適当にマフィアを狩って遊んだ後で、戦利品の中に面白いものを見つけた。ちょっとした使い道を思いつき、クロロが誰かから奪った能力で小さくひとまとめにする前に勝手に拝借。一時的にボクが預かっているそれは、近年逝去した少々嗜虐趣味のあるブルジョア作家の遺品、だったと思う。
携帯を取り出して画面に彼女の名前を呼び出し、通話ボタンを押す。今頃、幻影旅団の団長他、四名の団員がただの肉塊に化したという情報をその目で確認して、意気消沈しているに違いない。独りきり死んだ魚みたいな眼で虚空を見つめているのは想像に難くなく、そんな彼女の顔を見てみたいなんて考えは少し歪んでいるだろうか。
長く続く呼び出し音が、その役目を終えた。耳から離して画面を見やれば「通じません」のデフォルト表示。電源を切っているらしい。これは重症、かな。
「残念。慰めてあげようと思ったのに」
ひとりごちながら指の先端で携帯を弄ぶ。通じないなら直接行けばいい。座っていた廃材から腰を上げがてら、携帯を中空に踊らせた。落ちてくるそれを受け止めてしまい込み、缶ビールを片手に小ぢんまりとした”髪の毛の集まり”へと足を向ける。
「これ、コピーしてくれないか?」
乾杯の挨拶に缶を鳴らしてクロロと話し込んでいる”髪の毛”の目の前に、指先で摘み上げたものをかざした。
「なに、これ?」
髪の奥から質問が返ってくる。
「本日のお宝のひとつ。こっちが本物だから、コピーさえしてくれればちゃんと戻すよ」
「なんだ、くすねていたのか?」
底冷えのするような声が訊く。わざわざ彼らの間に割って入ったくせに、初めてその存在に気付いたような顔をしてボクは声の主に視線を流した。
「まあね。もちろん、これはあなたのもの。ボクはコピーが欲しいだけだ。いいだろ?」
唇の端を持ち上げ、それを手渡しながら素肌に黒いコートを羽織った彼に言うと、彼もまた似たような笑みを見せた。
「ニ十四時間使えればいいというわけか。構わない、コピーしてやれ」
クロロが”髪の毛”に向け、それを指で弾いて放る。
「OK」
缶を傍らに置き、左手でそれを受け止めた彼の右手から、瞬くうちに同じものが生まれた。すでにオークション会場で一度コピーしているはずだから、複数作り出すことが可能のようだ。間を入れず”髪の毛”の右手の指先がボクの方に弾かれ、手中に収まった。本物と変わらない質感と重量。
「お見事」
その言葉を”髪の毛”への礼にして、
「…今日の仕事が済んだら、って条件で待ち合わせしてる相手がいるんだ。明日のオークションが始まるまでには戻るよ」
クロロに告げた。却下されることは、まずない。どういうわけか、彼はボクに甘いから。案の定、嘘と知ってか知らずか彼が苦笑する。
「忙しいヤツだ。予定に変更が出た場合はメールで伝達する。遅れるなよ」
「了解」
外野からいくつか殺気立った視線が送られてきたけど、そのままにしておく。その中で少しだけ質の違う視線にだけ顔を向けた。長いまつげに縁取られた大きな三白眼が放つのは紛れもなく軽蔑で、視線がかち合った瞬間、
「ヘンタイ」
と、来た。なんのために使うものなのか知っているらしい。
「キミもコピーしてもらったら?」
言い終わるか終わらないかのうちに、握り潰されたビールの空き缶が顔に迫った。小さく首を倒して避けたそれはこの廃屋の壁にめり込み、弾けたコンクリートの破片を床に散らす。同時に彼女の舌打ちが鳴った。まったく気の短い娘だ。屈託のない笑顔で彼女に手を振って出口に向かう。お見送りは容赦のない蔑みたっぷりの視線。これがまた、けっこう気持ちよかったりする。
外に出て空を見上げると、無数の星が微かな輝きを競っていた。こんな大都市でもそれなりに見えるものなんだな、と少しばかり感心する。彼女の警護対象になっているお嬢さんの乗った救急車の行き先は、興味本位でちょっとした伝手を使って調べてもらってあった。正真正銘、仕事の途中だったらしい彼だったけど、人数が多いというだけで特に面倒だった様子もなく程なく回答が届き、しっかりと手間賃を請求された。
教えられた病院は、多少の金と権力を持った組織のお嬢様が担ぎ込まれるに相応しい病院だった。場所柄、携帯の電源を落としてるのであればあの彼女もそこにいると断定していいのかもしれない。でも、連絡が取れない理由はきっと別にあるから確実じゃない。会えなきゃ会えないで、また別の機会を作るだけのことだ。お互いにもう数日はこの街にいるわけだし。ただ、時間限定のコピーが使えなくなるのが、残念といえば残念。


哀しいほどに煌びやかな都市の灯りを見下ろした。この街の抱える空虚さは、今の私に似ている。
数時間前に確認した、血にまみれ片腕のちぎれた死体は精巧に造られた人形のようにも見えた。なんという終焉。私のこの鎖が、あの男を冥府へ送るはずだった。結果としては喜ぶべきものかもしれない。だが、捉えどころのない寂寥感が全身を支配していた。私の手で息の根を止める。それを区切りのひとつと信じて、ともすれば消えてしまいそうな無限にも思える細い糸をここまで手繰り寄せたというのに。永遠に、失われてしまった。
落札した一対の同胞の眼を思う。今となっては視覚を司ることもなく、そこから故人を特定することすらできない。断じて金でどうこうするものではない、魂とも呼べるそれを、数字に換算して手に入れた。無邪気に「キレイ」の一言で所有の満足を得るであろう、自分と大して歳の変わらない娘のため。こんなにも近くにあるというのに、手厚く弔う権利を持った人間の手元には戻らない。
独りになりたかった。仕事仲間の中で唯一事情を知る彼女の配慮を受けて娘の収容された病院の屋上へ上がり、旅団を止めたいと切実な声で訴えた少年に事のあらましを伝えてから、かなりの時間が経つ。それでほとぼりが冷めるというのなら、一晩中ここにいてもいい。幸い、この街は昼夜の気温差に左右されない季節にあった。
周囲を警戒する意識が弛緩していたのかもしれない。
「こんなところにいたんだ?」
声がするまで、まったく気付かなかった。振り返れば、階下に通じる鉄扉を開け放しそれを押さえるようにもたれかかった男の姿があった。言葉を出そうと開いた私の唇はその形を保ち、動くことを忘れている。私がここにいることはファミリーの者しか知らないはずだ。訊けば「奇術師に不可能はない」などとふざけた答えが返ってくるのだろう。
