―うん、それは君が考えて。

頭にちりちりと甦るのは、彼の持ちあがった口端。
からかっていないという、そんな彼の言葉が真実なのかどうかは、俺にはわからないけど。

―僕からの、宿題。

散々だった。あの言葉が、声が、耳をついて離れない。
悩んで悩んで、答えの出ぬまま眠りに落ちたのは随分と夜も更けた頃だった。
それからランボのちょっかいのせいでいつものようにまた不機嫌になったらしいリボーンに、八当たりのように「いつまでもうじうじ…鬱陶しいぞダメツナが!」と、叩き起こされたのが今朝のこと。
俺は赤い目をしたまま支度をし、欠伸を噛み殺しつつ家を出たのだった。
玄関先で獄寺君が色々と朝の蹴りで出来た傷のこととかに気を遣ってくれたけど、昨日のことで頭が一杯で彼と話す余裕があまりなかった。
悪いこと、しちゃったな。
そんな感じで気付けば既に放課後。授業中も、内容なんかは当然頭に入るわけもなかった。
思い返すだけで、どくどくと鳴る心臓と、緊張する体。

あぁ、今日はなんだか気が重たい…

02.課題




「10代目、お顔色が優れないようですが、大丈夫ッスか。」
「うん、ありがとう。ちょっと昨日、眠れなかっただけだから、大丈夫だよ。」
「不眠症ッスか?!何か悩み事でもあるなら…」
「ほ、ホントに大丈夫だから!!心配してくれてありがとう。」

右腕だから当然ッス!!と、握り拳を作り語りだす彼に、俺は苦笑を浮かべた。
放課後の帰り道、他愛のない会話。いつも通りの日常。そう、ここまでは。

「げ、ヒバリの野郎がいるッスね。」

それまで右腕のなんたるやを講義していた獄寺君が、眉を顰めて嫌そうに言う。
彼の視線を辿れば、校門に背を預けて眠そうに欠伸をしている学ランの生徒が、一人。
この学校…いや、この街で絶対的ともいえる権力を握る最凶の不良、ヒバリさんがそこにいた。
昨日から耳をついて離れなかった言葉。獄寺君と会話をしていることでなんとか頭の隅に追いやっていたのに、その本人を見てしまったがためにまた舞い戻ってきた、それ。

―ねえ、ちょっと確認するよ。

それから突然触れた唇の柔らかい感触と、温かな体温。あぁ、彼にも体温はあるのだと、当り前のことをそれで認識した。
彼の長い睫毛や、至近距離に見た真っ黒な瞳と、さらりと零れた黒髪。その全てが、とても綺麗だったことを思い出す。
今でも、昨日のことを思い出すだけでドキドキと心臓が煩く鳴り始める。…たまったものじゃない。
こんなんじゃ普通の生活すら出来はしない。俺が何よりも望む平凡な日常からは、程遠い。
でも、平凡な日常から遠いその胸の高鳴りも、嫌なものではない。
不思議だと思いながらどきどきして、怖くてしょうがないのに、嫌だと思えないから振り払えない。



だから、こんなにも困ってしまっている俺がいる。



「10代目?」

立ち止まった俺の顔を、獄寺君が覗きこんできた。
俺は慌ててなんでもないと取り繕い、校門にいた彼に視線を流して、驚きのあまり心臓が止まるんじゃないかと思った。
あのヒバリさんの鋭い視線が、俺に突き刺さっていた。
彼はふと口端をあげたかと思えば、つかつかとこちらに向かって歩いてきた。
突然動き始めた彼に、下校途中の生徒が何事だと道を譲り、彼の姿を目で追っていた。
ヒバリさんの視線は周りの視線などに動じる筈もなく、ただ前を見ているように見えた。真っ直ぐなその視線に、どくどくと心臓が鳴り始める。
やがてヒバリさんは、俺の目の前で立ち止まった。怯えた他の生徒が、避けるように逃げるように彼の横をすり抜けて帰って行く。
そんな中、すっと警戒するように俺の前に出たのは、獄寺君だった。

「おい、10代目に近寄るんじゃねえ。」
「相変わらず君は、煩い犬と群れているんだね。」
「あの…ッ!」
「話がある。行くよ、沢田。」
「てめえ…ヒバリ!10代目を呼び捨てにするなんていい度胸じゃねえか!!」
「獄寺君ッ!!駄目だよ!」

ヒバリさんが俺の腕を掴み、歩きだす。獄寺君が、俺を助けようとして声を荒げてくれた。
けれど俺は、ヒバリさんに掴みかかろうとした獄寺君とヒバリさんの間に、割り込むようにして彼の前に立ちはだかって見せた。

「……ッ!?10代、目?」

肩を掴もうとしていた手を、俺は寸での所で止めることに成功した。
だってヒバリさんの懐の中に、鋭く光るアレを見ちゃったら、止めるしかない…よね?
獄寺君は突然の俺の行動に、驚いたように目を見張っていた。

