それは帰り道に、ひっそりと立っていた。
急に隣町のどこそこにある牛乳が飲みたいと言いだしたリボーンのせいで、俺がお使いに駆り出されることになった。
夜ももう遅かったし、寝る間際だったから明日にしてくれと言ったんだけど、つべこべ言うんじゃねえって、銃で撃たれたから泣く泣く逃げ出してきた、俺…。
あまりの自分の情けなさにふっと、なんとなく虚しい気持ちで、たまたま空を見上げた。
その時に、それは見つかった。
暗闇の中にある筈なのに、それは闇に呑まれることなくそこにいた。
いつもなら…
そう、いつもなら今度山本達と見にいこうかな、と思って帰るのに。
その日、見にいってみようかな。と、思ったのは、きっとただの気まぐれだった。
またあそこで
「ふわっ、凄いな〜」
そこにあったのは、大きな桜の木だった。
あまり気付かれないような、小さな公園にそれはひっそりと、堂々と立っていた。
別段ライトアップをされているわけでもなかったけど、公園の街頭だけでも十分楽しめた。
散った桜が舞いあがって、闇の中に吸い込まれていくのを見詰めて、俺はその木の下に足を運ぶ。
そこで別の人の存在に気付いて、桜の木の数歩手前で、俺は足を止めた。
「……おや」
闇の中から、浮きあがるように出てきた人物に、俺の背筋をぞくりと何かが駆け抜けた。
この感覚は、十分覚えがある。そして、その人物には一人しか心当たりがない。
「………む、くろ……?」
「クフフ……覚えて頂けていたようで、光栄ですよ。沢田綱吉」
独特のその笑い方と髪型は、やっぱり間違いがない。六道骸だった。
「何してんだよ、ここで」
「冷たいですねえ、ただの散歩ですよ」
と、言って笑う骸から、俺は少しだけ距離を取った。
それに悲しそうに瞳を細めた骸に、思わず心が痛む。……って、俺の身の安全のが先だから!
「あなたはどうしてここに?」
「え、俺? 俺は別に、お使いの帰り道にそこの通りを歩いてたら、たまたま見つけたから」
「クフフ……成程。たまたま、ですか」
骸は笑って、桜の木の幹に黒い手袋を嵌めた手で触れる。
懐かしいものでも見つけたみたいに、骸はその目を伏せた。
突然の突風に、桜が揺らぐ。桜が舞って、一瞬、骸が消えたように見えた。
当然、骸が消える筈もなかった。骸はいつの間にか目を開けていて、桜を見上げてどことなく悲しげに微笑んでいた。
絵になるその光景に、俺は思わず息を呑む。
「あの、さ」
雰囲気に呑まれまいとして、俺はなんとか声を発する。
骸のオッドアイが向けられて、俺は手に持っていた袋を思わず握り締めた。
「骸は、どうしてここに?」
「クフフ、言ったでしょう。ただの散歩です」
話、聞いてました?
どことなく馬鹿にしたような声で言われて、むっとした。
なんだってこう、性格が悪いかな…ッ!
「お前、相変わらず性格悪いな!」
「褒め言葉ですね」
はっと肩を竦めるその姿は、さっきまでの憂いを含んだ青年からはもう程遠い。
むかつくくらいに厭味な、あの骸だった。
「クロームにだって負担、掛かってるんだろう?」
「今の僕には実体がありませんからねえ、どうなんでしょう」
「……は?」
そこは僕にもわかりません。と、骸は不敵な笑みを浮かべたまま言った。
「どういう意味?」
「君に分かり易く教えて差し上げるには、いささか難しいのですがねえ」
ふむ。と、考え込むように骸は顎に手を宛てて、暫し考える仕草をして見せた。
なんか、すげえ馬鹿にされてる気がする…いや、されてんだろうけど!
