「やあ」
「ふぇ!?」
一生懸命支度をして、母さんに服がきちっとしているか確認して貰って。
そんなことをしていればあっという間に2時になっていた。
ちょこっとだけ、女の子の支度に時間が掛かる理由が、わかったような気がする。
……いやいや、別にわかりたくもないけど、そんな気持ち。
「うん、いいんじゃない」
でも、ヒバリさんにそう言われた時に、ちょっぴり嬉しかったのもホントだった。
デート
当然のようにヒバリさんはバイクに乗ってうちまできたようだった。
それからバイクの後ろに乗せられて、急発進。
悲鳴をあげようとして、ふと悲鳴をあげた後の恐怖がちらりと頭を過って、俺は中途半端にくぐもった声を出してしまった。
それから、たまたま視界に入った俺の部屋にはリボーンがいて、にたりと笑いながら窓際で白いハンカチを振っているのが見えた。出かけ間際に、あいつが俺に耳打ちした言葉が頭を過る。
『そのまましっかりヒバリを引き込めよ』
ふざけんな!俺は絶対マフィアになんかならないからな!
そう叫びたいのを堪え、俺はぎゅっとヒバリさんの腰に回した手に力を込めた。
バイクに乗るからか、今日のヒバリさんは珍しく学ランの袖に腕を通していた。
今、このバイクを掴む手が、意外と男らしいのだと気付いたのはつい先程のこと。
掴む場所がなくて、わたわたとしていた俺を笑ったヒバリさんに、掴むのはここだとばかりに手を腰に回させられた。
その時の腕を掴む手が、指先が、細いのにしっかりとした男らしい手をしていて、ドキリとした。
『やっ、ダメですよ!そんな…』
『振り落とされたいなら、別の所を掴めばいい』
拗ねたようにそう言うヒバリさんは、もしかしたら不器用な人なのかもしれない。
突き放すようなわかり辛い優しさだけど、そんな優しさがわかると、凄く、嬉しかった。
黒い髪がさらさらと風になびいているのが見える。
くらくらした。
憧れてしまうくらい男らしい背中に、しなやかな体つきに、学ランから香るヒバリさんの匂いに。
バイクは街を滑るように、すいすいと進んでいく。
街の景色はどんどんと変り、頬にあたる風は、少し冷たかった。
「ん。ついたよ」
バイクのスピードが緩やかになり、静かに止まった。
頭に被らされていたヘルメットを剥ぐように取られた時に、一緒に髪の毛も数本抜けたらしい。
痛む場所を摩ると、ヒバリさんは「ついておいで」と、俺の髪が抜けたことなど気にもせずその中へと入っていった。
その先を見上げてみれば、なんと、並盛中…。
こんな所で、甘いもの?
「あの、ヒバリ、さん?」
ヒバリさんは裏口から堂々と中に入っていく。今まで押し黙っていた扉は、まるで待っていましたとばかりに口を開けた。
ヒバリさんを中に呑みこみ、そのまま無愛想にも閉じようとする扉に体をねじ込むようにして中に入る。
仕方ないなあとでも言うように、再度また開いた扉に俺は蹴りをいれたくなった。
ヒバリさんは素知らぬ顔で、階段を上っていく。俺はまた慌ててその後を追った。
「あの???」
「聞いてるよ、何」
「ここ、並盛中ですよ?」
「知ってるけど」
「…ですよね…」
「うん」
確か甘いものを食べにきたという話ではなかっただろうか。
なのに、彼は何と言ったろう。
『並盛中ですよ?』
『知ってるけど』
知ってるって…
「ここに甘いもの…ですか?」
「そうだって言ってるじゃない、煩いね」
咬み殺すよ。と、お馴染みのセリフに俺は頭を下げた。必死に下げた。
呆れたような溜息の後、辿り着いた場所は当然のように応接室だった。
「どうにも群れる連中を見ると咬み殺すのに忙しくなるからね。ここなら、見る心配もない」
「…は、はあ…そうですか」
色々と突っ込みたくなったけど、俺はあえて先に言われた言葉は聞こえなかったことにした。
俺がヒバリさんに突っ込んだりなんかしたら、それこそ自殺行為というやつだ。
ヒバリさんはポケットから鍵を取り出し、鍵穴に差し込んだ。ガチャリと重そうな音を立てて、応接室の扉が開く。
「もう用意は出来ている筈だから、先に入っててくれる。僕はお茶でも淹れてくるよ」
「…よ、用意?」
首を傾げた俺に、ヒバリさんがくすりと笑う。