「今からそっちに行くけど、飛び降りたりしないだろうね?」
言われて足許を見ると、靴の先が半分ほどコンクリートの縁から吹き上がる風に晒されていた。立ちくらみひとつで同胞の元へ行くことも、旅団の頭を追うこともできる。どちらにしても今となっては意味のないことだ。
「…ああ」
溜息のような返事をして、一歩ずつ後ろに下がった。その動きを確認したらしい男が、足音もなく近づいてくる。扉の閉まる重い音が聞こえた。独りでいたかった。だが、現れた男に対してそれほどの苛立ちはない。同じ目標を失った立場だから、だろうか。その重みは比べるべくもないのに。或いは苛立ちを感じないほど感情が平坦になっているのか。
旅団の約半数を死に至らしめたのはゾルディック家と聞いている。私も顔を合わせたキルアの父と祖父と思しき二人だろう。私の隣に立つ男には怪我も、傷らしい傷もない。
「貴様は、生きてるんだな」
他意もなく言うと、男は鼻先で苦笑を呈した。
「嫌味かい?」
「どうやって居所を探ったのか知らないが、わざわざなにをしに来た?」
「落ち込んでるんじゃないかと思って、さ」
男の指が、私の髪をすくって風に流す。
「関係ないだろう」
軽く頭を振り、男の手を払った。距離を置きたくて、給水塔へと足を進める。
「本当に飛び降りそうに見えた」
「そうする理由がない」
「なら、いいけど」
男の声は離れずに私を追ってくる。危険防止のために給水塔の周囲に張り巡らされた金網のフェンスまで来て、男を振り返った。
「戻らなくていいのか? こんなところで油を売っている場合ではないだろう」
予想よりも近い位置に立つ男に内心たじろぎながら、暗に退去するよう促す。
「キミが蜘蛛の心配?」
心配などしていない。頭もなく、足の数さえおぼつかない蜘蛛など。
「考えてることはたぶん同じだよ。死にかけた蜘蛛に興味はない」
頭の中でなにかが弾けた。右手の小指の鎖を左手で引き抜く。この男…。
「それ、ウボォーを倒した鎖かい?」
構える素振りもなく男が訊く。どんな形であれ蜘蛛に属しているのなら、私の能力の輪郭程度は知られている。蜘蛛そのものも死に体、厳重に隠匿する必要はなかった。その反応で、正体を見極めたいと思った。男の問いには答えず確認の言葉を返す。
「NO4、だったな」
「今のところは、ね」
引っかかる物言い。問いただそうとする前に男が口を開いた。
「すごい能力みたいだけど、使用制限がありそうだ」
その言葉に動揺を見せずにいられたかどうか、自信がない。男は続ける。
「念を身につけて半年程度の人間に旅団を向こうに回すだけの力があるわけがない。キミは相手を限定することで能力を増強した。合ってるだろ?」
「…答えると思うか?」
薮蛇は覚悟のうえだったが、吐き出した声が固くなっているのが判った。
「いや、自分では正解だと思ってるからいいよ。それを使う気ならすぐにでも使えるのにそうしないのは、蜘蛛の情報源だからというのは当然として、ボクの立場がキミの定めた制約のグレーゾーンかもしれないと迷っているから。ところでさ、教えてくれないか?」
取引、か。正体を炙り出す前に手の内を読み当てられて揺らいでいた心を切り替える。蜘蛛の頭を中央に置いた協定はまだ存続しているようだ。
「差し支えない範囲でいい。その鎖の能力は?」
男の人差し指の先端が、私の両手の間に張られた”律する小指の鎖”に向けられた。
「なぜ、それを訊く?」
「隠れ蓑にするため。キミの憶測も合ってるよ。ボクは蜘蛛にあって蜘蛛にあらず。現状が現状だからもう用はないけど、勝手に消えるわけにもいかなくてね。細かい予備知識のないまま集団を相手にしなくてはならなかったキミには、仲間の情報を引き出すために対象者の手綱を握るような能力が必要だったはずだ。その鎖がそれ、じゃないのかな?」
溜息が出る。私はなにも言っていないのに、この男の頭の回路はどうなっているのだろう。男に蜘蛛の一員だと告げられた夜を思い出す。身動きの取れないまま性器の隅々まで嬲られ、意識を失うほどに一方的な侵略を受けた夜。今更のように身体が震える。結果を見れば、まるでそのために欺かれて呼び出されたようなものだった。
「教えるには私のリスクが高すぎる」
「標的が消えていても?」
男の言うとおりだ。しかし、やはりなにかが引っかかる。


彼女がウヴォーを仕留めたときに遠巻きに眺めていたから、その能力の大略は判っていた。でも、所詮は高みの見物。華奢な指を飾る鎖のどれがどう作用して旅団一の筋力を無効化したかまでは定かじゃない。たまたま彼女がちらつかせた小指の鎖を指摘しただけなのに、あっさりと釣られてくれた。むだ口は少ないくせに、ちょっとした仕草や表情に綻びが出る。
「大丈夫。残りのメンバーにキミの素性がバレるような真似はしないよ。場合によっては、明日連絡できることもあるし」
賢明にも情報を出し渋るから、こっちも彼女とって無意義でもない情報を持っていることを仄めかした。本当にそれで人を殺すことができるのかと思えるような繊細な鎖の先端を弄ぶ指先を止めて、彼女がボクを見上げた。真偽を探るような深く澄んだ眼差し。残念ながら、彼女に見抜かれるほど杜撰な計算はしていない。
「…この鎖は」
長い沈黙の後、ようやく彼女が言葉を発した。恐らく全てを語りはないだろう。ボクにしても、この先の保険程度に聞いておくだけのことに過ぎない。
「対象者の心臓に打ち込み、私が口にした掟を遵守させるためのもの。わずかでも背けば死に直結する」
ボクの目をまっすぐに見つめたまま、彼女は低く告げた。言ってることは間違いなく真実だろう。ただ、やっぱり要点のみに留めた感がある。
「へぇ、それは怖い」
おどけた調子で相槌を打ちつつ、心中胸を撫で下ろす。こんな能力に捕まったらたまったもんじゃない。とりあえず、向こうで面倒なことになったときの逃げ道はできた。嘘には一握りの真実を織り込むのが定石だ。
ボクらの協定の基本は情報交換によるギブ・アンド・テイク。こっちの食指の動くような情報を持たない彼女からは別のもので代替してもらう。彼女も与えられるばかりでは気が引けるらしく、要求されればあからさまな嫌悪を浮かべた表情でそれを差し出す。無理強いはなし、ということになってるから、そこを強く主張されたらボクも退かざるを得ないのに、借りを作らないよう律儀に代価を払うところが彼女らしい。
