昼休み開始のチャイムが鳴った。
綱吉はそれを合図に、教科書を机の中にしまってから、ふうと息をついた。
「10代目!昼、ご一緒させてください!」
「ツナ〜、飯食おうぜ〜」
いつもの二人が、いつもと同じように昼食を一緒に食べようと綱吉を誘う。
野球馬鹿はくんじゃねえだの、皆で食べた方がうまいのな〜なんていう、おなじみの言葉と共に。
綱吉はいつものその光景に笑い、弁当を鞄から取り出して立ち上がった。
そうして、やっぱりいつもと同じように屋上へと三人で向かうのだった。
しるし
いつものように青空の下、三人で円になるように座る。
他愛もない話をしながら友達と昼食を食べることに、綱吉は幸福と、少しの戸惑いを覚えていた。
友達と昼食を食べるという行為が、少し前までの綱吉にとってはありえない、夢のまた夢のことだったからだ。
「お、それ美味そうなのな。」
「あぁ、卵焼き?山本甘いの好きだったよね、食べる?」
「いいのか?じゃ、遠慮なく貰うぜ!」
口をぱかっと開けた山本に、綱吉はクスクスと笑いながら卵焼きを放り込んでやる。
山本はもぐもぐと咀嚼しながらにこにこと笑う。本当に美味しそうに食べるものだから、綱吉までなんだか嬉しくなってしまう。
「ちょっ、このっ、耳たぶ!てめえ、10代目に飯食わせて貰うだなんて何考え」
「はい、獄寺君。」
ついっと差し出すと、獄寺と呼ばれた男がぐっと詰まった。
そんな…いけません。と、ぼそぼそと呟いている彼に、綱吉は笑って、いらないの?と問う。
慌てたように彼が口を開ける。放り込んだのは、春巻きだった。獄寺が幸せそうにそれを噛みしめているのを眺め、綱吉は苦笑を洩らした。
「くう〜!10代目に食わせて貰う飯は格別ッスね!」
「あはは、ありがとう。」
三人で弁当を食べ始めた当初、それはそれは酷いものがあった。
食べあいっこと称して山本が綱吉に食べさせたり、食べさせて貰ったりという行為をしている内に、獄寺がダイナマイトを取り出しては騒ぎあった。
当初は頭を悩ませたそれも、なけなしの脳みそを絞って綱吉が出した答えは獄寺にもやればいいのだという、至極簡単な結論だった。
そして、実際にそれは成功した。こうすれば文句がないだろうと綱吉が口元に差し出した箸を眺めていた獄寺は、照れたようにその箸に口をつけ、満足そうに笑ったのだ。
これじゃあうちにいるチビとかわらないなあと、綱吉が思ったのは未だに秘密だったりする。
そんな賑やかな昼食後は、三人でぼーっと過ごしたり、じゃれあったりすることが殆どだ。
ふと、他愛もない会話の中で獄寺が何かを思い出したのか、じっと綱吉の顔を見詰めていた。
「どうしたの?」
きょとりと首を傾げた綱吉が、獄寺の瞳を覗き込む。大きな瞳は、まるで全てを吸い込みそうなくらいに大きくて、純粋だった。
ごくりと喉が動き、獄寺は食い入るようにその瞳を見詰めていた。
やがて決心したようにぐっと拳を作ると、綱吉に向けて少しだけ掠れた声で呟くように言った。
「十代目、ひとつ質問が、あるんスけど。」
「何?」
まるで小さい子に問うようなそれに、獄寺は胸がぎゅっと締め付けられるような思いに耐えきれず、一度俯いた。
聞き難そうに黙り込んだ獄寺を、綱吉は辛抱強く待った。質問があると言ってしまった手前、もう逃げることはできないのだと決心したらしい獄寺が、ゆっくりと顔をあげた。
いつになく真剣な瞳で、がっしりと綱吉の肩に手を置く。ヒッと、小さな声が聞こえたが、獄寺の耳には届かなかった。
「あの、応接室でヒバリの野郎と、何してるんスか。」
「ふえ?」
質問に返ってきたのは、なんとも間抜けな声。
そのやり取りをじっと見ていた山本が、便乗するように声をあげる。
