*エロ風味はあるっちゃありますが、書くの苦手なので、それ以外の部分に重点が置かれるかと思います。518からが本番です。それまでは下手な前戯だと思って下さい。
*レオリオに感情移入しまくりの第三者視点です。たぶん。
*レオリオがめっちゃくちゃ乙女です。
初めは男だと思っていた。
いつから違和感を抱くようになったのだろうか──数式を書く手を止め、彼はふっと目を細めた。ここ一週間寝床としているボロいホテル。なにか大きな災害があればすぐに崩壊してしまいそうな古さだが、最上階の窓から眺める夜景は絶品だった。雑然と立ち並ぶ妖しいバーの煌めかせるネオン──もしかしたら、どこかに暗さを秘めた美しさが、その記憶を呼び覚ましたのかもしれない。
一次試験で彼女がマントを脱いだとき。筋肉の薄い胸と、意外に華奢な肩の線。料理をけなされたときの不機嫌そうな表情。長袖の下から現れた、筋肉質ではあるが、自分のものとははっきり違う腕──そのころには、小さな違和感は確信に変わっていたように思う。
ドーレ港へ向かう船の中に見つけた、鮮やかに際立つ金の絹糸。辺りにいるのは暑苦しい男ばかりだったから、小さな子供が乗り込んできたときと同じくらいに驚いた。年齢に、ではない。その容姿があまりにも優美だったから──真っ白な肌、理知的な雰囲気、かすかな愁いを湛えた伏し目がちな瞳、気高く結ばれた唇。彼が遊んだどんな女よりも魅力的に映った。マントに包まれた体は、それでも彼の好みである豊満さを持っていないことが一目瞭然だったが、こんな体つきもいいかもしれないなどと見惚れ、次の瞬間には慌てて、男にそんな感情を抱いた自分を呪った。
一度気にし出してしまうと、もう勉強には手がつかなかった。彼は傍らの携帯電話をそっとなで、そのなかに刻み込まれた数字の並びを思い浮かべる。その途端鼓動が苦しげに呻いたから、無意識に手に力がこもり、ぎゅっとまぶたが押し下げられた。
こちらから連絡はしないと決めていた。よっぽどのことがない限り、彼女の決意に踏みこむような真似はしない、と。不安になることはある。一度頭に血がのぼると、周りを全く見られなくなる性格。困ったものだと思う。そのせいで彼女は人一倍苦しんでいる気がする。一人でもがいて、一人で突っ走って、一人でつまずいて。馬鹿だ。彼女はよく、彼を間抜けだと罵った。全くその通りだと思う。自分は阿呆だ。けれど、ときどき、彼女はそんな自分よりもっと馬鹿だ、と──怒りにも似た感情を抱くことがある。
助けてやりたい。ときおりそんな想いが彼の胸を突き抜け、それでも、自分ではどうすることも出来ないんだと思う。こちらがなにを言っても、芯のところで彼女には届かず、叫びはそこで行き場を失う。彼女は笑う。闇など知らないように笑う。けれどもそれは嘘の笑顔だ。彼女は心の底から笑っているつもりかもしれない──けれど、彼女が気付いていないだけで、その奥にはいつだって、決して光の届くことのない暗さが広がっている。
こんなことではいけないのだ。これでは諦めているのと同じではないか。
それでも。こちらから彼女の足を止めることは、きっとないのだろう──。そして、彼女がこちらに頼ることも──。
しいんと沈黙を貫き通す携帯電話。無機質なフォルムが、再び彼女の姿を呼び起こす。
彼の失敗のせいで与えられたペナルティ。子供二人と太った糞親父が眠りに落ち、静まりかえった部屋の中、彼はヘッドホンでDVDを観、彼女は小さな明かりを元に、黙々と本を読みふけっていた。
テレビの画面の中では、つまらない脱走劇が展開し、ちんけな俳優はだるそうに台詞を吐いていた。眠い。彼の口からおおきなあくびが漏れる。がたがたとヘッドホンを外すと、背後で彼女が息を飲むのが聞こえた。もしかしたら、本を片手に眠っていたのかもしれない。微笑が彼の口元を彩り、同時に少し申し訳なくも思った。
伸びをしながら、自分の領域と決めているソファに向かう。彼女の使っている椅子はその途中にあり、ふと彼女に目をやると、その茶色い瞳と視線が絡んだ。
「……まだ寝ねえの?」
「ああ、ここの章を読んだらな」
いつも通りの素っ気ない返事。しかしそのなかにかすかな眠気が混ざっているようにも聞こえ、彼はつい、くすっと笑った。
彼女はなにか言いたげに彼を睨みつけたが、つまらなさそうに本に目を戻した。素早く右へ左へと揺れる眼球。そうかこの眼が緋色に染まるのか、と不意に思い出し、試験者側からは見えなかった瞳に思いを馳せた。そうして、その直後に彼女を馬鹿にし、罵倒した自分を情けなく思った。
「あの……悪かったな」
予期していなかったのだろう、彼女は驚いたように目を見開き、彼の顔を見やる。
「さっきの試験の時はさ……」
「気に病むことはない。私の方こそ、すまなかった」
大きな目がふっと細められ、読書灯の光のせいに違いない、その瞳が潤んで揺れた。
胸がきゅっと締めつけられたような感覚を覚える。なんだよこれじゃあ恋する乙女みてえじゃないか、などと心の中で毒づき、予想以上に混乱し、なにを言いかけていたのかも忘れ、とっさに口をついた言葉は、
「暗い中で本読んでたら目ぇ悪くするぜ」
というなんとも間抜けなものだった。
彼女は一瞬きょとんとし、それから口元に手をあて、くすくすと笑った。慌ててなにか言い返そうとするも、言葉は喉のところでせき止められ、その間に笑い声は少しずつ大きくなり、しまいには彼女は腹を抱えて身をよじらせた。