自分の能力について少し話したことで、今回は何事もなく終わると思っているだろうか。ボクは薄く笑いながらそれを取り出す。


"律する小指の鎖"を使うに当たってのいくつかの条件についてまで伝えることはない。仮に男から情報が洩れ、残党と対峙することになったとしても"束縛する中指の鎖"を併用すれば充分に補える。それに、男が蜘蛛であろうとなかろうと鎖を打ち込むこと自体は不可能ではない。己を律するために制限を緩めた結果そうなっただけのことで、実際に蜘蛛以外の他人に使う気がないだけだ。
「あ、そうだ」
突如、思い出したように男が私の目の前に握りを上に向けた拳を出した。軽く指を動かした後で人差し指だけを開く。
「これ、キミにあげる」
男の指が踊り、その先端で回るものがきらりと光った。指輪、にしては径があり過ぎる。焦点を合わせると、それはピアスかイヤリングのように見えた。地は細く、金色。他よりやや大きめの深紅の色石を中心に、複数の黒と半透明の赤い石、金色の小さな球が秩序を持って通され、環の切れ目の両端に二回りほど大きな球がひとつずつ、それらを留めていた。
「…なんだ?」
新たな装飾品など要らない。特に関心もなく、形式的に訊く。
「今日の競売品。気に入ったからもらってきた。きっと似合うよ」
つまり、盗品。…オークション会場から盗み出した? 違和感が湧くが、緋の眼を手近に引き寄せることができた今はどうでもいいことだった。周囲のビルの灯りを受けて石を煌めかせる小さな環から目を逸らし、溜息をつく。
「気に入ったのなら自分で使えばいいだろう」
「自分で使うためにキミのところに来たんだけど」
話が読めずに男の顔を見た途端、フェンスに身体を押しつけられた。背中で金網の軋む耳障りな音がする。
今日は厄日なのだろうか。コミュニティーに名を売るため、私を旅団暗殺チームに組み入れると提言した後で、見知ったばかりだというのに行為を強要してきた雇用主。一定の距離以内に立ち入られたくないという無言の障壁を築いているにも拘らず、その理由を知っていながら故意に擦り抜けて私に触れてくるこの男。
「せっかくだから、遊ぼうよ」
肩にかかった男の人指し指が浮き、石を連ねた環の中で一際大きな深紅が光った。


触れた瞬間、感電でもしたかのように強張る身体。大きく見開かれた目の中心で怯えと嫌忌に震える瞳。何度同じことをしても、相手がボクである限りこの反応は変わらないだろう。ずっとそのままでいい。頑なな守りでボクを高揚させて欲しい。でも。
「…やめろ。貴様の遊びに付き合う気分じゃない」
怯えから怒りに移行した目を不意に伏せて、彼女はすっと身体から力を抜いた。その程度の躱し方でボクが合わせた照準を外すわけないのに。
「気分じゃないのはいつもだろ? だいたい、キミにその気になられたらボクが面白くない」
髪の上から額に口づけて、厚い上着の中に手を滑り込ませた。
「やめろと言ったはずだ」
と、振り払おうとする手には動じず、小ぶりな乳房を下から持ち上げて握力を加える。指先をその頂点へ運び爪を立てて擦ってやると、程なく生地越しに柔らかな突起が浮き上がってきた。彼女の気分なんて関係ない。望みもしない快楽に引きずり込まれ、抜け出せずに身悶える姿を見たいだけだ。
「さ…わるな…」
前かがみになって逃れようとするのを、肩にかけた手に力を入れて押し戻す。フェンスを肩で鳴らした反動で上向く顔の中で、途方に暮れたような瞳が放免を請う色に染まり、ボクを捉えた。…重症、だな。蜘蛛への復讐に血道を上げて走り続け、その機を手に入れかけていたところで突然標的を失った彼女は、雑踏の中の迷子に見えた。亡骸になったのが彼じゃなくてボクでも、こんな顔をするだろうか。拒絶する身体を無理にこじ開けて楽しむのが目的のはずなのに、ボクは軽い嫉妬を覚える。
もう一度強くフェンスに肩を叩きつけた後でその手を細い喉に回し、親指を頚動脈に当てた。そこを小さく撫で上げてボクの意図を悟らせてやる。形だけでも防衛線を張っておけば気休めにはなるらしく、即座に彼女の両手の指が手首にかかった。それでも、瞳に浮かんだ表情は変わらない。その間も固く立ち上がった乳首をシャツの上から爪の先で弄び続けられて、腰を細かく震わせている。ボクの指一本に生命線を押さえられたことが感覚を過敏にさせているのかもしれない。
「ダメだよ、そんな眼をしても。それに、キミにはまだやらなきゃならないことがある。今は死ねないよね」
先日、ボクに仲間の眼の行方を尋ねた彼女。ようやくその瞳に諦観が差し込んだ。ボクは自分の欲求を果たすためならいくらでも性急になれるし、平気で相手の弱点を利用できる。もうちょっと洗練された方法もあるのは判ってるけど。
「聞き分けのいい子は嫌いじゃない」
柔らかな耳を舐めて囁いてから、白い喉を掴む手の人差し指に引っかけたコピーを唇で挟んで外す。小さな突起を嬲るのを止めて上着の中から抜いた手でその胸を開き、肩から腕を通してコンクリートの地面に落とした。シャツを捲り、押し上げた下着に巻き込みながら乳房を露出させる。彼女は身を捩って拒否の意を示したけど、ひそめた眉の下の眼を見つめて頚動脈の親指をほんの少し沈ませてやると、びくりと震えておとなしくなった。その様子に充足し、ボクは彼女に笑顔を向けて乳首を摘み上げて捻る。掌を通じて喉が動くのが判り、彼女の唇から吐息のような喘ぎが短く漏れた。
腰から下を覆う上着と対になった同じ素材のものを引き剥がし、その下の服を下着と一緒に指にかけて下ろしていく。片手しか使えないのがもどかしくて、太ももまで下げたところで脚を上げ、靴の先で一気に生地を踏み下ろした。彼女の身体がまた跳ね上がる。喉に押さえる手を強く掴む指が、力を増して皮膚にめり込んだ。屋外で全裸同然の姿にされても、爪を立てるような愚は犯さなかった。頚動脈の上にある指がただの脅しじゃないことを、余計な抵抗さえしなければ身体を蹂躙される「だけ」で済むことを、彼女は知っている。


夜風が素肌を撫でて過ぎていく。独りになりたいだけだった。なのに、男はこんな場所までやって来て自分の欲心を満たそうとする。照明といえるような灯りなどないに等しい代わりに、周囲から視界を遮るものもない。この病院の屋上がそれほど高い位置にあるわけでもないことを考えると、今すぐ男に血の流れを止められた方がましな気すらしてきた。そもそも、たかが装飾品ひとつのためになぜ服を剥ぎ取る必要がある?