突っ込むとまた揚げ足取られたりして、結局有耶無耶にされるから、俺は敢えて何も言わなかった。
「夢の中を散歩していたら、いつの間にかここにいたんです」
「……はあ?」
「僕はよく、君達の言う夢の中を散歩してるんです。歩いていたら、ここにいた。それだけのことですよ」
骸はまたあの独特な笑い声をあげた。
それだけのこと…で、済むもんなんだろうか。俺にはよくわからない。
でも、恐る恐る近寄ってみても、骸は別段いつもと変わりがないように思える。
「どこも変なとこ、ないけど」
「この桜が、あちらとこちらの入口なのかもしれませんねえ。僕は迷い込んだという所でしょうか」
「…それでお前は、大丈夫なのかよ?」
骸はきょとんとした表情をした後、クハハと笑い始めた。
意味が分からず、首を傾げた俺に笑みを浮かべたまま、骸は口を開く。
「本当に君は面白い。僕の心配をして下さるんですか?」
「だってお前、このままだったら何も出来ないんじゃないの?」
笑ったのがなんとなく意外で、俺は骸との距離を更に縮めてみた。
そこで差し出された手に、骸の武器が握られているのを見て、俺はぎょっと目を見開いた。
「試して、みますか?」
「し、知らないけど、さ!」
「クフフ、冗談です。その通り、今の僕にはきっと何も出来ない」
見せれはしても、傷つけたりは出来ないのだと骸は笑う。
俺はその言葉に安心して、骸との距離をまた縮める。あと、2、3歩の所に骸がいる。
手を伸ばせば届く。そんな距離だった。
「不用心な人ですね。僕の言葉を信用するんですか?」
寝首を掻かれますよ。と、再び武器を取り出して見せた骸に、今度は俺が笑った。
「しないよ」
「何故?」
「わかんないけど、骸はそんなこと、しそうにない」
骸が不愉快そうに、眉を寄せた。
顔に掛かる前髪を鬱陶しそうに掻きあげて、骸は桜の幹に凭れた。
「……甘い考えだ」
「うん、そうかもしれないね」
俺もその横に腰を降ろして、骸を見上げてみた。
どこを見ているのか、骸の目はどこか遠くを見つめているようだった。
純粋に、格好良いと思う。そんでもって、綺麗だと思う。
初めて見た時から、何かが引っ掛かる。その髪型でも、目でもなくて、もっと別の何かが。
「帰らないんですか」
「うん、もう少し」
買った牛乳を横に置いて、俺は桜を見上げた。
うん、夜桜もなかなかいいもんだと俺は瞳を細めた。
このまま見ていると、なんだか桜の中に吸い込まれてしまいそうな錯覚を覚える。
「知ってますか」
ほんの少しの間だったと思う。二人で桜を眺めていた時に、不意に、骸が言った。
「桜の木の下には、死体が埋まってるんだとか」
「迷信だろ? そんなの」
「クフフ、どうでしょう?」
骸がそう言うと、本当にそこにあるような気がして、俺は口の中に溜まった唾液を呑みこんだ。
「僕の死体かもしれませんよ」
「え、縁起でもないこと、言うなよ!」
骸が笑う。その横顔が、なんだかすぐに掻き消えてしまいそうで、桜に攫われてしまいそうで。
俺は思わず、その手を握り締めた。
骸の体が驚いて、一瞬竦む。やがてその瞳が俺に向けられて、俺はやっとそこで安堵した。
「なんですか?」
どこか困惑したような声だった。
…確かに、俺でもいきなり手を握られたら、びっくりするに違いない。
なんて言えばいいのかも、よくわからない。
怖い、とは違う。消えて欲しくないと思った。別に、消えるわけでもないだろうに。
この桜が、どこか遠くに骸を連れていってしまうような気がして、思わず手を伸ばしただけ。
俺は苦笑を浮かべることで骸に応えた。
「なんか、さ。桜に攫われちゃうような気がして」
「は? 僕がですか?」
「……う、うん」
馬鹿にされるのは覚悟の上。
慣れたくもないけど、慣れたし。俺は顔をあげて、骸の顔を覗き込む。
骸が驚いたように瞳を見開いていて、それからふいと、視線を逸らされた。