「な、なんなんだよ、ったく」
やっと声になった文句も、彼女のよく通るアルトボイスにかき消される。
「それこそ要らない心配だ。全く、君ってやつは……」
憎まれ口を叩く彼女の顔は、さっきまでと打って変わって感情に満ち溢れ、頬には赤みが差し、今までのどんな彼女より鮮やかに映えた。
無意識のうちに彼は辺りを見回していた。自分と彼女以外は誰も起きていないと確認するために。なぜそんなことを──? それに思い当った瞬間、今度こそ頭の中は真っ白になり、五感が消えたような世界の中、かろうじて自分が前かがみになったのと、唇になにかやわらかいものを押しあてたらしいことだけは感じとれた。
それからどうやって寝床に潜り、どうやって朝を迎えたのか、全く覚えていない。眠る前のその会話さえ、寝ぼけた頭が隅に追いやっていた。彼が時間はまだかと喚いたときも、唇に残る感触を不思議に思ってはいたものの、それがなんなのかは全く思い出せずにいた。まあまあと彼をなだめるゴンが彼女に話を振り、それに答えてなにか考察する声がやけに気まずそうなのを聞き、その夜の記憶が唐突に蘇ったのだった。
やべえやべえと心底慌てて、謝ろうとするも周りに人がいるのでできず、目を合わせるのもためらってしまい、仕方なく後ろに回ってその姿を眺めることにした。
昨日のことがあってか、彼女の姿が妙に色っぽく映る。整然と並ぶ背表紙をかすかになでていく細いゆび。マントを身につけていないために見える、頼りなげな肩。本棚を物色するまつ毛の長い眼。この罰の時間がもうすぐ終わりそうで良かった、と思う。風呂に入る時間なんてあったらなにするかわかったもんじゃねえ──そう考えてしまう自分が情けない。と、彼女の眼がおろおろと泳いでいるのに気付く。ただ本を探しているだけではあんな視線の動かし方にはならないはずだ。彼女は小さく頭を動かして子供たちの方を見、それからふっとこちらに顔を傾けた。
──やべっ。
彼は慌ててそっぽを向き、そうだあの釣り竿、俺は釣り竿を見ているんですよなどと言い訳したとき、彼女がさっと顔を背けるのがわかった。さっき子供たちから視線をはずしたときとは明らかに違う。
その理由はあまりにも明白で、あとで彼女に謝らなくては、と彼は恥ずかしながらも決意を固めたのだった。
「あと2時間かあ」
キルアがあくびまじりに言ったのをきっかけに、その場の空気が変わった。全員がなんとなく散らかしていた荷物に手を伸ばし始める。彼女もご他聞に漏れず、積み重ねていた本をあたあたと片付け始めた。
釣り竿をいじりながらゴンが伸びをする。
「オレ、キルアと遊びすぎて汗かいちゃったよ。ちょっとシャワー浴びてこよっと」
彼に戦慄が走った。だが、いやいやこれはゴンだ、あいつも風呂に入ると決まったわけじゃない、と心を落ち着かせる。ちらりと彼女の方に目をやると、その顔からは戸惑いの色が消え、いつもの涼やかな表情に戻っていた。もう気にしてはいないのだろうか。安心すると同時に、どこか寂しさも覚える。
そんな彼をよそに、子供たちは無邪気なおしゃべりに夢中だ。
「じゃあオレも入ろっかな」
「オレの後ね。あそこ狭いんだから」
「まあそうだよなあ。ねえ、あんたもシャワー浴びんの?」
再び心臓が跳ねあがる。その声の方向にいるのは──彼女だ。
「いや、私はもう……。昨日浴びてから特に運動もしていないので大丈夫だ」
耳に心地よい低い声。その声が彼と同じように震えているようなのは気のせいだろうか──? 彼女が「シャワー」という言葉から動揺するようなことを連想すると? 何時間か前までなら、それはないだろうと自信を持って言えただろう。しかし今はそうはいかなかった。
「あっそ。じゃあオッサンは?」
その顔は彼に向けられている。整ってはいるがまだあどけなさの残る顔。その猫目が意地悪に輝いているのを見て、彼は思わず叫び出しそうになった。
見られていた。
大体フレンドリーすぎた。ゴンならともかく、キルアは不必要に彼女に話しかけたりはしないはずだ。明らかに昨夜のことを踏まえてからかっている。彼は頭から湯気が吹き出そうな感覚を覚えた。自分が見られていたことより、彼女に羞恥を感じさせてしまったことの方が恥ずかしかった。そして新たな不安が巻き起こった。ゴンに見られていても、それは別にいい。特段からかっらりはしないだろう。問題はあの糞親父だ。
ちらりと横目で見ると、トンパは一心不乱に爪を切っている。その顔は無表情で、特に好色そうな様子は見られない。とりあえず彼は安堵し、重いため息を吐き出した。
あと1時間半というところまで来たとき、彼は素早くクラピカの元へ歩み寄った。キルアは浴室前の洗面所でゴンと話しているらしく、糞親父も緊迫感を全く感じさせない姿勢で寝入っている。絶好の機会と言えた。
トントンと突こうとして止め、小さく「なあ」と声をかけると、その肩がびくっと揺れ動いた。
「……なんだ」
透き通るような金髪を揺らして振り返る。左耳のイヤリングが室内灯の光をはじき、彼女の顔を彩った。単純に謝ろうとしたが、雪のような顔の一瞬陰ったのが見えたから──謝ろうと決めたときから紡いでいた言葉は、音もなく体の奥へ吸い込まれていった。
「なにか用か」
彼女はもう一度訊く。今度ははっきりとわかる、狼狽の溶け込んだ声だ。吐息交じりで艶やかだ──こんなときにもそう聞き惚れていたことに、彼は激しい自己嫌悪を覚えた。そして、今まであやふやに宙に浮いていたものが、はっきりとした確信に変わる。