手が伸びてきて、殴られると思った俺の体は、びくりと震えた。
「………」
「…ご、ごめんなさい!」
怖いわけじゃないんです。と、呟くように言うと、ヒバリさんの宙で止まっていた手が俺の頭の上に乗せられた。
「知ってる」
ちらりと見上げたヒバリさんは、少し悲しそうな顔だったように思えた。
傷つけちゃった…かな
そうは思っても、体の条件反射的なそれだけはどうにもならない。
さっさと中に入ってしまったヒバリさんの後を慌てて追うように、俺は中へと入った。
後ろでは、もう逃さないとばかりに重そうな音を立てて扉が閉じた。
「お、お邪魔します…」
休日の学校はひっそりとしていて、なんだか落ち着かない。
すっかり見知った場所の筈なのにきょろりと辺りを見回して、恐る恐るソファまで歩く。
奥からヒバリさんがトンファーを持って現れないことを祈るばかり…。
「あの?」
「そこら辺に適当に座っていてよ。すぐ行くから」
給湯室から、ヒバリさんの声が聞こえた。
相変わらず書棚には難しそうな本がずらりと並んでいる。
机の上には、何かの仕事の途中だったのか、書類もあった。
勿論、紙が飛ばないように並盛中の校章を模したペーパーウエイトが置かれていた。
その書類よりも、目を引いたのは色々な種類の甘そうなデザートだった。
机の上は、殆どそれで埋め尽くされていた。
「うわ…凄ッ…」
「用意は出来てるって言ったでしょ」
いつの間に現れたのか、ヒバリさんが俺の後ろで悪戯が成功したかのような顔をしてそこにいた。
「や、でも二人でこれって…」
「何言ってるの。育ち盛りの男なんだから、これくらい食べないと」
お盆を片手にヒバリさんが優雅とも言える動作で、器用に座った。
そのお盆の上には湯気の立っている湯呑が二つ。香りからして、どうやらお茶っぽかった。
ヒバリさんのもう片方の手は、器用に所狭しと並べられたデザートをどかし、湯呑を置くスペースを作っている。
「座ってくれない」
湯呑を置いた後、ヒバリさんはなんだまだそこにいたのかという顔をして俺を睨みつけた。
慌ててヒバリさんの前のソファに座り、カチコチと固まる体でヒバリさんをそっと盗み見る。
「うん、悪くない」
ふっと、ヒバリさんの口元が緩んだ。
心臓が一瞬、動きを止めたんじゃないかってくらい、苦しくなる。
…また、これか
その意味のわからない胸の苦しさに、いつも困惑するしかない俺。
最近ヒバリさんといると、こんなんばっかりだ。
「食べなよ。ほら、これとか。溶ける」
「へ?あの、えええ?」
「甘いもの、好きなんだろう?」
ズイと押し付けられたのはアイスだった。パンケーキみたいなやつの上に乗っているそれから、甘い香りが立ち上った。
「えっと?」
「取り寄せたんだよ、君の好きな甘いものなんてわからなかったから、一通り」
アイスに、ケーキに、和菓子に、洋菓子に、パフェに…
机の上には本当に色々あった。ヒバリさんも、溶けるのを考慮してかチョコミントのアイスが入った器を手に取った。
「い、頂きます」
「うん、どうぞ」
ヒバリさんがスプーンを手に取って、そのアイスを口に運ぶのを眺めながら、俺も口の中にアイスを放り込んだ。
一体全体、何がどうなってこうなっているのか、全くわからない。
もそもそと口を動かしながら、俺はただひたすらこうなった経緯を考えようと必至だった。
だって最初は、ヒバリさんにしてみれば俺は邪魔で、いらない存在だった筈なのに。
こんな弱くて、貧相な俺なんか
「ねえ」
「はいい!?」
段々とネガティブな方向に思考が行き始めた俺の思考を遮るかのように、ヒバリさんが声を掛けてきた。
黙々と男二人で甘いものを食べるこの光景は、もしかしたらもしかしなくても、異様かもしれないなとふと、思った。
「それ、不味い?」
もう味なんか、わかる筈もない。
ただヒバリさんの意味のわからない行動に振り回されて、頭がいっぱいいっぱいで。
「おいし、です」
「その割には、顔色がよくないし、スプーンも進んでないね」
誰の所為だと、睨みつけてやりたいくらいだった。
ふと見ると、ヒバリさんの器の中身は空になっていた。
それ所か、あの短時間で3皿くらい食べたみたいだった。
い、いつの間に…!?
