あの頃と殆ど変っていない、神社の裏手に君がいた。
夕暮れ時、日は段々と沈んでいく。
僕らが感じる時の流れの速さと同じくらいに、太陽はどんどんとその姿を、林の向こうへと消していく。
夕日に照らされた君の後姿が、長い影を作っていた。
僕は手近にあった木に凭れ、そんな君をただ、見ていた。
風愁
「懐かしい」
君はそう呟いて、俯いた。
夕日が眩しかったのか、それとも他の何かがあったのか。後から見ていた僕には、わからなかった。
街から少しだけ離れているこの場所に、人の気配は殆どなかった。
それは昔から、今も変わっていないらしい。
夜の匂いが濃くなっていく。気付けば辺りを夜の闇が、支配し始めていた。
久々にイタリアから帰ってきた君。回りたい場所があると、渋っていたこの僕を連れだした。
なのに君はここにきて俯いたまま、動かない。
何かを噛み締めるように、胸に手を宛てて、ただ黙って僕にはわからない何かを感じていた。
「何を、考えてるんだい?」
君は、答えない。
静かなこの神社で、僕の声が聞こえないなんてこと、ない筈なのに。
何かが、おかしかった。君らしくない。
それは否が応にも、何かがあるのだと感じさせるには十分だった。
君のその小さな体には隠しきれない程の重大な何かが、あるのだと。
「質問を変えようか。何がある?」
ぴくり、と彼の体が動いた。
日が沈み、いよいよ辺りが暗くなった。君の表情は、もっとわからなくなった。
そんなに遠い場所にいるわけじゃないのに、やけに君を遠くに感じる。
泣き出しそうな顔をしているのか、笑っているのか、その判別も難しい。
まるで君が、闇の中に呑まれてしまいそうな印象さえ受けた。
「――… 」
そんな時、小さな声で君が何かを呟いた。
「……何?」
僕には、聞きとれなかった。
なのに、君も僕も、動かなかった。
「変わってしまったんだな、と」
昔よりも少し低くなった君の声が、やっと聞こえた。
「あれからほぼ10年だ。変わるものもあれば、変らないものもある」
違うかい?
問えば、君は首を横に振り、ヒバリさんの言うことは正しいと言う。
いつも鬱陶しいくらい眩しい笑みを浮かべていた君は、最近ではもう、疲れたような笑みしか見せなくなっていた。
今だって、きっとそんな笑みをその顔に張り付けているのだろう。
「懐かしいと思うから、余計切ないんです、きっと」
君は今、一体どんな表情をしているのか。
僕が動く前に、綱吉が空を仰いだ。それでもやっぱり、暗闇の中のその表情は、見えない。
月明かりは僕らを、照らしだしてはくれなかった。
「ヒバリさんと、ここで花火を見ました」
「…そうだったね」
僕は綱吉と同じように空を仰いでみた。花火なんて、本当はどうでもよかった。
ただ、君の嬉しそうな横顔を見れていれば、それで満足だったから。
「俺、楽しかったですよ」
ふふ。と、君が笑う声がした。
なんだか、全てを諦めているような、そんな笑い方だった。
無性にいらついた。そんな笑い方、君がしていい笑い方じゃない。
「楽しかった、ね」
君の姿は見えるけど、君の表情は見えない。
僕は、足を動かして彼に近付いた。
案の定、君は距離を置こうとした。そんなの、この僕が許すわけがない。
「君は、今の自分に後悔でもしているのかい」
腕を掴むと、距離を置こうとしていたにも関わらず、君は大人しくなった。
抵抗する気は、ないらしい。
それでも、背中を向けている君の表情は見えなかった。
それが酷く、鬱陶しい。
「後悔」
君はとても苦しそうな笑い声をあげて、呟いた。
君が歩む道は、多分、君にとっては茨の道に等しい道なのかもしれない。
「最近よく、思うんです。何かを変えることが、出来たんだろうかって」
「君は、どう思う」
綱吉が、少し考える仕草を見せた。僕らの間に、沈黙が降りる。
空に星はなく、どこまでも暗い闇がただそこにあった。
月は雲に隠れ、明かりといえば神社に辛うじてある照明器具だけだった。
彼は何かを答えようとして、すぐに首を横に振った。
「わかりません。正しいと思ってやってきたことが、間違いだったようにも思える」
僕たちの間をまるで切り裂くかのように、風が通り過ぎて行く。
風は木を揺らし、木の葉を攫って行った。
「並盛の、匂いだ」
綱吉が呟いた。酷く、懐かしそうに。
「どこに行くつもり」
「どこにも」
「ふざけないでよ」
握った腕に力を籠めれば、綱吉が振り向いた。
今まで頑なに、こちらを見ようともしなかったくせに。
「君は、今の僕だけを見ていればいい」
真っ直ぐな瞳がそこにあった。それだけは、昔から変わっていない。
全てを見透かすようなその瞳が見ているのは、果たして闇か、その先の光か。
困ったように寄せられた眉間の皺。少しだけ伸びた前髪が、君の瞳を少しだけ隠している。
邪魔だ。と、僕はその前髪を払い除けた。
頬に手を当てると、君は温もりを求めるかのように僕の掌に頬をすり寄せた。
「あたたかい」
瞳を伏せた君が、今、何を思って、何を感じているのか、僕にはわからない。
慰める言葉だって、知らなかった。
そもそも、何を慰めるというのか。僕は自分の思考に、舌打ちをしてやりたくなった。
どうかしてる。君も、僕も。
「生きている」
確かめるように口にして、綱吉は俯いた。
透明な雫が、ぱたりと落ちて行った。
「生きているに、決まっているじゃない」
僕がいるのだから。
そう言うと、綱吉はただ頷いて、僕に抱きついてきた。
僕はただ抱き返し、彼の気の済むまで、そうさせていた。
なんだか変な夜だった。人の感情を、全て攫って行きそうな闇がすぐ近くにあるような気がした。
勿論、僕なんかには関係はない。
でも、その闇の向こうで、何かがゆっくりと音を立てて動いているような気がしてならなかった。
いっそ不気味とさえ言える闇の中で、僕らは互いの体温を確認するかのように抱きあった。
やがて、ゆっくりと身を離した君は、弱々しいながらも笑顔を見せ、また仕事に戻っていった。
空が泣いていた。
あの時と同じように、そこは闇色をしていた。
錯覚を起こしそうな程、あの日と同じ空の色だった。
あの日と何かが違うとすれば、雨が降っていることくらい。
あれから、ほぼ一年が経とうとしている。
僕のいない間に、状況は随分、変ってしまったらしい。
数か月振りに神社を訪れた僕の頬を、少しだけ湿っぽく、懐かしい並盛の風が撫でた。
僕の髪から、一粒、雨粒が落ちていく。
『――…ごめんなさい』
あの時の君の言葉が、今になって、僕の耳に届いた。
風に乗ってきたのか、雨に籠められたのか、それは僕にもわからなかった。
「……馬鹿じゃないの、君。遅いよ」
僕は、その声にそれだけを返して、掌で顔を覆った。
彼が懐かしいと感じた風。
あの日にはなかった雨。
それは否応なしに、むかつくくらい、嫌な現実を目の前に叩きつけられたような気分だった。
この風を懐かしいと呟き、空を仰いだ君はもう、ここにはいないのだ、と。
あとがき
切ない…と、いうか死ネタにも取れる話です。
甘いものばっかりですが、たまにはこんなのも書きたくなってたり。
うぁぁとなって貰えればいいです。うぁぁ…
2009/03/02 Up