココさんの近くに足を進め、僕はココさんの肩に手を伸ばした。
びくりと逃げようとしたココさんの手を寸での所で掴み、僕はココさんの困惑したような目を見つめる。
* * * *
さっさと言ってしまえば良いのにと、自分自身でさえ思っている。そしてこのことを聞いたら、ココさんはきっと祝福してくれるだろう。ちょっと驚きはするかもしれないけど、「良かったね」と、そう言って、笑ってくれるに違いない。
でも……。
「小松君?」
体は違うと、感覚がそう訴えていた。いつもはココさんといると穏やかな時間が流れていくのに、今日は少し空気が違う。その原因を今説明しろと言われても、違和感を覚えている僕にさえこれが何なのか、よくわからない。
「言い難いことかい?」
「……い、いえ!」
ココさんはこれを聞いたら、いつものように目に優しい色を湛えて、喜んでくれる。何を躊躇する必要があるのか。隠していたって仕方がない。
「僕、トリコさんと……」
違和感に戸惑いながら、僕は迷いを振り切るように言葉を紡ぐ。ココさんの目が、すっと細められた。
違和感が更に強くなったような気がして、僕はぐっと言葉を呑み込んだ。一気に緊張したような空気を纏うココさんに、僕はどうしたら良いのか、困惑してしまう。
でも、既にそれは事実として、僕の中にある。それに、こうなったことを僕は後悔していないし、何より、僕はやっぱり、ココさんにそれを知って欲しかった。遅かれ早かれ、ココさんだって何かでこのことを知ってしまうことになるだろう。隠せるものでもないし、隠すものでもない。
それならば、やっぱりそれは、僕の口から直接ココさんに伝えたかった。
僕は声が震えないように、慎重にその言葉を唇に乗せる。
「トリコさんと、コンビを組ませて貰うことに、なりました」
僕がそれを言い終えた瞬間、ココさんの体が一瞬、ぐっと強張った。ココさんはすぐに強張りを解くと、椅子の背凭れにぐったりと体を預け、目をぎゅっと閉じてしまう。
「あの、ココ、さん?」
僕が恐る恐る声を掛けると、ココさんは手を上げて僕の言葉を止めた。
「……いや、うん、わかっていたんだ。おめでとう」
「あ、ありがとう、ございます」
わかっていたこと。その言葉は、まるでココさんが自身に言い聞かせているように僕には聞こえた。
「あの、もしかして、占いで……?」
「……うん。ちゃんと、出ていたんだ」
ココさんの言い方に、僕は何か引っ掛かるものを覚えた。いつもならはっきり言い切るココさんにしては、珍しくどこかはっきりしない物言いだ。
「そうか。うん、そうだね。とても良いと思う。相性も良さそうだしね」
「本当ですか! へへ、ココさんにそう言って貰えると、安心します!」
照れ笑いした僕に、ココさんは優しく微笑んでくれる。そして、違和感はもっと強くなった。
「トリコは君の、憧れでもあったものね」
僕は小さく頷く。でも、この違和感はなんだろうかと、僕はココさんを見つめた。微笑んでいるのに、その瞳の奥には何か違う感情が居座っているような気がしてならない。
「……ずっと、僕の憧れでしたから」
会話を続けながら、僕はその違和感の正体を探るためにじっとココさんを見つめた。ココさんはそれに耐えかねたように、そっと視線を逸らした。
「ココさん?」
「……あぁ、もう時間だね。二人のお祝いは、今日のお礼も兼ねて改めてさせて貰うよ」
「えっ、もうですか!?」
ココさんは僕にちらりと視線を投げると、申し訳なさそうに頷いて、そのまま席を立った。
「すまないね。うっかりキッスとの移動時間を考慮し忘れてしまっていたことに今、気が付いたよ。後片付けもせずに、ごめんね」