男が私の首筋から手を離したのは、固唾を呑むことさえ憚られ張り詰めた神経に限界を感じ始めた頃だった。
「暴れられるんじゃないかと思ったけど、杞憂だったかな」
薄い唇の間で深紅の石を光らせる環を指の先ですくい上げた男は、白々しく言って笑った。抗えば私の意識はおろか、生命をも即刻に潰す心算の極端な手に出たくせに、済んでしまえばそれを忘れたかのような顔で平然としているのが腹立たしい。
「まだ、死ねないからな」
男の言葉を借りて抑えた声を自嘲気味にゆっくりと投げつけた瞬間、性器に指が突き立てられた。踵が浮き上がり、撃たれたように身体が痙攣する。
「そうだね。こんな状態じゃ、死んでも死に切れないだろうし」
中を掻き回す男の指が、淫靡な音を立てた。膝を合わせて腰を引けば、どうしても男に寄りかかることになる。そんな体勢になる気もなく、とっさに背後の金網を掴んで身体を支えた。フェンスが大きな音を立てて揺れる。フェンスに頼ってでも男の力など借りないつもりでいたが、距離が近すぎて結局その胸に肩を預ける形になった。
「すごい濡れようだ。外で脱がされるのはそんなに興奮するものかい?」
半ば身体を折った姿勢の上から、男の陰湿な言葉が注がれた。口を開けば否定するより先にそれを認めるような声が出てしまいそうで、肩で息をしながら奥歯を噛みしめる。私の身体の内側で男の指が断続的な屈伸を繰り返していた。心ならずも激しく踊らされる下肢が打ちつけられ、フェンスの軋む音は鳴り止まない。
不意に男が腰を落とした。いつの間にかすっかり体重をかけていたらしく、後ろ手に掴んだ金網を支点に上体が大きく落ちて揺れる。私の髪の先が男の額の辺りに触れ、それを見上げた男と目が合った。緩やかな弧を描く唇の端がさらに上がり、粘液を掻き出す指の動きが止まる。私の顔を捉えていた視線が動いて重力に忠実な乳房の先端に据えられ、また顔に戻った。
「どうせなら、多めにコピーしてもらうんだったな」
意味の判らない独り言の後で、男はそのまま引き破るのではないかと思うほど強く私の内壁の指を自分の手前に寄せた。
「く…っうぅぅ…」
食いしばった歯の間から、くぐもった呻きが溢れる。ひどく敏感な箇所を圧迫するその状態でなおも力を込めた指先を何度か曲げられ、
「う…ぁ、くぅ…っあああっ!」
迫り上がってきた声は留まりきれずに決壊した。同時に引き絞った弦を放つように男の指が私の粘膜を弾く。脚の間から掻き出されたものが、無数の細かな水滴になって散るのが見えた。
「ボクは聞いていたいんだけど、少し遠慮した方がいいかも。けっこう響くよ、キミの声」
男が濡れた指で私の唇をなぞる。最近否応なく知らされたばかりの生々しい匂いが鼻をつき、私は顔を背けた。獣じみた、濃厚な女の匂い。
唇から離れて行き場を失った指先が次に選んだのは、地面に対して垂直に向かう小さな突起だった。下からすくい上げるように軽く押しつけられた指の腹が回る。
「好きだよね、ここ?」
わずかな面積で触れ合っているだけというのに、身体の芯から震えがきた。熱を持った性器を埋めていたものを名残惜しく感じている自分が疎ましい。
「試させてよ」
笑いながら不穏な言葉を吐いた男の指が離れた。なんのことかと思った刹那、立ち上がった男がもう一方の手の指から石の連鎖する環を引き抜くのが目に入った。長い指が金色の球のついた環の切れ目を開く。嫌な予感に身を翻すよりも早く男が腰を捻り、その側面を突き出して私の身体を背後の金網に固定した。
「そんな格好でどこに逃げる気だい?」
それ以上近寄られるのを避けるために、腕をまっすぐ伸ばし男の上腕を掌で押さえる。押さえどころを誤ったことに気付くのに時間はかからなかった。私の腕の長さだけ押しやられた男はこともなげに肘先を動かして、胸許を探る。
「ひ…ぃあぁっ」
乳首に痛みが宿った。炙られるようなその痛みの元を取り除こうとした手は簡単に阻止された。まとめられた手首が、頭の上でまたフェンスを鳴らす。
「ふざけるな、外せ」
私の胸許と顔を交互に眺める男を睨み上げた。
「ああ、痛い? 実際、ここにつけるものじゃないんだ」
目を細めた男は、私の視線など気にしてはいなかった。この男にとって、自分は生身の道具なのだと今更のように思った。聞き入れられることはないと判っていながら繰り返す。
「外せっ」
「似合ってるのに。見てみたら?」
鎖骨の近くにまとわりついていたシャツと下着がさらに持ち上げられて、嗜虐に満ちた男の顔が消える。動きの制限された中で身をくねらせて抵抗するのをものともせず、男は片手だけを使って私の衣服を頭から抜く。狩った獣の生皮でも剥ぐように器用に手首の方へとたくし上げると、両手首を掴む手と服を取る手を入れ替えて用済みとばかりにそれらを傍らに投げ捨てた。
「どう?」
促されたところで、痛みに疼く胸を見下ろそうなどと思えるはずもない。装飾品を象っているだけで、家畜の個体識別札と大差ない代物。
「外せと言ってるんだ。…ぅあっ!」
もう一度言った瞬間、痛みが一閃して目尻が歪んだ。視覚が勝手に反応し、原因の確認に動く。
「見る気になった?」
環の内側に指先を潜らせた男がそれを引っ張っていた。両脇から金属の球で挟まれて形を変えた突起の麓で乳房が皮膚を引き攣らせている。痛みをもたらす環に施された色石が場違いに微細な輝きを放つ。
「悪くないだろ?」
そう訊いた後で、私の眼に映すように男は環に引っかけた指をゆっくりと捻った。痛みの上にまた痛みが重なり、私はきつく目を閉じて唇を噛む。訊かれたことに答える気はない。どうせ相手も答えなど待ってはいない。ただ言葉を使って手中の獲物に爪を立て、その反応を見たがっているだけだ。むだを承知で上に束ねられた両手を解こうと力を入れてみるが、当然の結果に終わる。
「これじゃなにもできないな」
男はわざとらしく溜息をついて、逆らう私の手首を掴んだ手で何度か軽くフェンスを叩いた。至当の怒りをなだめられているようで癪に障る。我意を振り回しているのは男の方だ。なにもできないと言うのなら、なにもしないで帰ればいい。


弾力ある小さな果実のような乳首に科せられた金地に赤と黒のコントラストは、彼女の透き通るような肌によく映えた。ルビーとオニキス、純金の球の連なりの中央に据えられた2.5ctの緋色の石は、ピジョンブラッドと呼ばれるルビーの最高峰。というのは、廃墟で暇つぶしに斜め読みした競売品目録の能書きから。宝石の知識に疎いボクでも、その石ひとつを金額にしたときの桁数くらいは知っている。二十四時間だけなら精巧かつ忠実なコピーにも同等の価値があるだろうか。
