彼は歌うように、囁くように。
「好きだよ、綱吉。」
当然のようにその言葉を口にする。
甘くて、恥ずかしい言葉。滅多に囁かれることはないけれど、彼は気紛れに口にしてくれる。
俺はいつも、その言葉が恥ずかしくて俯いてしまう。いつも、彼から不機嫌そうに催促されて、やっとのことで口にできるその言葉。
彼に促されることもなく、俺も好きです。と。
そうやって返してあげられたのなら、どんなにいいだろうと思う。
恥ずかしい程に甘くて、でもとっても幸せにしてくれるその言葉。
どうか、それを俺が言えるだけの勇気を下さい。
真夜中のデート
自室のベッドの上、壁に寄り掛かって何をするでもなくぼんやりとしていた。
何か考えているわけでもなく、本当にただぼんやりと過ごしていた。
この場にリボーンがいたのなら、勉強をしろと飛び蹴りがあったかもしれない。
でも生憎と、リボーンは今朝からビアンキと並盛デートに繰り出している…らしい。
真っ暗になった外を眺めて、このまま寝てしまおうかと瞳を閉じる。酷く心地がいい夜だった。
風は涼しいし、外から聞こえる音といえば虫の鳴き声と自転車が路地を走っていく音くらいのものだった。
やがてその不規則に聞こえてくる音の中に、エンジン音が混じった。こんな所、滅多に車なんて通らないのに珍しいなと思ったのも束の間。
目の前にばさりと黒い物体が舞い降りる。心地よい微睡の中に身を置いていた俺の目を覚ますには、十分なそれ。
「騒いだら、噛み殺すよ。」
「ヒッ…!!」
窓辺に寄っていた俺の腕を掴み、彼は俺をそのまま肩に担ぎあげる。
そのまま来た時と同じように唐突に、二階から飛び降りる。
叫ぼうとした俺は、ふと先ほど言われた強盗か何かにきた人のような脅しの言葉を思い出して、唇をなんとか噤んだ。
すとんと音もなく、二人分の体重をその足に受けても難なく着地した彼は俺をバイクの後ろに座らせた。
あぁ、さっきのエンジン音は車ではなくバイクだったのかと、呑気にも考えた。
そんなことを考えている内にがぽっと、ヘルメットを被らせられる。
「ちょっ、なんですか!?」
「うん、ちょっとデートでもしてみようか。」
はああ?そう叫ばなかった俺を、褒めてほしいくらいだ。
彼は無表情にバイクを跨ぎ、ちらりと俺を一瞥して笑う。ばさりと肩に掛けられたのは、彼の象徴でもある黒い学ラン。
「それ、着てな。飛ばすよ。」
礼を言いながらその学ランに腕を通し終わると同時に、体が突如発進したバイクからがくんと落ちそうになって思わず彼に抱きついた。その不格好ともいえるその姿に、ヒバリさんが笑ったような気がしたけれど、俺に確かめる術は当然のようになかった。
彼の学ランを部屋着の上に着ているとはいえ、身に受ける夜の風はやっぱり少しだけ肌寒い。だからこそなのか、抱きついた腕から感じられる彼の体温はいつもと変わらない筈なのに、温かかった。
バイクを飛ばしているにも関わらず、風にはためく学ランからは彼の匂いがする。
昔の俺であったなら竦み上がってしまうであろうそれも、今の俺にとっては甘い香りでしかない。
少しぶかぶかなそれに若干の悔しさが混じるが、それ以外の何か別な感情が、その悔しさ以上に俺の胸を燻ぶらせる。
腕をまわした体は見た目とは違いがっしりとしていて、彼が常日頃鍛えているのだろうことを伺わせた。
どこにいくのか、なんでこんなことを思いついたのか、色々と質問や抗議はあったがこの風ではきっと彼に質問しても、まず声が届かないのは目に見えたので、目的地につくまでは彼の体にしがみつくことだけに意識を集中させる。