「あ……そう、でしたか。いえ! ココさんはお客様ですから、後片付けとかはお気になさらず!」
ココさんはその言葉に、またぴくりと体を止める。けれどそれも一瞬のことで、彼はすぐにまた動き出した。
「あの、ココさん?」
「美味しいランチを、ご馳走様。お邪魔しました。バタバタしてしまって、ごめんね」
ココさんは玄関で靴を履くと、僕に礼儀正しくお辞儀をする。
「いえ、またゆっくり、来て下さいね」
「うん、是非。君も、また僕の家にお茶をしにおいで」
ココさんは笑っている。いつものように、にこやかに会話をしている筈だ。だけど、さっきから強くなる一方の、この不安な気持ちはなんなのだろう。
「……じゃあ、またね」
* * * *
「……僕ね、人に煩わされるのは嫌いだったんだ。誰かのために悩むなんて下らないって、そう思っていた。だけど、それは違うんだ」
それは、まるで自分に言い聞かせているみたいに僕には聞こえた。ココさんは僕の手を包む手に、力を込めた。
「今なら、それはとても寂しいことだったとわかる。大切な人だからこそ悩むし、心配もするし、力になりたいと思う。誰かを大切に出来ること、誰かの力になりたいと願うこと。そう思えることって、きっと幸せなことなんだろうなって、そう思うよ」
「……僕は、ココさんを苦しめていたんでしょうか?」
僕は思い切って聞いてみた。ココさんは意外だというような顔をして、次には緩く首を振る。
「それは違う。もしも僕が君のことで悩んだのだとしたら、それは僕が勝手にしたことだ。だから、僕が小松君の力になりたいと思うのも、僕の勝手」
ココさんの声音はあくまでも優しいままだ。勝手だと言うのが、ココさんの優しさなんだろう。込み上げてくる何かを堪えるように、僕は一度ぐっと奥歯を噛み締めた。
「君はそそっかしいから、ハントに行くと聞くと心配事の方が多くなる。だから、もうちょっと気をつけてくれると、僕の悩み事も減るんだけどな?」
ココさんが冗談めかしてそんなことを言う。僕は、それに笑うことが出来なかった。
「……僕、そんな風に思って貰えるような人間じゃ、ないです」
僕はココさんの手をそっと引き剥がそうとした。けれど、逃さないとでも言うように、ココさんの両手が僕の手を包み込んでしまう。
「……それは君が決めることじゃない」
思ったよりも力強い声が、僕の言葉を否定した。
「僕が決めることだ」
ココさんは真っ直ぐに、僕を見つめてくる。僕はふるりと体を震わせた。その目に見つめられると、どうしたらいいのか、わからなくなってしまう。
僕は戸惑いながらまた手を引いた。途端にココさんの手にぎゅっと力が入る。その強い視線に、力強い手に、言葉に、心臓が壊れそうな程に音を立てていた。
「あの、ココさん……」
「全部、僕が勝手にしていることだよ」
だから君の意思は関係ない。と、ココさんは言う。僕は握られた手を見つめながら、込み上げてきた言葉を止めることも出来ず、ただその疑問を口にした。
* * * *
ぱさりと落ちたジャケットに小松君が意識を向けるより早く、僕は人差し指と親指で小松君の顎を摘み、視線を前へと向けさせた。
「ほら、見てごらんよ」
「……っ、」
窓の中の小松君と、目が合った。強い視線でその目を絡み取りながら、僕はゆっくりと手をその体に這わす。下着を引き下ろし、赤く染まった耳裏に口付けながら、胸の先端を掠めるように掌で撫でる。
その度に窓の中の小松君はぴくぴくと体を震わせ、小さく声をあげて僕の耳を楽しませた。
「かわいい」
「ココ、さ……っ」
ぬろりと舌を出して、小松君の耳の中へと舌を入れる。くちゅくちゅと濡れた音が部屋に反響した。
窓に置かれた小松君の手がきゅっと拳を作っている。快楽に震える体は桃色に染まり、僕の愛撫を全身で感じ取っていた。
