どうしてこんなことになったのか。
人間がひとつの動物である以上仕方のない衝動なのだろうか。
オレはその男に抱かれ目を閉じていた。

そもそもオレはこの男の感情に前から気付いていた気がする。
奴はうまく隠していたつもりなのだろうか。
しかしどうにも隠しきれないサインが微かに、確かにオレに伝わってきてしまっていたらしい。
それでもオレは無意識のうちに最後までそれを無視することに決めていた。
九月までにしなければならないことが山ほどあった。休む時間が何より惜しかった。
修業は苛烈を極めたがそれはオレが師匠に頼んだことだった。
オレの経歴や事情は初日にほとんど話してしまっていた。
あとで分かってとやかく問い詰められるのが面倒だったからだ。
奴は黙ってオレの話を聞き入れ、師匠としてできるだけのことをすると約束した。

「どうしても九月に間に合わせないといけねぇのか」
修行に明け暮れる日々の中、ある日奴はこんなことを言ってきた。
「私の話を聞いていたか?旅団に関する情報はどんな些細なものでも貴重だ。
 それにヨークシンでは緋の目が出品される可能性もある。この機を逃すわけにはいかない。」
「そりゃそうだ。しかしそういうことじゃねぇだろ。つくづくアホだねお前。」
「なんだと?それはキサマのことだろう。」
「キサッ・・・はあ、もういいや・・・。それよりお前、俺になんか隠してねぇか」
「・・・? 別に。」

奴は時折くだらない事を話しかけてきたりしたが、オレにとってはただ鬱陶しいだけだった。
いや、鬱陶しい、というのは少し違う。
奴の言葉はオレにとって一番突かれたくないところを突いてくるものがあって、無性に苛立ってしまうことがあるのだ。
そういうことは口に出しても何の得にもならないのを奴は分かっていない。
オレの個人的なことについては何も口出ししないでほしかった。

「明日の朝発つ。今のうちに言っておこう。世話になったな。」
オレは夕飯を食べながら言った。当然師匠は不意を突かれて、椀と箸を持ったまま静止している。
「・・・ああ!?お前、つきっきりで指導してもらっといていきなりその態度はねぇだろ!」
「だからこうして感謝しているんだろう。何も文句はあるまい。」
師匠はひどく腑に落ちないといった顔をしていた。
「バカ野郎、その程度の念で旅団全員を相手にできると思ってるのか?」
「昨日は『それだけ鎖を自分のものにしたら打倒旅団も夢じゃねぇな』などと言っていたではないか。」
「そりゃあ確かに言った。けど、もう少し修行しろ。」
「修行したいのは山々だが、なにしろ時間がないのだ。」
「そうだろうな。わかってるさ。けどもう少し修行していけ。」
「は?だから」
「ああもういい。俺が悪かったよ。お前がしたいようにしろ。」
そう言うと師匠は中断していた夕飯をがつがつとかきこんだ。
「・・・何なんだいったい。」
奴は腹を立てているようだった。
確かに出発の前日になって知らせたのは悪かったかもしれない。
「いや、私が悪かった。非礼を詫びる。もっと早くに言っておくべきだったな。」
「そこかよ・・・。ほんとアホだなてめぇは。」
「!?なんで!!?」
「ああもういいって。それよか明日は早いんだろ?さっさと荷造りしとけよ。」
「・・・・・。」

夕食を終えるとオレはさっさく荷造りにとりかかったが、
もともと荷物は少ないのでたいした作業ではなかった。
師匠は寝床に入っているらしく、奴の部屋から物音は聞こえてこない。


何かがオレの中で引っ掛かっていた。
奴はなぜあんなに怒っていたのだろうか。
どうやら出発前日に知らせたことが原因ではないらしい。
そういえば以前オレが何か隠し事をしていると奴は言っていたが、それも関係しているのだろうか。
明日発つというときになって色々と曖昧なままなのは気分が悪い。

オレは荷造りを済ませ立ち上がると、師匠の部屋に向かった。

今にして思えば、あの時オレはただ奴のもとへ行きたかっただけなのかもしれない。
ずっと目をそらしていた感情が、最後になって歪んだ形で露呈しようとしていたのかもしれない。

師匠の部屋の前に立ち戸を叩くと、間を入れずに戸は開かれ、オレは中へと入って行った。