途中母親が心配しやしないだろうかと心配にはなったが、そんなことを言ったとしても彼が戻してくれるはずはないと思い止まり、小さく息をついた。
景色はどんどん変わっていく。びゅんびゅんと風を切る音まで聞こえる程に、彼の運転するバイクは速度をあげていく。
右へ曲がり、左へ曲がり、どんどんと市街地から離れていっているのだろう、車も、道路を照らす明かりも少なくなっていく。
標識もあったのだろうが彼の背中に抱きついている格好のため、どこに向かっているのか、今どこにいるかということもイマイチ把握は出来なかった。
信号は、驚いたことに赤にならずに済んだようだ。ひたすらに止まることなく走っていくバイクの速度は、あがる一方で止まることはなかった。
そうして長いような、短いような距離を走って、少し小高い丘を越えた所でバイクの速度が落ちて行き、運転していたヒバリさんがきょろきょろと何かを探すように辺りを見回していた。
やがて開けた場所に出ると、そこでやっとバイクが止まる。彼がバイクから降りて、次いで俺のヘルメットを取り上げる。
体に力が入っていたらしい俺は、ようやくそこで一息ついた。
「ついたよ。」
「あ、ありがとうございます。で、ここはどこなんでしょう?」
「並盛の外れだよ。あっち、見てごらん。」
彼の指差す先を見れば、なるほどと納得がいった。どうやらこの丘からは、並盛全体が一望できるらしい。
きっとどの雑誌にも載っていないのだろう。こんなにも綺麗なのに、そこには誰もいなかった。所謂隠れスポットと言われそうな場所だった。
煌々と明るく家々の電灯が灯され、それはまるで夜空に浮かぶ星のようにキラキラと夜暗に浮かぶ。
ここら一体が暗いせいなのかはわからないが、夜目に慣れた目には眩し過ぎるそれに、俺はそっと瞳を細めた。
「…凄い。」
「僕のお気に入りの場所なんだ。」
俺の一言に、気を良くしたらしいヒバリさんが笑ったのが闇の中でもわかった。
「今日は、誰も来させないようにしてる。」
そっと後ろから抱え込まれるように抱き締められて、慣れていた筈のヒバリさんの匂いが、一層濃くなった気がした。
ドキドキと心臓が跳ね上がる。耳元に感じる吐息と、包み込まれるようなその体温と。
前にまわされた腕に手を添えると、彼の低い体温が先ほどバイクに乗っていたせいか一段と低く、冷たく感じる。
「それって、公私混同じゃないですか。」
「煩い口だね、噛み殺されたい?」
「ギャッ!!え、遠慮しておきます。」
彼の口調から、ふざけているわけではないと瞬時に悟った俺は慌てて答える。
それは残念と、あまり残念そうではない口調でヒバリさんは言う。
相変わらず意地悪な人だと、唇を尖らせながらも視線を並盛の町へと向けた。
彼の低い体温は、相変わらず俺を包んでいるまま離れない。俺の体温が、どんどんと彼に奪われていく。
けれども、それは決して不愉快ではない。
「寒いですか」
「君がいる。」
短く返されて、俺は口を噤んだ。俺の体温を奪っていくその肌にも、抵抗なんてする気はなかった。
寧ろ、彼の所為で引き起こされた熱が熱くて仕様がないから、丁度よかったというのもある。
「君は、熱いね。」
「誰のせいですか。」
「僕のせいだといいたいの?」
「……そうですよ。ヒバリさんの、せいです。」
それだけ口にすると、ヒバリさんがまた笑った。今度は耳の後ろで、くすくすとはっきりと聞こえた。
赤くなっているだろう俺の耳に唇を寄せて、小さな音と共に口づけが落とされる。
「好きだよ、綱吉。」
びくっと、俺の体がその言葉に反応する。体温がまた、あがった気がした。
滅多に言われることのない、彼からの言葉。いつもその一言で、胸が満たされていく。
「……」