自分はこいつを完全に女として見ているんだ、と。
それは彼女が大男をぶん殴ったときの、身体的な確信ではなく──性の対象というのだろうか。
それまで彼のなかで、彼女はある程度中性的な存在だった。ただでさえ男か女かわからない外見をしていたが、それに加え、あまりの美しさゆえに神格化されていたのだ。やはり、彼女と『今まで遊んだ女たち』とを完全に同一視しているわけではない。少し絡んだだけですぐになつき、ちょっとの不満でさっと手を話すような我儘な女たちとはまったく違う。それでも、これからはこいつに本当に自然に接することはできないだろうという予感があり、それは彼を自己否定の底に突き落とすのに十分なものだった。
彼はふと、彼女がなにも言葉を紡がないでいることに気づいた。これまでのイメージだと、自分が黙って突っ立っていることに対して憎まれ口の1つでも叩いていそうなものなのに──。重い沈黙は彼女の感じている気まずさを率直に表していた。
もし、ここで自分が謝ることで──つまり昨夜の行為を認めることで、彼女に重荷がのしかかるとしたら。
試験中、彼らは4人で行動してきた。子供たちが、特にゴンがいる限り、それは続くと考えていいだろう。その間彼女が気に病み、試験結果に影響が出るようなことがあってはならないのだ。彼女の試験動機はあまりに高潔で、一族全員を失ったというのは彼には想像も出来なかったが、せめてその行動に支障が出ないように──と、そう思った。
「いやあ寝る前さあ、あまりに眠かったもんでよく覚えてないんだが、なにか暴言吐いちまったような気がしてさ」
「……暴言?」
ポーカーフェイスな彼女の瞳が一瞬動揺の色を覗かせる。彼は鼓動が速くなるのを悟られないように、自然なふるまいを意識してまた口を開いた。
「ホントなんも覚えてないんだよ。でもお前とは話したよな? 疲れと眠気で頭ん中ぐるぐるしてたから、ヘンなっていうか、つまりこっちが意図してないこと言ってないか気になってよ」
彼はだんだん早口になるのを抑えられなかった。彼女は探るようにこちらを見つめている。頭一つ分小さな彼女は、充分に背は高く、実際彼よりよっぽど精神年齢は高いのだろうが、やけに頼りなく見えた。
「……いや、なにも言われた覚えはない。杞憂だな」
彼女がふっと笑みを漏らす。緊張の糸がプツンと切れ、彼もへなへなと笑った。
「2人でなに話してるの?」
頭から水滴を垂らしながらゴンが走り寄ってくる。彼女は小さく首を振り、
「なんでもないさ。もうそろそろ時間だ。ウォーミングアップでもしなければな」
と言ってまた微笑んだ。
あれから彼女の接し方は前となんら変わらなくなり、彼女にたしなめられたり呆れられたりするたび、彼は嬉しいような申し訳ないような複雑な気持ちになるのだった。
そんなさなかだったから、彼女が前を走るトンパに華麗な蹴りを食らわし、彼を庇うような発言をするのを聞いたときは、お礼を言わなければと思ったものの、なにも言えずにその場に突っ立ってしまった。
「……レオリオ?」
彼女が怪訝そうに顔を覗き込んでくる。見るとその髪には小さな枯れ葉がついており、美しい顔立ちに可愛らしさを加えていた。
「あ、ああ、コンビ? 組んでやるぜ。その方が効率がいいってことだろ」
「わかってるじゃないか」
口元をつりあげて眼を光らせる彼女が、なんとも艶やかだ。彼は慌てて視線を逸らし、足元のトンパを蹴飛ばしながら言った。
「んじゃ手始めにこいつ捨ててくるぜ」
「ああ……ここに縄があるからこれで縛ってしまうといい。しばらく動けないと見受けられるが念のためだ」
縄という言葉にどきっとしながらそれを受け取り、ぐいぐいと縛り上げる。それを眺めながら目を細める彼女は、きっとなにか作戦を立てているのだろう、あごを細いゆびでつまんでいる。浮ついた心などまったくなさそうで、彼に幾度目か知れない羞恥心を湧き起こした。
作戦をざっと確認したあと、彼はトンパを担いでその場を去った。
「ちょいと話があるんだが?」
トンパが卑しそうな声を発したのは、彼女の姿が完全に見えなくなったときだった。
嫌な予感がぞわりと毛を逆立てる。彼は努めて平静を装いながら訊いた。
「話? いきなりなに言ってんだ?」
「おっ、ポーカーフェイスと来たか。お連れさんを見習って、ってか?」
「なにが言いたい」
肩の上で巨漢が笑い声を漏らすのがわかった。彼女の優美なものとはまるで違う、下品な声だ。
「悪い悪い、連れとは言わねえなあ。無理矢理だったもんな」
カッと頭に血がのぼる。思わずぶん投げそうになったがぐっと我慢する。ここで乱暴をしては彼女との作戦が無駄になりかねない。しかし、それでもトンパの笑い声には虫唾が走るような思いがした。早く適当な場所を見つけなくては。そうしてこの糞親父をおろしてしまいたい。罵りの言葉と共に晒しものにして。
「まああそこで止まっちまったのは惜しかったが……もうちっと先まで行ってくれりゃ、俺の気分も爽快ってとこだったのにな。服ごしに触ってお終い、なんてお前さんらしくもねえ。あの女と賭けしたときみてえにもっと……」
「触った……?」
冷静に冷静にと念じてはいたものの、彼と彼女の性格には大きな差があり、全く記憶にないことを引き合いに出されては反応せずにはいられなかった。トンパはにやりと口元を緩めたが、前を向く彼は気付かない。
