遠くから、近づいてくる。
ゴロゴロ、ゴロゴロ。
それはどんどん、どんどん近付いて、やがて大きな音を地上に響かせる。
俺は放課後の学校、補習が終わった教室で外から響いた大きな音に体を竦ませた。
今日に限って山本も、獄寺君もいなかった。
心寂しさも手伝って、その音は俺の体にびりびりと響いてくるような気がした。
降り始めた雨も、最初こそ小降りだったが帰る今となれば既にもう土砂降り所の騒ぎではなかった。

あぁ、不運な俺に幸あれ。

避雷心




「ギャー!!」

ドカーンとどこかに落ちた雷の、あまりの大きさについに俺の中の何かがキレた。
思わず叫んだと同時に、その場に蹲り耳を塞ぐ。この場に誰かがいたら、やっぱダメツナだなと笑われただろう。
だけれども怖いものは怖い。もしも今そんなことを言われたなら、自然の力を見くびるんじゃあないぞと反論さえしてやりたくなるくらいには怖かった。
おまけになんだってこんなに暗くなる必要がある、辺りはより一層不気味な雰囲気を醸し出している。
それが一人だから感じるものなのかはわからないが、とにかく恐怖を煽るにはもってこいの状況だった。

「何してるの。」

そんな時に突如後ろから、ぬっと影が俺に差し込んだ。やがてぴかっと、外が不気味に光る。
振り向いたそこにはのっぺらぼう。

「ギャーーー!でたーーー!!」

雷鳴と、先ほどよりも大きな俺の叫び声が廊下に響き渡った。





「人を化け物扱いするなんてね。」
「うぅ…ごめんなさい。」

あの叫び声の後、煩いと見事に噛み殺された俺は、彼にしがみついていた。
ぎゅっと首に手をまわし、彼にお姫様だっこされているような形だった。
いくら細い奴だといっても、男の俺を持ち上げる彼は流石だと思う。こんな細い体のどこにそんな力があるのだろう。
それ以前に、軽いよと言われた時には流石の俺も傷ついた。逆だったらきっと出来ないに違いない、その前にさせて貰えないだろうが。
嫌だと抵抗すれば、君と歩くといつ応接室につけるかわからないと一蹴りされて、この今の状況に至る。
何せ俺は、外が光って音が鳴ればその場に蹲ってしまうものだから、なかなか歩くに歩けない状況になってしまうのだ。
先ほどののっぺらぼうだって、外からの光に慣れなかった目が彼を認識できなかっただけの話だ。
自分の情けなさに、ほとほと嫌気がさしてきたが、それだけでは当然この恐怖心は拭えない。
今でさえ、音が鳴る度に目の前の人の首にぎゅっと抱きついてしまうというのに。

「ちょっと、綱吉。苦しいよ」
「うぅ、ごめんなさい…ヒバリさん。」

こんなやり取り、既に何回目だろう。
いい加減そろそろぽいと放り投げられて、暗い廊下に一人放置されてしまいそうだ。
そんな俺の不安とは裏腹に、恋人でもある並盛の支配者はどうやら機嫌がいいみたいだった。
何かを問いかけようにも、外が光れば声など引っ込んでそれどころではなくなってしまう
やがて、どさりとやや乱暴に、廊下の硬いであろう床とは全然違う、柔らかい場所に降ろされた。

「手、離して。」

ゆるゆると瞳を開けると、目の前には困ったようなヒバリさんがそこにいた。
辺りを見回して、そうして彼に視線を戻し、応接室についたのだということを知る。
慌てて彼の首から手を外し、あまりの醜態に頬が赤くなっていくのがわかった。

「ご、ごめんなさい…」

やっと手を離したと思ったら、外から一際大きな音が響く。びくりと肩を竦ませて、瞳をぎゅっと閉じる。
なんでかは知らないが、小さい頃から雷だけはどうしても苦手だった。
勿論、苦手なものは他にもたくさんあるといえばあるのだが。