くるりと腕の中で彼に向き合うように振り向いた。ヒバリさんがその行動に驚いたように、俺のことを見降ろしていた。
漆黒の闇に溶けてしまいそうな髪と、白い肌。自分よりも低い体温に包まれて、俺は噛みしめていた唇をそっと開く。
ドキドキと、心臓が煩い。
「……綱吉?」
訝しげに眉間に皺を寄せたヒバリさんが、俺の顔を覗き込む。
何かあったのかと心配そうなその表情に、胸が締め付けられているような感覚が俺を襲う。
なんでもないと首を振った。どうしても伝えたいこの想いと、恥ずかしいという気持ちとの狭間で俺は揺れていた。
「今まで、デートらしいことなんてしたことがなかったから連れてきたんだけど。」
珍しく饒舌に喋るヒバリさんに、俺は口を閉じたまま耳を澄ましていた。不器用な彼なりの優しさが、嬉しい。
冷徹だ、なんて言いだしたのはどこの誰なのだろう。
冷たい所もあるけれど優しい人でもあるのだということに俺が気付いたのだって付き合いだす少し前のことだったから、人のことはいえないんだけど。
「あの」
もごもごと、覚悟を決めてヒバリさんの瞳を見上げた。
黒曜石のような瞳が、決して冷たくはない瞳で俺のことを見降ろしていた。
「…俺、俺ッ、好き、です!」
「何が?」
並盛のアイドルである京子ちゃんに死ぬ気で告白したのを除けば、俺が自身の意思で思いを伝えたのはこれが初めてのことだった。
察しのいい彼のことだから、わかっているのだろうに。それなのにも関わらず、彼は適格な言葉を要求してくる。
俺の顔が、ぼんっと音を立てて真っ赤になった。
「…な、な、何って!!」
ぷっと笑ったヒバリさんが、口元を抑えている。ふるふると震えている肩は、必死に笑うのを我慢している証拠だろう。
それを見た俺は、ついカッとなって彼の胸元を掴み上げて引き寄せた。
「ちょっと、綱吉?」
ヒバリさんはその行動に、むっとしたように眉間の皺を深くして、鋭利な瞳に剣呑な光を浮かべた。
俺は構わず、彼の瞳を間近に覗きこみながらも自棄になって言った。
「あなた以外に、いるわけがない。」
そうして、噛み付くように口付けた。更に間近になった彼の瞳が、見開かれる。
こんな外で、しかも並盛最凶の彼になんてことをしているのだろう。そう思い当たった瞬間、俺はぱっと手と口を離して逃げだした。
なんて破廉恥で恐れ知らずな!でも、だって、彼がからかうのがいけない。
うわーっと叫びながらヒバリさんから離れようとした俺は、後から伸びてきた腕によって阻止された。
「待ちなよ、草食動物。」
「ッ!!」
久しく呼ばれなくなっていたその名に、恐怖を刻まれた体は従順に彼に従う。
例え恋人になったとしても、彼は彼のまま、恐怖の風紀委員長に変わりはない。ただ、お仕置き方法が他の人と変わっただけの話で。
遅刻をすればちゃんと俺にだってバツが与えられる。それも、かなり恥ずかしい類の。勿論、口に出してなんて、言えない。
彼の気にくわないことをすれば、噛み殺される時だってある。群れていたって、言わずもがな。寧ろ、他の人よりも噛み殺される基準が高い気がするのは俺の気のせいか。
「言ったでしょ。デートなんだよ、これは。」
逃げられると思わないでね。そうやって彼が忠告する。
気付けば、またもや後ろから先ほどよりも強い力でぎゅっと抱きしめられていた。ヒバリさんの顎が、頭の天辺に乗っけられた。
「君から言われたの、初めてだったから。」
だからつい、と笑いながら平然と言うヒバリさんに、反省という言葉はないのだろう。
物凄く恥ずかしかったのだと訴えたって効果はきっとないに違いない。無駄な労力を使うよりも、俺は口を噤むことを選んだ。