「おいおい忘れてんのか? 上も下も、両方だぜ? 特に下なんか時間は短かったがかなりねちっこい手つきだったぜ。ま、お前キスの後は放心状態だったからなあ……無理もないか。あの小娘、血の気も引いて呆然としてたぜ? 俺が見てるのにすら気付かなかったんだからなあ」
「嘘付きやがれ」
「お前よっぽど自分の行動に自信があるみてえだなあ。何様のつもりだかな、あんなスケベ面さらしといて」
トンパを抱える彼の手に力がこもる。それを察してか、トンパは慌てて続きを口にした。
「俺はお前のために言ってやってんだぜ? あいつ、本持ちながらずっと寝付けないようで、ときどきお前さんの方を見て服の中の木刀をまさぐったりしてたんだぞ。ありゃあ高潔そうだからな、かなりキテるぜ。コンビを組もうっつったのも、お前さんを陥れようとして……」
「黙りやがれ!」
気がつくと、彼はトンパを地面に叩きつけ、思いきりぶちのめしていた。なにか言いかける口を足でふさぎ、腹を拳で殴る。声も出なくなったところであちこち腫れた醜態をさらすように側の岩に転がし、彼はその場を後にした。
トンパを黙らせたのは、嘘をついているなどと思ったからではなかった。自分を陥れようとしている、という点には疑問が残ったが、それ以外の点においてはむしろ本当かもしれないという考えが大半を占め、頭の中をぐるぐると回っていた。それでもどうにかして猿使いを倒し、束の間安堵しかけたが、すぐ目の前に義務もないまま彼女と二人きりになるという点では全く状況は良くなっていなかった。
触っていた。それが本当だとすると、彼女は今どんな心境でいることか。プライドが高い彼女はそんなことをいちいち気にしないかもしれない、などと言い訳してみるものの、プライドが高いのならむしろ逆だろうとも思い、蒼に揺れる背中を追いながら彼はため息をついた。
「なにいじけているんだ」
急に、嫌みたらしい声が落ち着いたトーンで吐き出される。ぎょっとしてその方向に目をやると、意外と近くに彼女の顔があってさらに驚く。改めて見ると新たな美しさが浮かび上がるようだ。木漏れ日に輝く糸は頬にかかったシャギーにより淡い影を織り成し、すっと透った鼻はかすかに上を向いていて生意気そうだ。その顔が自分によって歪められたかと思うと、彼は体中の血が足元に沈んでゆくような感覚を覚えた。
「……申し訳ねえ。迷惑ばっかかけて」
「なにを言っている。確かにお前の血の気の多さにはほとほと閉口するが」
血の気の多さ。どうやら彼女は少し勘違いをしているらしい──いや、表面ではそう振舞っていても、その心の奥は彼への嫌悪と困惑に満ちているのかもしれない。そうに違いない。彼のしたことを思い出していても、彼はその行為を忘れていると言ってしまったのだから、自尊心の高い彼女のこと。軽々とそのことを口に出したりはしないだろう。
「レオリオ。聞いているか?」
「うん?」
彼女はうんざりしたようにこちらを見、やれやれと大げさに肩をすくめる。そして一転、かばんから奪い返したばかりのプレートを出し、ひらひら宙に泳がせた。
「ときどきお前の見せる間抜けさには、私も能天気な気分になってな──試験の緊張感を一瞬だけでも緩和してくれる。感謝しているんだよ」
目の前で、大輪の花がほころんだ。
大輪の花が彼の胸に舞い込む。違う。彼がその肩を掴んで引き寄せたのだ。女性にしてはがっしりしているが、それでも彼と比べたらあまりにも小さく脆い肩。金の花弁が彼の手のひらに収まる。間髪を入れずといった勢いで彼女はもがきだすが、彼の方が力は強かった。持久力・瞬発力では彼女の方がはるかに勝っているはずだが、ここはやはり性の違いなのだろう。それでも必死に身をよじらせる彼女は蜘蛛の巣にかかった蝶のようで、彼に深い罪悪感を与えた。これでは全く同じではないか。
「おい、レオいぉ……」
批難するように声を出す唇を手のひらで塞ぐ。その声で誰かに気付かれるのが怖いのと、そして──そのさりげない色気に満ちた声を聞くと、ここから先にまで手が出そうだからだった。
彼の胸をしろい手のひらが滑る。その度に鼓動が跳ねあがるようで、ズボンの前が少々きつい。彼女の下腹部に押し付けないよう体をずらしたとき、ちょうど細いゆびが彼の手に触れる。ぐいぐいと力を込めながらもう一度彼女は首を振る。離してくれという意味らしい。彼は体の力を抜き、彼女を解放する──と、彼女の指先がなにかを求めて泳いだ。
「……なんだよ」
「なにがだ」
呼吸を整えながら恨めしげに見上げてくる彼女の髪が、少し乱れて官能的で、思わず目を背けてしまう。
そのままいくばくかの時間が流れた。小鳥や小動物ががさごそと音を立てているが、2人の間だけはやけに静かで、まるで沈黙の幕が下りているようだ。彼女らしくもないと思う。今までのように嫌みたらしい文句を口にして、彼をたしなめ、さっさと歩きだしてしまえばいいのに。
彼は重い沈黙を振り払うように大きくため息をつき、ちらりと彼女に目をやり──どくんと心臓が跳ねあがった。
彼女の頬は、艶やかな椿のように赤く染まっていた。
「お前どうしちゃったの?」
どうもしない、ただお前が邪魔で前に進めないだけだ──胸の隅でそんな答えを期待していたが、彼女はまぶたをおろし、ゆるゆると首を振った。
「情けないことだが……私にもよくわからなくてな」