「全く、世話が焼ける子だね。」

溜息と共に吐き出された言葉は俺への厭味が殆どだったけど、その声音がちっとも怒っていないのだけは俺でもわかった。
もっとも耳を塞いでいる所為と雷に意識が行っている所為で、彼の声もあまり聞こえたものではなかったのだけど。

「あんまり余所にばかり意識を向けないでくれる。折角僕がここにいるのに。」

むっとしたように言う彼の機嫌は、ただいま急降下中のようだ。先程の機嫌の良さはどこへいってしまったのか。

「だ、だって!こ、怖いんです。」

ひええと言いながら、また耳を塞いだ。あぁ、はやく過ぎ去らないかな。
ぎゅっと目を閉じて耳を塞いでいる俺には、彼の気配にまで気を配っている余裕はなかった。
頭に何かが触れたと思えば固定され、上向かされたと思えば唇に何か温かな感触のものが触れる。
小さな、可愛らしい音が部屋に何度も響く。宥めるように、慰めるように。
瞼に、額に、鼻に、頬に、耳に、唇に、耳を塞ぐ手に。それは飽きることなく何度も、何度も。

「こんなのが怖いのかい。たかが雷だよ。」
「だって…怖いものは怖いんです。」

情けないにも程がある程震えてしまっている声で、なんとかそれだけを紡ぐ。
薄らと瞳を開けると、彼が意地の悪い笑みを浮かべてそこにいた。
にやりと、口角をシニカルにあげて笑った彼の瞳が、満足そうに細められる。

「ねえ、雷なんか僕が噛み殺しておいてあげる。だから、君がそんな怖がる必要はない。」

君は僕だけ怖がればいいんだ。
そんな恐ろしいことを言った彼の言葉には、無謀とも言えるものがあった。でも、ヒバリさんならやりかねないような気もする。
だって並盛最強のヒバリさんだ。彼がこうすると言えば、その通りにことが進んでいくのを今まで何度も見てきた。

「い、いえ、そんな天候操作まではしなくっても…」

するりと頬に伸びた手を拒むことなんて出来る筈もなく、そっと腕を縋るように掴んだ。

「やっと僕のこと、見たね。」

嬉しそうにそう言って笑う彼に、俺は思わず息を詰めた。
どきどきとなる心臓が、煩過ぎる。満足そうに笑う彼が、あまりにも綺麗すぎるのがいけない。
どうしてこうもこの人は綺麗なのだろうと、唇を噛み締めた。

「綱吉?」

そろりと彼の頬に触れると、ヒバリさんはふっと目元を和らげて俺の手にキスをした。

「……ッ、ずるい、です。」

俺ばっかり、こんなドキドキして。馬鹿みたいだ。
彼の手に捕らえられていた手を奪い返して、それで自分の顔を覆った。静かな部屋に、雷鳴が響く。びくりと、条件反射で体が竦む。
怖いのと恥ずかしいのと、なんだかよくわからない感情がごちゃごちゃになって、色々なものがバラバラになりそうだった。
何が言いたいのかも、何がしたいのかもよくわからなくなった。

「ずるい…ね。それは、君だと思うけど。」

彼が俺を囲い込むように、俺の体の両横に手をついた。顔を覆う手に、また柔らかい感触と可愛い音が部屋に響く。
どうしたというのだ、彼は。普段はこんなに、構ってくれることだってないのに。

「雷にでも、打たれたんですか。」

指の隙間からヒバリさんを窺うと、彼はきょとんと、わけがわからないという風な顔をして見せた。
やがてクックと笑い始めた彼に、俺はいよいよ恥ずかしくなってまた顔を隠す。
真赤になった顔を見られたくなくて、目の前にある彼の胸に顔を埋めた。
嫌だとも言わずに、そっと背にまわされた手に安堵の吐息が零れてしまう。ここなら、なんだか安全だという妙な確信が胸を支配する。

