満月の夜は静かすぎてうまく眠れない。
長い夜のあいだ、目薬の空き瓶をテーブルに置いて、藍色の硝子の中できらめく月のひかりを眺めるのが僕のささやかな趣味の一つだった。いち、にい、さん、し、ご、ろく。
元々目は良い方だったのに、ちょっとした事故(よく覚えてないんだけど、どうやらそうらしい)で僕の視力は低下し始めている。モウマクハクリという病気だと村医者に教えてもらった。
今までくっきりと見えていたものが段々うすぼんやりとしていくのは、思っていた以上に寂しかった。まだ見ていたいものがたくさんあったのに。この村も、村のみんなも僕は大好きだから、真っ暗な夜に一人取り残されるのは嫌だった。
指で硝子瓶を弄んでいると、コンコン、と窓を叩く音がして顔を上げた。一番大切な友達の顔が、ひょこんと覗いている。
「……クラピカ?」
あーけーてー、とクラピカは声を出さずに口だけ動かして、それから窓を指差した。窓を開けると、夜風が森の匂いを呼んだ。どこかで眠っている鳥の寝言も。クラピカは窓の縁に手を掛けて、器用に壁を乗り越えた。
「眠れないの?」
「うん! お前も寝れないんだろ? それじゃ二人で夜更かししちゃおーぜ」
僕たちは夜眠れないとき、父さんや母さんにないしょで二人の部屋をよく行き来している。二人で毛布にくるまって、眠くなるまでおしゃべりする。眠くなったら、そこでバイバイ。これは二人だけのヒミツだからな、母さんに知られたら怒られちゃうもん、とクラピカは言った。
クラピカは僕のベッドに飛び込んで、弾力に任せてぽふんぽふんと忙しなく動いている。僕は端に腰掛けて、楽しそうな彼女をじっと見た。揺れる髪は、月のひかりとお揃いだ。大丈夫、まだ彼女の姿だけはちゃんと見える。
早く来いよー、とクラピカは毛布をぱたぱたさせた。彼女の隣に横になると、毛布が僕たちを覆い隠した。
彼女は僕にぴったりとくっつく。こういうのって、(今更だけど)どきどきする。小さい頃からクラピカは男の子よりもずっと元気いっぱいで、おままごとよりも泥んこ遊びが好きな女の子だった。せっかくきれいな髪をしているのに、伸びるとすぐに切っちゃう。髪伸ばしたところ見たいなあ、と一回言ったことがあるけど、あからさまに嫌そうな顔をされて、オンナっぽいのってヤなんだ、と断られてしまった。でもクラピカは村で一番可愛い女の子だと、ひいき目なしに思っている。大きな目、長いまつ毛、小ぶりな唇。僕とゼロ距離にある彼女の胸は少しだけ柔らかくて、顔が熱くなった。
「ねえ、いま何考えてるの?」
その声でふと我に返る。
「……うん? えっと、なにも」
はは、と乾いた笑いが混じった。クラピカは眉根を寄せ、それから、
「えー? せっかく来たのに何も話してくれないから、……怒ってるのかと思った」
少し寂しそうな顔をした。そんなんじゃないよ、と早口で弁解したけれど、クラピカの表情は曇ったままだった。僕の本心なんて、恥ずかしくて絶対に言えない。毛布の中が暗くて良かった。
「きみに怒る理由がないよ」
僕は安心させるつもりで言ったのに、彼女の表情は明るくならない。声はしなかったけど、あるよ、とクラピカの唇は動いた。……ないよ。大丈夫だから、そんな泣きそうな顔しないで。クラピカの頭を撫でると、彼女は唇を噛んだ。
「まだ、オレのこと見えてる……?」
見えるよ、と僕は呟く。
今にも涙を零しそうな彼女の頬に触れ、瞼の上にキスをした。