「ごめんね。俺は大丈夫だから、君は先に帰ってて?」
「…しかしッ!!」
「ありがとう、でもきっと大丈夫だから。…また明日、ね?」
「……ッ!わかり、ました…何かあったら、呼んでください。地の果てからでもこの獄寺隼人、参上致します!」

獄寺君ならやりかねなさそうなそれに、俺は苦笑を浮かべた。
彼は物凄く名残惜しそうに、俺たちの姿が見えなくなるまで悔しそうに見守ってくれていたみたいだった。
うーん、今日は随分と悪いことしちゃった…な。また明日、謝っておかなきゃ。

「好きだね。」
「え?」

物想いに耽るあまり、ぐいぐいと腕を引っ張る彼の声に気付くのが少し、遅れた。
ヒバリさんはそれに気分を害したように眉間に皺を寄せて、俺の腕を掴む力を強めた。

「いたっ、ちょっ、ヒバリさん!」
「知らない。君が群れるのが悪いんだ。」

ぷいと素っ気なく答えた彼の目指す先は、当然のように応接室だった。
放り込まれたかと思えば、ぴしゃりと扉を閉められる。
何事かと思っている間に、どんと押されてソファの上へとダイブするかのように沈みこむ。

「いってて…!」

ぎしり、と。嫌な音が部屋に響いた。
目の前にさらりと流れる黒髪と鋭利な瞳。近すぎる距離に、収まりかけた心臓の音がまた煩く鳴りだした。

「ヒバ…リ、さん」

息も詰まる程の至近距離。なんだか言葉を紡ぐことさえ、いけないことのように思えた。
ヒバリさんはじっと俺を見詰めるばかりで、特に何の反応もない。
ただ唇に掛るヒバリさんの吐息に、昨日起こった色々なことを思いだしてしまう俺の頭はもう半ば混乱しかけていた。

「沢田、昨日の答えは、出た?」

沈黙の重たさに耐えきれなくなった俺が彼の名を呼ぶよりも早く、ヒバリさんがそんなことを問いかけてきた。
その瞳は探るようなそれで、俺は全てを見透かされるのではないかと内心ひやひやとした。

「でま、せん…」
「ちゃんと考えて。」

甘く囁くヒバリさんの声は、毒に違いない。そう思わせるだけの怪しいざわめきが、俺の胸からじわじわと沸き起こった。
顔がくっついて溶けてしまいそうな程に、近い。
どきどきと鳴る心臓は今にも破裂しそうだった。
あんまりなそれに、何度彼を、昨日のことを、忘れられたらと思っただろう。

「考えました、よ。貴方の昨日の行為の意味も、言葉の意味も!」
「わからない?」

ヒバリさんはわからない俺に、苛立ったようにそう言った。
だってしょうがないじゃないか。わからないものはわからない。
昨日だってほぼ一晩悩んだし、朝はたたき起こされるし、昨日からわけがわからないことばかり起こるし。
怒りたいのも、泣きたいのも、全部俺の方だっていうのに…!

「意味が、わかりません。」
「ちょっと、泣かないでよ。」
「泣いてません!!」

腕を瞼に押し当てて、自棄になったように言ってやった。
これで呆れて、解放してくれればいい。そんな風に思った俺の思惑とは裏腹に、温かい温もりがふわりと俺の体を包みこんだ。

「別に、泣かせるつもりじゃなかったんだけど。」
「俺のことが嫌いなら、そう言ってくれればいい!もう貴方の前に、極力現れないようにしますから…!」

だから離してくれと懇願しているのに、彼は離すどころか益々腕の力を強くするばかりだった。
一体どこまで俺を馬鹿にすれば気に済むんだろうと、俺は更に悲しくなった。

「本当に、馬鹿だね。君は勘違いしているよ。」

呆れたように溜息をついたヒバリさんは、俺の目を覗き込んで眉間の皺を深くした。
彼の言葉の意味がわからなくて首を傾げた俺の頭を、ヒバリさんが意外な程に優しい手付きで撫でてくれた。
落ち着かせるように、宥めるように、優しく、優しく。

「君は、嫌いな人間にキスさせるの。」
「そんなわけない…!!」
「僕もだよ。ねえ、これでもまだわからないの。」

誰が同じ男にキスをされて喜ぶんだ!と、怒りも露わに言葉を続けようとした俺の言葉を彼が遮った。
…ん?ちょっとまて、今ヒバリさんはなんて言った。
"……僕もだよ?"

