「くっ…」
「フフン♦」
「…(バカみたい)」
この日はいつもとは違う切迫した空気が流れていた。
「いい加減身を引いたらどうなんだい♠しつこい男は嫌われるよ。」
「うるせー!!俺は自分に正直な男なんだよ。第一マチちゃんが嫌とは言ってねーじゃねーか!」
「…どうなの?マチ♥」
「うーん。。別に、何でもいいかなって。」
目を合わせることもなく、マニキュアを塗りながら興味なさ気に答える。
「ウンウン、そうかそうか、ちったぁ見込みがあるってことだよな!」
「どういう頭してたらそういう考えに行き着くんだよ♣」
「んだと〜!?!」
「ふぅ。」
マチは塗り終えた爪に冷たい息を吹きかけた。
最近話し掛けても何故か心ここに在らずなクロロ。なんとかしてまた自分の方に気を向かせられないものだろうか…。
そしてマチにある考えが浮かぶ。
言い争いはまだ続いていた。
−ガタン
「!…なんだよマチちゃん、いきなり立ち上がったりして。」
「アタシ強い男が好きなの。ボクシングで勝った方と付き合ってあげる。」
「おぉ!」
その頃、クロロは途方に暮れていた。あれ以来クラピカのクロロに対する警戒心は殆んどなくなり、クラピカの方から話し掛けてくることさえあった。しかしその一方でクロロは以前の様な軽い調子でクラピカに接することが出来なくなっていた。
増えてゆく溜め息をつきながら図書室に行くとクラピカの姿が…。何て話し掛けようかと頭をフル回転させる。
クラピカ…。
声を掛けそうになって止めた。クラピカは頭だけ下に向けて居眠りをしていたのだ。そっと横に座りじっとしてみる。ただそれだけ。いつもの自分だったらセクハラまがいなことでも平気でするのに。何故かそれが出来ない。
すると首だけで固定された頭が辛くなったのかクラピカがバランスを崩す。そしてそのままクロロの肩が頭をキャッチした。
クロロの頭の中は真っ白になった。けれど顔や身体、全てが熱く火照ってくるのを感じた。クラピカの顔を覗き込む余裕すらない。全身が固まって動けないのだ。クロロは心臓のドクドクという音が煩くてクラピカが起きてしまうのではないかと心配になった。全身が硬直して辛いはずなのに、この状態がいつまでも続けばいいと思った。
しかしその願いも虚しく、クラピカはすぐに目を覚まし、クロロを見た。
「…ん。クロロか。何だ、私は眠っていたのか。どうした、熱でもあるのか?顔が赤いぞ。」
その時クロロは気付いてしまった。自分の気持ちに。今までのモヤモヤの原因が何だったのかも。そう思うとショックでたまらずその場から逃げた。
(この俺が!しかも男!!一生の不覚だー!!)
そう思いながらもやはり自分の中に芽生えた初めての感情は抑えきれそうにないのだった。
「何だ、今のは。変な奴だな。」
「おー、クラピカ!やっぱりここだったか!俺はこれからしばらく特訓の日々を送る!お前にも付き合ってもらうぜ。」
「は?レオリオ、何の話だ。いきなり何を言っているのだ、訳を話せ、あ、ばか引っ張るな、おい!聞いているのか、おい」
レオリオに強引に連れていかれた先はボクシング部の部室。リング上では体格のいい男達が汗を流していた。
「よし!一週間後のマチちゃん争奪戦に向けて特訓だ!」
クラピカにはその言葉だけで事の経緯が何となくだが分かった。しかしレオリオから詳しい話を聞いて驚いた。マチ自身がそんなことを言いだすとは。
「冗談にしては行き過ぎているぞ!」
「いや、だから冗談なんかじゃねーって!本気なんだよマチちゃんは。ホ・ン・キ。」
何を言っても聞き入れることはないだろうと悟ったクラピカは諦めてレオリオのトレーニングを眺めた。眺めながら考えていた。
