それは突然だった。

しばらく連絡を取り合っていなかったゴンから電話がかかってきたのだ。
「私だ。久しぶりだな、ゴン」
「……クラピカ」
搾り出すようにして発せられたその声は、別人かと思われるほどに弱弱しいもので、クラピカは身体が冷たくなるのを感じた。
「どうした、何があった」
「クラピカ、ごめん……会いたい」
クラピカの問いには答えず、ゴンはただそれだけ言って黙りこくった。
「少し待ってくれ。休みを取って、また掛けなおす。それでいいか?」
うん、と呟くようにして言った彼の声を聞いてクラピカはただちに仲間の許へ向かった。

 *


「来週の木曜日なら一日空けられるが、いけるか?」
「うん、俺の方から行く。ありがとう」
「それよりどうしたんだいったい?キルアはいないのか?」
それは常に二人で仲良くしていた様子を見ていたクラピカにとって至極当然の問いだったが、今のゴンには酷なものであった。
電話の向こうの空気が、揺れる。
「……ゴン?」
「―――キルアは、いないよ……」
「いない?」
「俺、俺……」
その後のゴンはしゃくりあげるばかりで、何も言えない状態だった。
キルアに……正確には二人に何かあったのは明白で、クラピカは慌てて話題をそらしなんとかゴンをなだめて電話を切った。

信じられなかった。
あのゴンが、話もまともにできないほどに動揺している。

クラピカはすぐさまハンターサイトに繋ぎ、彼らに何があったのか、その手がかりになるものがないかと探し始めた。

「―――キメラアントの討伐隊に参加、犠牲を出しながらも任務は成功……」
何か事件に巻き込まれたかと思えば、それどころか二人は討伐隊として華々しい活躍をとげ、手柄を立てたところだった。
犠牲者の欄にかつて共にハンター試験に参加したポックルとポンズの名前を見つけて眉をひそめたが、それだけであのような状態に陥るとは考えづらい。
今は、待つしかなかった。





コンコン、と遠慮がちにドアが叩かれクラピカは即座に来客を招き入れた。
ここはノストラード家からそう遠くない街のホテルだ。
ゴンの尋常ならざる様子から喫茶店などで気軽に話せるものではないと判断したクラピカが部屋を借りた。
「クラピカ」
ドアの外にいたのはやはりゴン一人で、見るからに憔悴していた。
鍵をかけて彼と向き合うと、ゴンは突然クラピカに抱きついてきた。
「ゴン!?」
どうした、と問う前にゴンは叫ぶようにして言った。
「クラピカ、俺……キルアに、見放された!!」
そしてクラピカに縋って泣き叫ぶ。
クラピカは内心相当に動揺しながらも、ただゴンの背中に手を回して彼を受け入れた。

「クラピカ」
腕の中のゴンが急にクラピカの名前を呼んだ。
「少しは、落ち着いたか?」
「うん、ありがと……ごめんね?」
「気にするな。明日の朝3時までは居られるから、話したいと思ったときに話してくれればいい」
そう言って備え付けの冷蔵庫から出したミネラルウォーターをコップに注いで差し出すと、ゴンは一息に飲み干した。
「少し、休んでからにするか?」
「いやいいよ。今話す」
そうしてゴンは少しずつ語り始めた。
グリードアイランドをクリアしたこと、カイトのこと、キメラアントのこと……そしてキルアのこと。
俯いているために彼の表情はうかがえないが、ゴンが体験した悲惨な事態にクラピカは我知らず胸の辺りをギュッと押さえた。

その命を奪われただけでなく、死してなお敵に弄ばれたカイトのことを、クラピカは自分の同胞たちに重ねずにはいられなかった。

「俺、情けないよ。目の前で普通の女の子が死にかけてて、しかもそれは俺たちの所為で。
 敵は理由はどうであれその子を助けようとしてたんだ」

「敵も、何でも言うことを聞くからその子を助けさせてくれって懇願してたのに俺はそれすらも憎らしくて仕方がなかった」

「最悪だよ……俺はあの時、女の子もろとも敵を殺しかけてた。キルアはその俺を止めてくれただけなのに。
俺、そのキルアに向かって言ったんだ。―――関係ないって。関係ないから、冷静でいられるんだって」

「俺、キルアに甘えてたんだ。キルアは頭がいいから、俺の気持ちをわかってくれるって。 
 そのくせ俺はキルアのこと、ちっとも考えてなかった。俺は……」

「もういい、ゴン」「……」
クラピカはゴンを引き寄せ、強く抱きしめた。
「お前は悪くない。お前の心情も、行動も、人間なら当然のことだ。
 お前が悪いんじゃないんだ。私とて」
「でもクラピカは、復讐よりも俺たちのことを優先してくれた。なのに俺は」
「待て。あの時はそもそも、私の所為でお前たちは危ない目にあったんじゃないか。
 私はお前たちを失いそうになって初めて冷静さを取り戻したんだ。お前の時とはワケが違う」
クラピカはゴンに向かって必死に語りかける。
「……俺さ、クラピカに謝らなきゃ」
ぽつりと、呟くようにゴンが切り出した。
「私に?」
「俺は今まで、クラピカに復讐なんてしてほしくないと思ってた。
 旅団の奴が泣いたのを見たのもあるけど、何よりもあんな奴らのためにクラピカに殺人なんてしてほしくなかった。」
「ゴン……」
「けど、それは俺が知らなかったから言えたんだよね。
 大事な人を奪われるのがどんなに悲しいか。犯人がどんなに憎いか。俺、あまりにも無責任だった」

