秋、花縮砂が咲くと星祭りの準備が始まる。
 白いその花は、一年に一度の流星群の合図だ。おだやかな村はにわかに沸き立ち、およそ二週間後の星祭りに向けてご馳走や催しの支度を始める。とりわけクラピカは毎年星祭りを楽しみにしていて、まだ始まってもいないのに飛んだり跳ねたりと、目一杯はしゃぐ。お祭りの日は村中にたくさんのご馳走が並び、色とりどりの花火が打ち上げられ、みんなでダンスを踊る。それから流星群が始まると、村はしんと静かになり、灯りを消して風の音を聞きながら星を眺めるのだ。そして、その夜結ばれる恋人たちがいる。

 今年こそクラピカにダンスを申し込みたくて、母さんに一生懸命習った。ボクは女の子のエスコートの仕方なんて全然知らない。最初はどうしたらいいのか分からなくて、本当にへたっぴだったけれど何回も何回も練習を続けるうち、幾らかまともな形になってきたように思う。何度も転んで擦り傷を作ったけれど、母さんにも「合格」と言ってもらえた。お祭りの日はダンスをして、それから好きって言おう。失敗したときのことは考えない。きっと怖くなって何もできなくなるから。

 そんなふうに自分のことでいっぱいいっぱいだったから、ボクはクラピカの元気がないことに気がつくのが遅れてしまった。彼女はお祭りのことなんて忘れちゃったみたいに川辺に座りこんで、一日中静かに本を読んでいる。顔色はとてもじゃないけど良いとは言えず、話しかけても上の空で、避けられてはいないもののどこか近寄りがたい雰囲気があり、悩んでいるようにも見えた。彼女の恋人にはなれなくても、それでも一番の親友だとは思っているから、何も話してもらえないのは苦しかった。

 星祭りが一週間後に迫った日、クラピカは村から消えた。クラピカの家を訪ねても、彼女のお父さんしかいなかった。ボクが訪ねたとき、寡黙そうなその男性はひとりっきりでせっせと床を磨いていた。玄関が開いて光が差し込んだことに気が付き、やあ、パイロくんか、と微笑んだ。

「クラピカを探しに来たのかい」

 そうです、

「クラピカはボクの妻と一緒に森の奥にいるよ。今は誰も会えないんだ」

 村の男はね、とクラピカのお父さんは付け加えた。何をしに行ったんですか? どうして会えないんですか? なんで? 矢継ぎ早に尋ねると、それは言っちゃいけないんだ、しきたりだからね、とまた微笑んだ。家にひとりぼっちの男性に寂しそうな雰囲気はなく、どこか嬉しそうな感じさえした。ボクは家に戻り、花瓶に活けてある花縮砂を眺めながらクラピカのことを考えた。

 更に一週間が過ぎ、星祭りの当日、夕方になってようやくクラピカはお母さんに連れられて、森の奥から村に戻って来た。相変わらず顔色は悪い。ボクはそのときご馳走を並べるテーブルや椅子を運ぶお手伝いをしていたから、それを放り出して彼女の元へ行くか迷っているうちにボクの視界からいなくなってしまった。

 やがて夜が来て花火が打ちあがり、お祭りは始まった。クラピカはいない。捜し歩くまでもなく彼女はいつもの川辺で、何もせずただぼんやり立っていた。声を掛けると、クラピカはゆっくりこちらを向いた。表情はない。

「きみがいなくて心配したよ」
「ごめん。あんまり気分じゃない」
「お祭りのことじゃなくて、暫く村にいなかったでしょ?」

 ああ、そっちか、とクラピカはため息をついて座り込んだ。

「森の祠、知ってるだろ。神サマがいるところ」

 頷いて、ボクはクラピカの隣に寄り添うように座った。

「誰にも言っちゃいけないって言われたんだけど、あそこの近くに小屋があって、そこでずっと母さんと一緒にいた」
「どうして? 何してたの?」

 クラピカはそれには答えなかった。聞こえるか聞こえないかの、空気にとけてしまいそうな声で話した。

「オレ、オトナになったんだって。……が来たから、ケッコンできるようになったんだって」

 結婚? 心がざわついた。胸の奥を冷たい手で掴まれたような感じがする。クラピカは自分の膝を抱き締め項垂れた。

「別に今すぐってわけじゃないよ。まだ十一だしさ。相手も決まってないし。でもいつかオレも誰かとケッコンして子ども作ったりしなきゃいけないんだ。急にオトナって言われるの、結構変な感じだよ。オレだってまだ子どもなのに。そういうこと色々考えてたら、わけわかんなくなっちゃった」

 少し沈黙があって、彼女はまた口を開いた。

「パイロもいつか誰かとケッコンしちゃうんだよな。ねぇ、好きな女の子は? いるの?」
「……いるよ」

 そっかぁ、と息を吐いて、クラピカは自分からはもう何も話そうとしなかった。
 ボクが好きなのはクラピカだよ、きみなんだよ、ボクに好きな女の子がいるって言われてきみは寂しく思ってくれただろうか、そうだとしたら少し嬉しいんだ、ごめんね。

「あのさクラピカ」
「なに」
「今夜、ボクとダンスしてほしいんだけど、駄目かな」
「……ダンス? お祭りの?」
「うん。たくさん練習したんだ」

 立ち上がって手を差し出すと、クラピカは怪訝そうな顔をしてボクの顔と手のひらを交互に眺めた。けれど眉間に寄っていた皺は徐々に緩んで、今度はみるみる頬を赤くした。目もちょっとだけ赤い。

「……それってオレなの?」
「うん! ボク、クラピカのために一生懸命がんばったんだよ!」
「そーじゃなくって! ……いや、もういいや」
「え?」
「なんでもない!」

 クラピカはやっと手を取ってくれた。そして立ち上がり、ボクを引っ張るようにしてずんずん歩いて行った。ボクの方から彼女の表情は見えない。
 オレ、ダンスなんかしたことないぞ。いいよ、教えるから。そんなに上手いの? わかんないや。なんだよそれ。
 繋がった手のひらに少し力を入れるとぎゅっと握り返されて、ボクの心臓は壊れそうになる。ふいにクラピカは立ち止まり、空を指差した。

「ね、パイロ! 流れ星!」

 紺色の空に幾筋もの光が流れては消えていく。今年の流星群が始まったんだ。夜空を見上げるクラピカの横顔を見た。

「きれいだね」

 うん、とクラピカは頷く。
 星空を映すその真っ直ぐな瞳を、ボクはなによりもきれいだと思った。銀色の流れ星よりも、せせらぎの音よりも、涼やかな花の香りよりも、なによりもずっと。