なぜ彼女は突然そんな事を言い出したのだろう。レオリオの言う様に二人のどちらかと本気で付き合うつもりなのか。友達としてレオリオが幸せになるのなら嬉しいことではあるけれど…。そもそも相手はどれ程の腕前なのだろう。大丈夫なのか、レオリオは。よからぬことを想定し、心配ばかりを募らせていくクラピカだった。
そして2、3日はレオリオに練習を付き合って欲しいと言われても冷たく断っていたクラピカだったが、段々気になっていつの間にかうるさい程、口をはさむ様になっていた。
「おい!もっと腕を引け!積極的に前へ出ろ!」
と、レオリオや周りの生徒よりも熱くなるクラピカ。
「よーし、今日はスパーリングの練習だ!私が受けてやる!」
「えぇっ!?まじかよ…。お前やるとすぐ熱くなって受け身どころかボコボコにしてくんだもん。」
「ぐっ…。だ、大丈夫だ。昨日はその、我を忘れてしまって…」
「気付いたら俺が気絶してたってか。」
「その通りだ!」
「威張ってんじゃねー。」
そんなこんなでレオリオはメキメキと力を上げた。そんなレオリオの姿をクラピカは自分のことの様に嬉しく思うのだった。
そしてヒソカとの決戦を前日にひかえた午後のこと。クラピカはレオリオのトレーニングに連日付き合っていた為、借りていた本を返しそこねていた。期限が1日過ぎてしまい、慌てて図書室に向かった。
裏の方でなにやらヒソヒソと声がする。本棚の影からこっそりのぞくと、マチやクロロと仲が良くいつも一緒に行動をしている、フィンクスとノブナガがいた。
「ったくマチもよくやるよなー。」
「本当、ヒソカはともかく、あのレオリオって男は気の毒だよな。マチは団長にホの字だっていうのに、完全にかませ犬じゃねーか。」
…どういうことだ。クラピカは頭の中がぐちゃぐちゃになった。そして二人の前に飛び出していった。
「詳しい話を聞かせてもらおうか。」
そのクラピカの形相に二人の男達は凍り付き、洗い浚い話すしか手立てはなかった。
「はぁ…。」
今日も溜め息ばかりのクロロ。すると突然クラピカがもの凄い勢いでクロロの席に詰め寄ってきた。
「これからする質問に正直に答えろ。さもなくばお前とはもう絶交だ。」
クラピカはクロロの胸ぐらを掴み、低い声でそう言い放った。
突然のことにクロロは戸惑い、声も無く頷くしかなかった。
「…マチとはどういう関係だ?付き合っているのか?」
「いや、付き合ってるって訳じゃないけど…。」
今までのマチとの関係、自分がどんな人間で、恋愛をゲームとして楽しんできたか。クロロは言われた通り正直に答えた。その場を取り繕い、偽ることはクロロにとってたやすいことだったがクラピカに対してそれはしたくなかった。正直な自分でいたかった。
「…。」
言い終わって二人はしばらく沈黙する。
「わかった。」
先に口火を切ったのはクラピカだった。
「わかってくれたの?」
クロロはホッとする。
「ああ。貴様が最低なクズ人間だということはな。」
クラピカのその目は心底クロロを軽蔑していた。
「金輪際、私やレオリオの前に姿を現すな!」
そう言い放つと風の様に消えていった。
クロロはただ呆然と立ちすくむしかなかった。絶交されるより酷い、誰よりも愛しい人に軽蔑されてしまった。偽りに生きた自分にとってクラピカは唯一の真実だったのに…。
クロロは絶望のどん底にたたき落とされた。
その後クラピカが真っ先に向かったのはレオリオのところだった。事の発端、クロロとマチの関係、クラピカが知り得た全ての事実をぶちまけた。
「…。なんだそんな事か。」
「へ?」
クラピカは耳を疑った。
「お前話をちゃんと聞いていたか?マチはクロロのことが好きなのだぞ?お前の事など何とも思ってないのだぞ?」
「そう同じことを二回も言うなよ、悲しくなるじゃねーか。んなこたぁ前から知ってたよ。惚れた女の、好きな奴くらい見てりゃ分かるよ。」
