※エロ無し、ちょいキルゴン要素有りかも
黒いデジタル時計に浮かび上がる蛍光オレンジの数字を眺めながら、溜め息をついた。十四時二十分。ゴンがクラピカの隣に座り込んでから、まだ三十分しか経っていない。遊び相手をなくしたおかげで、ただ時間が過ぎ去っていくのをじっと待っている。部屋を眺めれば、トンパは昼間だというのに外聞もなく鼾をかいて熟睡、レオリオは薄い雑誌のようなものを欠伸交じりにめくっていた。今が第三次試験の最中だということなど忘れてしまいそうになるくらい、この部屋の時の流れはゆったりとしている。というより、遅すぎて、何度欠伸をしたのかわからない。
「あはは!それってさあ、」
ゴンの笑い声が静かな部屋に小さく響く。他の人間を気にしてか、控えめに会話をする二人の話の内容までは聞こえない。二人が隣り合って広げている本、読んでいるのかいないのか、それがこっちとあっちで世界を遮断しているようにぶ厚く、そばに寄ることも話しかけることもできないでいた。勿論、誘われたって行かないけど。
「ははっ、ゴンは面白いな」
十四時二十五分。壊れているんじゃないかという疑念は、腕の時計を確認し杞憂に終わった。もう一度溜め息をついたところで、自分が苛々しているということに気付いた。何に?
クラピカの横に積み上げられた本を見る。本棚に収まっていた本は、ほとんど読んでしまったか、既読だったらしい。博識だし頭が切れるとは思っていたけど、勉強が好きなのか、と合点がいった。けどそんなことどうでもいい。俺やゴンとは違うなって線を引くだけ。
トンパがムニャムニャと寝言を言いながら寝返りをうった。どうやら夢の中でも屑野郎らしい。一瞬おしゃべりを止めてトンパを見た二人は、顔を見合わせてくすくすと笑い合った。
「ゴン」
俺は言った。
「なに?」
「もう一回釣り竿貸して」
「いいよ、使って」
「教えてよ」
「うん、ちょっと待ってて」
聞いているのかいないのか、ゴンは俺の方も見ずにクラピカと本を眺めながら何か話している。俺は頭を掻きながらゴンの釣り竿を手に取った。何度か空気を斬るように振ってみる。全く面白くないどころか、苛々が増していく。ゴンに、だろうか。彼の事はさっきまで気に入ってると思ってたけど。やっぱり俺は気まぐれらしい。思いながら、釣り竿を振り下ろす力を強める。ヒュオ、と音を立て空気を割く音が速くなる。ヒュオッ。違うだろ。そうじゃない。ゴンにじゃない。ゴンをとられた気がしてムカついてるんだろ、クラピカに。誤魔化していた思いに向き合うと、今まで考えたこともなかった言葉が、真っ白な紙にインクがじわりと滲むように浮かんできた。――「友達」。できるだろうか、俺に。ゴンは、俺の友達になってくれるだろうか。手を止め、ぼんやりと正面に座る二人を見ていた。ゴンとクラピカとレオリオは、船で知り合ってハンター試験会場まで一緒に来たっていうから、俺より少しだけゴンとの付き合いが長い。クラピカがレオリオに遠慮ない物言いをするのも、レオリオが随分年下のゴンに背中を任せそうに見えるほど信用してるのも、ゴンがクラピカの言うことをしっかり聞くのも全部、三人が信頼し合ってるのを否応なしに伝えてくる。三人が透明なペンでぐるりと囲まれているみたいに思えた。ゴンは、この二人みたいに、俺を側に置いてくれるだろうか。
「ごめん、キルア。上達した?」
俺の邪心なんて気付いていないゴンは、にこにこしながら俺の隣に腰を下ろした。気付けばクラピカは一人で本に向き合っている。自分だけが邪な考えをしていることに嫌悪感を覚える。外に出たらもう一度貸してよ、実践してみたいからさ。俺が言うと、ゴンは外に出たらね、と笑った。外に出たら、いや、ハンター試験が終わったら、ゴンに友達になってくれるか聞いてみようと思った。
