学校のチャイムが鳴り響く放課後、生徒らは思い思いの放課後を過ごす為に鞄を持って立ち上がる。
ある者は部活へ、ある者は帰路へ、ある者は他の生徒と談笑し、ある者は掃除当番や日直と与えられた当番をこなしていた。
やがて思い思いの時を過ごす生徒らは時が経つにつれ、段々とその姿を消していく。
部活をしていた生徒も、談笑していた彼らも、与えられた当番をこなしていた生徒も、家路へとついていく。
生徒がすっかりいなくなる頃には日も沈み、月がそろそろと顔を出し始めていた。
そんな中、まだ家路についていない生徒が一人、暗い廊下を怖々と歩いていた。
「うー、補習だなんて、言ってなかったのに…」
一人ぼやきながらたどり着いた靴箱のある玄関も、当然ながら既に人はいなくなっていた。
そのことに多少寂しさを覚えながらも、綱吉は自分の下駄箱へと手を伸ばした。
01.お茶会
「はあ…ついてない…。…ん?」
「それは災難だったね。」
下駄箱から靴を取り出そうとした綱吉は、その扉が開かないことに気付いて顔をあげる。
その視線の先では、自分のものではない掌が下駄箱の扉を開かせまいと塞いでいた。
そして、その後に聞こえたやけに聞き覚えのある声。
怖々と腕の主を確認するために首だけを振り向かせた綱吉の、ただでさえ大きな瞳が見開かれた。
「ヒ、ヒ、ヒヒ、ヒバリ、さんッ!」
「…煩いな。叫ばなくても聞こえるよ。」
ビタッと下駄箱に背中をくっつけて、降参のポーズをした綱吉に雲雀は口端をあげた。
いつもの威圧的な笑みではない。暗闇の中にいるせいか、月明かりに照らされたその表情はいつもよりもずっと、柔らかく見える。
そこで恐怖も忘れ、綱吉ははたとあることに気付いた。
(…あ、ヒバリさんって…)
じっと見つめてくる黒い瞳と、さらりと流れる黒い髪。
肌だって少し日に焼けてはいるようだが色白に違いないし、顔だってかなり端正だ。
(そっか。凄く、格好良いんだ…)
今更といえば、今更。
色々とあったトラウマのお陰で恐怖が先だって、綱吉はそのことに今まで気付けなかったようだった。
呆然と眺めてくる綱吉の瞳に雲雀は眉根を寄せ、痺れを切らしたように目の前の人物に声を掛ける。
「……沢田?」
「あっ、ご、ご、ごめんなさい!!失礼ですよね、じっと見てしまって…俺!」
「別に構わないけど…僕に見惚れでもしてた?」
「ちが…ッ!?」
違うと言いかけて、綱吉は言葉を噤んだ。
また変ないちゃもんをつけられて殴られてはたまったものではない。
雲雀はどもる綱吉に不敵に笑うと、突如彼の手を掴んだ。
「…まあ、そんなことはどうでもいいや。それよりも今、ちょっと休憩しようと思っていた所なんだ。付き合ってよ。」
「へ?は、はいい!?今から、ですか?」
「文句ある?君に拒否権はない筈だよ。」
ゆらりと立ち上る危険なオーラに、綱吉は二つ返事で慌てて付き従う。
幸いなことに、その雲雀の危険なオーラが見えたのも一瞬のことだけだった。
暗い廊下でカツカツと響く雲雀の足音の後に、ぱたぱたと小走りの足音が響く。
雲雀の足音がゆっくりとしたものに変わると、綱吉の足音も合わせたようにゆっくりとなっていく。
歩く速度を更にゆっくりとしたものに変えた雲雀が振り向くと、綱吉はほっとしたような顔で歩調を合わせた。
「…っと、ヒバリさん?」
「………なんでもないよ。」
立ち止まって振り向いた雲雀に綱吉が首を傾げた。雲雀は不可解なものでも見るような目で綱吉をちらりと見た。
そしてまた、視線を元に戻すとすぐに歩き出す。廊下にはまたコツコツと、ぱたぱたと靴音が鳴り響いた。
少しして、電気がつけっぱなしになっていた応接室の明かりが見えた。扉の隙間からは、闇を切り裂くような一条の光が零れている。
「ヒバリさんは、見回りだったんですか?」
「いいや、ちょっと忘れものをね。」
「はあ…忘れもの…ですか。」
「うん、君を拾いにいったんだよ。」
「…それはどうも…って、へ?」
がらりと扉が開け放たれ、雲雀が応接室の中へと消えて行った。
綱吉はしばし呆然とその場に立ち尽くし、雲雀の消えた先を見てから、慌てて中に入った。
「あのっ!?」
「お茶淹れてくるよ。そこに座ってて。」
言葉を遮り、雲雀はスタスタと応接室の奥へと消えていく。
綱吉は首を傾げ、仕方なしとばかりに革張りのソファへと腰を降ろした。
室内の音といえば、カチコチと鳴り響く時計の秒針の音と、奥で何やらお茶を淹れているらしい物音だけだった。
(この時計はどこにあるんだろう?)
