黄色い鳥が、日本人にしては色素の薄い髪の毛の上に着地した。
ふわふわしているらしいそこは、どうやら鳥のお気に召したらしい。
ごそごそと動いて居心地のいい所を探すその鳥を追い払うでもなく、どことなくくすぐったそうに笑う君がそこにいた。
落ち着いたらしい鳥は、温かなそこにじっと姿を潜ませる。
やがて機嫌がよくなったのか、並盛校歌をそこで歌い始めた鳥に、目の前の草食動物はついに満面の笑みを浮かべた。
代償
「ねえ」
「はいぃぃッ!?」
僕が声を掛ければ、今まで僕が見ていたことにすら気付かない草食動物が体を固くしながら僕の言葉に反応する。
怯えたように、否、実際怯えているのだろう草食動物の顔からは既に笑みは消えている。
そこに浮かぶのは、恐怖のみだった。
鳥がその震えに驚いたのか、飛び立った。ばさりと黄色い羽根を拡げて、適当な場所へとその身を寄せる。
僕はその鳥を睨みつけてから、怯えきった草食動物へと視線を戻した。
「君、僕に喧嘩売ってるの。」
「そそそ、そんな滅相もない!ヒバリさんに喧嘩売るなんて輩は並盛にはいませんよ!」
「……それじゃあつまらないんだけど。」
あははなんてわざとらしい笑みを浮かべながら、両手をぶんぶんと振っていた草食動物が固まった。
怯えを含んだ笑みはそのまま固まり、まるで銅像にでもなったかのように動かない。
僕は机に肘をつき、手に顎を乗せたまま不機嫌を隠しもせずに彼を睨みつけた。
その姿に、ぐっと息を呑んだ彼が俯く。
「ねえ」
「…はい。」
僕が話しかければ君は答えるけど、君が僕に話しかけたことなんて一度もない。
君は脅かされたかのようにただ怯えて受け答えをするだけ。僕にその気はなくても、君は噛み殺されることを恐れて、僕に聞かれたことをただ義務的に答えるだけなんだろう。
馬鹿らしい。こんなにも僕を苛つかせるのは君くらいだ。褒めてあげたいくらいだけど、その前にまず噛み殺してあげる。
「噛み殺していい?」
「なんでそうなるんですか!!」
がばっと勢いよく顔をあげた彼が、抗議するように言う。
すっと瞳を細めると、はっとしたらしい草食動物が口を抑えた。
「君を見ていると、イライラする。」
「…ッ!じゃあ、どうして俺をここに呼ぶんです?」
大きな瞳には、微かに傷ついたような色が浮かんでいた。僕はさらに瞳を細めると、口の端をあげる。
そうやって、君は僕の所まで堕ちてくればいい。あんな駄犬や、野球男の所など行かなくていい。
「さあ、どうしてだろうね。」
「からかっているんですか。」
「からかってはいないよ。僕はその手の冗談は嫌いだ。」
指先をついっと伸ばすと、心得たとばかりに鳥が飛んでくる。この鳥は本当に頭がいい。
黙ったままじっと、その黒い瞳は僕のことを見ている。僕の意思を汲み取ろうとしているのか、何なのか。
「俺、そろそろ失礼します。友達が、待ってると思うので。」
「また駄犬と野球男かい?君たちは本当に群れるのが好きだね。」
がたりと席を立ち、立ち上がりかけた彼の傍まで近づいた。瞳を大きく見開いた君が、伸ばされた僕の手に震える。
それなのに、草食動物は眉根を寄せて困ったように僕のことを見つめていた。
決して反抗的な色ではない、不思議な色を浮かべた瞳だった。
僕は伸ばしかけた手を止め、その瞳をじっと覗き込む。彼が、意を決したように口を開いた。
「俺、草食動物ですから。」
「……そうだったね。」
宙に浮いた手を、そのまま伸ばした。
色素の薄い髪についている、黄色い羽。先ほどあの鳥がこの頭に降りた時についたものらしい。
そっとそれを取り上げると、大袈裟なまでにその体がびくりと震えた。
「羽、ついてたよ。」
「……あ。」
そこで僕の手にある羽を見て、草食動物は驚いたように瞳をまた見開いていた。
本当に、よく表情がころころ変わる。怯えたようにぎゅっと瞳を閉じていたと思えば、次にはもう違う顔を見せている。
鳥が窓辺で校歌を歌いながら、首を傾げた。
「…あの」
「もう帰っていいよ。」
ふいと視線を外し、彼に背を向ける。僕にはまだ、やることがある。
草食動物が、弾かれたようにソファーから立ち上がった。
「ヒバリ、さん」
「まだ何か用があるの。君の取り巻きがこの部屋にきたら、容赦なく噛み殺すけど。」
自分の机に備えられた椅子に腰掛け、机に肘をつき彼を見た。
俯いていた彼が、顔をあげる。その顔は、夕焼けのせいかはわからないが赤く見えた。
鳥が、赤く染まったグラウンドへと羽を拡げて飛び去る音が聞こえた。
「…ありがと、ございました!」
それは、ぎこちなかったけれども確かに君の笑顔だった。
ねえ、君はわかってるの。いつも怯えた表情しか見せなかった君がここで、初めて僕だけに笑いかけたことを。
「じゃあ、俺」
「待ちなよ。」
くるりと帰ろうとする草食動物を、僕は引き留めた。
この苛立ちはそんな些細なことでどうやら消えてくれるものらしい。
君が見えなくても、君が他の誰かに笑いかけても収まらなかったこの苛々、が。
「まだ、何か?」
「明日もまた、ここにおいで。」
彼は鳩が豆鉄砲に打たれたような顔をして、黙り込んだ。
やがて、外から彼の取り巻きが群れをなして草食動物を迎えにくる声が聞こえる。
はっとしたように慌てて鞄を取り上げた彼の後姿に、僕は笑う。
「じゃあ、放課後。」
振り向いた彼の眉根はやっぱり困ったように寄っていたけれど。
「うん、また明日ね。」
僕はそう言って、口端をあげた。
やがて閉められた扉を眺めて、机の上に置いてあった書類へと意識を向けた。
訪れた沈黙は、先ほどの余韻を残しているせいか酷く甘く、恐ろしいことに心地が良かった。
「僕が草食動物に、ねえ。」
書類にペンを走らせながら、ぽつりと呟いた。
さあ、この代償を君は、どう償うのだろう?
大丈夫。僕が君の骨の髄まで、噛み殺してあげるから。
夕日に照らされた部屋で、ぎこちなく笑う君の笑顔を思い出して、僕は口端を持ち上げた。
あとがき
くっついてないのにどことなく甘い雲綱。
2008/08/16 Up