「どこか、行こうか。」

ことりとお茶を置いた君が、僕の言葉にぴくりと手を震わせた。
僕の目の前に置かれた湯呑からは、白い湯気が立ち昇る。
そこから、ふわりと僕の好きなお茶の香りが鼻孔を擽った。
その湯気越しに見える君の顔は、どこか困惑したような表情を浮かべていた。

ここ最近、僕が言わずともこの部屋に、君一人で来るようになったのは進歩と捕えていいのだろうか。
僕の好みを一つ一つ君が覚えたり、この部屋に君の私物が一つ一つ増えていくのは、一歩一歩、僕らが歩み寄り始めた証拠なのか。

「……えと、どこへ?」

まだ怯えの残るその仕草も、少し前に比べれば大分マシになったんだろう。
我慢嫌いな僕が、誰かのために我慢するだなんて、俄かには信じたくないけれど。

それも、君だから仕方がないのかもね。

03.お誘い




「どこか行きたい所はないの。」
「へ?えーっと…」

お盆を胸に抱えたまま、君は困ったように視線を右へ左へと流した。
僕はお茶を啜り、君の答えが出るまで待ってみることにした。
沈黙が二人の間に落ちる。カチコチと鳴る時計の音だけが、この部屋の音という音だった。
沢田を観察していると、彼はそれにも気付かずにうんうんと悩んでいた。
その姿に微笑み、僕は最近の沢田との距離について思いを巡らせる。

最近のこの子は当たり前のように、誘われるがままに、ここへと足を運ぶようになった。
毎日放課後に呼び寄せても、怖がることはあっても嫌がることはない。
最近では怖がることもなくなった。
しっかりと目を見て話すようになったし、僕との会話にびくびくとすることもなくなった。
あの課題を出した日から考えれば、随分と進歩したものだった。
あれから、数週間。未だにまだあの時の答えは出ていないようだ。
僕にしては随分、我慢してる方だと思うんだけど?
じっとりと睨みつけてみても、沢田は先程の僕に問いかけで頭がいっぱいのようだった。
静かに吐息を吐き出して、椅子に深く腰掛ける。

この子は、いつになったら自分の中の答えを見つけてくれるのだろうか。

変なところで頑固な君は、答えを見つけるまであの課題に応じるつもりはないらしい。
嫌ではないけど、もう少し待ってほしい。
それが君の、返答だった。昔の僕だったら、確実に咬み殺しているよ、その答え。
僕の我慢も、そろそろ限界なのだということを、この子はきっと、理解していない。
理解なんかしてたら、咬み殺してやるだけじゃすまないけど。

「ん…と……ない、です。」

ようやく答えを出した君は、謝りながら頭を下げた。
まあ、君には決められないとは思っていたけどね。

「そんなことだろうと思った。」

顔をあげた沢田が、不思議そうに首を傾げた。
眉間に少し寄った皺を眺め、僕は上機嫌に笑う。

「甘いものは、好き?」
「…あ、はい。好きですよ。」

素直に答える君。
うん、これも予想通りだよ。

「じゃあ、明日の午後2時に家の前で待ってな。」
「…へ?!」
「明日は土曜日だろう。僕は明日の午前中は風紀の仕事があって、午後からじゃないと空いてない。それとも何、何か予定でもあるわけ?」
「なななっ、ないです、ないです!!ただ、突然過ぎてちょっとびっくりしちゃって!!」

お盆を掴む手が白くなっていた。
緊張しているのか、恐怖からか、それはわからなかったけれど僕は約束を取り付けたことでとりあえずはよしとした。

「そう。なら、いいけど。」
「は、はい。お盆、片してきますね。」

自分の分のお茶をソファの前の机に置いて、沢田はぱたぱたと給湯室の方へと消えていった。
僕はぎしりと音を立て、椅子に深く腰掛けて目を閉じた。
ぱたぱたと羽音を響かせて、僕の肩に鳥が止まった。横目でちらりと見れば、首を傾げて僕の名を呼んだ。

「ヒバリ!ヒバリ!」

時計をちらりと見やれば、鳥のご飯の時間だったことに気付いた。
机の引き出しを開ければ、待ちかねたように机の上に降り立つ鳥。ぴょこぴょこと小さな足で跳ねる姿に、口端を緩めた。

「ゴハン、ゴハン!」

嬉しそうに跳ねる、待ちきれないらしいその鳥のために餌を取り出して掌に餌を乗せた。
ぴょこりと掌に乗り、餌を突き始める鳥を暫く眺めた。
ふと気付けば、給湯室から戻ってきたのか、驚いたような沢田が少し離れた所に立っていた。

「何、どうかした?」
「…あ、いえ。すみません…」

また謝った彼に、僕は少し苛立って眉間に皺を寄せた。どうしてこうも、この草食動物は謝ってくるのだろう。

「手から餌、あげてるんですね。」
「何か問題でもある?」

むっとしたように答えれば、沢田は慌てたように両手をぶんぶんと振った。

「違うんです!あの、意外、だったのと」

少しだけ近付いてきた沢田に、僕は少しだけ驚いた。
今までは僕が用事を言いつけたりしなければ、彼は決して近寄ろうとはしなかったものだから。

「…かわいい、ですね。」

手の上に乗る鳥を見て、沢田が笑った。

「……ッ!!」

そっと掌に乗る食事中の鳥が怯えない程度に、沢田はそっと触れた。
鳥はちらりと沢田を見てはいたが、別段気にすることもなく食事を続けている。
指先が、微かに僕の手のひらを掠めた。
たったそれだけのことなのに、体温が少し、上昇したような気さえする。
僕は沢田の掌を取り、その上に鳥の餌を全て乗せた。

「あ、あの?」

鳥は慌てたように綱吉の掌の上に乗り、また食事を始めた。

「わわっ、可愛い…!」
「任せたよ」
「へ?ヒバリさん?」
「見回りに行ってくる」

ばさりと学ランを翻し、僕は応接室から出た。
後ろで沢田が困惑しているのが、手に取るようにわかる。
でも、困惑しているのは僕も同じだった。
それでも、約束を取り付けたことに後悔はない。そもそも、後悔なんてごめんだ。
僕は十分我慢した筈だ。だから、今度は僕の、やりたいようにやる。

覚悟しているといいよ、沢田綱吉。






あとがき

なんだかヘタレなヒバリさんになりました(笑)

2009/01/30 Up