彼女は疲れ果てたように吐息を漏した。あたたかな空気のかたまりは彼の胸を濡らす。固く握りしめた彼女の手がかすかに震え、だらりと弛緩した。
「……抱いてほしい、とか」
無意識に漏れ出た言葉。それは彼女の気持ちを汲み取ったもの、というより彼自身の願望だった。しかしそれは、今まで口説いた女たちへのどんな感情とも違った。彼女がそれをどこまで感じとったのかはわからない。だが、少なくとも──その瞳が、女囚人に負けたあとの彼を見た目つきとは明らかに違っていたから、彼は今度こそ、しなやかな彼女の身躯を抱きよせた。
肩がぴくりと跳ねて体が強張ったものの、今度は特に抵抗もせずされるがままになっている。胸骨の部分にやわらかな頬が押し付けられ、そこがやけにあたたかい。金髪を梳いてやると、驚くほどに細いそれは絡まることなく指を抜けていった。
左手をくびれの部分にすべらせる。意外に華奢なそこを撫でると、彼女はくすぐったそうに身をよじらし、その隙をついて真っ赤な唇に口づけた。彼女が息を飲むのがわかる。またじたばたと暴れ出すが、
「おい何を……んむ」
と濡れた声とともに開かれた唇に舌を挿し入れると、ふにゃりと力が抜けておとなしくなった。
おどおどと彷徨う舌を捕まえて絡め合う。互いの唾液が触れ合うぬるぬるとした感触。うっすらと目を開けると、彼女はなにかに耐えるようにぎゅっと目をつむっていた。故意に唾を送り、くちゅくちゅ音を立ててみると、彼女のまぶたが怯えるようにぴくりと震える。その様があまりにもいじらしくて、やわらかい唇を軽く吸ったあと、素早く顔を離した。ちゅっという可愛らしい音とともに2人の間に垂れる唾液。最後にそれを舌に絡め取って飲みくだすと、端から透明な液体を垂らした彼女は、呆然としたように彼を見上げた。
「それは、私の……」
「悪い?」
腰をかがめ、彼女の細い首筋に舌を這わす。彼のシャツを掴む手にぎゅっと力がこもる。まとわりつく金髪も口に含む。甘い味がした。
「だ、抱いてほしいかとお前は訊いたが……ぅぁ、その、今の行為はそれを越している……」
かすかに湿った目元が震えている。もしかしてと疑問に思い、彼は形の良い耳を甘噛みしながら訊いた。
「もしかしてお前、抱くって抱き締めるって意味?」
彼女は小さく吐息を漏らしながら、こくりと頷いた。
「ほかにどんな『抱く』が……んっ」
「本読むの好きなんだろ? 小説とかに出てこない? そういう表現」
「そ……そういうって、やぁっ」
彼の舌の動きに合わせて、いつもの彼女とは違う女らしい悲鳴があがる。その度に彼女は戸惑ったような、気まずいような表情を浮かべて視線を彷徨わせる。その初々しさがいじらしくて、ちゅっとうなじを吸い上げると、彼女の膝から力がへなへなと抜け、2人は彼が覆いかぶさる体勢で地べたに崩れ込んだ。
「もっと直接的に言うか?」
「……! い、言わなくていいっ!」
なんだよわかってんじゃねえか、とひとりごちながら彼はりんごのような頬に手を滑らせた。彼の両足の間に彼女が立ち膝する格好になっている。彼が顔を近づけると、彼女は慌てて背中を反らし、その視線は逃げ惑う。かすかに怯えの色が浮かんでいる。
「そんなに嫌なのか」
そう尋ねながら目元に舌を這わせると、彼女は身をすくめてまぶたを下げる。くるりと形よくカールした睫毛を舐めあげてから、彼は顔をしかめて呟いた。
「じゃあなんで抱き締めるってのは拒否しなかったんだよ」
「良いとも言っていないだろう!」
「今だって抵抗しないし」
「それは……ち、力が……情けないんだが、入らなくて……」
そのまま地に吸いこまれそうなほどか細い声。それでも、一緒に漏れる吐息は彼の欲求を押しとどめるにはあまりにも官能的で、悩ましげで、とても──熱い。その熱さがシャツを通して胸にぶつかる。今まで彼女が見せてきたのは、彼には触れることすらできないような、高潔で誇り高い、孤高な姿だけだった。それが今は、少し力を入れればすぐに壊れてしまいそうなほどに脆い。脆すぎる。そうさせたのは彼自身なのだという事実が、彼の奥を熱く奮い立たせた。
彼はもう一度唇を押しつけた。頬から下顎にかけて指を滑らし、軽く下唇をかんでやると、あまりにやわらかい唇はあっけなく開き、森には卑猥な水音が妖しく響いた。
そのまま指は青い上着に侵入する。そして首筋を這い、鎖骨を愛撫し、そのまま──肌着のなかに滑り込んだ。
彼女が喉の奥から批難するような声を出す。無理矢理顔を突き放され、真っ赤な顔で睨みつけられたが、その間にも指はサラシをゆるめる。
「レオリ……いっ今は試験か、や……」
「ああそうだ、試験中だけどよ、まわりには小動物の気配しかしないし……それにもう俺、我慢できねえんだよ」
「そういう意味じゃ、んんっ」
文句を言う唇をひと舐めし、サラシの間から顔をのぞかせた小振りな丘を、くすぐるように撫でた。
彼女が苦しげに息を漏らす。今度は声を伴わない。彼は少々物足りなさを感じ、乳房を下部からぎゅっと掴みこんだ。
「っ……!」
猫のようにしなやかな体が跳ねあがり、ほぼ全体重が彼に預けられる。無防備な子猫。それでもやはり漏らすのは息だけで、悩ましい嬌声は響かない。
「ねえお前、我慢してんの?」
大きな手のひらでやわらかな胸を揉み扱く。その度に細い指に力がこもり、滑らかな肩はびくびくと震える。
「声出しちゃえよ……ほらよぉ!」
彼は右手を一気に服から引き抜くと、青いマントを引き剥がし、大きく見開らかれた目を左手で覆いながら右手では彼女の腕を拘束し、服のなかに顔をうずめ、小さく佇む乳首に吸いついた。
