クラピカの誕生日。
それを祝うために、今日は四人で集まった。

零落れたノストラードに見切りをつけ、
フリーになったクラピカは以前より付き合いが良くなっていた。
誰かしらの誕生日などの記念日には大抵顔を出したし、
たまたまお互いのハンターとしての仕事が同じ地方であった場合などは現地で落ち合うこともあった。

以前のように鬼気迫った様子で旅団を追うこともなくなっていた。
勿論、彼らをとらえることを諦めた、というわけではないだろう。
数年前、ヨークシンで旅団を目の前にして暴走し、ゴンやキルアを命の危険に晒した事の負い目、
そして、その二人を含めた彼女の友人たちが、彼女を心配してやまないから。
そんな彼らの気持ちを振り払ってまで復讐に走るほど、クラピカは独り善がりではない…はず。


―――それにしても。


ゴンはそう思い、酔っ払って大声で弁論大会を繰り広げているキルアとレオリオ
―――呂律が回っていないので何について口論しているのかは分からないが―――
を呆れ気味に横目に見、クラピカに視線を戻した。

クラピカは必死で二人をなだめようとしている。
個室の前を通りかかった店員に軽く謝罪をし、
次は強い口調で、キルアとレオリオそれぞれに大人しくするよう言う。


―――クラピカのバースデーパーティーなのに。


結局、誰の誕生日を祝うときでも、こうなってしまう。
酔っ払ったキルアとレオリオが、つまらぬことで口論をはじめる。
それを、クラピカとゴンがなだめる。
勿論、始終それの繰り返しというわけではないが、
このパターンが必ず一回は、ある。


―――いつものこと、なのに。


今日は喧嘩を諌める気も起きない。
そんなことで、この貴重な時間を無駄に使いたくない。
クラピカもほうっておけばいいのに、と思う。
だって、今日の主役はクラピカなのに。

―――抜け出したい、二人で。


ともすれば、彼女の手を掴んで走り出してしまいたくなる。
その衝動を抑えるために、今、どれだけ胸を苦しくさせているか。
他の三人よりもアルコールに弱い体質故にいつも運転手を任せられるから、
酒に逃げるようなこともできない。


―――クラピカのことを。


ずっと男だと思い込んでいれば、
こんな行き場のない、苛立ちとも言えるもどかしさを持て余す事はなかったのだろうか。



クラピカが性別を偽っていたと分かったのはいつのことだったろうか。
もっとも、彼女が意図的に本来の性別を隠していたのか、
周囲が勝手に勘違いしていたのかは分かりかねるところだが。

そういうつもりではなかったけれど、騙しているようで申し訳がなかった。
クラピカはそう言って、自分は女であると告白した。
最初はさすがに三人とも驚いたが、
年齢とともにクラピカが明らかに、男である自分達とは違う雰囲気を醸し出し、
自分達の知る女性達と似た仕草を見せるときがあるのを知り、
ああ成程、と三人は頷かざるを得なかった。

しかし、だからといってクラピカと接する態度が変わるということはなかった。
素面のときは相変わらずクラピカとレオリオが衝突していたし、
キルアも女だからといってクラピカを特別扱いすることはなかった
(もっとも、それはキルアの元々の性格かもしれないが)。


―――変わったのは、俺だけかな。


他の二人は何も変わらないのに、そしてクラピカ自身も。


けれど、自分だけは、どうしても自分だけは。
クラピカを女性として見てしまっている。
異性として、意識してしまっている。
恥ずかしかった。
レオリオもキルアも、性別の違いなんて友達でいることに何の支障もきたさない。
そんな当たり前の事を、当たり前のこととしているのに。
自分だけが、クラピカが女性だったと後から分かったことで、
友達でいたい気持ちをこれ以上になく邪魔する感情が沸いて出てきてしまった。


ただ、女性だと分かっただけで。


勿論、それだけが理由なのではない。
誰の前でも流せなかった涙とそのわけを、クラピカには見せることができた。
そんな母性と穏やかさを持っていながら、時折冷静さを欠いて取り乱す彼女を、
ほうっておけない。守りたいと思うようになったのはいつからだろう。