「な、何を馬鹿なことを言ってるんですか、君は!」
「はは、だよな」
予想通り。骸は声を荒げてそう言って、俺から視線を外した。
俺はそんな骸の手を離し、立ち上がってズボンについた土を払う。
傍らに置いた牛乳を拾い上げ、俺は桜の下から抜け出した。
「なあ、俺が言うのもなんだけど」
骸の視線が背中に刺さっているような気がしたけど、振り向いてみたら骸は全然違うところを見てた。
俺の声に、骸が視線だけを投げてくる。
骸は口元を隠して、何か考え込んでいるように見えた。
「そんなネガティブな考えじゃなくってさ」
「ネガティブって…」
暗闇の中でも、骸の眉間に皺が寄ったのが見える。
桜が枝ごと揺れる。花弁が骸を隠す前に、俺は少し声を大きくした。
「その桜、お前に見て欲しくて、お前を呼んだのかもしれないよ?」
「…意味がわからない」
困惑したように呟いた骸に、俺はようやく胸に引っ掛かっていたものの正体がわかった。
あぁ、そうか。それはすとんと、俺の胸の中に、不思議なくらい落ち着いた。
そう、骸は最初にあった時からいつも…
「だってお前、いっつも悲しそうな目してんじゃん。だから、桜がもっと笑えってさ! 言ってるんだよ、お前に」
笑って、言ってやった。
何かを口応えしようとした骸の言葉を遮るように、強い風がまた吹き抜けた。
桜の花びらがまた舞って、夜空を彩っていく。
その風に暫し呆然としたような骸だったけど、それから少しして、肩を震わせて笑い始めた。
「クフフ、なんとも、君らしい考えだ。甘ったるくて、敵わない」
「そうかな…俺にしちゃ、上手く言えたと思ったんだけど」
骸が桜の幹から背を離して、歩き出した。
身構えた俺のことなんて気にすることもなく、骸は口元に笑みを浮かべたままゆっくりとした足取りで近付いてくる。
その体が段々と透けてきているような気がして、俺は目を見開く。
「む、骸っ?!」
「クフフ、君の言う通り、あの桜が僕を呼び寄せていたのかもしれません。でも、残念ながら、僕もそろそろ帰る時間のようです」
段々と薄くなっているのに、骸はさも当然とばかりに笑いながら歩く。
骸の手が、俺の頬に触れた。
驚きの余り身動ぎが出来ない俺の前で、骸は笑う。口だけに浮かべていたあの悲しげな笑みとは、少し種類が違うような気がした。
手袋のひんやりとした冷たさと、細い指の感触。
薄くなっているように見えるのに、頬に触れる手はしっかりと感触があった。
「本当に、甘い」
「…へ?」
骸の顔が近付いてくる。
身動ぎのとれなくなった俺の視界いっぱいに、骸の顔。
紙袋が地面に落ちて行った。そんなこと、気にする余裕もなかった。
その前髪に、桜が引っかかっているのが見える。頬を擽ったさらりとした髪の感触に、俺は目を見開いた。
「クフフ、アリーデヴェルチ。沢田綱吉」
小さな音を立てて離れて、骸がそう囁いた。
俺を抱きしめるようにしてすり抜けた骸の後を追うように振りむいてみたけど、そこにはもう骸はいなかった。
帰ったんだろう。散々、俺を振り回しておいて。
「ふ、ふざけんなー!!」
公園の、桜の木の下から少しずれた所で、俺はそう叫んだ。
後は地面に落とした牛乳を拾い上げて、全力疾走。
もうわけがわかんない!! 何したかったわけ!?
結局、時間が掛かりすぎだとリボーンに怒られて、こってり絞られた。
最悪過ぎる…
なんだか酷く疲れたような気がして、俺は布団の中に入るやいなや、すぐに眠りについた。
――クフフ、また、あそこで逢いましょうね。
眠りに落ちる間際、骸のそんな声が、聞こえたような気がした。
あとがき
若干骸がホラーっぽく(汗)
初6927。若干しっとり。そしてカポーではなく、69→27なのがなんとも…
もっと変態っぽくしたかったのに、意外とまともになりました(酷)
もっともっと恥ずかしい言葉とか、悪戯とか、してもらいたかったのに。
いつかリベンジ…したいな…!
2009/04/27 Up