「あぁっ…やあっ、んんっ」
「ちゃんと感じてんじゃん……勃ってる」
「そんなこと……や、ぁ……」
ちゅっちゅっと音を響かせながら先端に口づけると、細かく震えていた細い腕が彼の胸を滑り落ちた。右手を手のひらまで滑らし、彼の背中に回してやる。もう片方の腕も、同じように。大きく口を開けて乳房ごと吸いつき、強めに吸うと、甘えるような嬌声があがり、彼女は広い背中をぎゅうっと抱き締めた。
そのまま彼は右の人差し指を白いズボンに包まれた股の下に持っていき、左手がしっかり彼女の目を覆っていることを確かめると、ひくついているに違いないその部分を、さらりと撫でた。
彼女の背中が激しく揺れ、彼はつい尻もちをついた。彼の胡坐の上に彼女が股を開いて乗る形になる。熱く固まった男の部分が太ももの付け根に押しあてられ、彼女は息を飲み、激しく身を引いた。
「大丈夫……怖がるんじゃねえよ」
胸から離れておでこに口づけながら触れる秘所は、案の定あたたかな蜜に濡れている。
「感度良いんだな。ぐっしょりだぞ」
やわらかな毛におおわれた両端をくすぐると、それだけでとろとろした液体はじわりと沁み出し、彼の指を湿らせる。
ちゅ、と耳たぶを吸うのと同時に深いキスの後の唇のような陰部に指の先端だけ埋めると、悶えるような艶めかしい声が森に抜けた。
指を埋めたとはいえ、まだ入り口には達していなかった。あくまで一番外側からすこし中に入った、というだけだ。だから彼女も痛がらず、控え目に、声になりかけの吐息を漏らし、彼に抱きついているのだろう。
「えっと……お前、初めて?」
「……? なにが、だ」
この期に及んで鈍感な彼女が憎たらしく、いじらしい。あまりにも急な出来事に、思考が少々遅くなってしまっているのだろうか。それでも耳元で「なにが」を囁いてやると、ひっと息を飲み、じたばたと暴れ出す。しっとりと汗ばんだ太腿が彼の腰を滑る。固い靴が背中に当たって痛いので、脚を拘束して脱がしてやる。ちらりと後ろを見ると、骨の浮き出た足の甲の先に、形の良いゆびが並んでいる。ゆびの先までもが、雪のように白く透き通っている。その白さを自分の口で紅く染めたい。そんな欲望が込み上げてくるのをこらえ、彼女の眼を塞ぐ左手をずらさないまま、彼はまた囁きかけた。
「なあ、答えろよ」
「……私が、そんな……その、行為をしたと、本当に思っている、のか」
「だって今してんだろ」
「……っ」
意地悪だ、と自分でも思う。そういった方面に疎く、鈍感だということは、少ない時間の間に充分わかっていた。それでも──胸に巣食う不安の影を、全てとっさらってしまいたかった。嘘を嫌悪する彼女自身の口から、自分の欲望を満たすべく、疑いを消す証拠を聞きたかったのだ。少数民族というものにはおかしな風習が往々にしてあった。また、未熟な年頃にして1人放りだされた彼女の身に、危惧すべき事態が起こらないとも断言できなかった。
いつの間にこんなに彼女に魅せられていたのだろう、と思う。
確かに彼は惚れやすく、いい女を見るとすぐのぼせあがってしまう。それなのに、初めのうちは彼女の性別までもを誤解していた。本当のことに気付いてからも、高潔な彼女に淫らな感情を抱くなど──すぐには、しなかった。できなかった。それが。
また、彼の頭に自分の失態がフラッシュバックする。ここまで来たら、もうなにも後悔する理由などないようにも思える。それでも彼女の純潔を乱す行為を、完全に愉しむことはできなかった。
「……リオ。レオリオ」
彼女の甘く低い声が耳に流れ込む。彼は慌てて、腕のなかに縮む躯を見下ろした。
「私は、なにか気分を害するようなことを言ってしまったか……?」
そのか細い声を聞くと、彼のなかで揺らいでいたなにかがぴしりと固くなった。あるいは、巣食っていたなにかが壊れた。氷にひびが入るように、瞬間的に、なにかが変わった。
「お前は謝る必要なんてねえんだよ……悪いのは俺の方だ。本当に謝る。今までお前をだましてた……いきなりキスしたことも、ちゃんと覚えてんだよ。それでまた強引にこんなことしちまってよ、本当に俺、頭いっちゃってるよな……なあ、あん時、俺キスの他にもなんかしてなかったか? お前の体触るとかよ、本当に謝っても謝りきれねえよ……」
「……そんなことで、さっきから悩んでいたのか」
彼女が呆れたように呟く。意外なほどに落ち着き払った声。耳に心地よいアルトボイス。他者を静かに押しとどめるような響き。
そうか、俺はここに惹かれていたんだ──彼はぼんやりとそんな声を聞いた。脳に直接流れ込む、自分自身の声。それを聞きながら、彼はまた、こんなふうに謝りながらも彼女を放すことなどできやしない、と気付いた。そして、無意識のうちに引き締まった躯を強く抱いていた。
「触る、なんて……その、今更……だろう」
落ち着いていた声が一転、恥じらいに染まる。ほんの数十分前からさらけ出される、初めての彼女。そこがまたいじらしかった。かすれた声に驚き、喉を鳴らして力を入れ、なにか付け加えようとする彼女の唇──その小さな花を、強引に塞いだ。
唇を覆うような獰猛なキス。驚きに竦むなかに無理矢理舌をねじ込む。なかは猛獣のように熱い。怯えたように硬直する舌を捕えると、彼女の喉からくぐもった吐息が漏れ、それに驚いたのか彼女は肩を震わせた。一度顔を離すと、彼女が急いで何か言いかけたが、再び口付けてしまう。長い時間をかけて、貪るようなキスを繰り返す。その度に彼女の手に力がこもり、お互いの躯はしっとりと汗ばんだ。