◇◇◇
飛行船の人気のない廊下で、クラピカとゴンが窓の外を眺めながら話しているのを見た。近寄って話しかけようと進めた足は、その雰囲気に止められた。三次試験の時のまだ新しい記憶が引き出される。二人が別れたのを見計らって、ゴンの側に行き、話しかけた。
「何話してたの?」
「キルア。別にたいしたことじゃないよ」
俺に気付いたゴンは何でもないというふうを繕って言う。嘘が下手なやつ、と思った。廊下を歩きながら、沈黙が流れる。
「…カッコ悪いからあんまり言いたくないんだけどさ、」
後悔したのか、迷いを巡らせた後にゴンが呟く。
「クラピカに慰めてもらってた」
そうに、俯きながら言った。最初にした質問への答えだった。
「だめだなあ。クラピカってやさしいから、すぐ甘えちゃうんだよね」
クラピカがやさしいのはお前にだけだろ。思いながら、それを口にするのは得策じゃないな、と口を紡ぐ。ゴンは、口では後悔を滲ませながら、決してそんなふうには見えない顔をしていた。
「誰にも言わないでおこうと思ったのにな。クラピカ、なんでわかったんだろう」
ゴンは廊下の先を遠く見つめながら言った。ゴンがいつもより元気がないような気はしていたけど、それはヒソカっていう化け物からプレートを取るっていう大仕事を成したからで、何か気に病んでいることがあるなんて思い当らなかった。ゴンは、太陽みたいに明るくて、弱さなんてない完璧な人間だとでも思っていたのかもしれない。こいつだって俺と同じ十二才なんだ、とあらためて気付く。クラピカはそれをわかっていたんだろう。けど、それだけじゃない気もした。
「お姉ちゃんがいたら、あんな感じなのかな」
クラピカのことを、ゴンはまだ思い出しながら続ける。お兄ちゃんにしては綺麗すぎるよね、と言って笑う。確かに。女顔だよな。俺も笑った。
その後は、いつも通りのゴンとの会話だった。レオリオはお兄ちゃんみたいだけど、それにしては頼りないだとかおっさんくさいだとか、そんなことを大声で喋って笑った。ただ、この時以来、ゴンが弱さも含めて正直に心を打ち明けるのはクラピカで、人当たりが良いとは言えないクラピカがゴンにだけは甘いっていうように、この二人の間に何か特別な関係が構築されていることが度々気になるようになった。それこそ、二人とも男だっていうのに不思議な話、本当に姉と弟みたいだ、と。
◇◇◇
夜通し看病を続けていたセンリツとレオリオを休ませるために、クラピカの見張り番を請け負った。ゴンは昼食を買いに外へ出ていて、ボロい部屋には病人と二人きりというつまらない状況。手持無沙汰に、尋常じゃない熱を出しているクラピカの額の上にあるタオルを取る。まだ熱い。冷水に十分浸してから絞り、また額にのせようと身を乗り出す。汗がこめかみから頬、頬から首筋へと斜めに伝っていくのを見て、拭いてやろうと襟元を広げる。覗き込んだ瞬間、咄嗟に襟元にかけていた手を離し、素早く体を引いていた。
呆然として身動きがとれないまま、俺はいくつかのことを走馬灯のようにぐるぐると思い出していた。ハンター試験の最中、俺はゴンと仲良くなりたくて、クラピカにいらついていたりしたけど、今思えばあれは嫉妬だったんだろうと思う。そして、あのときゴンはクラピカをお姉ちゃんみたいだと言い、俺もそれは的を射ていると言った。お姉ちゃん。いつだったか、クラピカが落としたティッシュみたいなもの。それを俺が拾って渡した時のクラピカの反応。レオリオとの同室に不平を漏らしていた。女性の色仕掛けに全く応じない。声が男にしては高い。細い体。ぶつかったときの柔らかい感触。そしてこれは…、胸?