「そう、ですか?」
「はっきりしないね」
カランと、ヒバリさんが置いたスプーンが器にあたって、嫌な音が響いた。
ぴくんと体がまた、条件反射で竦む。
「僕が怖い?」
「いえ…」
「嘘をつかないでくれる。凄く不愉快だよ」
「……ッ!!」
ヒバリさんが怒っているのだというのだけは、よくわかった。
でも、このジクジクと痛む胸の意味は、わからなかった。
「最近の君を見ていて、僕への警戒心や恐怖心は消えたと思っていたんだけど、どうやら間違いだったらしい」
「違…ッ!」
「違わなくないでしょ。そんなにビクビクして、ムカツク」
その言葉は、今まで投げつけられたどんな言葉よりも俺の胸に深く突き刺さった。
同時に、頭にかっと血が昇った。
「……むかつくなら」
俯いた俺は、蚊の鳴くような声で思わず呟いていた。
一言出てくれば、俺の中の歯止めなんか、跡形もなくなった。
勢いよく俺が立ち上がったせいで、ガタンとソファが動く。
手に持っていたアイスの乗った器が、ゴトンという鈍い音を立てて床に落ちた。
溶けたアイスが、床の上に散らばった。
「むかつくなら、どうして俺に構うんです?遊びなら、暇つぶしなら、他をあたって下さい!」
じわじわと、何故だか涙が出てきた。腕で拭って、目を丸くしているヒバリさんに投げつけるように言葉を突きつける。
もう後のことなんか、どうでもよかった。
「緊張だってしますよ、ヒバリさんなんだから!一方的で、自己中で、人の意見なんて聞きゃーしない、ヒバリさんの前じゃ!」
「ちょっと…」
「強くて、かっこよくて、不器用で、優しくて!!」
「さわだ」
ボロボロと溢れる涙が止まらない。
なんで、なんで、なんで…!
こんなの、鬱陶しいだけ、なのに。
「勝手にキスして、勝手に告白して、勝手に…勝手に…!!」
「綱吉」
「怖いなんて思ってない。それ所か、あんなに怖かったこの部屋、が…もう!」
しゃくりあげた俺の目から落ちた涙が、ポタポタと散らばったアイスの上に落ちて行く。
俺の言葉の勢いがよかったのは、最初だけ。
後は涙と鼻水で、わけがわからなくなってた。胸が痛くて、呼吸もままならなくて。
「どうしてくれんですか、こんなの、こんな、気持ち…痛くて、痛くて…苦しくて…俺、こんなの耐えられない!」
「綱吉」
「うぁ!?」
ぐいと引っ張られて、俺は思わず足を踏ん張った。
すると、抵抗した足ごと攫われて、ヒバリさんの膝の上に落とされる。
「うぐ?!」
「汚い顔」
くつくつと笑うヒバリさんが、俺の鼻にティッシュを押し当ててきた。
鼻水やら涙やらを拭ってくれたらしい。
「…は、離して、くださ…!」
「駄目、もっと聞かせて」
「もう、ないです」
「おしまい?」
意外というような顔をされた。その顔の近さに、頬が熱くなる。おまけに、心臓までまた煩く鳴りだした。
なんだよ、なんだってんだよ…!