「…それって?」
「どこまで鈍かったら気が済むわけ?いい加減、咬み殺してやりたいんだけど…」

ぎろりとヒバリさんが苛立ったように、言う。
けれども、それをちっとも怖くないと思う俺がいた。
心臓は鳴りっぱなしだし、殴られるかもしれないという思いだって確かに、あったのに。
それなのに、真剣なヒバリさんの鋭い瞳が俺に真っ直ぐに向けられたと思った瞬間

息が、心臓が、止まるかと思った。






「君が、好きだよ。」





静かな部屋で、静かな声が、俺に、囁きかけた。

「課題の答え、だよ。」

素っ気なく、ふいと顔を逸らしたヒバリさんの頬がほんのりと赤かった。
俺は信じられない気持で、それを眺めた。嘘だろ、冗談だろ。頭の中で、警鐘が鳴る。
これは何かの悪戯で、きっとヒバリさんは何かのゲームに負けたんだ。そう、リボーンとのゲームか何か、で。

「君の答えは?」
「……ふぇ?」

頭が混乱しすぎて、俺は馬鹿みたいに間抜けな顔でヒバリさんに答えた。
俺の、こたえ?

「僕のこと、好きなの。」
「……はあ!?」

ぴくりと、ヒバリさんの眉間に縦皺が一つ。
あ、やばい。咄嗟にそんなことを、思った。でも、驚くだろ。びっくりするだろ、信じられるわけが、ない。
だってあのヒバリさんが、鬼の風紀委員長の、彼が

「僕はまだるっこしいのが大嫌いなんだ。好きか嫌いか、はっきりしてくれる。」
「そんな突然言われて、も…」
「じゃあ君は、嫌いなやつにあんなに簡単にキスをさせるんだ?」

その言葉に、ぐっと詰まった。
それは、あんまりな言い方ではないだろうか。

「…あれは、突然だったから!」
「そんなんじゃ先が思いやられるよ。君は無防備過ぎるんだ。」
「誰が男にキスされると予想出来ますか!!」

くつりと雲雀さんが、嘲笑じみた笑みを浮かべた。
その冷たい眼差しに耐えることなんかできなくて、俺は俯く。
見慣れた筈のその冷たい瞳が、何故だか今は、怖かった。

「君の回りにはそんな輩ばかりじゃない。あの犬も、野球男も、むかつく南国果実も。」
「……そんなのは嘘です。」
「嘘だと思う?試してごらんよ、君がちょっと引っ掛ければすぐにあいつらの本性なんかわかる。」

友達を馬鹿にされて、黙っていられるわけがなかった。
顔をあげ、一言言ってやろうとした俺の決意は、顔をあげたその瞬間にぐらりと揺れた。

「……ぁ。」

目の前に、いつのまにかヒバリさんの端正な顔があった。
その顔は辛そうに歪み、今にも泣き出しそうに見えた。

…だから、泣きたいのは俺の方なんだと、泣きたくなった。

「でも、させない。」
「へ?」
「僕だけが君に、触れられればいい。」
「……ヒバ…ッ!!」

近付いた顔。背ければいいのに、その黒曜石の瞳に捕らえられて動けない。
綺麗だ、と、思う。切なくなるほどに、綺麗だった。
小さな音を立てて唇が触れる。彼には似つかわしくない程に、優しいそれ。

「これは、嫌い?」

問われた言葉は甘い、罠。

「…嫌いじゃ、ない、です…」

唇を抑えて紡いだ、言葉。
すぐ近くにある瞳が、柔らかく細められた。

「でも、好きになれそうも、ない。」
「どうして?」
「こんなにどきどきしてたら、おれ、耐えられ、ない…ッ!!」

その言葉にヒバリさんは、驚愕したように暫し呆然と瞳を見開いた。
格好良いと、それは常日頃から思っていた。強いし、容姿は抜群に格好いい。憧れていたのかもしれない。
その彼が、こんな俺を好きだというそれこそが、信じられない。
この行為の意味も、心臓が煩くなる意味も、まだ、わからないけど。

「なら、慣れればいい。」

ふっと笑った彼の顔がまた近付いてくる。
拒絶が出来ないその理由を考えようとして、やめた。
それ所ではない。彼の顔が、段々と近づいて…

「慣れるわけが…っ!!」

なんとか抗議しようと開こうとした唇は、当然のように彼に塞がれてしまった。

「新しい、課題ができたね。」

綺麗に笑った彼の腕に包まれて、俺は赤い顔を彼の胸に埋めるようにして隠した。
新しい課題をこなすには、まだまだ時間がかかりそうだった。
その課題に慣れる頃には、この気持ちにも、整理がついているだろうか…
俺はそんなことを考えて、瞳をゆっくりと伏せてみた。

「また明日、ここにおいで。」

それはきっと、課題という彼の罠に違いないと俺は思いながらも、頷いた。
今は彼の低めの体温と声が、心地良かった。





あとがき

ヒバリさんはさらりと恥ずかしいことを言えればいいと思います。
独占欲剥きだしなヒバリさんが好きです…!

2008/12/23 Up