どれだけ復讐なんてやめろと言われても、クラピカにはその言葉を受け入れることができなかった。
自分の憎しみがわかるものかと、知りもしないくせに勝手なことを言うなとただ腹立たしかった。
しかし、何故だろう。
旅団のメンバーを殺したいという気持ちがわかると言うゴンを見ると、無性にやるせなく悲しかった。

「ゴン。そんなことを言わないでくれ。私は、お前がそんなことを言うのを見たくない。
 復讐より、仲間の目を取り戻すのが優先だと言ってくれたのはお前じゃないか。
 それに、それは正しかった。私はお前に救われたんだ、ゴン―――そんなことを、言うな」


 *

ゴンが落ち着いた頃を見計らって、クラピカは再び口を開いた。
「―――お前はキルアがお前を見放したと言うが、私はある意味まったく逆ではないかと思う」
「逆?俺がキルアを見放したって言うの?そんなのありえないよ」
「あぁすまない、この言い方では語弊があるな。こういったことを、キルア本人ではない私が言うのも少々憚られるのだが……
キルアはお前といることを心から楽しんでいたし、望んでいた。しかし」
ゆっくりと、慎重に言葉を選んでいく。
「時折だが、私には彼が迷っているように見えることがあった。このまま、お前の傍にいてよいのかと」
「いいに決まってるじゃん!なんで悩む必要があるの?」
さも理解できないといった風にゴンが言う。
「あくまでも、これは私の個人的な見解だ。しかし全く外れているわけではないと思う。
それはキルアの家庭環境に起因しているのだろう」
「……」 
「キルアは物心ついた頃から、プロの暗殺者となるべく厳しい訓練を受けていた。
そしてそれは技術面だけでなく、精神面にも及んでいる。
彼の兄がハンター試験の際言っていたように、勝ち目のない敵とは戦うなと。きちんと状況を判断し
何よりもまず自分が生き長らえることを考えろと」
「うん。そう言ってたね」 
「しかしお前は違う。たとえ自分の身が危険に晒されようと厭わない。
そう……ヨークシンで、私を庇って自ら旅団の眼前に身を投げ出してくれたように」
「でも、キルアだってその時は一緒だったよ?」
「ああ。しかし試験の時は、それが出来なかった」


「幼い頃から教え込まれていたことは、本人がいくら抗おうとしてもそうそう払いきれるものではない。
キルアはきっとそれが怖いんだと、私は思う」
「怖い?」
「『ゴンは自分の為に命を懸けてくれるのに、自分はそれができないかもしれない』、そんな思いに彼は囚われているのではないか?」
「キルアそんなことしないよ。今までだって、何度も俺を助けてくれた。
それに、万が一そんなことになったとしても……俺は全然気にしないのに。誰だって怖いものは怖いし、自分の命は大事だもん」
ゴンは心からそう言っている。しかしそれがキルアを余計に苦しめるのかもしれない。
「キルアはお前がそう思っていることも、きっとわかっている。そしてだからこそ、苦しんでいる。
『ゴンはそこまで自分を思ってくれているのに自分は出来ない。
自分はゴンの傍に居る資格があるのだろうか、自信が―――「そんなの!!」
ゴンが唐突にクラピカの言葉を遮った。怒りで肩が震えている。
「そんなの、おかしいよ。俺はキルアと一緒にいたいと思ってるのに、それじゃ駄目なの!?」
「『関係ない』お前は彼にそう言った」
「!!」
「お前との関係についておそらく悩んでいたであろう彼に、この言葉は相当に酷だったと思う。
たとえ、どれほどお前の気持ちがわかっていたとしても」
言いつつ、自分こそ酷なことを告げているとクラピカは思う。
しかし、言わなければ。二人はきっと、これからも互いを必要としているだろうから。
「キルアはその言葉を発したお前に呆れたのではなく、単純に、悲しかったのだと思う。
友達にそう言われて寂しくないわけがないだろう?」
「うん……そうだね。俺、キルアにひどいこと言った」
そうしてまた、しかし今度は静かに涙を流すゴンを、クラピカはそっと抱きしめた。


 *

「ねぇクラピカ。俺、どうしたらいいかな」
真剣な顔で問うてくる。これは彼自身が一番理解していることだろうに。
やはりゴンといえども、自分のこととなると急にわからなくなるのだろうか。
クラピカは穏やかな笑みを浮かべ、彼の目を見据えて言った。
「ただ、謝ればいい」
「……許して、くれるかな」
「許すさ。というよりもう許しているかもしれないな。
お前がさっき言った通りキルアは頭がいいから、お前の気持ちはわかっていたさ」
「うん……」
キルアもきっと待っているだろう、ゴンが再び自分に手を差し伸べてくれるのを。
「早く、仲直りしてくるといい。お前がキルアを必要としているように、キルアにもお前が必要なのだから」



「クラピカ、今日は本当にありがとう」
「礼には及ばないよ、ゴン。私もたとえどんな用事であれ、久々にお前に会えて嬉しかった」

「―――クラピカ」
彼の声が耳に届いていたときにはもう、クラピカはゴンに口付けられていた。
「!! んっ……」
そして存外にそれはすぐ離れる。
「ありがとうのキス。ミトさんもよくしてくれた」
何か注意を促そうにも、彼がそう言って無邪気に微笑むものだから、クラピカも同じく笑みを返すしかなかった。
これを母性本能と言うのであろうか。ゴンといると一度は捨てたはずの女である自分を、どうしても意識してしまう。
しかし同時に、この少年の笑顔に心から癒されている自分も間違いなくいるのだった。