「……気持ちよさそうだね」
いつの間にか、小松君の中心はしっかりと勃ち上がっていた。先端から滲み出る先走りを掬い取り、僕は幹全体にそれを絡めた。ぬるぬるとした体液の助けを借りて、僕は小松君の陰茎を擦る手をどんどんと早めていく。
「ひ、あ……ッ」
ぶるぶると震える小松君の声が、どんどん高くなっていくのを聞きながら、僕は小松君の耳に囁く。
「そうだ。ご褒美、決めたよ」
「……ん、ぅ?」
掠れた声は、僕の中の劣情を駆り立てる。僕は渇いた唇を舌で濡らした。今にも君に食らいついて、食べ尽くしてしまいたくて堪らない。
「……舐めさせてあげる」
何を? 小松君がそう言いたげな瞳で問う。僕は小松君の腕を引いてベッドの前までいくと、ベッドの上に腰掛けた。
「……ココさん?」
ぎしりとベッドが音を立てる。困惑したように僕の目の前に立つ小松君の前で、僕はベルトを緩め、ジッパーを引き下ろす。その瞬間、小松君の全身が真っ赤に染め上がった。
「え、こ、ココさん……っ!?」
「ほら、舐めて?」
声を低めて、小松君にそう告げた。小松君が目を見開いて、僕を見つめている。
「あぁ、でも、これじゃあ、君へのご褒美になっちゃうかな……?」
あんなに舐めたがっていたものね。そう言えば、小松君はきょとんとした後、顔から湯気が出そうな勢いでぼんと顔を更に赤くした。
「あ、あれは! そ、そういう意味じゃ……っ!」
「君にそんなつもりはなかったのだとしても、舐めさせて下さいなんて言われたら、品のないことを想像してしまわない?」
しませんよ。小松君はそう言いながらも、俯いて黙り込んでしまった。その間も、ちらちらと僕の様子を伺っているのがわかる。僕は声を立てないように、心の中で微かに笑った。
「……そう? でも、僕は想像しちゃったんだよね」
そんな呟きを最後に、二人の間には沈黙が落ちた。外の音など一切入ってこないホテルの部屋の中、僕はただ黙って小松君の様子を伺った。もじもじと体を揺すり、ちらりと伺うように僕に視線を投げてくる。
「……ほら、小松君」
それとも、僕のこと、軽蔑する?
僕はそう言って、切なげに笑ってみせた。小松君は即座に首を横に振る。
「……僕だって、男ですから」
気持ちはわからないでもないかもしれません。と、口の中でもごもごと小松君が呟いた。成程、沈黙は肯定とは良く言ったものだ。
「じゃあ、ご褒美、期待してもいいのかな?」
促すように言えば、ぴくりと小松君の体が揺れた。手を引っ張って小松君の体を足の間に迎えれば、観念したように小松君が小さく息を吐いた。
「……約束、ですから、ね」
小松君はまるで自分に言い聞かせるように、ぽつんと呟いた。おずおずと小松君は僕の足の間に膝をつく。
焦れったい程にゆっくりと、まるでニトロチェリーの処理をするかのような慎重さで、小松君が僕の下着に手を掛けた。小松君はそこで、一瞬躊躇するように動きを止めてしまう。
こんなことをさせるのは初めてだから、戸惑ってしまうのも仕方がない。小松君が助けを求めるように、ちらりと僕を見つめてきた。
「……どうかした?」
僕は小松君の小さな頭をそっと、くすぐるように撫でてやる。小松君はそれで、全てを吹っ切ることに決めたようだった。
「……いえ」
小松君は視線を逸らすと、おずおずと僕の下着から陰茎を取り出す。そこから飛び出してきたモノに、小松君は息を呑んだ。
ココマの馴れ初め話。
フグ鯨編〜グルメカジノ編までの馴れ初め話です。
おまけでクッキングフェス編もちまっとあります。
ココさんと小松君が惹かれあって、恋人になって、いちゃこらしたりするお話。
2014.03.30 世界美食発見!8にて発行