きょろきょろと、今まであまり見ることなど出来なかった室内を見回す。
程なくして、それはすぐに見つかった。
壁に掛けてあるそれは、古時計のようだった。定時刻になればボーンという音が鳴るような、あれだ。
カチコチと刻まれる時計の振り子は、規則正しく左右に揺れていた。
時刻は6時10分前を指し示している。補習で捕まってから時間を見ていなかった綱吉は、通りで外が暗い筈だと納得した。
(あの時計って、鳴るの…かな?)
そんな疑問を抱いても、今の綱吉には知りようもない。
やがて綱吉は、興味を失くしたように瞳を閉じて吐息を洩らした。
「……なんか、なあ。」
調子が狂う。きっとそんな言葉がよく似合う気持ちを綱吉は抱えていた。
額に掌を宛て、瞼すら通り越してくる蛍光灯の明かりを遮った。
「何か、不満?」
「ふぇ!?」
音もなく上から聞こえた声に、綱吉は奇妙な声をあげてしまう。
そこには優雅ともいえる動作で雲雀がカップを二つ持って、綱吉を上から覗きこむようにして立っていた。
「…不満なわけ?」
「…とッ、とんでもない…!!」
雲雀は不機嫌そうに眉間に皺を寄せたが、黙って綱吉の隣に腰を降ろした。
机の上に、温かそうな湯気が立ち上っているカップが置かれ、ふわりと甘い香りが綱吉の鼻を擽った。
ちらりと中身を見てみると、それはどうやらミルクティーだったようだ。
「それ、飲んでいいよ。お茶請けはなかったから、今日は我慢しておいて。今度くる時までには用意させておくから。」
「…はあ、お構いなく…」
今度くる時?
その言葉を綱吉は聞こえなかったことにして、記憶の片隅の更に奥深くに仕舞込んだ。
綱吉には出来れば今日この時が、彼のただの気まぐれで引き起こされていることでありますようにと願わずにはいられない。
「あの…それで、俺に何か?」
お茶に口をつけて、その甘い飲み物を一口味わった後に切り出してみる。
雲雀はといえば、足を組んで香りを楽しむかのように瞳を閉じてカップに口をつけていた。
「…用がないと、呼んではいけない?」
「………えーっと…そんなことは、ありませんけど…。」
出来れば用がなければ呼ばないで欲しい。と、綱吉は密かに心の中で思う。
折角機嫌がよくなってきたらしい彼に、爆弾を投下するような真似だけは絶対にしたくなかったので、綱吉はそれだけは言わなかった。
そして、また降りてきた沈黙。
綱吉はその沈黙をどうしたらいいのかもわからず、手持無沙汰にカップを手で包み込んだ。
程良く温められたカップの温もりが、暗く冷たい廊下を歩いてきた体にとても心地よい。
その中身を口に含んでみれば、それは甘くて、とても優しい味がした。
「…美味しいです。」
「……そう。」
その言葉に、雲雀は若干機嫌良さそうに答えた。
静かに流れゆく時間は、綱吉にとってはとても新鮮だった。
なんだか騒がしい日々の中で、落ちつける時間というものは綱吉にはなかなかない。
学校にくれば友人達が、家に帰ればチビ達が。そんな生活を、目まぐるしく送っていくものだから、なかなか落ち着けない。
「なんか、ほっとします。」
雲雀が不思議そうに綱吉を見つめた。
「ほっとする?」
「はい。安心するっていうか、落ちつくっていうか…。」
照れたように頬を掻く綱吉に、雲雀は少しだけ驚いたようにその鋭い瞳を見開いた。
やがて口元をゆうるりと緩め、綱吉の頬に手を伸ばす。
「ヒバリさん?」
「ふうん。」
ムニ。きっとそんな効果音がよく似合う。雲雀の指が、綱吉の頬を抓った。
「ヒバリひゃん」
「変な顔。」
くすくすと笑う、その雲雀の顔に綱吉は瞳を見開いた。
口が半開きになり、ピンク色の舌が若干覗く。
そんな綱吉の顔に、雲雀も笑みを潜めて眉間に皺を寄せた。奇妙な雰囲気が、室内を支配していった。
それに違和感を覚えた二人は、お互いがお互いを不思議そうに見詰める。
片方は眉間に皺を増やし、もう片方はその大きな瞳を更に大きくして。
「ヒバリ!ヒバリ!」
そんな奇妙な沈黙を破ったのは、ボーンと鳴り響いた時計の音と、彼の鳥が主人の名を呼ぶ声だった。