「君がこんなに可愛いのなら、それも、いいかもね。」
「褒め言葉じゃないです。」

むっとして言い返すと、ヒバリさんはまたクックと笑う。
草食動物な俺は、もはや彼の腕の中から逃れる術と気力を失っていた。

「そもそも、雷なんて一年に数回はあるじゃない。その時はどうしてたの。」

僕が、いない時は。恨めしそうにそう言って、ぐっと端正な顔が近づいた。
今にも触れそうな唇の距離、黒い瞳の中に映る自分に、どきどきと心臓の鼓動がはやくなる。
うるさい、うるさい。それは、外の大きな音よりも、俺の耳に、体に、響く。
けれど決して怖くはない、音。

「綱吉」

答えな。
その瞳が、声が、そう告げていた。
まるで洗脳されてしまったかのように、俺は唇を開く。

「その、我慢、してました。」
「我慢?」
「…はい。怖かったんですけど、我慢、してて」

震える手だって誤魔化して、びくりと強張りそうになる背だって押し隠して。
ただひたすら教室の自分の机で、ひたすら音が聞こえないように寝たフリをしていたのだと正直に告げる。
最も、今日の雷は放課後になってからだったのでそんなことはなかった。
暗い廊下で一人きり、抑える理由がなければ叫んでしまうのも仕方がないと自分に言い訳する。

「ふうん。で、どうして僕の前じゃ我慢しないの。」
「……どうしてでしょう。」

苦笑が零れた。どうして、だろうか。自分で改めて、問い返してみる。
ヒバリさんが、じっと俺の目を覗き込んでいた。

「綱吉。」

名を呼ばれる。彼だと認識した瞬間、思わず手を差し出して彼に抱きついてしまったのはきっと、ヒバリさんだったからだ。
弱いところも、そうでないところも、全部彼にならさらけ出してしまってもいい。
彼の腕の中は安全だと、体がもう覚えてしまっているのだろう。温かく、優しく包みこんでくれるようなその中は俺の好きな場所の一つでもある。

「……ッ!!!」

そこまで考えて、俺の頭はぼんっと音を立てて真赤になった。
なんだそのどこぞの乙女じみた考えは。
払拭するように頭を振ると、その様を見ていた彼が笑う。ぐっと更に近くなった距離に、頭すら振れなくなった。
吐息が唇に掛る。心臓はもはや、壊れそうなくらいに鼓動を刻む。

「綱吉、何考えたの。」
「何、も…」

気付けばそこには、当り前のように妖艶な雰囲気を纏ったヒバリさんがいた。
いけない、このままでは雰囲気に呑まれてしまう。そうは思うのに、体が動かない。
かちかちに固まって、ヒバリさんの瞳に全ての意識を吸い込まれているような気分だった。
それがあまりにも心地良過ぎるから、なおタチが悪い。

「強情だね。」
「ほっといて、ください」

ふっと彼が口端をあげたのが、気配でわかった。

「いいよ、それなら言わせるまでだから。」
「ひば…っ!!」

そうして唇は塞がれ、深いキスの後に彼が艶やかに笑う。

「そんなに怖いなら、僕が避雷針の役割でもしてあげる。」
「ひばりさん?」
「あぁ、君の場合恐怖心を取り除くわけだから、針じゃなくて心のが適切なのかもね。」

甘く、甘く、甘く。楽しそうに、その低くて胸を締め付けるような声で、俺の耳に落とされていく言葉。
囁かれた言葉はまるで毒のように俺に沁み渡り、俺の心を、感覚を奪い取っていく。
そうしてあとは、なすがままに。


いつしか雷は鳴りを潜めてはいたが、俺の心臓はそれ以上に煩い音を奏でるようになっていた。
それは勿論恐怖などではなく、幸せやら、恥ずかしさやらが詰まった音。
彼から与えられるそんな甘ったるい気持ちが、愛しくて仕方がなくなった。

雷よりも大きな音を奏でる心臓が正常に戻る頃。
既に世界は、夜の静けさをとっくに取り戻していた。





あとがき

こんなヒバツナが好きです(ぇ

2008/08/30 Up