別にこんなもので誰かの身体を飾り立てる趣味はない。ただの好奇心。相手に痛みを与えるのが至高の悦び、とは言わないけど、自分の中にあるこの手の嗜虐性は認めざるを得ない。痛みとも快楽ともつかない感覚に歪む彼女の顔に、性器が反応していた。
念を使って拘束するのは簡単。動けやしないのに逃れようと必死に足掻く姿がそそる、とはいえ。拘束ではなく、動くことを禁じてやるのも面白いかもしれない。ボクからの強要ではなく、自らの意思でその境遇に飛び込むように仕向けたら。…ますます興が乗る。
「ねぇ」
俯いて小さく震える彼女の注意を得るために、指先に引っかけたコピーを強く引っ張った。環の両端にある純金製の球が彼女の乳首を離れ、切れ目を閉じてぶつかる。その作りの繊細さとは裏腹な重めの音が夜の闇に小さく響き、同時に彼女が低く短い悲鳴を上げた。辛そうにしていたわりにはまだ元気があるようで、今にも噛みついてきそうな顔でボクを見上げてくる。
「外せって言ってたのはキミじゃなかったっけ?」
この場においては貴金属としての価値なんてどうでもいい環に摘み上げられ捻られたうえに、外れるまで引っ張られた彼女の胸の先端は、軽く鬱血してその色をわずかに濃くしていた。淡い色を保ったもう一方との差が少し痛々しくて煽られる。射るような視線を薄笑いであしらって顔の位置を下げ、その突起を根元から舐め上げた。瞬間、彼女の全身が勢いよく跳ねて鋭い声が漏れる。過ぎた刺激の後で与えられる快楽への反応にボクは喜悦した。舌先で突つき、捏ね回しながら乳暈に沈めて吸い上げる。腰の片側とその膝上でフェンスに押しつけた彼女の下肢が暴れるのを楽しんでから本題に入ることにしよう。
白い肌に舌をつけたままゆっくりと顔を上げていく。無防備に晒されたなだらかな腋窩の窪みを伝って、上腕の裏側をついばみつつ彼女の耳の近くへ。
「たとえば、これが」
コピーを通した指を回して彼女の顔の前にちらつかせた。
「少し想像力を働かせるだけで旅団につながる鍵になるとしたら、おとなしくボクの言うことを聞いてくれるかい?」
ボクの指先に揺れるものを視認した彼女の顔が強張る。どの程度かは知らないけど痛かったのは確かで、十二分に屈辱的だったろうから当たり前か。戸惑いにも見える視線がコピーから逸れ、ボクの顔に移った。鎖の能力の一端を語ったときも、彼女はそうやってボクの眼を覗き込んだ。だから。真偽を眼の奥から読み取られるような杜撰な計算はしないんだってば。
「そんな不明瞭な話のためにか?」
荒い息の合間を縫っているせいか、その声は語気とは裏腹の艶かしい色を感じさせた。あれだけ身体を玩弄された後でも、彼女はまだこんなに強い瞳でボクを見ることができる。この気丈ささえなければ、すぐにでも飽きてあげるのに。
彼女の懸念はもっともな話だ。旅団の派手な襲撃に見舞われたオークション会場が出処であっても、この華美で淫猥な性具が彼らにつながる、だなんて性質の悪い冗談にしか聞こえないだろう。彼女じゃなくても冗談と引き換えに身体を提供する気になんかなるわけがない。
これが念によって具現化されたものだと気付かないことには鍵どころか針金の先にすらならないから、もう少し示唆してみることにした。再び彼女の眼前でコピーをくるりと回す。
「キミにあげるって言ったろ? 明日の今頃…そうだな、もう少し早い時間にこれがどうなるか見てみるといいよ。状況が整えば連絡できると思うけど、そのとき伝える内容とを総合すれば、これが無益な話かどうかはっきりする」
部品を与えすぎた嫌いもあるけど、これで翌日なにも組立てられなかったとしたら彼女の頭脳はその程度ということだ。情報の断片を受け取った彼女は、ぴくりと眉間を動かして視線をわずかにボクからずらした。一点を見つめたまま黙考している。その小さな頭蓋の中ですでに確定している答えを、自分自身に承服させるため。理不尽を無理にでも飲み下そうとする彼女の顔を、掛け値なしに綺麗だと思った。壊してやりたい。
コピーを掌に握り込んで、その手を下ろした。伸ばした二本の指を柔らかな性器の裂け目に捻じ入れる。粘液と空気の混じり合う音。思考を巡らせることに集中していた彼女は、不意を突かれて息を呑むような切ない声を零した。垣間見えた媚態はすぐにそれを恥じる表情に変わり、次の瞬間にはボクに向けた険阻な色に塗り潰された。指を抜いて、崩れかけた腰を支えてやる。
「長く待たされるのは好きじゃないんだ。考えがまとまってるなら、自分を納得させるのは後にしてくれないか?」
ボクの言葉に目許を引き攣らせたのはほんの一瞬だった。怒りに震える眼は次第にその爛々とした光を失い、最後には伏せられた。
「手、離すよ? 交渉不成立ならボクは消える」
彼女の両手首を掴んだ手を開くと、二本の腕は肩を中心にだらりと肘を落とした。ボクは腰を支える手を離し、一歩下がる。吊り上げられるような姿勢が長引いて痺れが出ているのか、彼女は胸の前でボクの指の跡が赤く残る手首を交互に撫でさすっている。その虚ろな表情から、ボクを追い返したくても追い返せなくなっていることが見て取れた。


見た目だけは美しい盗品を手にこんな場所まで赴き、意味深な言葉を散りばめる男は、自分の欲望の前に私をおびき出す術を心得ていた。当初から気になっていた断片的な数々の違和感が、頭の中であやふやな輪郭を結ぶ。不条理を感じながらも、蜘蛛の頭の無残な姿にひとつの終結を迎えたのだと自分の中で決着をつけようとしていたのに。そこになにか裏があるらしいことを、男は巧みに匂わせる。
聞かなければよかった、と思った。そうでなければ、聞いてしまったものを頭に留めることなく流すべきだった、と。それができないほどに、私は蜘蛛に固執している。深追いを後悔するには遅く、見逃すには未練の残る誘惑だった。
「…さっさと済ませろ」
男の顔は見なかった。
「物判りがいいね、今夜は」
一度離した身体を再び寄せて、男は笑った。先刻、指を押し当てていた首筋の一点に唇をつけ、掌で乳房を包む。まだ脈打つように痛むその先端を指先で撫でられて、全身が硬直した。負の経験を身体に思い出させて反意を殺ぐ効率的な方法。そんなことをしなくても抗いはしない。暗く人気がないとはいえ、屋外で服を剥ぎ取られて今更なにができる。