「あ、それ、俺も聞きたいのなー。ツナ、応接室で何されてるんだ?」
「何されてるって…山本、変な言い方やめてよー!」
綱吉は困ったように山本に言うが、対して山本はといえば、いつものように爽やかに笑って見せるだけだった。
獄寺はぎゅっと綱吉の肩を掴む手に力を込めて、まるで世界の命運が綱吉の一言によって決まってしまうかのような、そんな面持ちで答えを待っていた。額には若干の汗が滲んでいる。
綱吉は二人の視線に、たじろいだ。山本は笑ってはいるけれども、なんだか雰囲気が笑ってはいない。目も口も笑っているのに、笑っていないのだ。
うーっと、唸るより他ない綱吉は、なんと答えたらいいものかと答えに窮した。
「別に何もされてないし、獄寺君達が思ってるようなことは何もないから!!」
「それは口止めされてるってことッスか!?ヒバリの野郎…許さねえ!!」
「ツナ、俺達親友だよな?嫌なことがあったら、ちゃんとこの俺に打ち明けるのなー」
「なんでそうなるのー!?」
いつものようにツッコミをいれた綱吉はこの暴走しだした二人をどう沈めればいいのかわからなくなって、思わず頭を抱えたくなった。
肩にある手にギリギリと力をこめられていくこともじわじわとわかり、綱吉の額からも冷や汗がだらだらと垂れる。もしかしたら、このまま砕かれるんじゃないかというくらいの力強さだった。
「ご、獄寺君!手、痛いよ!!」
「……ッ!!!す、すんません!!」
ぱっと離された手に、綱吉はやっと安堵の吐息を洩らした。二人の恐ろしいまでの視線と、その視線に籠められた何かに背筋を嫌なものが伝う。
ヒバリ曰く、過保護過ぎる二人と言われてしまうのも少しだけ納得してしまう綱吉は、苦笑を零さずにはいられなかった。
でも、それが好意からくるものだともわかっているから、綱吉にはどうしたって断ったり、ましてや嫌ったりなんていうことは出来ない。
「ほんとに、ヒバリさんには何もされてないってば。色々話とかはするけれど…」
「無理してないッスか?」
綱吉は心配そうに眉間に皺を寄せて、尚も聞いてくる獄寺に笑って頷く。
「トンファーで殴られたりとか?」
「もう、山本!言いすぎだよ。そんなことだって、勿論なかったし。」
少なくとも、応接室で二人きりの分には。と、いう言葉を綱吉は呑みこんだ。
これ以上何か火種をばら撒いたりしたら、この二人は何をしでかすかわかったものではない。事実、この二人に前科があったことを綱吉はしっかりと覚えていた。
そうして恐怖の風紀委員長によって、制裁が加えられてしまったのはもはや言わずもがな。
悔しそうに唇を噛み締める二人の姿が、今でも綱吉の脳裏には焼き付いていた。その後、風紀委員長のご機嫌を直すのに、綱吉が色々と苦労をしたのを、二人は知らない。
知らぬが仏。綱吉はうっかりその後の記憶まで呼び覚ましてしまい、頬をほんのりと赤く染めた。
出来れば封印していたい記憶だったと、綱吉は思い出してから後悔した。けれどもそれは、綱吉にとって恥ずかしいだけの記憶ではなかったようだが。
「ツナ?」
「ヒバリさんは、優しいよ。」
くすりと笑い、綱吉は弁当箱をしまった。
顔を見合せ、困惑している二人をよそに昼休みを終わらせるチャイムが鳴った。
「10代目…」
「ほら、行こうよ。」
何かを問おうとした獄寺の言葉はチャイムにかき消され、これ幸いとばかりに綱吉は話は終わりだとばかりに二人を促した。
まだ聞きたいことがあるのだという二人の視線を綺麗に無視し、綱吉は二人の背中を押して屋上の入口へと向かう。
綱吉はそこではたと、視界の端に見えた黒に目を奪われた。
前を行く二人はぐいぐいと背中を押していた手が不意に力をなくしたことに首を傾げ、振り返る。