まるで今まで時が止まっていたかのように動かなかった二人は、その音にやっと時間を取り戻したかのように動き出した。
雲雀の手が綱吉から離れ、綱吉はその抓られた箇所を抑える。
時間にしてみればほんの数秒。二人は視線をお互いから外して、何かがおかしいと正反対の方向を向いた。
雲雀の頭の上に、ぽすんという音を立てて鳥が着地する。
鳥が気持ち良さそうに、雲雀の頭の上でもぞもぞと動いた。
「…ねえ、ちょっと確認するよ。」
「何を…ちょっ!?」
してもいい。ではなく、すると決めつけている辺り、流石は雲雀といったところなのだろう。
首を傾げた綱吉の首裏を掴み、引き寄せた雲雀はそのままじっと綱吉の瞳を覗き込む。
視界の端ぎりぎりに映る雲雀の頭の天辺に、黄色い鳥がいた。
鳥は呑気そうに首を傾げ、綱吉と雲雀を上から覗きこむようにして見ていた。
全てが綱吉にとってはスローモーションに動いているように見える上に、雲雀の顔が段々と近づいてくるものだから、たまったものではなかった。
(うわ、ちょっ、何コレ、ええええええ!?)
ボッと、額からではなく顔全体から火が出るのではないかというくらい、綱吉の顔が赤く染まる。
人とこんなに顔を近付けるなんてことは中々ないから耐え性もないのに、それがあの鬼の風紀委員長ときた。綺麗な顔が、不敵な笑みを浮かべて近付いてくる。それは綱吉の中に恐怖を沸き起こらせると同時に、得体の知れない何かをも込み上げさせた。
雲雀は困惑する綱吉を気にするでもなく、必死に抵抗する彼の力を抑え込みながらじっと綱吉を見詰め続ける。やがてふっと微笑むと、さらに近くなっていく、距離。
至近距離で綺麗に微笑まれ、綱吉の心臓がドクドクと音を奏でた。
「あ、あのっ?…ヒバ、リ…さっ!!」
綱吉の声が掠れた。
あまりの近さに耐えきれなくなった彼は、ぎゅっと目を瞑ってしまった。
だから、その後に唇に触れた感触と熱に、彼の体はびくりと竦み、固まった。
恐る恐るといった風に綱吉が瞳を開けば、間近に見える黒曜石の瞳。
その射抜くような視線に、綱吉の体はまた震えた。
「…今、の…」
唇が離れ、囁くような声を吐息に乗せて綱吉が放心したように呟いた。
雲雀は暫し何かを考え、何かがわかったのか満足そうに口端をあげた。
「うん、キスだね。」
「なななっ、何してんですかあんたぁ!?」
「何って、君も知ってるでしょ。キス、接吻だよ。」
しれっと言ってのける彼に綱吉は何も言えず、ただソファから立ち上がった。
慌てていたのか。彼は机に軽く足をぶつけ、机の上にあったカップの中身を揺らす。
そして、困惑を浮かべた表情で座ったままの雲雀を見降ろした。
「どうして、男の俺に!」
「…どうしてだろうね。考えてごらん?」
くつくつと笑う雲雀は、綱吉にはどう考えたってからかっているようにしか見えない。
屈辱に頬を染めた彼は、今にも泣き出しそうな瞳なのにも関わらず雲雀を睨みつけた。
「からかわないでください!!」
「からかってなんかない。僕は冗談でそんなこと、しないよ。」
「じゃあ、どうして…」
「うん、それは君が考えて。僕からの、宿題。」
くすくすと笑ったまま、雲雀は綱吉を見上げた。
「…ッ、失礼、します!!」
鞄を攫うように引っ掴んでばたばたと綱吉が出て行った扉を眺め、雲雀はその足音が聞こえなくなるまで暫く声を立てて笑った。
逃げ出すように部屋を出ていった綱吉の頭の中は、雲雀のことで一杯一杯になっているに違いなかった。
「…うん。悪く、ないね。」
問いかけるように一声鳴いた鳥の声に、雲雀は呟くようにそう返した。
「はやくここまでおいで。沢田、綱吉。」
掌を瞼に押し当てた雲雀の声は、静かになった応接室の中にぽつりと、消えた。
あとがき
ヒバ→ツナになりました。
とりあえず全部一話完結だけど繋がってるのよみたいなものが書きたくて(笑)
馴れ初め話でもあります。
が、他にも書きたい馴れ初め話があるので馴れ初めが溢れ返りそうです、このサイト(笑
2008/12/16 Up