唇と指で肌を下へと辿りながら男は緩やかに身体を折り、やがて私の足許にかしずくように片膝をついた。両手で尻を抱え、浮き上がった腰骨に口づけたところで私を見上げる。
「肩に脚を乗せて」
かすかな甘さを含む声に、従うことを当然としたゆとりがあった。ためらう。男の言うとおりにすれば、その目の前に性器を晒すことになる。そうでなくても容易に応じられることではないというのに、度々指で探られ粘液にまみれたそこをあらわにするなど。
「二度言わせる気かい?」
子供に尋ねるような口調で言い、男は小さく首を傾けた。穏やかさの奥で絶対の服従を求めている。受け入れるほか、私に選択肢はないと知ってのことだ。胸に盛る憤懣を噛み潰しながら、私は殊更ゆっくりと片脚を持ち上げた。くるぶしに残る服が足かせのようにその動きを止める。ちらりと私の足許を見咎めた男が地面を離れた足の下に手を差し入れた。わずかに口の端を上げた後で恭しくさえ見える仕草で靴を外し、足首から衣類を抜く。漫然とその過程を眺める顔を一瞥され、私は無感動に目を逸らして剥き出しになった足を男の肩に置いた。


声なき不満を訴える空気を漂わせながら、彼女は素足をボクの肩にかけた。ささやかな抵抗のつもりか、膝を身体の中心線に寄せているのを手の甲で払って拡げてやる。充血した性器がさらけ出された。一切の感情を締め出したような顔が怒れる恥じらいを一瞬だけたぎらせ、諦めに沈んでいった。
性器の周囲の薄い恥毛は溢れたもので濡れて肌に張りつき、そのぬめりは太ももの内側にまで及んでいる。性欲との縁を感じさせない見た目を覆す、淫乱な反応がたまらない。裂け目に小さく覗く粘膜が、昂ぶりに熟れて色濃く染まっていた。柔らかな丘を割って露出させる。子供の唇にも似たその粘膜の間に舌の先を入れると、彼女が後ろ手に掴んだフェンスが騒々しく鳴って揺れた。
金属が忙しなく触れ合う音源に向けた視線の先に、低い位置で大きく広げた彼女の腕が見える。苦悶を形にしたように強く曲げられ震える指の間で、規則正しく並ぶフェンスの網目が歪にひしゃげていた。淫らな磔刑像さながらの眺めはなかなかに扇情的で、早々に自分の身体が望む欲を遂げたくなる。でも、それはもう少し後。
性器の唇を吸い、甘噛みし、舌で弾く度に、彼女はボクの肩に乗せた足を踏み込む。声を押し殺そうと全身で耐える癖があるみたいだから、その堰を崩してやろうなんて気にさせられる。気落ちした彼女に蜘蛛へと続く伏線を与える過程で、倒錯した宝飾品にメンバーの能力を絡めて持ち出すのもまた、似たような理由。この手の道具にどれだけの不快感を示そうと、飾り立てられば身体が勝手にそれなり以上の反応をするのは目に見えていた。
ひっそりと主張を始める唇の上端の突起に舌先をつける。乳房の先端よりもさらに控えめなその突起は、控えめなりに張り詰めて切なげに艶めいていた。落ち着きかけていた騒がしい金属の音がまた大きく響く。肩に食い込む彼女の白いつま先が、骨を踏み砕きそうなほどの力でボクに押しつけられた。
指の先に掌中のコピーを引っかけて取り出し、金色の球で区切られた部分をもう一方の手の指を使って広げる。我ながら器用なものだ。
性感を捕らえる他にはなんの役割も持たない器官。今の彼女はきっと、その存在を疎ましく思っているに違いない。言ったところでそんな器官への刺激に静止を保てるわけもないけど、言っておこう。
「動かないでくれよ?」
肩で息をしながら鋭い視線を落とす彼女からは、憎まれ口すら返ってこない。片はついているはずなのに、まだなにかありそうな気がして拾い集めたいくつかの欠片の隙間を埋めたがっている。明日ボクから伝えられるはずの情報に縋らなければそれが見えない。自分の置かれた状況に妥協しようとしている心情が手に取るように判って、ボクは暗い興奮を得る。
小さな陰核の基底が中央にくるように、広げたコピーの切れ目の双方にある球を近づけた。壊れ物でも扱うように、ゆっくりと環を開く指の力を緩める。その環が完全にボクの手から離れた瞬間、彼女は矢に射抜かれたかのように身体を仰け反らせた。喉から絞り出された悲鳴に続き、震える声が細くなびく。下肢の痙攣を受けて、彼女の性器の頂点を挟み込んだ環の底に鎮座する深紅の石が淫靡な輝きを見せた。コピー元の最初の持ち主の一種極端な嗜好に漠然とした共感を覚える。対象とした相手の性器を飾り、倒錯した所有の悦びを味わう趣向。慢性的にこんな遊びをする気にはなれないけど、愛玩のために彼女を飼っているような錯覚はできる。
まだ打ち震えている彼女を見上げた。後ろ手にフェンスにしがみついたまま、あごを高くして不規則な呼吸を繰り返している。支える脚の内側にできた新たな細い川を堰き止めるように指で撫で上げて、
「鏡があったら見せてあげたいくらいだ。ここに付けた途端、こんなに溢れた」
意地悪く言ってやった。中から零れて肌を伝う体液の感覚は本人がいちばんよく判っているのに。屈辱に熱せられた眼がボクを刺す。
「こういうのけっこう好きみたいだね、キミの身体」
煽りに無言で耐えられるほど、彼女は従順じゃない。案の定、罵声を吐こうと唇を開く。再び背いたりしないよう、苦しそうに歪んだ陰核を指で軽く押さえた。罵声の代わりに悲鳴めいた声を上げて、彼女の身体がフェンスを鳴らす。彼女の性感を自在に弄ぶのが面白くなって、水でも浴びせられたように濡れた性器にもう一度二本の指を突き入れた。白い裸体がまた跳ね上がった。抵抗もなく受け入れたボクの指で性器の中を揺すぶられて、陰核に下がった色石たちが踊って光った。コピーに摘まれた器官の裏側にあたる箇所を探って刺激してやれば、
「あぁっ、あっ、ぅあっ…!」
短く喘ぐ声と金属音が交錯する。四方から圧迫される突起が苛まれる度に上がる声をもっと聞きたくて没頭しかけた頃、突然温かな飛沫が散った。思わず逸らした顔の頬が濡れる。不意のことに動きを止めてしまった後で、笑いが込み上げた。
「キミ、最高。大した経験もないのに、こんな反応するなんて」
どんな顔をしているのかと窺うと、転落防止の柵もないコンクリートの断崖で振り返ったときと同じ表情になっていた。手酷い裏切りを見せた自分の身体を嘆く、打ちのめされたような瞳。男のボクに、彼女の身体が享受する感覚なんて判らない。けど、たぶん彼女はなにか誤解している。なんだか見るに忍びなくなり、肩で震える足をそっと下ろした。立ち上がってフェンスに架かった身体を抱いてやる。弄ばれる身体の重みのほとんどをずっと細い腕に任せて辛くなっているくせに、彼女はボクの背中に手を回そうとはしなかった。