「ツナ、なんかあったんか?」
「ごめん、忘れものしちゃったみたい。先に行っててもらってもいいかな?」
「…待ってるッスよ?」
待ってるからという二人を大丈夫だからと押しやり、無理矢理教室に戻らせた綱吉は息をそっと吐き出して振り返る。
視界の端に見えたと思った黒は、先ほど見えた場所から忽然と姿を消していた。
猫のような彼だから、またどこかにふらりと消えたのかもしれない。と、綱吉が思って、二人の後を追いかけようと扉に視線を戻した時、綱吉は悲鳴をあげそうになった。
何せいなくなったんだろうと思った彼が、そこにいたものだから。
「ヒ、ヒバリ、さん!?」
「煩いね、噛み殺すよ。」
ヒバリと呼ばれた男は不機嫌そうに綱吉をぐいっと引き寄せて扉に押し付け、綱吉の顔の両脇に手をついた。閉じきれていなかったらしい扉が、がちゃりと無慈悲な音を立てて今度こそその口を閉じた。
男に睨まれた綱吉はと言えば、怯えることもなく不思議そうに眉間に皺をよせて首を傾げる。ヒバリはその姿に、更に苛立ったように漆黒の瞳を細めた。
先ほどのチャイムから物音一つしない屋上で、綱吉はヒバリの肩越しに青くて、抜けるような空を見た。
「ねえ、どうして気付かないの。」
「何にです?」
「あの野球男と駄犬のことだよ。」
「俺にはなんのことだかさっぱり…」
そこまで会話をして、ヒバリは疲れたように一度視線を伏せた。綱吉はわけがわからないと困惑し、とりあえず顔の横にある手にそっと触れた。
ヒバリの手がぴくりと反応する。綱吉がおずおずと絡めようとしていた手をヒバリから絡み取り、力強く、けれども痛くはないくらいの強さで握った。
「まあ、いいよ。君が知らなくても、僕が噛み殺すから。」
「ええ?!だめですよ、獄寺君たちは俺の…」
「…その口、うるさいよ。」
綱吉の瞳が、見開かれる。ヒバリは、自分の背後にあるのであろう大きな空を綱吉の瞳の中に見た。
チャイムが鳴ってから、結構な時間が経過していた。雲が少しずつ流れ、その形と場所を変えていく。
校庭からは体育をしているのであろう生徒の声がガヤガヤと賑やかに、屋上まで響いてきた。
それなのにも関わらず、まるで雲の上にいるかのような、どこか非現実的な感覚を綱吉は覚えていた。
幸せってきっとこういうことなのだろうと頭の片隅で思い浮かべた綱吉が、その大きな瞳を閉じた。
目の前から空が消えてしまったヒバリはその大空を隠してしまった震える瞼を眺め、そっと口端をあげた。
やがてぼやけていた輪郭が鮮明になった頃、綱吉の瞳は既に蕩け、どこかぼんやりとした面持ちでヒバリのことを眺めていた。
ヒバリが綱吉の額に可愛らしいキスを落とす。そして、シャツの隙間から見えた綱吉の肌を見て何かを思い出した彼は唐突に、それまでの雰囲気とは一変して苛ついたように綱吉のシャツへと手を伸ばした。
「ヒバ…ッ!?」
「僕は言ったよ、煩いって。」
こんなところで、冗談じゃない。
綱吉はばたばたと慌てたように暴れだす。乱暴にシャツのボタンを外され、ぐいっと肩を剥き出しにされた。とてもじゃないが、ヒバリの腕力に綱吉が叶う筈もなかった。
「やだっ、ヒバリさん!」
「赤くなってる。」
「ふえ?」
今にも泣きそうな綱吉のことなど構うものかとばかりに、ヒバリはそろりとその華奢ともいえる肩に触れる。
獄寺に力いっぱいに掴まれたそこは赤くなり、鬱血していた。
ヒバリは不機嫌な表情を隠しもしないまま、唐突に綱吉の赤くなっている肩に噛みついた。
「ひぁッ?!」
「…むかつく。一度噛み殺してやらないとね。」
「だ、からっ!だめ、です!」
