じっと見詰めた端正な顔。
影が落ちるくらいに長い睫毛。さらりとした黒い髪。
意外にも男らしいペンを握る手、今は机の下に隠れている長い足。
どことなく憂いを帯びたような表情は、色気さえ醸し出しているような気がする。

「何、見てるの?」

不意に視線を向けられて、俺は瞳を見開いた。
気付けばヒバリさんが、不機嫌そうに俺を見返していた。

甘える




「何か文句でもあるわけ」
「そ、そんなのあるわけないじゃないですか!」

ヒバリさんは連日のデスクワークで、大層ご機嫌が斜めになっていた。
悲しいかな、それでもここに来なければならない俺。

「じゃあ、なんなわけ」
「いえ、見ていただけ、ですけど」

本当にただそれだけだったから、俺は頬を掻いてそう答えた。
だって、することがない。部屋だってもう見飽きた、宿題だって、なんとか終わったし。
……合ってるかは別として。

「…沢田?」
「はい?」

ヒバリさんが名を呼んだ。それを、いつしかどことなく寂しいと思うようになっていた。
少し前に、一度だけ名を呼ばれたことがあった。
思わず、といった風だったけど、俺はあれに励まされたような気がしていた。
その後すぐに、ヒバリさんは俺をまた名字で呼ぶようになってしまったけど。

「どうかしたの。浮かない顔してる」

いつにない優しい言葉に、俺は首を振った。我儘なのはわかっている。だって俺だって、ヒバリさんと呼んでいる。
だから、人のことは言えない。

「君がそうやって眉間に皺を寄せてる時は、何かあった時だ」

いつの間にか近くまできていたヒバリさんが、俺の額をぐりぐりと人差し指で押した。
なんでこういう時だけ優しいんだ、鋭いんだ。俺はそんな彼の行動に、胸が締め付けられるような思いになった。
俺はヒバリさんを見上げ、ただ首を振ることしかできなかった。

「大抵下らない考え事だけどね」
「ほっといて下さい!!」

言い返せば、ヒバリさんは面白そうにまた笑った。
人のことからかって遊んでるし…。

「言ってごらんよ。解決するかもよ?」

悪戯っぽく細められた瞳は、俺の悩みなんてお見通しだとでも言っているようだった。
先ほどまでペンを握っていた手が、頬に宛てられた。親指で目元を撫でられ、耳を擽られる。
隣に腰を降ろしたヒバリさんの目は、まっすぐに俺に向けられている。
それだけで心臓は煩く鳴りだすし、ましてや真正面から見返すことなんて、俺には出来ない。

「……ほんとに、対したことじゃないんです」
「生意気」

逸らした筈の顔は顎を思いっきり掴まれて、ヒバリさんへと無理矢理向けさせられる。

「ちょっ、いひゃっ、いひゃいです!!」
「何を勘違いしてるのか知らないけど、これは命令。言え」

痛いと抗議を訴えた口も、手を引きはがそうとヒバリさんの手を掴んだ手も、その一言に固まった。
目の前にあるのは、有無を言わせぬ視線。

「……あ…」

その瞳に、何も言えない、何も返せない。
抵抗なんて、出来る筈もない。そんなのは無駄だと、他ならぬその瞳が告げていた。
俺はただ、見詰め返すのが精いっぱいだった。何もしていないのに、息があがる。
頭に血が昇ってきたかのように、熱があがった気がした。ぼうっとする俺の頬に触れたのは、ヒバリさんの冷たい手だった。
気持ちよくて、擦り寄るように頬を寄せて、瞳を閉じる。
ヒバリさんが笑う気配がした。

「ねえ、沢田」
「……それ」

ぼんやりとした頭で、至近距離にあったヒバリさんの瞳を見詰め返す。
ヒバリさんは首を傾げ、俺の言葉をしばし考えているようだった。

「…それって?」
「……沢田って、なんだか、他人行儀な気が、してしまって…」

これ以上は早くならないだろうと思っていたのに、心臓の鼓動はさらに加速していく。
たった一言なのに、その一言が重い。喉につかえて、上手く言葉が出てこない。
どうしたらいいのかも、どうすればいいのかも、よくわからない。
謝らなきゃいけない筈なのに、何かを言ってしまったら泣いてしまいそうな気がした。

「…綱吉?」
「……ッ…!」

意地の悪い笑みを浮かべたヒバリさんが、俺の耳元で囁くようにそう呟いた。
硬直した体は、ヒバリさんの腕に抑え込まれた。
背筋を何かが、駆け抜ける。決して嫌ではない、その感覚。

「綱吉」

呼ばれる度に、呼応するかのように体が跳ね上がる。
ヒバリさんの肩に乗せた手に、力が籠る。額に汗が少しばかり、浮いている気がする。
ゆっくりとした口調で、確かめるように俺の名前を呟く、低い声。

「暫く、人前では呼べそうにないね」

笑ったヒバリさんが、俺の頭に手を乗せた。
強張っていた体から、それでようやく力が抜けて行く。

「君の我儘なのに」
「……そうです、けど」

俺は何も言っていない。と、言うことは流石に出来なかった。
耳を擽る彼の声が、体にぞわぞわとした何かを流していく。

「だから、君も呼ぶんだよ」

ヒバリさんの肩口に顔を埋めていたから、どんな顔でヒバリさんがそれを言ったのか、俺は知らない。
でも、その声は優しくて、甘かった。
背筋を撫でる大きな手の感触も、耳元で笑う彼の声も、今の俺にはどれも、甘いものにしか感じられなかった。

「わかったの? 綱吉」

その声に、引いた筈の熱がまた戻ってきた。
俺は彼の肩口に顔を埋めたまま、頭を縦に振った。

今はその笑い声が少しだけ恨めしく、嬉しかった。





あとがき

ちょっと一段落な話。
これって甘えてるの…かしら?(汗)

2009/03/22 Up