どれほど時間が経ったろう、そろそろ彼女も疲れただろうと思い完全に唇を放してやる。彼女はほぼ全体重を彼に預け、ぜぇぜぇと荒い息をついた。熱の籠った息。ちゅっと額に唇を触れると、長い抱擁の間に移ったのだろう、かすかに彼の香水の匂いがした。
「レオリオ……せめて、手を外してくれ……」
「うん?」
汗ばんだ背中から腕を離すと、彼女は唇をとがらせて首を振った。小生意気で、あまりにも愛らしい。彼の欲望をピンポイントで刺激する。無意識だろうか。まさか媚びようとしているわけではないだろう。危険だなあ、と彼は思った。ちょっと彼女に好意を抱いた相手の眼に、いつもの憎たらしい姿がどう映るのか。
「そっちではない……さっきから、なぜ目を塞いでいるんだ。これでは……いちいち不意打ちのようで不快だ」
「不快? その割に反応がいやらしいぜ?」
かあっと赤くなって彼から抜け出そうとするのをなんとかなだめてから、彼はごほんと咳払いをした。
「あのー、まあ、あれだ。変なこと訊くようだが、お前の眼って、こういうときにも紅くなるもんなの?」
感情は表に出なかったが、こうまで密着していればわかる、彼女の背中が小さく震えた。躯が緊張する。かすかな逡巡の後、あくまで平静を装う声が、それでもか細く揺れた。
「同胞から聞かされたことは当然ないが、先程からその兆候は……ある」
「そうか」
赤く染まった耳たぶを甘噛みし、硬くなった躯をほぐしてやる。彼女が素直に身を預けてくるのを確かめると、彼は言った。
「俺が言うのもアレだが、緋の目ってのはお前らの誇りなんだろ? こんなときに易々と見ちまうのって、それを傷つけるようで嫌だからさ」
塞がれた眼には、どんな感情が映っているのだろう。俯いたその表情は見えない。静かに流れる沈黙を汚したくなかったから、首筋や頬に舌を這わせながら、それ以上のことはしなかった。彼女はなにを想っているのだろう? 故郷での思い出。家族、友人。目の前に晒された惨状。船の中、あるいは一次試験のとき、それを語った口調は淡々としたものだった。しかし、実際に彼女が抱いた感情は、自分にはとても想像できないような大きなうねりに違いなかった。
彼が煌めく髪を舌ですくい上げたとき、不意に心地良い声が紡ぎだされた。
「ありがとう……今は、お前の心遣いに甘えたいと思う。……だが、その、やり辛くはないのか?」
「ん? まあ、ちょっとはな。でも心配すんな、いつまでも初心な俺じゃあないんだぜ」
なんだそりゃ、と自分でも思ったが、なにがおかしかったのだろうか、彼女はふふっと笑い声を漏らした。何度とも知れない愛情を感じて、彼はまた胸のふくらみに手を添えた。ゆっくり愛撫し、その手を再び下へすべらせてゆく。引き締まった、けれどしなやかなくびれをくすぐってやると、純粋にくすぐったいのだろう、彼女は身をよじらせた。
けれど、下へ下へと手がすべるたびに彼女の体が緊張していくのがわかった。ぎゅっと彼の背にしがみつき、熱い息を吐くリズムが意識的に抑えられていく。それを快感で壊してしまいたくて、しっとりと濡れる秘部をなぞった。
「……っ」
体重はほとんど預けられているのに、手の下で必死に目をつむる姿は、自分を信じていないような態度を思わせ、癪だ。
艶やかな花弁をさすり、不意打ちで──その上の、小さな突起をつまんだ。
「やあぁっ!?」
驚いたような嬌声が愛おしい。一気に乱れる呼吸が心を掻き乱す。爪を立ててしまいたい衝動にかられるが、それは刺激が強すぎるだろう、必死で自制する。
「ここ、触ったことある……?」
「な、あ、ない……きゃぁっ」
そんな間にも蜜はとめどなく溢れ、彼の爪を濡らす。
手のひらの下でまぶたが細かく揺れ動く。肩がびくびくと震える。太腿が彼の腰の上をぴくつきながらすべる。半ば狂ったような、彼女のうわごとまでもが湿っている。
「あぁっ、やめ、やめてくれ、もう、ゃ……こんなの、レオ……んんっあぁぁぁっ」
唐突に乳首に吸いつき、濡れた秘部全体を鷲掴みにしながら、敏感な突起をつねると、苦痛と快感、混乱の入り乱れた悲鳴が響き、背が大きくのけぞった。そのままびくびくと痙攣する。
「気持ちいいだろ?」
ささやきかけ、息も絶え絶えな彼女の躯を抱き起こす。全体が脱力し、ぐったりと熱いが、意識はあるようだ。
「痛いだろうけど、我慢しろよ……」
花弁のなかに指をうずめる。ひっと息を飲むのが聞こえ、さらに奥まで……小さい入り口を押し広げるように侵入すると、彼女は声にならない悲鳴をあげた。快感というよりも、そこに感じとれるのは恐怖。自分の知らない自分への莫大な不安感。
「大丈夫か? 安心しろよ、誰でも経験する痛みだから」
「も、問題な、い……」
彼女の奥は細く、きつい。敏感そうなところにあてをつけ指を折り曲げると、少しは緊張の解けた声が漏れる。時間はまだある。ゆっくり指を進ませ、奥を掻き乱してやる。
「う……ぁ」
そろそろと見当をつけ、彼は自分のチャックをおろした。その音に睫毛が揺れるのがわかったから、耳を優しく噛んでやりながら、すでに熱く硬くなったそれを取り出す。
鞄をごそごそしていると、荒い息をつきながら彼女が不思議そうに尋ねてきた。
「なにを、しているんだ……?」
「コ……避妊具探してんだよ」