「こんな時に他の男の心配?だったら、僕以外の所有印をつけないことだね。」
「ちがぁッ!?そんな意味ない、ですよ!!」
痛い程に噛まれて、綱吉は半泣き状態になった。容赦のないそれは、綱吉の首筋を痛々しい程に色をかえていく。
シャツで隠されるギリギリのそこまで、別に獄寺に掴まれた後なんてなかったにも関わらず、それ以上の印をヒバリは綱吉に与えた。
「君は、僕のだよ。」
「…うぁ!」
最後にべろりと、満足そうに己の印をねっとりと舐めたヒバリが笑う。
ぷちぷちとボタンを掛けていくその姿に、綱吉はほっと安堵の吐息を洩らした。
暫くは人前で服が脱げないなと、これからの体育の授業をどう切り抜けようかと溜息を零す。
ヒバリはそのあけすけな溜息にわざと気付かないフリをして、掛け終ったボタンを見て満足そうに綱吉の額にキスを落とした。
「君、今日はもういいよ。僕は寝るから、そこにいてね。」
「へ!?でも、あの、山も…ふがッ!!」
「他のやつの名前なんて出すんじゃないよ。」
「で、でも…ッ!!」
「返事」
「…ふ、ふぁい。」
鼻を抓まれながらもなんとか答えると、ヒバリはそれでいいとばかりに鼻から手を離した。
繋がれた手を引っ張り、いつもの寝床へと綱吉を誘うヒバリは今にも鼻歌を歌ってしまいそうなくらいに上機嫌だった。
綱吉を座らせ、その膝の上に頭を乗せる。恐る恐る綱吉がヒバリの髪に触れると、ヒバリは満足そうに口端をあげた。
「おやすみ、綱吉。」
「……おやすみ、なさい。」
綱吉は言いたいことも言えず、とりあえずは彼のなすがままにしておくことにした。
それというのも5限目が終わる頃までには彼も眠りの淵から戻ってくるだろうと、勝手にそう思い込んだからだ。
でなければ、綱吉の友人たちが問答無用でここに戻ってくるのは誰の目にも明かだった。
先ほどそれを言おうとしたのにも関わらずヒバリが聞く耳をもたなかったので、それはある種の賭けにも似たような思い込みだったのだが。
当然、昼休みの三人の会話を聞いてしまったヒバリはそれも予測はしていたのだが、それにかこつけて綱吉をいじめる絶好の機会だとばかりに、この罠を仕掛けたのだ。
ヒバリは気配で、綱吉がうとうととしだしたのを察知した。瞳を薄らと開けると、半ば夢の住人となりかけている綱吉がそこにいる。
――ヒバリさんは、優しいよ。
綱吉の、あの一瞬の変化をあの二人は見逃さなかったのだろう。綱吉がヒバリに向ける思いに、あれを見て気付かない筈がない。
瞳はいつも以上の優しさを浮かべ、声音はまるで愛しいという思いがそこから溢れているようなそれ。
ヒバリはそれを思い出して、笑みを浮かべた。意地悪そうな笑みでも、いつものような余裕綽綽のそれでもない。獲物を前にした時のものとも違う。
心から、穏やかに笑って見せたその表情を、夢の世界へと落ちてしまった綱吉には見ることが出来なかった。
君は、僕のものだよ。
見上げた首筋から微かに見えるのは、先ほど自分がつけたしるし。
口だけを動かして、満足気にぽつりとそれだけ言うとヒバリも本格的に眠るために瞳を閉じる。
おやすみ、綱吉。
もう一度、殆ど吐息のように漏らした。
風は心地よく、日差しも温かい。絶好の昼寝日和に、すぐに睡魔は訪れた。
そうして5限目終了のチャイムと共にヒバリの思惑通り、あの二人が扉を開けて絶句し、獄寺の悲鳴が屋上に響くのはもう少し後の話だったりする。
彼が、食べあいっこに嫉妬してわざと二人を噛み殺すように仕向けたのだと綱吉が気付くのには、それからもう少し時間が必要だった。
あとがき
獄寺と山本も好きですが、山本が思いのほか難しかったです。
結局はヒバリさんの一人勝ちでしたが…(笑
2008/09/15 Up