どうせまたからかわれてしまうのだと思えば、そっちのがいい。
「ねえ、もう一度」
「嫌です。」
「綱吉」
「嫌です…!」
「そう。」
「いやです…って、え?」
呆気なく引き下がった彼に驚いて振り向けば、瞳にとてつもなく凶悪な色を浮かべたヒバリさんがいた。
俺は背筋を嫌な汗が伝うのを、気にせずにはいられなかった。超直感がなくたってわかる、これは危険だ。
「それでも、いいよ。」
にっこりとそれはそれは綺麗に笑った彼が、俺を後ろにあったらしい木に押し付けた。
腕は片手で一纏めにされ、両足の間にはヒバリさんの長い足が捻じ込まれた。
「ヒバリさんっ!!こんなとこ、で!」
「大丈夫、人払いは完璧だよ。」
この鬼!!と、叫びたくなるのを必死に堪えた。彼はご満悦のようで、ゆっくりと俺に噛みつくようにキスをしてくる。
「はっ、やっ、こんな、外、で!!」
「拒絶する君がいけないんでしょ。僕をなんだと思ってるの。」
「だって、からかうじゃないですか!!」
ヒバリさんはその言葉に、笑った。
動かす手は相変わらず部屋着の下に潜り込んだままだし、手だって抑えつけたままだ。
そして、真っ青になっているだろう俺の頬に口付けてきた。
「君は知らないだろうけどね、君を見てるといじめてあげたくなるんだ。」
「んなァ!?」
「そうやって恥ずかしがったり、怒ったり、僕に楯突いたりさ。」
口端をあげて、実に楽しそうに言い放つ。
まさかそんな風に思われているとは、露ほどにも思っていなかった。
「かと思えば、笑ったり、そうやって告白してきたりする。」
「…すみませんねッ!!あなたみたいに、ポーカーフェイスなんて出来ませんから!」
「ほら、そうやってムキになって。君は、そのままの君でいてよ。」
クツクツと笑いながら言われたヒバリさんの言葉に、俺は色々な意味で頬が赤く染まっていくのを自覚した。
顔を隠すように俯くと、シャツの下にあった手が出て行った。
「ねえ」
俺は顔を俯かせたまま、その問いかけにだって顔をあげようとは決してしなかった。
だってこんな顔を見られてしまったら、全てを見抜かれてしまうのは確実だったから。最も、察しのいいヒバリさんにはそんな抵抗、無意味なんだろうが。
「もっと、もっといろんな顔を見せて。」
くいっと顎を掴まれて、持ち上げられた。抵抗なんて、やっぱり無意味だった。
「君をもっと、僕に頂戴。」
それは甘い、甘い、毒にも似た言葉。
俺は熱い吐息を吐き出しながら、彼の顔が近付いてくるのを拒みもしないまま受け入れた。
熱に浮かされたように俺達は、ただ互いを求め合うように唇を重ね合わせ、舌を絡ませる。
「ヒバ、リ…さん」
掠れたような俺の声が合図だったかのように、ヒバリさんは止めていた手をまた動かし始めた。
そうして始まった熱い情事に、ここが外だということも忘れて俺は彼を求めてしまった。
家に帰った頃には既に皆就寝していて、部屋に戻ればリボーンからの書き置きが一つ。
『ママンには上手く伝えておいた。明日からはねっちょり修行だ。』
がっくりと項垂れて、俺は早々に眠りについた。明日が休みだったことをちょっぴり恨みながら。
俺は修行という言葉に目を向けるあまり、気付けなかったんだ。リボーンがそんな風に気を利かす時は、必ず裏に何かがある時だということに。
あの日のことが全てリボーンとヒバリさんの何かの取引によって引き起こされたことだったのだと俺が気づくのは、随分後のことだった。
あとがき
気付いたとしても綱吉にはきっと阻止なんて出来ないでしょうが(笑)
ヒバリさんはツナが照れるようなことを平気でやってのけそうです
2008/09/08 Up