「き、貴様は試験にそんなものを持ってきていたのか!?」
「だって無いと嫌だろ? お前も」
論点がずれている気もするが、自分の我慢もそろそろ限界だ。まだ言い足りないようにわななく唇を舐めて塞ぎながら、準備を整える。
彼女の尻に手を置いた。引き締まった上半身とは対照的に、女らしく健康な弾力と丸みを持っている。
乳房を湿らす汗を舐め取りながら、ゆっくりと誘導する。先と先とがちょこんと触れると、彼女は小さく悲鳴を上げて身を引いた。
「今更怖がってんじゃねぇよ」
「や、少し、少しだけ待ってくれな……」
潤む唇を貪ると、たちまち身体がふにゃりと弛緩する。その腰に手をあてがい、ぐっと沈めた。
「……いっ……」
手のひらのなかで、彼女の顔が歪むのがわかった。息がますます荒くなる。腰を強く強く掴んでくる。彼のものは大きく熱く変化していて、先程の指一本とは比べ物にならないくらい、なかがきつい。狭い壁は、彼女の手よりも強く締めつけてくる。
「大丈夫か?……まだ動いたりはしないから、我慢してろよ」
「えっ……動く、って?」
うろたえる唇を、なにも言わずに吸ってやった。舌を絡みつけると、おずおずと応えてくれる。そのぎこちない動きが、彼が顔の向きを変えるたびにびくんと跳ねあがるのがなんとも可愛らしい。唾液を送り込むと、数秒の逡巡の後にちいさな喉がこくんと動いた。絶え間なく繰り返される交換。その度に呼吸が激しくなり、甘くおさまり、肩に力がこもり、くったりと体重が預けられる。
永遠にそんなことを続けるのも悪くはない。だが、今はそうはしていられない。実際に時間はかなり経過しているし、なにより、そろそろ全てぶちまげてしまいたかった。
「いいか? 怖がるなよ、安心して抱きついてろ」
「ん……うっ……ぁ、はあっ」
腰を浮かせると、彼女の奥まで突き刺さり、苦痛の声が漏れた。それでも口元を引き締めようと努力しているのがわかる。それでも彼が何度も体を動かすと、その顔が様々に歪む。耐えるような吐息が艶めかしい。彼女を傷めつけたくはない、そのはずなのに、苦しむ様をもっと見たいという欲望が溢れ出てくる。地面に押し倒して、思いきり突き上げたい。なかを強く掻きまわしたい。そんな欲情を苦労して抑えつけていると、比例して彼のものがさらに熱くなるのを感じた。
「あ……う、ぅ……」
歯を食いしばる姿がそそる。その口元は自分の唾液でぬれている。彼は恍惚となった──自分は今、彼女を汚している。高潔で気高い彼女を侵食している。
お互いの躯はじっとりと汗ばみ、熱い。彼女がぎゅっと抱きついてくるから、その熱さが頻繁に交換され、ますます浸透する。
「んぅ、ぅぁ……ぁっ」
たまらなくなって、彼は彼女の腰を乱暴につかみ、強く沈めた。奥で二人がぶつかり、擦れ合う。強い締め付けに、彼は下腹部の重さを感じた。夢中で彼女の耳に口づけながら、欲望の塊を放射した。
「やあああぁぁぁぁぁぁっ……」
苦痛とかすかな快感が入り混じった悲鳴が響きわたる。彼女の背中が大きく波打つ。彼は無我夢中でその躯を抱きしめた。彼女も強くしがみついてくる。その指先もがびくびくと痙攣している。指はゆっくりと背中を滑り落ち、最後にぴくんと動いた後、だらりと垂れた。全体重を身に乗せてくる。
「……大丈夫か?」
ぜぇぜぇと息を落ち着けながら訊いても、返事はない。瞳にあてた手で顔を上げると、小さく口が開き、誰のものとも知れない唾液が漏れた。乱れた髪を押し上げながら慎重に手を離すと、閉じられた瞳は涙に濡れていた。
身体を離すのが名残惜しくて、繋がったまま、意識のない彼女に口づける。輪の様だ、と思う。手を繋ぐのとは全く違う結ばれ方。口から吸いとった「彼女」が、彼を通って脚の付け根からまた戻っていくような、奇妙な一体感。
「ん……」
長い睫毛を震わせ、彼女が眼を開ける。その瞳はもう薄い茶に戻っている。どこか放心したような瞳が、一転、激しく動揺した。
「あ、私は……」
「ちょい待って」
彼女のなかから引き抜くと、ぬぷっと妖しい水音が響いた。彼女はハッと顔を赤く染め、うろたえて視線を泳がせる。その頬よりもさらに紅い花弁。内側の血は快感の名残。けれど地面を染める紅は、彼の流させた痛みの象徴だった。
「……ごめんな。乱暴すぎた」
「気に病むことはない……その、さっきのことは」
言い淀む唇を指でなぞり、首筋に舌を這わせる。
戸惑いながらもがく躯を、逃げさせまいと強く抱きしめた。
深い口付けをせずともすぐに力が抜ける。流れるような髪を口に含みながら、煌めくイヤリングに彩られた耳に、そっと囁いた。
「好きだ」
長い睫毛がぴくりと震える。ゆっくりと細い腕が伸び、彼の背を優しく撫でた。
「……そろそろ、行かないか。時間も限られている」
「ん」
そっとお互いから離れる。濡れた下着を拭き、戸惑いながら服を着る手を握ってから立ちあがった。
「急いだ方がいいぜ。さっきのお前の悲鳴、結構でかかったし」
「な……」
冷静沈着さも抜け落ち、赤くなって固まる彼女の手を、そっと引いた。
「行こう」
ビルのネオンというものはどうしてこうも妖しいんだろう?
彼女のことを一度でも思い浮かべてしまうと、もうなにもできなくなってしまうのが辛い。その辛さが、愛おしい。
あの日から、彼は完全に堕ちてしまったのだ。彼女の美しさに捕えられてしまった。
夜の光に思いを馳せる。鳴らない携帯電話は、すぐそばにあるのに、とても遠い。