俺は首元の汗を拭おうとしたタオルを握りしめ、ただクラピカの早い呼吸を繰り返している様子を見つめた。思い当る節がありすぎる。なぜ気付かなかったんだろう。自分の思考の甘さに驚きと同時に失望しながら、レオリオとゴンは多分気付いていないだろうと思った。気付いてたら、クラピカに対する接し方にもっと表れていてもいい。いまだに二人部屋の時はレオリオとクラピカが組んでいるのがその証だろう。いまクラピカを看病している二人共が知らないとは思えないから、もしかしたらセンリツは知っていて上手く庇っているのかもしれない。
俺は衣服には触らず、胸元まで布団を引っ張り上げると、首筋と顔だけ汗を拭った。そうしながら、お姉ちゃんか、とゴンの言った言葉をもう一度思い出していた。確かに、あの時俺たち二人がクラピカを兄じゃなくて姉、と表現したのは、クラピカが中性的、むしろ女っぽい顔や雰囲気をしているっていう理由もあるけど、それだけじゃない。クラピカに心もとなさみたいなものを感じていたからではないか、と今は思う。自分に兄貴が二人いるからわかるけど、こんな気持ちは兄貴に対しては抱かない。自分より早く生まれたわりにどこか危なっかしくて、人の事は心配してくる癖に無鉄砲で、だからまわりを振り回して。実際の姉というのがどういうものかわからないけど、当たらずとも遠からず、ってとこじゃないだろうか。
クラピカが小さく呻きながら寝返りをうち、額の上のタオルが落ちた。俺はそれを焦ったように直すと、溜め息をついた。
「心配、かけさせんなよな」
呟くと、クラピカの枕元に積まれたクッションに気がついた。レオリオ、だろうか。大部分は必要がない、無駄なもののように見える。過保護すぎだろ。あいつシスコンだな、と苦笑する。ゴンもシスコンだ。クラピカにべたべたとくっついているゴンが自然に浮かんできた。じゃあ、俺は?俺は別に、ゴンみたいにクラピカと隣り合って喋ったり、弱音を吐きたいわけじゃない。ってなると、ただの仲間、なのかな。
とんとんとん、と外の階段をゆっくり昇ってくる音がした。クラピカの好物がわからず、ありったけの食材を袋に詰め込んだゴンの姿が思い浮かぶ。アイスクリームは食べなそうなクラピカの端正な顔を見つめながら、ゴンには黙っててやるか、と心に決めた。三人の中で俺しか気付いていないんだったら、俺が気をつかってやらないと、だよな。クラピカって自分じゃ気付いてないだろうけど、結構美人だし、身内には隙があるし、レオリオなんかにばれたら面倒くさいことになりそうだもんな。今後の計画に頭を働かせながら、なかなか骨が折れそうな役割だな、と思うと同時に、こういうのもシスコンの範疇に入っちまうんじゃないだろうな、と不本意ながら思った。
◇◇◇
おまけ的な続きでヒソカとキルア
◇◇◇
「彼女は元気かい?」
一瞬、相手が誰の事を言っているのかわからなかった。まさか自分以外にこの孤独な秘密を有している人がいようとは考えてもみなかったからだ。よく考えれば、目の前に居る男を怪しむことはどのような場合でも度が過ぎるということはなかった。
「彼女って?」
「とぼけるなよ。名前を言ったほうがいいかい?」
そう言って数歩先を歩くゴンにその長い指を向けた。その二本の指に挟まれた一枚のトランプが、喉元にその端を突き付けられたときのような緊張を走らせる。今ここで名を出せば、聴覚の良い彼には聞こえてしまいそうな距離だった。ただでさえヨークシン・シティでの一件以降、ゴンは彼女の事を案じている。この場で彼の心配事を増やすのは避けたかった。
「…なんで知ってる?」
「最終試験で近付いたときにね。あんまりかわいいからキスしちゃおうかと思ったよ」
言いながら、横目でちらりとこちらの反応を伺うように見るその口元には、不愉快な弧が描かれている。乗せられてはいけない、と身を引き締める。この男が厄介な人物だというのは十分に分かっているから、冷静を保つよう自分に言い聞かせる。ゴンに言う気がないのなら、周りに触れ回る気はなく、ただ俺をからかいたいだけなのかもしれない。
「キミしか知らないんだね。偉いね、秘密を守ってあげて」
「…言う必要がないからね」
「ふうん?」
そう言って、興味深いものを見たとでもいうように眉を上げた。くそ、何が目的だ。胸に広がる焦りを悟られぬよう、随分と先へ進んだゴンの背中だけを見ているようにする。右側の頬が引きつっているのがわかる。
「彼らも、本能ではわかってると思うよ」
男のね。男がそう言った瞬間、俺は冷静を保つことなど忘れ、その顔を睨みつけていた。コイツ以外の男なら、掴みかかっていたかもしれない。それを引きとめたのは、本能的な防衛心理だ。今の俺は、この男に敵わない。
「…あいつに、何かした?」
「さて、どうでしょう?」
パラパラとトランプが両手を行き来する。男の言葉や動きから推察できることはないかと全神経を働かせる。心底楽しんでいるといったその表情に、ヨークシン・シティのホテルで彼女が言った言葉が思い出される。――ヒソカとコンタクトをとっている。そう言った彼女の表情はどうだった?思い出せない。――なぜ、俺たちよりも先にこの男とコンタクトをとり、協定を結んでいた?――どんなやり取りがあった?情報の物々交換だとしたら、彼女は、代わりに何を差しだした?考えられる男のメリットは?――この男が、二人きりになって彼女を襲わない確率は?