「安心しなよ。今のは別にトイレに行かなきゃいけないようなものじゃない」
汗の浮かぶ背中に指を這わせると、腕の中で肩がびくりと動いた。潔癖ともいえる精神を持った彼女に、この敏感な身体はいささか重荷になっているのかもしれない。ちょっとはかわいいところを見せてくれるかと思ったけど、そうはいかないようだ。
「離せ。もう充分だろう」
吐息の間を縫うような途切れがちの言葉が、ボクの胸に放り投げられた。被虐を埋める軽薄な優しさは彼女には通用しないらしい。そんなことで堕ちたりしない彼女だから、何度でも束縛と解放を繰り返したくなってしまう。胸に預かった小さな頭の髪を掴んで持ち上げて唇を合わせた。口腔いっぱいに舌を押し込み手荒く侵害してから、また髪を引っ張って顔を離した。口許を歪ませて訊く。
「キミが決めるのかい、充分かどうかを?」
背中を抱く手を乱暴に引き寄せると、金網に絡みついた彼女の指が弾けるように剥がれた。


強く抱え込まれた身体は抗う間もなく裏返され、再びフェンスに投げつけられた。身体を動かされる度、性器の頂点に取りつけられた厭わしい装飾が淫蕩な波を呼び、脚が萎えそうになる。その場所だけを執拗にいたぶったうえ、目の前で失禁まがいの醜態まで晒させてなにが不充分だというのだろう。
フェンスに抱きつく形になった私の片脚が浮く。男に膝裏をすくい上げられたのだと判ったときには、また無様に性器を剥き出しにされていた。肘の内側で私の脚を持ち上げた男の手はしっかりと金網を掴み、もう性器を隠すために閉じることさえ叶わない。まるで、なわばりに匂いの標識を残す犬の様相だ。力の失せかけた片足では支えきれなくなった身体がフェンスにめり込む。先ほどあの環を引き外されてまだ疼く乳首が金網に擦れ、私は呻き声を洩らした。
「射精すものも射精さないで満足する男なんて、よほどの少数派だよ」
背後で衣擦れの音がする。次の瞬間、脚と脚の中心で愚かしくぬかるんだ洞の入り口を一気に貫くようにして、男が私の中に侵入してきた。男の性器の先端はすぐに最奥に達し、なおも身体を押しつけられてフェンスがたわむ。その揺り戻しに跳ね返されると、粘膜の壁がより深く男に抉られた。存在の意義すら理解しかねる突起を咎める環は壁時計の振り子のように休みなく動き、恥辱を快楽にすり替えようとする。
金網に取り縋って支点を分散させても、地に足をつけて立つことが難しくなってきた。背後から容赦なく責め立てていた男は、なよなよと腰の定まらない私に気付いたらしく、性器を中に留めたまま行為を中断した。
「最後までは、付き合ってもらえないのかな?」
男の腕が後ろから腰に巻きつけられる。残されていた不安定な脚が垂直になるように抱え直されたかと思うと、突然背中を舐め上げられた。ぞくりと震えが巡る。悪寒に背筋が伸びると同時に性器の奥に衝撃が走り、ほんの刹那、身体の芯一点に体重の全てが集中した。高く小さな叫び声を発しながらつま先立ちになって戸惑ううちに、また下から強い突き上げを被った。
痛い、と感じる。鋭い痛みでも、苛むような痛みでもない。男に突かれた場所から拡がり、その肉壁の向こうにある内臓を包んで揺るがすような奇妙な痛みだった。苦しい、とも表現できるかもしれない。少しずつ突き上げる点をずらして、男は痛みとも苦しみともつかないものを私の中に送り込む。この感覚に正面から向き合うのは危険。そう思った。この感覚をまともに受け止めるくらいなら、金属の球に摘まれた陰核を撫で回されていた方がましなはずだ。
「さすがに、まだここで乱れたりはしないか」
ほとんど真下から押し上げるようにして私の身体を揺すり続ける男は、短く嘆息して言った。失敗した実験の結果に納得するかのようなその声に、あれはやはり追ってはいけないものだったのだと理解した。
「まぁ、いずれよくなるだろうしね。ここにこだわらなくてもキミの身体は堕とせる」
男の言葉に間違いはなかった。性器の深部付近を突かれる危うい感覚から逃れるために意識を集めざるを得なかった箇所の限界は近い。枷を嵌められた陰核は、それの持つ球状の留め具の圧迫に終始蝕まれていた。そのうえ、動かされるごとに中央に下がる大きな色石が揺れて陰唇を叩く。見かけよりも重みのある装飾品が及ぼす快楽、手心も加えられず性器の内壁に与えられる摩擦。いつまでも耐えられるわけがない。警備の巡回や、近隣の窓からの好奇の目の可能性に対する自制のたがにも限度があった。
もう、だめだ。身体が痙攣し始めた。弓なりに反った背中が男の胸板に倒れる。私の脚を抱え上げる男の腕が蛇のように胸許へと這い、乳房を握った。汗の浮いた肌を滑る指は、やがて尖った乳首に触れる。それは、剥き出しにされた神経に繋がれる電極が作動した瞬間に似ていた。男の指先に強く捻られ、私の腰はあたかも自分の意思であるかのようにがくがくと震えた。その内側いっぱいに打ち込まれた男の性器を加減なく締め上げながら。
食いしばるような呻きが上から聞こえ、腰を大きく打ちつけられたのを最後に男の動きは止まった。身体の奥が生温かいものに満たされるのが判る。ようやく終わった。
いつもそうだ。底知れない怒りと不快感。金網を掴む手に力が入る。貴様の片鱗を私の身体に残すな。罵倒してやりたいのに、それではそこに至る行為そのものは認めてしまっているようで言葉にすることはできない。


欲望を成就させた後の深く長い吐息が、彼女の髪を小さくなびかせる。そのとき特有の虚脱感に甘えたくなって、彼女を挟んでフェンスに体重を預けた。片脚を取られた不安定な姿勢でボクを受け入れ続けて消耗しきっているはずだから、彼女もその方が楽だろう。
「最後…なんか、キミにイカされちゃったみたいなんだけど」
指の間にある乳首を手持ち無沙汰に転がしながらそう囁くと、彼女の性器の浅い部分が収縮してボクの根元に絡みついた。言葉に反応したのか、指先に反応したのかは定かじゃない。珍しく本当にタイミングを制御し損ねたのは、彼女の身体が快楽の頂点を見たことに気付いたからだった。散々ボクを締めつけた末に突然摩擦抵抗を失った彼女の奥。性的に深い快感を得たときに起こるらしいその現象を、彼女がボクを相手に引き起こしたと判って気が緩んだ瞬間にまた強く肉壁に圧迫され、止められなくなった。