男として、クラピカを愛する女性として、守りたい。
けれど年齢差のコンプレックスが、ゴンに想いの歯止めをかけさせていた。
いずれ時が解決してくれるだろうと思い、耐えてきたのに、
年齢の壁が薄くなってゆくほど、様々なことが自由に、可能になればなるほど、
辛さは増す一方であった。


年が離れているから、相手にされるわけがない。
俺は弟のように思われているに決まってる。
クラピカだって、どうせならレオリオみたいに、年上で頼れる男のほうが好きなはずだ。


そうやって逃げ道を作って何も出来ない自分に言い訳していた。
しかし、時がたち、背が伸び、運転免許をとり、酒を飲める年になり、
最後に残されたハードルがいかに越え難いものか思い知らされたとき、
ゴンは途方に暮れた。



―――友達、か。



男である以前に、弟である以前に、友達。
そう、友達なのだ。



「あーもう、声でけーよリオレオ!老け顔!オッサン!」
「何だとこのっ…つーか名前違うっつーの!いい加減覚えろこのボケ!アホ!」


もうほとんどむきになった子供のように、
思いつく限りの罵詈雑言を並べて叫んでいるキルアとレオリオの間に、
クラピカがさすがに怒り気味で割り込む。

―――そうだよ、友達なのに。



どうして二人とも、こうなんだ。




「もうやめてよ二人とも、クラピカの誕生日なのに!」




それまでずっと黙りこくっていたゴンが突然口を開き、
なおかつ発せられた声は店内の喧騒を突き抜けて三人の鼓膜に届くほど大きなものだったので、
喧嘩をしていた二人だけでなく、仲裁に入っていたクラピカまでも、
びくりと肩を跳ね上がらせ、目を丸くしてゴンを振り返った。


個室に、暫し沈黙が落ちた。


キルアとレオリオは、気まずそうに、どちらからともなく胸倉を掴んだ手を離し、
わざとらしく咳払いをしながら、座敷のテーブルにきちんと向き直った。
二人の側に身を乗り出していたクラピカも、ゴンの隣に戻り、座った。

そして、キルアかレオリオのどちらかから、さり気なく会話が再開され、
やがて穏やかな空気へと戻っていった。

いつまでも微妙な気持ちでいたのは、ゴンだった。



「…飲まないか、ゴン。私の好みで頼んだもので申し訳ないが」



不意に、クラピカがゴンにそう声をかけた。
ゴンは、居心地の悪そうな面持ちのままの顔を上げた。
クラピカの手には、女性が好みそうなカクテルグラスがあった。

クラピカの顔と、カクテルグラスを交互に見、
でも、と困ったように眉尻を下げたゴンに、クラピカは微笑みかける。

「ゴンだって、たまには飲みたいだろう?いつも運転手をさせてしまって、申し訳ないと思っていたんだ」
「え、そんな、そんなことはいいんだよ、別に、俺アルコール弱いし、
 だいいち今日はクラピカが主役なんだから、クラピカが飲まなきゃ」



慌ててそう言うゴンに、クラピカは笑顔のまま首を振った。



「いや、いいんだ。私は明日仕事だし、二日酔いになってもいられないからな。
 オーダーしたはいいが、どうしたものかと困っていたんだ。よかったら」



―――明日は仕事だというのは、本当のことだろう。
けれど、クラピカは後先考えず底なしに飲み続けるタイプでは決してないし、
今までだって、飲んだ翌日に二日酔いをしていたところなんて見たことがない。


飲みたい気分になっているだろうゴンの気持ちを察したのだ。


ゴンは恥ずかしくなって、俯いた。
しかし、この上クラピカの好意を無下にすることもできず、
黙ってグラスを受け取り、口をつけるしかなかった。




―――なんてことだ。クラピカの誕生日を台無しにしてるのは、この俺だ。

酒が回ったキルアとレオリオがつぶれたところで、お開きになった。
結局いつものように、二人を抱えていくのはクラピカとゴンの役目。
次のゴンの誕生日にだって、そうなるに違いない。
やれやれ、と、ゴンは今から複雑な気持ちになったが、
顔には出さず、ゴンはレオリオを、クラピカはキルアを担いで車へ向かう。