「だったらなぜ…。」
「そんなの関係ねーからだよ。恋に理屈はいらねーんだ。お前にも好きな奴ができりゃ分かるよ。」
…そういうものなのか。自分にはさっぱり分からない。けれどクラピカはレオリオの一途な心に触れて、自分もどんな結果が待っていようとも、明日の彼の試合を精一杯応援をしようと思った。
−試合当日。
噂を聞き付けた野次馬ならぬギャラリーがかなりの数、観戦にやってきていた。
「マチちゃん、あんなやつちょちょいのちょいとやっつけてあげるから待っててね。」
「フフン、君はボクの実力が分かってないようだね♦」
マチは二人の会話をよそにクロロの姿を探していた。正直マチにとって勝敗の行方などどちらでも良いことだった。全てはクロロの気を引く為の作戦である。
そしてこれはある意味一つの賭けでもあった。クロロが少しでもマチの事を想っているのなら何かしらの反応はあるはずである。その反応を期待していた。そしてクロロがこの場に来ることを。
クロロはというと、未だ立ち直れないでいた。露骨な程に避けられ、やっと会えたと思ったら目も合わせてくれず逃げられてしまう。何とかして今の自分の気持ちをクラピカに伝えたかった。
好きだという気持ちを。
レオリオのトレーニングに付き合っているという情報を聞き付けていたので、今日そこへ行けば必ずクラピカも姿を現すだろう…。募る想いをこらえながら、試合会場へと向かった。
そうとは知らないマチはクロロの姿を見て心が弾んだ。クロロは必死でクラピカを探している。
「クラピカ!!」
やっと見つけたクラピカにクロロは我を忘れ駆け寄った。
「クラピカ、君に伝えたいことがあるんだ。」
「…。今はそれどころではない。そろそろ試合が…。」
言い終わらないうちに試合開始を知らせるゴングが鳴り響いた。
−カーン
レオリオはそれなりの自信があった。小、中学校の時は拳法を習っていたし、高校に入っても得意科目の体育は変わらないままだった。そして根性だけは人一倍ある。相手は長時間に及ぶ打ち合いで多少疲れを滲ませていた。さらに一発食らわせたパンチでヒソカの片頬は赤く腫れていた。
「へへ…。」
レオリオは僅かに笑い、相手を見据える。が、はっきり見えない。
それもそのはず、すでにその時レオリオの顔はヒソカの頬の比べもなにならない程腫れあがっていたのだ。
立っているのもやっとの状態のレオリオを見兼ねたクラピカが叫ぶ。
「レオリオ!もう止めろ!お前の気持ちは十分伝わった!」
「う、うるせえ、黙ってろ。これは、俺自身の闘いなんだ、よ。」
−ドコッ
「ぐぇっ!!」
「レオリオ!!おい!お前からも何とか止めさせる様説得してくれ!」
「え。私にじゃどうしようも出来ないわよ。きっと誰が何を言ってもね。彼が満足するまで戦わせてあげたら?」
他人事の様な言い分のマチに腹を立てる余裕もない位、クラピカの頭の中はレオリオのことでいっぱいだった。そしてクロロもそんなクラピカを、レオリオをただ見つめるしか出来ず、それと同時に底知れぬ不安を感じていたのだった。
−バコッ!
「ぐぇっ…」
「レオリオ!!お願いだ!もう止めてくれ。」
「彼の言う通りだよ♣これ以上やると君、死んじゃうよ。」
「ぅ…るせ…」
「レオリオ!」
クラピカは叫び続ける。
−バキッ
「ぐぇえー!!」
「レオリオ!もういい!もういいじゃないか!」
−ドカッ
「…。私が…。私が代わりにお前と付き合ってやる!!」
「!!?」
「!?!」
一瞬時が止まった。そしてその瞬間、レオリオの顎をヒソカの右ストレートがとらえた。
−ドッカーン
「ぐあぁぁぁぁー」
ヒソカ勝利に観客は湧き、薄れゆく意識の中でレオリオの耳にはクラピカの言葉だけが谺していた。
つづく