「おしまいです!だから…!」
「ふうん。つまらないな」
「つまらない…って!!」
草食動物の肉食獣への文句は、その一言で砕かれた。
つまらない…
俺の、精一杯の、気持ち、が
「それってつまり、僕への返事と受け取っていいんでしょ?」
一瞬、何を言われているのか意味がわからなかった。
またこの人は、意味のわからんことを言い出したなって…
「僕は一番最初に言った筈だよ。遊びでも、からかいでもない。僕はそんなこと、しない」
ヒバリさんの指が俺の目尻に触れる。その指先は、驚く程に優しい。
穏やかで静かな声に、ささくれだっていた心が、静まっていくような気さえする。
「苦しくて辛いのは、僕が遊びでこんなことをしていると、君が勝手に決めつけているからだ」
淡々とした声で、ヒバリさんは言う。
どうしたらいいのか、もう俺にはわからなかった。
「怖くもない。キスも嫌じゃない。僕が遊びでこういうことをするのが耐えられないくらい辛い」
俺の気持ちを簡潔にヒバリさんは述べていった。
数分前の自分の失態に、俺は体を縮めることしかできない。
「あんなに怖くてしょうがないと言っていた応接室で、君は最近、笑ってる」
ヒバリさんが、穏やかに微笑んだ。
その笑みが凄く綺麗で、俺は思わず目を見張った。
いつも仏頂面がイメージの、ヒバリさんなのに。
「ねえさっきの、僕には愛の告白にしか聞こえなかったんだけど」
―そう受け取っても、いいの?
勝ち誇ったように笑うヒバリさんが、確かめるようにそう聞いてきた。
なんだか無性に悔しくて、たまらない。
今までの俺の悩みやら、緊張やらは一体なんだったんだ
こつんと額を合わせられた。探るような瞳が、俺を見詰めてくる。
俺は、ヒバリさんのことをどう思ってるんだろうか。
この痛くて苦しいのが、ヒバリさんの言う気持ちなのか、わからない。
…本当は、この気持ちの名前を知っているのかもしれない…けど。
初恋だと確信していた京子ちゃんを見たって、こんな気持ちになったことなんて、なかった。
口籠る俺を見て、ヒバリさんは息を吐きだした。
俺の体の震えを抑え込むように、抱き締めてくる力強い腕。
「つなよし」
肩口にヒバリさんの頭があった。
あぁ、この人も辛いのかもしれない。
そう思ってしまったのは多分、ヒバリさんの声が頼りなげに聞こえたから。
苦しいくらいに抱きしめられて、俺は瞳を閉じた。ぽろりと、また涙が零れ落ちていった。
「ひばりさん」
折角拭ってもらったのに、俺の顔はまたぐしょぐしょになった。
その名を呼ぶことはもう、恐ろしくはない。
この胸に募るこの気持ちは、恐怖なんかじゃない。
「ひばりさん」
ぎゅうと抱き返して、俺はヒバリさんの肩口にヒバリさんと同じようにして顔を埋めた。
彼の匂いを胸一杯に吸い込んで、溢れんばかりのこの気持ちに、俺はやっと、名前をつけることができた。
「好きです、大好きです、ひばり、さん」
「つなよ…!」
「大好き、です」
これが俺の、答えです。囁くようにそう呟いて、俺は顔をあげたヒバリさんに、初めて自分からキスをした。
あとがき
くっついちゃいました
あれれ、もうちょっと後の予定だったのに…(笑)
2009/02/09 Up