いつものように二人を後部座席に放り込み、クラピカが運転席へ、ゴンは助手席へ乗り込んだ。
普段とは違うのは、クラピカとゴンの座る席が逆なことだけ。

と、ゴンは腰に何か硬く角ばった感触を二つ感じ、慌てて背中を起こし、座席を見た。



「あ…」



それは、リボンがかけられた二つの小さい箱だった。
服やブランドに疎いゴンには、それぞれがどこのものであるかまでは分からなかったが、
箱の大きさや頑丈さから、中には何かしらのアクセサリーが入っているに違いないと悟った。

クラピカが助手席に座ることを予測して用意された、
照れ屋なキルアとレオリオらしい、プレゼントの渡し方だ。
案外今だって、酔い潰れたふりをして、クラピカの反応をうかがっているのかもしれない。



「どうした、ゴン」



ひょいと、ゴンが見ているものを、クラピカも覗き込んで見る。
ゴンは苦笑しながら、多分後ろの二人から、と言って箱を手渡した。
クラピカは束の間、あっけにとられていたが、
やがて、潰れたらどうするんだまったく、と言い、くすりと笑った。

それにしても、あの二人が、こんなものを用意しているなんて。
ゴンは意外に思うと同時に、嫉妬をおぼえた。
あの二人も、なんだかんだと言って、ちゃんとクラピカを女性として見ているらしい。

ゴンのプレゼントは、今夜、ホテルのクラピカの部屋に届けるように手配してある。
しかし、“いかにも”すぎるという理由でアクセサリーの類は避けたのに、
キルアとレオリオがあたかも当然であるかのようにそれらをプレゼントとして用意していたので、
ゴンは意表をつかれ、出し抜かれたような悔しさを感じた。


―――だからって、バラの花束が“いかにも”なプレゼントじゃないとは言い切れないな。


しかも、ホテルの部屋に届けるなんて、いささか気障すぎやしないか。
今更、自分の用意したプレゼントが恥ずかしくなり、俯いた。


「酒がまわったろう。眠かったら寝てもいいんだぞ、ゴン」


優しい声にはっとして、ゴンは顔を上げた。

クラピカの横顔が、窓の向こう側の過ぎていく街並みの灯りに照らし出され、
暗闇の中にぼんやりと浮かんでいる。
色素の薄い髪の色は、灯りに溶けて消えていってしまいそうだった。

昔と変わらない、大きな目、小さな口。
しかし、そんな幼い容貌からは想像もつかないほど、
頑固で、強かな一面があることを、ゴンは知っている。

―――変わらないようで、少しずつ、変わっている。

クラピカも、自分も。後ろで寝ている二人も。

「…ううん、眠くない。大丈夫だよ、ありがとクラピカ」


眠くなんてなりようがなかった。
明日からまた仕事に戻るクラピカ。
ホテルに戻ったら、魔法が解ける。
ただ、同じ空間で同じ空気を吸っているだけでも、
こんなにも安らぎ、幸せな気持ちに満たされる時間が、終わる。

いくら、以前より時間に融通がきくようになったとはいえ、
お互いに世界中を飛び回っている身だし、
レオリオも開業医として軌道に乗り始めている今、
なかなか四人で会う機会は作れない。


―――四人で会うときは、なんとしても時間を作ってくるクラピカ。


いつまでも彼女の横顔を見つめていたかったが、
ゴンはやがて視線を逸らし、窓の外を見た。


―――もし、これが俺と二人きりだったら?


会ってくれるのだろうか。

ゴンは瞼を臥せった。

―――会ってくれるに決まってる。
クラピカにとって、俺は弟のようなもの。
弟のためだったら、二人きりだろうがそうでなかろうが、会ってくれるに決まっているんだ。

クラピカ。
彼女だけずっと昔のままで、自分ばかりが変わっていってしまっているように感じる。

―――昔から俺の心を見透かす。
なのに俺は、クラピカの考えていることがまるで分からない。
本当に俺はずっと、クラピカにとっては友達で、弟で…
ずっと、それとは別のものには成り得ないんだろうか。


「…クラピカ」
「どうした、ゴン」


好きだよ。
本当は緋の目も旅団も関係のない世界へ、二人で抜け出したいくらい。


―――今はまだ言えない。
君がいつまでも幼いままなのは、過去にずっとしがみついていて、
それを切り離すことを何より恐れているからだと知っているから。

けれど、全てが終わったその時には、
レオリオよりもキルアよりも、誰よりも先に、俺が―――


END