考えれば考えるほど最悪の答えへと導かれてしまうのを阻むことができない。俺は男と反対側の方の拳を爪で肌を抉りそうなほど握りしめていた。
「心配しなくてもいいよ。何もしていないから」
今のところはね。そう言って微笑する男の姿にとりあえずの安堵を許してしまう。この男の言葉ほど信じてよいか迷うものはないのに、最後の言葉に縋り付く。
「いいねえ。まるで姉を心配する弟みたいだ」
いつもの調子で恍惚とした表情を浮かべる男に、己の気の緩みを後悔した。――壊される。こいつに。俺たちの彼女への思いが熟した頃に。
自分の反応が、男が待つ果実が熟すのを早めてしまったことに気が付いた。心中で舌打ちする。わかりやすく彼女への愛情を示すゴンとレオリオのことを考えれば、男の中で俺が最後の砦であることは明らかだった。
「弟代わりとして、彼女に言っておいてよ。女の子が夜に男と二人きりで会うのは感心しないってね。ボクもいい年したオトコノコだから、何があってもおかしくなかったよ」
そう言って、その時のことを思い出しているのか、ククク、と音を出して笑った。俺は弟と言われたことなど忘れて、猛烈に腹が立っていた。目の前の男よりも、こんな男に隙を与えている彼女へ、だ。彼女は自分が男に引けを取らない力を持っていると信じるばかり、自分が女で、それが同時に弱点であることなど考えていない。男なんて、彼女が考えている以上に獰猛だということも。これだから心配なんだ、と少し前に彼女に電話をかけた時の事を思い出す。二時間もかけて電話しに行ってやったのに、彼女からは素っ気ない返答しか返って来なかった。
「…あ、それともうひとつだけ、イイことを教えよう」
男の言葉を無視して歩きを早めた俺に、後ろから声が掛かる。気にしている素振りを見せないようにしながら、耳に神経を集中させた。
「クロロも多分気付いてるよ」
俺は振り返った。男の顔には笑みが残っているものの、少しだけその表情に陰りが見て取れた。まるで、奪われたお気に入りのおもちゃを取り返そうと画策する、子どものような冷たさ。その瞳に確信する。これははったりなどではない。俺は全身から血の気が引くのを感じた。
「気をつけた方がいい。彼は僕よりたちが悪いよ」
その表情に笑みはない。わかっている、そんなこと。だからこうして焦っているんじゃないか。俺は旅団の頂点に立つ男が垣間見せた底知れぬ人間性を思った。美しい緋色を手にしたいがために何人もの人間を殺した男。その瞳を持つ最後の人の秘密に、あの男が興味を持たないはずがない。俺は再び拳を握りしめ、傷付けた皮膚から血が垂れるのを隠した。
「ああいう、プライドの高い高潔な女の子を啼かせたいってのは、ちょっと意地の悪い男なら誰でも思うからね」
俺の不安を煽るような言葉を吐き、にっこりと笑みを貼り付けた男は、俺が反駁する間も置かずに蛇のようにするりと消えた。急に心臓が重くなり、頬を冷たい汗が流れ落ちていくのを感じた。俺は、立ち止まったまま、遠くで揺れる小さい、しかし鮮明さを失わない後ろ姿を見ていた。日を重ねるごとに、強く、魅力を増していく彼。
彼と一緒に居るようになって、自分の中の弱い部分が、何か新しいものに包まれていることには気付いている。肉体的にも、随分と成長した。けど、これはすべて手段だ。何かをするための手段。俺が本当に探しているのは、「目的」。
突如として、金色のまるい月があらわれ、黒い湖に液体となってとろりと垂れていく光景が浮かんだ。跳ねて黒くなったそれは、真っ白だったキャンバスに一滴の墨汁となって落ちた。波は四方に広がり、さざ波となって俺の頭の中や心臓に到達し、揺らせた。
――強くならなければいけない。それが今、俺が出来ることだ。
俺は拳に力を込めると、地面を蹴ってゴンを追いかけた。
◇◇◇
単行本が手元になくて状況が微妙だけどG・Iです