猛りの収まりつつあるものを彼女の性器から引き抜くと、塞がれていた亀裂から欲情の跡が滴り落ちてコンクリートを濡らした。薄い胸の先端を弄ぶのをやめて、行為に必要なだけ崩した自分の服を整えてから肘に絡めた白く長い脚を解放してやる。ボクとフェンスの間で荒い呼吸を続ける彼女が骨を抜かれたようにくずおれるのを抱き止め、身体を入れ替えた。
フェンスを背中で滑りながら汚れた地面を避けて座り込み、膝の上に彼女の身体を横たえる。どちらのものかも判らなくなった粘液に濡れそぼった金色の恥毛に半ば埋もれているコピーを無造作に摘んで引き外すと、生気の消えた眼を宙にさまよわせていた彼女は顔を歪めて腰を跳ね上げた。足首の片方だけに残る衣服と靴が、遅まきながら彼女への粗雑な扱いをボクに思い起こさせる。どんなに貶めても芯から壊れるような相手じゃないから、つい暴走してしまう。
それに対する謝意、というわけでもないけど、
「これ、オリジナルは別にあるんだ。ボクの能力ではないけどね」
ぬらついた光を放つ紅い石を彼女の目の前で揺らし、与えすぎた情報の部品をさらに追加する。今は頭の回る状態じゃなさそうな彼女も、遠からず旅団半壊のからくりに気付くだろう。ボクが送る予定のメールが、その決定打になる。"神の左手悪魔の右手"の情報はボクが知らせたものではなく、彼女が自ら導き出したものだ。
華奢な腕に蔦のように巻きつく鎖にコピーを幾重かに絡め、彼女に委ねた。手渡したところで、きっと素直に受け取ったりはしないから。
こんな姿のまま放って帰るのはさすがに気が引けて、手を伸ばし彼女の服を集める。と、突如身体を起こした彼女がその手を強く掴んだ。乱れた髪の間から覗く大きな目が険しい影を落していた。
「最後まで付き合った。これ以上構うな」
愉悦の震えが背筋を這い上がる。斟酌なく深手を負わせてもこうしてなんでもないような顔をして撥ねつけてくるから、干渉せずにはいられないんだ。
「そう」
執着がないでもないけど、それを見せる気はない。今日ボクに抱かれる前、誰に捻じ込まれたかなんて訊く気は、もっとない。
指を広げて手の中の服を放した。彼女を地面に下ろして腰を上げる。横なぎの裸身を腕で支える彼女の視線は、ボクを追っては来なかった。綺麗な曲線を描く白い身体を俯瞰するのを諦め、踵を返す。
「じゃあ、また今度」
その今度をいつにしようかと考えながら、背後の彼女に軽く手を挙げた。明日送信するメールは、彼女をうまく動かしてくれるだろうか。

屋上の昇降口の壁にもたれて膝を抱えながら、ビルの谷間に昇る朝日を眺めていた。ゆっくりと流れていく蒼い薄雲を柔らかな朱に染める太陽は高度を増すに従って色を失い、押し上げた暗い空を澄んだ青に変える。
男が去った後、不敏な動きで服を身につけたはいいが、薄汚れた身体で階下に降りる気にはなれかった。かといって眠気に深く沈むこともできず、結局ここで夜を明かしてしまった。だが、いつまでもこうしてはいられない。不透明な膜に覆われたような身体をなだめるようにして、ふらふらと立ち上がった。服の中でメールの着信音が聞こえる。昨夜、男が言っていた情報、にしては早過ぎるだろうか。携帯を取り出して画面を確認する。
短い文面だったが、視線が文字を上滑りして内容は頭に入らなかった。なんの感慨もないまま、再度ゆっくりと文字をひとつずつ追う。水底から湧き上がる細かな気泡のように、彼らの顔が脳裏に浮かんだ。
―デイロード公園で待ってる!! ゴン・キルア
心が、動かない。彼らとの約束だったこの街での再会は、仕事を理由に一度断っていた。なにか、とても大切なものを手放してしまったような気がする。彼らの顔を見れば、それを取り戻すことができるだろうか。もう、以前のように彼らの横には立てない。ここに名前のない相手に至っては、私の存在自体を忘れていてくれればいい、とまで思った。
服の袖に隠れる鎖に男が残した盗品の複製。取り外す気力も失せるほどに絡みつけられた環は、ちょっとやそっとの偶然では鎖から離れそうになかった。そこまで堅固に私の手元に置いていく意図が掴めそうで掴めないのがもどかしい。

再会は果たされ、少し成長した彼らの相変わらずのやりとりに冷え切った心が微かな温もりを取り戻した。その後、連れ立って移動した市内のホテルで顔を合わせた彼には大した変化もなく、それを言葉にすると青筋を立てて憤慨された。なにが起こっても根底にあるものはきっと変わらないのだ。私の、大切な仲間。
昨夜から胸にわだかまっていた違和感は、この日の夕刻に氷解した。朝の晴れやかな空が幻に思えるような雷雲に見舞われる頃だった。

 死 体 は 偽 物

男からのメールと、旅団と接触したという二人からもたらされた記憶を探る能力を持つ女の情報で、事態は急展開を迎えた。蜘蛛は死んでなどいない。そして。私の能力の全てを語った今、彼らのうちひとりでも件の女の念能力にかかることがあれば、私の能力は敵に筒抜けとなる。今日のオークション会場に現れるであろうヤツらを迎え撃ち、女を始末しなくてはならなかった。
自分ひとりでは解決できなくなった問題に仲間を巻き込むことに躊躇がなかったわけではない。それを振り切るほどの火急だったなどという言い訳も、成り立ちはしまい。付け焼刃で練った作戦を展開し、尾行班の連絡で先回りした駅前に姿を現したヤツらを見た瞬間に慎重であることを忘れた私は、迂闊で無謀な愚者だった。
私を抑えるため、危険を顧みずに旅団の前に足を踏み出すという判断を下した少年たちは、そのままベーチタクルホテルへと連れ去られた。普段は物腰柔らかな仕事仲間の叱責を受けなければ、それでも私は体勢を立て直すこともなく盲進を続けていただろう。
不確定要素の多い策にも係わらず、奇跡的な呼吸の合致と僥倖に恵まれたホテルでの拉致工作は、標的の変更を経て進行していた。惜しむらくは少年たちの脱出が失敗に終わったこと。当初の狙いであった私の能力を探り得ることのできる女は、これからの取引相手に据える。身を挺して私を止めてくれた二人を取り返すのだ。
雨の中、濡れたアスファルトをしぶかせながら車は空港へと走る。ガラスに雨音の響く後部座席で隣り合った仇敵を捕縛する鎖に、あの血の雫のような石を冠した環はない。